第一章第三節
放課後、授業終了から一時間ほど待ってから、手紙にあった中庭側の校舎裏に来た。
ここは例の宙吊りがあった場所のそばだ。
ちなみに俺はあの事件を勝手に「宙吊りふんどし事件」と名付けている。
はたしてあの子はどうしてふんどしで宙吊りにされてたのかいまだに謎だが、まあ、それを知っているであろう唯一のあの子に会う事もなければ会っても教えてくれるとも思えない。
ま、あの事件はもう夢だと思ってはいるのだが、それでもここを通るときには多少緊張してしまうのも事実だ。
放課後一時間も経つと、学校に残っているのは部活動をやってる人間や、用事のある人間だけで、そもそも昼休み以外人気もない中庭をぶらぶらと歩くような人間はいない。
ここは校舎と垣根と、いくつかに木に囲まれた、学校の中の公園のような場所だ。
いくつかのベンチが点在していて、昼には弁当を持った奴らで賑わったりもする。
今は遠くから運動部のかけ声が聞こえてきたり、時々校舎の中から嬌声が聞こえて来るだけの、閑散とした場所だ。
俺はとりあえず来てみたものの、よく考えると、中庭ってそこそこ広いから、どこに行けばいいか分からない。
とりあえず、そこらのベンチにでも座って待ってるか。
俺はベンチに座って、誰かが来るのを待った。
「…………」
ぼーっと待っていると退屈だ、時計を見ると三時四十分。
十分経ったが誰も来ない。
悪戯か?
まあ、それならそれでいいんだが、待ち時間退屈なので、そろそろ笑いながら誰か出て来て欲しいもんだ。
辺りをきょろきょろ見回すが、誰かがいるようにも見えない。
あれか、放置系の悪戯か。
まあ、もう少し待ってから帰──。
かんっ
俺の座っているベンチが音を出す。
小石が当たったような、小さな音だ。
俺の座っている右の方から音がしたので、そっち振り返ると、ベンチの上に紙が置いてあった。
あれ? いつの間に。
俺はその紙を開いて読んでみる。
こんにちは、四谷景冶さん、私は藤林苑子と言います。
書いてある文字はそれだけだった。
筆跡は朝の手紙と同じく、可愛い女の子の文字だった。
え? なんだこれ? 自己紹介?
いや、手紙で自己紹介だけされても、さっぱり意味が分からないんだが。
とりあえず藤林苑子という名の女の子のようだ。
今、石を投げたのはこの子なのか?
俺は石が飛んで来たと思われる方向を見渡す。
そっちに人の気配はしない。
あれ?
かんっ
そう思った瞬間、今度は左のベンチに小石が当たる。
向いた方向には、案の定手紙が置いてある。
この前は助けていただきありがとうございました。
また、同じ筆跡の文が書かれていた。
助けた?
俺が?
いや、俺、誰かを助けるような人間でもないんだが。
そう首をひねっていると、また右側から小石の音が。
俺はその瞬間、立ち上がって小石が投げられた方向にダッシュする。
「っ!」
まさか、走って来られるとは思っていなかったのか、一瞬動きを止める気配。
その瞬間を突いて、俺は気配に到達し、その手首を捕まえた。
「あ……」
そいつは小さな声を上げ、少し怯えたように俺を見上げた。
それは女の子だった。
少しつり目がちの、だが、おとなしそうな顔をしたポニーテールで小柄な女の子。
ああ、ふんど……いや、宙吊りの子か。
その女の子はびくびくとした表情で俺を見上げていた。
ここは穏やかに、小動物を相手するように優しく相手しないとな。
「えっと、君がこの手紙の藤林苑子さんでいいのかい?」
俺が聞くと、女の子、藤林さんが、慌てたようにこくこくとうなずいた。
もしかして超人見知りなのか?
「俺に用ってのはなんだい?」
俺が聞くと、藤林さんは目をあちこちにきょろきょろさせながらおろおろしている。
このままじゃ埒が明かないな。
もう少し落ち着かせよう。
「とりあえず、ベンチに座ろうか」
俺が言うと、藤林さんはこくこくとうなずいたので、ベンチまで歩く。
俺が座り、藤林さんに横を進めようとして紙が置いてあるのに気付いた。
ああ、さっき小石投げられてそのままダッシュしたから、手紙読んでなかったんだっけ。
俺は隣を勧めると、藤林さんはそっと隣に座る。
話をする前に、俺は手紙を開いてみた。
はっとする藤林さん。
あなたを好きになりました、もしよろしければおつきあいしてください。
それは紛れもない、告白のラブレターだった。
隣の藤林さんを見ると、両手で真っ赤な顔を押さえて悶えている。
可愛いなあ、ちくしょう。
下着がふんどしとは思えない可憐さもあるが、色々聞かなきゃならないこともある。
何から聞けばいいのか、地雷原が多そうだが、聞かなければ始まらない。
「えーっと、藤林さん、俺は君をよく知らないんだけどさ」
俺が口を開くと、藤林さんは小さな声でやっと口を開いた。
「苑子、と呼び捨てで構いません……某は一年生ですので」
そっか、一年生か、背も小さいもんなあ。
…………。
え?
俺は目いっぱいの違和感を感じた。
某って。
女子高生が使う一人称にしては、あまりにも勇ましすぎる。
いやさ、これが格好良くて凛とした女の子が言うなら似合ってるかも知れない。
けど、その声は勇ましいどころか幼さも混じる可愛い声で、しかも若干の舌足らずだ。
「……じゃあ、苑子、苑子はなんであの時、宙吊りになっていたんだ?」
「…………」
藤林さん、いや苑子の顔が一瞬で真っ赤になり、またさっきのように両手で顔を覆う。
また逃げ出すかと思って少しだけ警戒するが、逃げてしまう事はなかった。
「お恥ずかしいところをお見せしました」
苑子は恥ずかしそうな表情で、うつむいたまま、つぶやくように言う。
いや、確かに恥ずかしい恰好だったし、まあ俺も女の子の下着を見たわけだから、多少嬉しさを感じなかったわけじゃない、ふんどしだけど。
「あれは、忍術の修行をして失敗したのです」
「はあ?」
俺は素っ頓狂な声を上げる。
いや、誰だって反応するだろ、これ。
忍術? え? 何言ってんのこの子。
「うちの家系は、藤林家は、忍者の末裔なのです」
「……はあ」
俺は再び曖昧な返事をした。
いや、突っ込みどころ満載だろ。
「末裔だからって、忍者の修行する必要があるのか?」
「あるのです」
あるのかよ。
「じゃあ、仕方がないな」
「はい、仕方がありません」
仕方がないらしい。
「で、何だっけ、ああ、ラブレターの件か」
「…………!」
俺がそう一言いうと、途端にまた顔を真っ赤にして両手で顔を押さえた。
仕草が可愛いけど面倒くさい子だな。
「それでさ、今答えを出そうとすると、やっぱり付き合えないんだよ」
「…………やっぱり、ふん──」
「いや、それは関係ないし、俺は見なかったことにしてるから、見られなかったことにしてくれ」
俺が言うと、苑子は高速でこくこくと首を縦に振った。
うん、この子のパンツはコットンで猫の足のプリント付だ。
そうに違いない。
俺を恥ずかしそうに、そして緊張の面持ちで見上げるその様子は本当に可愛い女の子なんだがなあ、断るのがもったいないと思うくらい。
「苑子は可愛いし、付き合ってくれと言われたのは本当に嬉しい。これは間違いない」
「…………」
「でもさ、よくも知らない人間とは付き合えないだろ? 苑子はいい子かも知れない、だけど、分からない。可愛いからとりあえず付き合っとけ、みたいな感じだと苑子にも失礼だと思う。だから、ごめんな」
俺は誠心誠意を持って、苑子の告白を断った。
苑子はうつむいたまま、泣きそうな表情だった。
こういうのって、やっぱりきついよな、断る方も、もちろん断られる方も。
だが、俺はそのまま沈んで立ち尽くす小さな女の子を、そのまま放って帰ることが出来なかった。
別に悪い子じゃないし、仲良くなって問題がなければ、俺の方から告白してもいいような子だ。
そう、友達から始めるならいいんじゃないか。
「そ、それなら……」
俺がそんな提案をしようとしたとき、苑子が必死の様子で顔を上げた。
「それなら、御庭番から、始めてください」
苑子は、「お友達から始めてください」とでも言うように、不思議な言葉を口にした。
「ちょっと待て、御庭番って何だよ?」
俺は思わず突っ込んでしまった。
「御庭番とは、主人を陰で支え、お守りし──」
「いや、それは分かってるけど、何で御庭番なんだ。友達じゃ駄目なのか?」
俺が言うと、苑子はぶんぶんと首を横に振った。
「お友達なんて畏れ多い!」
「いや、お前、さっき畏れ多くも俺と付き合いたいとか言ってたけどな」
「それに、御庭番の方が、某のことをよく知ってもらえると思ったからです」
そう訴える苑子。
なんだかよく分からんが、俺は別に高貴な身分でもないし、俺の御庭番をされたとしても何も命令することなんてないんだがな。
いや……。
俺は前に友達から借りた良い子のビデオを思い出した。
何だったっけ「くのいち二十四時~夜勤編」という、時代物かと思ったら、くのいちの格好をした女の人が、旅館っぽい部屋でちょんまげヅラかぶったおっさんと戯れてるものだった。
全く関係ないんだが、今それを思い出した。
いや、目の前の苑子はくのいちの格好をしてるわけじゃなく、女生徒の制服を着た普通の女の子なんだが、忍者の末裔とか、御庭番とか聞いてたら、それを思い出してしまったのだ。
俺は何となく、視線を苑子の顔から少し下に落とす。
体型から真っ平と思われた胸は、ささやかに女の子を主張していた。
いや、落ち着け、こんな子がそんな意味で御庭番とか言うわけないだろ!
ただ、俺のそばにいたいっていう、純粋な気持ちがそう言わせたんだ。
俺を慕ってくれる、後輩の女の子。
その想いを、無下に断ることも出来ないだろう。
「分かった。これからよろしくな?」
俺が言うと、苑子は嬉しそうに両手を合わせてぴょんぴょんと飛び跳ねた。
俺は何もしていないのに、そんな態度を取られると、いいことをした気分になって嬉しかった。




