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凛として咲く獣-01

薄汚れた少年が、泣きながら歩いていた。

声にならない嗚咽を、喉の奥で震わせながら。


「っ……さっ……」


誰かの名前を呼びたかった。

けれど、彼には呼べる名がなかった。

ボロボロのタンクトップの隙間から、点状の火傷痕がのぞく。

足元は裸足。アスファルトの熱に焼かれ、皮膚が赤く腫れていた。


少年はふらふらと、行くあてもなく彷徨っていた。

気づけば、ネイモア・シティの下層ブロックを抜け、最上層へと出ていた。


「……ぁ」


初めて見る、直射の太陽。

下層にもミラーやプリズムを通して日光は届くが、フィルターのかからない太陽は、こんなにも眩しいのか。


「どうしたの?」


清風が吹いた。

振り向くと、そこに凛と立つ少女がいた。


「どうして、泣いているの?」


高級そうなキッズドレスを泥だらけにしながら、腕を組み、まっすぐに立つその少女は、少年と同じくらいの年齢に見えた。

だが、その目には年齢に似つかわしくない強さが宿っていた。


「居て……いいところが、ない……」


少年はしゃがみこんだ。

少女はためらいなく近づき、同じ高さに腰を下ろして、目を合わせた。


少年は、まだ四歳にも満たないというのに、自分が『いらない存在』であることを知っていた。

そして少女は、同い年でありながら、それを察する知性を持っていた。


「君の名前は?」


「とらのすけ。いしかわ とらのすけ」


促されるままに、少年は名乗った。

少女はその手を取り、まっすぐに言った。


「私は巴。武蔵野 巴。貴方に居場所を作る女」


「あっ……」


少女は少年と目を合わせ、口角を自信たっぷりに釣り上げた。


少年は思った。

なんて綺麗で、

かわいくて、

かっこよくて、

安心して、

そして何よりも、憧れた。







剃り込みの入った坊主頭の少年が、薄暗い通路を歩いていた。

外見でいえば、20は確実に超えているように見える。

しかし少年が実年齢を言うと、誰もが驚いた。


人の味を覚えた虎のような、獰猛なその貌は、整っているとは言えず、また過度に暴力的な印象を与える。

そしてそれは間違っていない。

だがどこか人好きのする愛嬌と、人の良さのようなものも感じさせる、不思議な貌だった。


上半身には何も身に着けておらず、その肉体はあらわになっている。

点状の火傷痕。

太い腕。

太い足。

分厚い胸。

くっきりとしたカットの入ったその肉体は、必要以上に脂肪が絞られている事がわかる。


この少年の肉体の肥大は、環境や才能だけでは説明がつかない。

どれだけの鍛錬と摂生によって、ここまで肥大したのだろう。

それを支えたのは、彼の内面に巣食う狂気と、彼を外側から照らす光。


「今日も調子よさそうじゃねぇか、坊主」


小太りの男が、途中で馴れ馴れしく話しかける。

少年は視線だけを動かして一瞥すると、それでも小さく頭を下げて挨拶をした。


少年を搾取しようと、幾度となく不快な行為を繰り返してきた相手であった。

しかし、こういう相手だろうと、礼儀を失うべきではない。

それが彼を救ってくれた少女が与えてくれた、多くの宝物の一つだ。


「……今日の相手は誰でしたっけ」


「ムエタイか、空手か、なんかそのあたりだ。まぁお前なら楽勝だよ」


「そうスか」


少年は感情の無いままに相槌を打つと、男からボロボロのオープン・フィンガー・グローブと、マウスピースを受け取った。

先にマウスピースをかむと、慣れた手つきでグローブをはめ、マジックテープを巻く。

中のパッドは摩耗が見て取れており、素手よりはマシといった程度だった。


「試合前に、ちょっと良いスか?」


「なんだ?」


小太りの男は、ニヤニヤと小馬鹿にした視線を少年に向ける。


「先週もらったファイトマネー、『オーナー』が払った額は、俺が貰った額の倍らしいんスよ。どこ行ったと思います?」


「さぁな。天使が持って行っちまったんだろう」


「『オーナー』はアンタに俺のファイトマネーを渡したって言ってました」


すると小太りの男は口笛を吹き、馴れ馴れしく少年の肩に腕を回した。

少年は無表情のままだ。


「おいおい、お互い持ちつ持たれつだろ?」


「アンタが持ってくれる分は?」


小太りの男はニヤケ顔を崩さない。

少年の我慢はそろそろ限界であった。


「そうだな、お前が本当は18歳じゃなくて、もっと下の年齢なのを店に黙っててやるってのはどうだ?本当は13ってところだろう?」


ギリギリまで抑えていた、少年の敵愾心の堰が、切れた。

ぎょろりと目玉だけを動かして、小太りの男を見た。


「おっと……」


小太りの男は冗談めかして後ずさるが、その顔には恐怖が浮かんでいた。

その恐怖を打ち消すために、小太りの男は少年へ精神的な圧力を加える。


「金がいるんだろ?だったら言う事を聞かなきゃあなぁ。表の店は、未成年のお前に、金なんか出さないぞ」


「ち……」


少年は小さく舌打ちした。

その様子を見て、小太りの男はホッと胸をなでおろす。


「それから業務連絡だ。今日の試合は30秒以内にきめるんだ」


「冗談でしょ。俺は組技系スよ。実力差があったって極めるのに多少は時間がかかる。ましてやノーギのこの試合じゃ」


「オーナー命令だ。嫌ならファイトマネーは1/3だ。ウチもちょっと、内部のゴタゴタで大変でね。使えないファイターに払う金は減らしたいとさ」


小太りの男は嬉しそうに笑う。

少年は、ふん、と鼻を鳴らして口調を変えた。


「……俺のカネは渡したよな?俺の勝ちに全額賭けとけ。別にカネをもって逃げてもいいぜ。それはそれで楽しめる」


そして少年は、初めて笑った。

まさに喜色満面といった顔だった。小太りの男は、背中に冷たい物がゾクリと走る。


「おい、出番だぞ!早くこい!」


別の係員が、通路の先から少年へと呼びかけた。


「あ、さーせん。すぐ行きます」


少年は態度を切り替えて答えた。意識してではなく、反射として彼の態度が軟化する。

そこにはどこか、すれていない人の良さが滲んでいた。

その無防備な柔らかさが、彼の年齢の嘘を静かに暴いていた事に、少年はまだ気づいていない。








少年が通路を進むと、その先には人垣ができていた。

だだっ広いダンス・ホールのような場所に、人が詰め込まれ、そして熱狂的な空気が少年の顔を叩いた。


服装、顔つき、そして口から放たれる言葉。

誰も彼も上等な客には見えない。

日雇いの労働者ならばまだ上等で、その内訳はポン引きやドラッグの売人、一部には警察官もいる。


そして少年の視線の先には、一人の男が立っていた。

中々に精悍で、整った顔立ちの男であった。

少年と同じく上裸で、そして真っ白な胴着のズボンをはいている。

二人はゆっくりと歩きながら、人垣の開けた空間まで進み、そこで歩を止めた。


そこは、明らかにリングであった。


ロープもマットも畳もケージもない。

何もない開けた空間を、人が囲んでいるだけ。

だがそれでも、それがリングであることは、誰の目にも明らかだった。


「時間無制限の1本勝負だ。いいな二人とも」


案内の男が、少年と、白い道着ズボンの男に語り掛ける。

レフェリーの恰好こそしているが、格闘技の素人だ。

誰がどう見ても試合不能と判断した時に、勝者を宣言する。それだけの役目。


キーン。


空のビール瓶が、栓抜きで叩かれた。

ゴングの音だ。

少年も、白いズボンも、とっさに構えた。


少年は両腕を開いた手を掲げ、小さく半身を取る。

重心を低く取ったその構えは、明らかに伯専柔道の「ジウジツ立ち」と呼ばれるそれだ。

だが、通常の伯専柔道とは違い、前傾せずに上体をニュートラルにする。

明らかに打撃も想定した構えだ。

その構え、少年の縮んだ耳、そして筋肉のつき方は、少年が柔道をバックボーンにしたファイターであることを、雄弁に伝えていた。


一方で白いズボンは、大きく半身を取り、両手とも拳で構える。

両足はベタ足で、すり足で動いていた。


(くそったれ、何が空手かムエタイか、だ。日拳じゃねぇか)


少年は内心で毒づいた。

その構えと、空手着と比較して少し裾が広く、柔道着と比較すると生地の薄いズボンから、そう判断する。


日本拳法。


投・打・極、すべて有効の総合格闘技の一種である。

そのルールはなんと金的さえも有効で、こういった『なんでもあり』の場において、特筆して有効な格闘技の一つであった。


(人生で何度目かのデカい賭け事だな……)


少年は賭けに出る事を決めた。

負けるとは思わない。だが30秒で勝てと言われたならば、手段はこれしか思いつかなかった。


「!?」


日拳の男は小さく驚いた。

目の前の少年が構えを解き、なんとも安易に距離を詰めてきたからだ。


だが、所詮はこのようなアングラの場での、ほとんどケンカのような試合だ。

こういった素人のケンカ自慢が、『怖さ』を理解しないまま、運と勘だけで勝ち進み、自分の能力を過大評価する。

そういうこともあるのだろうと、思い直した。

ならばその勘違いは、今日で終わりだ。

日拳の男が、動いた。


(頼むぜ……)


拳が、伸びた。

少年は、一つ目の賭けに勝った。


日拳の男が繰り出したのは、顔面を狙った縦拳の順突きであった。

日本拳法家が、最初に使う技として、最も可能性の高い技。


「……しゃっ!」


気合一閃。

少年は狙われた顔をそらして拳を避ける。そして同時に、腕をまたいで相手の肩に手をかけた。


「!?」


日拳の男は目を見開いて驚いた。


(……怖え!)


一方で少年は、内心で恐怖に震えていた。


日本拳法における縦拳の順突きは『直突き』と呼ばれ、打撃として最も完成度の高い物の一つとされる。

そしてこの男のそれは、その中でも上質の部類であった。

30秒でKOどころではない。

当たれば、少年が倒されかねなかった。

彼が避けられたのは、それを避ける事だけに、すべてを賭けていたからだ。


「もう一個の賭けが残ってんだよなぁ!」


少年は叫びながら、即、次の動きへと移った。恐怖によって動きが鈍った経験は、一度もなかった。

肩に腕をかけたまま、相手の手首と自分の手首をつかむ。

そしてそのまま、少年はペタリと座り込んだ。


「変形の巴投げ!?いや、しまった……!?」


日拳の男は三度目の驚嘆をした。

日本拳法家である以上、決して彼は組技の素人ではない。

だからこれが何なのか、技をかけられながらすぐに理解した。


『投げ』とも『タックル』とも違う、『引き込み』というテイクダウンの概念。


日本拳法家は、うつ伏せで地面に縫い付けられる。

そしてそのまま、腕がらみにスムーズに移行した。

血が滲むほどに、繰り返し練習された動きであることが、かけられている側からも分かった。


「日拳のアンタが、伯専柔道じゃなく坑道漢柔道出身の可能性に賭けたよ。坑道漢じゃ禁止だし、日拳の試合でもそこまで使わねーもんな、引き込み。慣れてない可能性は高かった」


少年が技を掛けながら、つぶやいた。

自分の成功を誇示するような声ではなく、どこか、技をかけられた日拳の男をたたえるような声であった。

アンタが間抜けなわけじゃない、ただ運が悪かった。そう慰めるような。


「悪ィな、金がいるんだ」


そして即、少年は肘を折った。

衝撃が日拳の男を襲う。


「ぐむう!」


激痛が走り、そして脂汗が流れ、日拳の男は腕を押さえたまま突っ伏した。

そして少年は、ゆっくりと立ち上がり、人垣を後にする。


「勝者、石川寅之助!」


ビール瓶が打ち鳴らされた。

客たちは歓声を上げ、花道を歩く少年を祝福する。

あるものは金を投げ、あるものは口笛を吹き、あるものは寅之助と呼ばれたその少年にキスをする。


寅之助は歩きながら、心の中で自分が打倒した日拳の男へと何度も謝っていた。


あんたの腕を折ったのは、俺の都合だ。

本当ならあんたのタップだって待てた。

30秒という制限は、ただ単に俺の都合で、あんたにゃ関係のない話だ。

ただ、ただ、俺は金の惜しさにあんたの腕を折った、最低の男だ。

こんな俺を見たら、きっと巴は俺を軽蔑するだろうな。


何度も何度も謝った。

単なる自己満足だと知りながら。

それでも謝らずにはいられなかった。


その貌は、嗤っていた。


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