第十二章 あるのは、ただ足掻く術のみ
結界が壊れてしまった。
今先ほど死の淵に立っていた三人の少女達だったが、乗り越えてなおその淵はさらに迫りくるようだった。
魔女の周りの空間が裂け、にゅるりと手の平大の五つの黒球が現れる。それは魔女の周りをふわふわと縦横無尽に動き回り出す。
「きた……」
魔女が操る魔道具。結界が壊れたことでその全てが解放されてしまった。
《『喰噛』『魔摂』『嘘偽』『混代』『重架』》
三人に宿る妖精が彼女らに一斉に黒球が持つ能力の情報を伝える。
黒球は見た目は同じだが、まったく違う能力を持っている。
『喰噛』はこの世のあらゆる物体を触れただけで削り取る。魔力を纏うことで弾くことが可能。それほど速くもなく、重くもない。ただしとても頑丈で制動力がある。
『魔摂』は如何なる魔法、魔力を触れただけで吸い取ることが出来る。蓄えられた魔力は魔女の任意で(ただし魔力吸収時)爆発的なエネルギーとして放出可能。重くなく、物理的な接触に弱く欠けたりひび割れたり、砕けたりと壊れやすいがすぐに元に戻る。
『嘘偽』は他の黒球の魂の性質を真似することができ、また他の黒球を一つだけ、違う性質に見立てることが出来る。あくまで妖精対策であり、彼女らの魂鑑定能力を誤認させるものであるため、能力が変わるものではない。軽く硬い。
『混代』は魔女や黒球の位置を入れ替えることが出来る。敵の近くでは、入れ替わりが出来ない。内在魔力を広範囲に放出すれば、その範囲内では入れ替わりが出来ないらしい。軽くとても素早い。過去に破壊に成功したとの情報あり。再生機能はないとされる。
『重架』は純粋に重く、速く、硬い。それ故に制動力に欠ける。破壊不可。魔法で受けるか回避するのが無難とされる。低速でも生身で受ければ骨が砕け、下手をすれば四肢が容易く千切れ飛ぶ。
そして彼女の持つ黒杖は彼女のスキルや魔法を付加、増幅させる機能を備えている。
これが魔女の完全装備であり、今までで善戦出来た者はいたが、勝てた者はいない。歴代の聖人達の死傷率は百%と言って良いだろう。
全力の魔女に勝てる者はいない。少なくとも真正面から正々堂々では、誰も。
それは絶望を体現したと言っても良いだろう。
(今すぐロミーさんに信号弾を打ち出してもらい、撤退の要請を! それまで魔女の相手を務めます!)
《分かりました! ちなみにゾンビの討伐は失敗した模様です!》
ローラが内に宿る妖精に声をかけると、真面目な口調でそう返される。
すると――突然、つんざくような絶叫が響き渡る。何やら強い怒りが込められたその声に、思わず身を竦めてしまう。
それを聞いたリディアは、視線を軽く上に向けて、声の振動でパラパラと降り注ぐ木の葉を見て、ため息をつく。
「無事だったんだ。でも、そうとうお怒りなようだね、アハリちゃんは。……だとするとミアエルちゃんに何かあったかな。……酷いことになってなければいいけど」
「…………」
三人は静かに魔女を見つめていた。
先ほどアンジェラに殴られた頬は赤紫色に腫れて、鼻や口端から垂れる血はまだゆっくりと垂れ流れている。肉体強度はそれほど高くはないと分かるが、絶対優位な時にあれだけしか有効打を与えられなかった。果たして本気の彼女と戦った場合、どれほどの時間生き残ることが出来るのか。それを考えるだけで腹の底が何かに押さえ付けられているような圧迫感と痛みを覚える。
やるつもりはないが、今、命乞いをすれば許してもらえるかもしれない。魔女は伝承と違い、温和で慈悲深いのだから。
無論、三人ともそれは知っている。彼女が如何なる思想を持ち、どんな人間なのか。そして如何なる事柄を為そうとしているのか。それが絶対的な悪ではないことも。
そして魔女――リディア自身も悪人ではないことを。こちらが邪神と呼び蔑む存在が一体本当はどのようなものなのか、分かっているのだ。
けど、それでも必ずしも善がこちらにだけあるとは思ってはいないが、彼女達は自分達の行いが正しいことだと信じていた。
ローラは息を吐き出し、リディアを見つめながら口を開く。
「貴女に問います。今からでも私達に協力する気はありませんか?」
どの口がそのようなことを言っているのか、と自分ですら思ってしまう。実際、リディアも馬鹿げたように鼻を鳴らして――どことなく呆れたような疲れたような視線を向けてくる。
「毎度、似たようなこと言うね。で、私も同じ事返すけど……殺しかけておいて言うことがそれ? まあ、私は乱暴にされるのが好きだから、これが私の趣向に合わせてくれただけっていうなら納得するけど、違うよね?」
「私達は貴女の目的を『平和的手段』で解決することを目指しています。何故、それが受け入れられないのですか?」
その問いに、リディアは目を細め、睨めつけるように見つめてきた。思わず、ローラの胃がきゅうと、縮こまってしまう。
リディアが口を開くと、そこから出てきた言葉は多分な棘を含んでいた。
「毎度毎度何度も何度も……本当に……まあいいけど、言うよ。……出来ないから。成功しないから。間に合わないから。だからこそ私はこの道を選んでいるの。大勢が死のうとも、確かな未来がそこにあると分かっているから、私は血に塗れる覚悟をした。その決意を、数千年我慢して、あと少しだったのに、勝手な夢物語で台無しにして、千年以上、私をこの『壊れかけた世界』に閉じ込めたのはそっちだろうが……!」
「――!」
リディアから溢れる怒気が強くなり、彼女の周りを旋回していた黒球が呼応するように激しく動き回る。
「いつまで待てば良い? あと何百年、何千年? それまで私もこの世界も、待てはしない。転生者を呼び寄せているのもその一環だろうけど、結局のところ『あの子』が開けた次元の亀裂から実験してるに過ぎない。それが遅々として進まないから私と『あの子』との繋がりを求めて私の魂を取ろうとしているんだろうが。――その結果が破滅に陥るとも知らずに」
リディアは嘲るように笑い、黒杖を構える。
三人は戦いは避けられないと瞬時に悟る。
ローラは顔を強張らせながら、なんとか声を絞り出す。
「それでも大勢が死なない方法を信じてみたいんです!」
「夢は寝て見てろ。あと、傍迷惑な理想論はよそでやれ」
強く重い魔力がリディアから発せられる。
三人が出遭ったどんな人間や魔物よりも、果てはこの世で最強とも思えていた万能の女神でさえも凌駕する力を感じた。
「壊れろ」
リディアのその短い憎悪に満ちた言葉と共に攻撃が開始された。
地響きと共に周囲の木々が根こそぎ引き抜かれ、一部が上空に跳ね上げられる。残りが根を先端として四方から向けられる。
さらにリディアから弾け飛ぶように周囲に散った黒球の一つがアンジェラに高速で向かう。
《性質、『喰噛』! 周囲、『嘘偽』あり! 『喰噛』二つ! 『重架』なし!》
「――!」
アンジェラは内に宿る妖精から端的に告げられた情報を元に、心臓が締め付けられる思いで動く。もし対処を間違えたら、悪くて四肢が弾け飛び、良くて即死だ。
『重架』と判断し、紙一重で避けようとする。『重架』は触れたらその時点でアウトだ。
――同時に拳に魔力を溜めて地面に叩きつけて衝撃波を発生させなければ。まず周囲の木々を消し飛ばさなければ、終わる。『重架』ならこの速度、距離でなら、ギリギリ避けられるはず。
そう思っていたが、前方斜め頭上、やや離れた位置に黒球がピタリと止まる。
拳が地面に向かって行く最中、それを知覚し、この制動力は『喰噛』の性質であることを知る。でも、それならば魔力で防ぐことも可能で――とそう思っていると、ぶぅんと一瞬、黒球が掠れた。
《入れ替わり確認! ――性質、『喰噛』!》
あれは本物の『喰噛』であったはず。今目の前にあるのは、『嘘偽』によって性質が変えられたものだろう。つまり現在存在しない『重架』と入れ替わった? というか、一度止まったせいで、タイミングがズレた。このままでは回避は無理。でも、今まさにやろうとしている攻撃を止めれば対処出来るかも。でもそうすると飛んでくる木々を防げない――。
一瞬にしてパニックになりかけたアンジェラだった。だが彼女が何かしら新たな行動を起こしてしまう前に凝縮されたミッシェルの魔法の風が黒球を吹き飛ばす。と、言ってもほんの十数センチずらしただけだ。それほどまでに『重架』は重い。
けど、そのおかげで直撃は避けることが出来た。
アンジェラの横を黒球が風を切って、通り過ぎていく。
「アンジェラ、止めないで!」
「ああ!」
拳が地面に叩きつけられると、衝撃波が周囲に広がり、木々が粉々に粉砕される。同時に木々のレジストが行われたため、木片が宙に浮かぶことはない。
仲間以外は全てに攻撃判定があるスキルを行使したが――リディアにダメージはない。
たぶん彼女が持っているとされる最上位スキルのせいだ。
恐らく『理ノ調律』だろうと言われている。そのスキルは、この世のあらゆる現象を自分にとって都合の良い物として観測、体験する能力だ。簡単に言うと、熱や冷気などの現象が効かないのはもちろんのこと、洗脳やそれに類する能力も無力化できる。しかし、あくまで現象を一時的に無害化するだけで現象そのものは消えないし、物理的な攻撃に対しては一切半減できない。
ただ、最上位スキルには特殊効果があるのだ。『理ノ調律』も例外ではなく物理的な能力以外の魔法、スキルに対して完全なアンチ効果――全てを打ち消すことが出来る。
だがこの力は、内在魔力だけに頼った力であり、自身の近くや触れたモノに対してのみ効果がある。それにかなりの魔力を消費するため、本来なら良くて十数秒使えれば良い方だ。
しかしリディアは莫大な魔力量を生かして常時特殊効果を使用し、内在魔力を垂れ流すことで効果範囲を無理矢理広げている。
だからこそ、アンジェラはリディアを攻撃する際は魔法や放出型のスキルを用いない、近接特化にならざるを得なかった。そうしなければ、塵芥でもリディアの脅威になり得ないから。実際、結界が崩壊した時点で魔法使いであるミッシェルは攻撃要員足りえなくなってしまったのだ。
かと言って遠距離能力がなければ、一方的に攻撃を受けて蹂躙されるのだが。その部分にリソースを割かなければいけない現状、完全な特化や対策が打てないのだ。
ふざけている、とアンジェラは内心泣きそうになりながら、そう思う。
ずん、とアンジェラのすぐ横で『喰噛』に偽装した『重架』が地面に落ち、地を震わせる。
その間にも上空に打ち上げられていた十数本の木々が、横倒し状に降下してくる。隙間はあれど、その間に入って躱すのは至難の業だ。
ミッシェルが障壁を頭上に展開したことで、アンジェラは周囲に目を配らせる。特に近くに落ちている『重架』をどうにかしなければ危険だ。
そして、そんな三人の妖精が一斉に告げる。
《上空、木々先方より『魔摂』接近!》
「やめてよ!」
そう半泣きで叫んだミッシェルの言葉は、他二人の代弁でもあった。『魔摂』が障壁にぶつかれば消えるだけではなく、爆発が起こる。ほぼ即死だ。
《遠方! 魔女側から性質、『魔摂』、障壁に向かって接近! 『嘘偽』あり! 『喰噛』なし!》
「うぅううううう!」
アンジェラは歯を食いしばりながら唸る。ローラ、ミッシェルも同様だった。こちらはすでに涙を零し始めている。
情報量が多すぎる。そしてそのどれもが対処を間違えば、何もかもが終わることを意味する。
何をすれば良い。対処をしなけれならないのはなんだ。上空の『魔摂』をどう防ぐ。遠距離系スキルはすべてエネルギー関連――魔法と同等のものであり、『魔摂』の吸収対象だ。
なら、どうする。
――と、ミッシェルが木々を横合いから魔法の風で吹っ飛ばして当てて、『魔摂』の破壊を試みている。なら、こちらは魔女側の『魔摂』の対処を――。
そうアンジェラが動きかけたところで、ローラが叫ぶ。
「駄目! 『重架』が離れていきます! 黒球から離れたら入れ替わりが――」
《地面付近の『重架』、魔女側の黒球と入れ替わり確認! 性質、『魔摂』!》
「――っ!」
血の気が引く。間違えた。黒球が浮かび上がり、障壁に向かって行く。
とっさにアンジェラは黒球に手を伸ばした。
黒球に触れた瞬間、ぞり、と籠手ごと手が消失した。
「え?」
そのまま腕を駆け上るように黒球が削りながら進んでくる。
「あ、あぁああああああ!」
腕が何の抵抗もなく、容易く消えていく恐怖。死が間近に迫り、全身に怖気が走る。
それでもなんとか正気を失わず、魔力を纏って弾く。だが、すでに肘まで食い潰されてしまった。ローラによって再生は即座に行われていくが、右腕の籠手が消失してしまう。
馬鹿が、何をやっている。今先ほど、妖精が周囲に『喰噛』がないと言ったばかりなのに。そもそも、ならば魔女側から来ていた黒球をどう処理するつもりだったのだ。いや、それよりもどうやって安全に『魔摂』かどうかを判断することが出来た――?
(――駄目だ! 惑うのが一番駄目だ!)
『魔摂』を取り逃さなかっただけマシだと思わなければならない。それに上空にあるのが、『魔摂』と分かった以上、どうにかすれば――。それに『魔摂』に化けた『喰噛』と入れ替わり、今こちらに向かってきている『重架』を対処しなければ。横合いから弾けば、なんとか軌道を逸らせるか? 近くにある黒球が『喰噛』と分かっている以上、こちらは対処が楽だ。入れ替わったとしても、『重架』になるぐらいだろう。だから優先するのは速度を上げて突っ込んできている『重架』だ。ミッシェルが障壁を張って、動けない以上、弾かなければ不味い。
そう思って、アンジェラは即座に『重架』の対処に動く。動いてしまった。
――アンジェラは一手考えが足りていなかった。
最善は付近の黒球から『絶対に離れず、むしろ近づいて遠くまで弾く』こと。
《付近の『魔摂』、入れ替わり確認! 魔女本体! ――障壁、消失!》
何故ならリディア本人が強力なアンチマジックとして飛んでくるからだ。
三人がいるほぼ中間地点にリディアがふわりと静かに降り立つ。
「行って、アンジェラァ!」
《あいつをここから遠ざけて!》
魔法を掻き消されたミッシェルと妖精の声は悲痛さが滲み出ていた。
ミッシェルらの声を受けて、アンジェラは弾かれたように振り返ると地を蹴り、リディアに跳びかかる。勝てなくてもいい。少なくともミッシェルから離さなければ。でも出来るだろうか。
――アンジェラは唯一、身体能力という点についてはリディアを上回っている。しかし、勝っているわけではないのだ。
アンジェラもそれなりに魔力は高いが、『拳神』を常時使用することはできない。一瞬だけ、上回っているに過ぎないのだ。
接近できる。けれど、振り抜いた拳を紙が翻るように躱され、黒杖の柄で腕を軽く叩かれる。その衝撃は相当なもので、ぼんっと肘から先が弾け飛んだ。それも最後の籠手がある方。
「んっぐぅっ!」
魔法を直接かけられたわけじゃない。ただひたすら重くされた黒杖で小突かれただけ。
腕はすぐに治ってくれるため、痛みに歯を食いしばって耐えて、『拳神』のスキルを使い、腰を捻りながら小さくその場で垂直に跳び、高速の二連蹴りを放つ。攻撃は当たる――だが、リディアに当たった感触があまりにも軽く、ふわりと不自然に後ろに跳んで逃げられる。
何をしても手応えが感じられない。もう嫌だ。
そしてタイムリミットはやってくる。
高度から叩き落とされた樹木が周囲十数メートルに渡って降り注ぐ。リディアはまだ近くにいるため、広範囲に衝撃波を放つスキルを使うことすら出来ない。
降り注ぐ木々は自力か内在魔力に由来するスキルだけで避けなければならないのだ。
幸い、木々が落ちきるまでは黒球はともかく、リディア本人が攻撃を仕掛けてくることはない……はず。
「アンジェラ、ミッシェルをお願いします!」
そして自力で避けられないのは、ミッシェルだろう。ローラは魔法スキルを一瞬だけ発現して、木々に当たらないように逸らしている。――魔法を使っている間、彼女の後ろにある黒色の菱形結晶は光っていない。あれを介して魔法を使っていないのは危険だ。でもそうするしかないのだろう。
今、生き残るためには最善を取らなければならない。
アンジェラはミッシェルに駆け寄り、木々を弾きながら、飛んでくるであろう黒球や魔女から目を離さないようにする。
身体能力が強化されていると言っても、素手で木を丸々一本弾くのは骨が折れる。幸い、骨は文字通りにはならず、なりかけで済んだがダメージが溜まっていく。
それに木の幹側ではなく、枝葉に突っ込まれた時は防ぐことは出来なかった。
肌が無数の枝葉に切り刻まれていく。なんとか弾こうと試みるが、しなる枝を打撃だけで吹き飛ばすのは不可能だった。最悪なことに枝葉の牢獄は、微妙に二人の自由を奪う。
そしてそれに合わせて、黒球が向かってくる。アンジェラとミッシェルを挟み込むように二つだ。
《接近二つ、アンジェラ側『喰噛』ミッシェル側『重架』――『嘘偽』なし『喰噛』二つあり! 他、変化なし!》
つまり? 『嘘偽』が変化し、それが『喰噛』である――? いや、違う。『嘘偽』は自身と他の黒球を変化させられる。向かってくる『喰噛』の黒球が『魔摂』かもしれないし、そうじゃないかもしれない。他の何かかもしれない。いや、『喰噛』が二つなら、どちらかが『嘘偽』で良いのか? そうすると、片方の『喰噛』は本物で――あれ? 他に変化はないなら、――つまり? でももし『嘘偽』以外は変化なかったら? あれ? ああ、くそ、何が何やら分からないほどにシャッフルされた。
前方から向かってくる黒球は枝葉を無視して、弾きながら直進してくる。削りとってはいない。黒球自体も接触で欠けもしていない。脆くはない。――なら『重架』だ。もう一つは『喰噛』か――? ――けどあちらも削りもせず、欠けもせず、枝葉を折り進んで――?
「――? !?」
じゃあ、あれはなんだ。なら、こちらのもなんだ。
考える時間はない。でも間違えば――。
「私側が『重架』で貴方のが『嘘偽』! 悩まないで! 攻撃力がなくても飛んでくるわ!」
ミッシェルが叫ぶ。
「――! 分かった! あと、ミッシェル、ごめん!」
「きゃあ!」
アンジェラはとっさにミッシェルの襟を掴んで、無理矢理引っ張り投げる。枝葉が彼女の身体を傷つけ、衣類が引っかかるように少々無様に絡まってしまう。
アンジェラはミッシェル側の黒球から目を離さず、ギリギリで躱す。ぶぉん、と恐ろしい風きり音が聞こえてくる。枝葉を折り進んで来たのが『重架』そしてもう一つが――『嘘偽』。
彼女は自分側の黒球を手で弾き――じんっとした痛みを覚えつつも(軽いと言っても石の塊と同等程度の重さはあった)、比較的無傷で、回避する。そして、ミッシェルを掴んでありったけの力を込めて、横に跳び、枝葉の牢獄から抜け出る。同時に今までいた空間に別の木の幹が押し潰してくる。
ローブや肌をボロボロにしながら、落ちてくる木々を振り切って乱雑に転がって小さなスペースに立ったところで――、
「ぐふっ」
ローラが腹の辺りが潰れて真っ二つになったのを見つけた。
少し離れた位置にて、リディアがローラに向かって片手の平を握りしめている。
口と腹から血を流したローラの身体がゆっくりと傾いでいく。いや、それと同時に下半身と胴体が腹に引き寄せられ、縮みひしゃげていた。身体の内側に直接魔法を発生させられたのだ。本来なら魔力による抵抗力の関係上あり得ないが、回復術士であるローラにはあり得てしまう。このままでは――。
「アンジェラ! 魔女を!」
ミッシェルに言われ、アンジェラはリディアに向かって跳びかかる。しかし、立ちはだかるように一つの黒球が真正面から、もう一つが真横から迫ってきた。
《真正面『重架』左『魔摂』――『嘘偽』なし! 『重架』二つ!》
妖精が詳細を何か言ってくれたが、判断できる材料はない。――だから判断材料を増やす。
アンジェラは親指の爪で一指し指の肌を思い切り抉り、血を真正面の黒球にかける。
血が、黒球に触れた瞬間、不自然に消失した。
とっさにアンジェラは強く踏み込み、地を蹴って加速して横倒しの木々を飛び越えながら、さらなる加速をする。そして迫った黒球を魔力をまとった腕で振り払い、弾き飛ばした。
リディアが面倒臭そうに視線を寄越してきて、ため息をついた。リディアもリディアで木々に囲まれているため、動きにはある程度制限がかかっている。木々を宙に飛ばすのにも、若干のラグがあるため、攻撃を届かせることは出来るはずだ。良くて当てることも――。
「……回復術士も格闘家も面倒臭い」
瞬間、リディアが消失して、黒球に変わる。
黒球が、こちらに向かって動き出す。血を振りかけ、消えないのを確認すると、避ける。『重架』か『魔摂』か分からない以上、下手なことは出来ない。
――でも、リディアがやや遠くに行ってくれたおかげでミッシェルが魔法を使える。
とっさにミッシェルはローラに鋭い風を送り、――首を切り落とした。かなりショッキングな光景だが……これが最善だ。同時に後方から飛ばしていた柔らかい風で、軽く頭部を吹き飛ばす。
そのローラ頭部の下方で彼女の肉体が完全にひしゃげ、不気味な丸い肉塊になってぼとりと落ちる。
頭部は宙を舞い、三つの結晶が寄り添い、黒い結晶が輝く。するとすぐさまローラの身体が生えてくる。
さすがに服までは生えてこないが、一命は取り留めた。
ローラは息を吸い込み、そして叫ぶ。
「撤退です! もう、持ちこたえられません!」
瞬間、新たな結界が張られる。
黒球が全て地に落ちる。しかし、リディアは即座に『メテオ』の準備をして、アンチシールドを展開していた。先ほどよりもさらに素早い対応により、数秒に満たない間に、新たに打ち上げられた木々が結界術者に向かって降り注ぐ。そしてたった一発のメテオで結界が消滅した。
だが、結界が解かれた後にはすでに三人の少女は転移を使いこの場から逃げ出していたのだった。
荒れた林の中、取り残されたリディアは忌々しげに呟く。
「……ああ、畜生、初めから逃げるつもりだったんだ」
一番、面倒臭い結果になってしまった。道理で結界破壊後、いつもより攻撃が手ぬるかったわけだ。いつもはもうちょっと死ぬ気でかかってくるから面倒なはずだったのだ。だから何か企んでいるかと警戒していたがもう少し攻め気で行けば良かったか。
そう、後悔するが、どうしようもないと彼女は頭を振る。
今は他の皆がどうなったかを確認しにいこう、そう思い、ふわふわと元いた場所へと戻っていくのだった。




