第五章第一節
それから数日、苑子は相変わらず御庭番をしていて、昼は推古を含めた三人で食べるようになって、相変わらず親父弁当で、帰りには毎日たまたま学校帰りの翔子と「偶然」出くわす日々が続いた。
放課後なのに弁当を勧めてくる翔子には少し困っていたが、食ってみると親父弁当よりはかなりうまかったが、そう言うと苑子と翔子で戦いが始まるので黙っていた。
「よお、久しぶりだな」
そんなある日、俺は校内で見知らぬ男から声をかけられた。
ちょっとした長身で、筋肉か脂肪かで大きく見える男。
何より、元から悪そうな顔が、意地悪そうににやにや笑っているのが、面倒事の予感がする。
「えっと……知り合いでしたっけ」
「おいおい、二度も絡んで来ておいて、そりゃねえだろ」
その男が、俺に一歩近づく。
圧倒的優位な立場からの態度だ。
あ、この態度に喋り方。
「Bボーイの格好してた人ですか? 確か、ジーゴさんって呼ばれてた」
「おうよ、てめえにワナビー呼ばわりされた奴よ」
「この学校の生徒だったんですね。下校時間にあの格好で歩いてたからてっきり社会人かと……」
「一昨日まで停学しててな。復帰したばかりよ。ま、俺もてめえも運が悪いな。俺はここでてめえ殴ってまた暴力で停学、てめえはあの女がいない時に俺に出くわして──」
「苑子!」
「おそばに」
「…………」
ジーゴさんが、さっきまでの態度のまま、驚いた顔で口をあんぐり開いている。
「む、この人はカラオケでおやかたさまを殺そうとした人」
「殺そうとなんてしてねえよ! いや、してませんっす!」
ジーゴさんは一瞬で態度を変える。
ああ、この人、苑子が怖いんだ。
「どうしてまたおやかたさまの前に現れたのですか?」
「いえ、謝って仲直りしようと思いましてですね!」
そう言いながら肩を組んできた。
逃げようにも物凄い力で組んで来るので、逃げられない。
「仲良くするのですか? メアド交換とかもするのですか?」
「もちろんっす! な?」
「あー、はい。そっすね」
ここで本当のことを言っても誰も幸せになれないので、話を合わせることにした。
「せ、赤外線でいいかな?」
ジーゴさんが携帯を差し出してくる。
えー、本気で交換するのかよ。
俺は携帯を出して、とりあえず交換だけは済ませた。
名前を確認すると、大久保治五郎になっていた。
なるほど、だから ジーゴさんか。
とりあえず「苑子関係者」フォルダに突っ込んだ。
その夜、毎日送られてくる苑子と翔子だけじゃなく、ジーゴさんからも夕飯の写メが送られてきた。
どうしようこれ。
あと、なんかメル友って夕飯の写メ送り合うルールみたいなものあるのか?
とりあえず、ジーゴさんのは見なかったことにしよう。
翔子は返さないと後から不安げなメールが送られてくるので、適当に送り返した。
で、翔子にだけ送ると苑子が怒るので、苑子にも送る。
で、二人に送ると不平等なので、結局ジーゴさんにも送った。
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「百地どの、ちょっとお話があります」
ある日の放課後、苑子が来たと思ったらすぐに推古にそう言った。
「僕にかい? 景冶に関することかな?」
「違います。もう一つの、某と百地どのに関係する話です」
「ふむ……」
推古は思案気に顎に手を置く。
苑子と推古に関係する話? 俺以外の事で?
「景冶、ちょっと先に帰ってくれないか? 苑子君を借りるけど、彼女なら後で追いつけると思うから」
「ああ、分かった。じゃあな」
思うところは色々あったが、俺は素直に帰ることにした。
二人と別れて校舎を出ると、日はまだ高かった。
久しぶりにどっか遊びに行きたい気分だが、その遊び相手の推古と苑子がいないし、一人で行っても仕方がないしな。
ああ、そう言えばこうして歩いてると、いつも翔子とそのうちどこかで会うんだっけ。
前にカラオケ行く約束してからまだ行ってないな。
とりあえずあいつとカラオケ行って、苑子と合流するってのもいいな。
よし、じゃあ、翔子を探して苑子に電話して──。
「ん?」
携帯が鳴り始めた。
苑子か? そろそろ話が終わったくらいだろうしな。
出ようとして携帯を取り出すと、そこに出ていた名前は苑子じゃなかった。
大久保治五郎。
え? なんで?
本気でなんで?
今、俺と苑子が別々だってことを知ってるのか?
俺は、恐る恐る電話に出る。
「もしもし、ジーゴさ──」
「四谷か? 逃げろ!」
「は?」
「どこかに身を隠せ! あのガキも一緒に!」
「何ですか?」
ジーゴさんが結構切迫した声で逃げろと言うので、俺もちょっとだけ緊張する。
「ガラの奴がよ、ナオトさんに言ったらしい! お前らマジでヤバいから逃げろ!」
「ちょっと待ってくださいよ、ガラって誰ですか? あとナオトさんって?」
「ガラはこの前カラオケで会ったろ、あいつだ」
「ああ……」
あの、グループのボスっぽい人だな、苑子に膝一発でやられたけど。
「あいつがあの事をナオトさんに密告したんだ! ナオトさん面白がって狩りを始めるって言い出してよ」
なんか、ヤバい事になってるな。
「ナオトさんって、誰ですか?」
俺は、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「ここら一帯を統括してる人だ。なんかヤベエ軍団持ってるから誰も敵わねえ」
やばいよそれ! ヤクザじゃないだろな!
さすがの苑子もヤクザには敵わないぞ!
一対一ならともかく、奴らは集団だし、場合によっては非合法の武器も使う。
「とにかく、さっさと逃げ──」
「!?」
俺は、携帯を取り上げられた。
目の前にいるのは、長髪を二十センチは立ててる、それがなくてもかなり長身の人だ。
顔はジーゴさんやガラって人みたいにいかにもな悪人顔じゃない。
軽く化粧をしてるから分かりにくいが、おそらく素顔は格好いい青年実業家みたいな、真摯というか真面目が似合う感じだろうか。
髪は金に染めていて、一昔前のヴィジュアル系のメイクがよく似合っていた。
年齢は二十歳くらいだと思うが、化粧のせいでよく分からない。もっと歳かもしれないし、もっと若いかもしれない。
唇にはピアスが二つ、耳たぶには三つずつついていて、胸には大き目のシルバーチェーンがぶら下がっている。
長身の身体は細身だが、肉付きが悪いわけではなく、筋肉もちゃんと付いている。
「よお、ちょっと付き合ってくれねえか?」
余裕のある態度でその人がそう言った。
俺と彼の周囲には、いつの間にか数人の男が取り囲んでいた。
カラオケボックスで会った連中とはちょっと雰囲気が違う。
何らかの訓練を受けたようなそんな雰囲気がする連中だ。
俺に選択権は、おそらく存在しない。
「……ナオトさんですか?」
俺はとりあえず聞いてみた。
「ほう、名前は知っているのか。……ジーゴか?」
ナオトは、俺から奪った携帯の画面を見て言う。
それはまだ切断されていないようだ。
「よお、ジーゴ。てめえ、明日折檻な」
俺の携帯にそう言ってから、切って俺に放り投げる。
俺は受け取る。
「ぐっ……!」
通信が切れているのを確認していると、身体の中心が熱くなった。
ナオトが、俺の鳩尾に一発入れやがった。
「悪いな、てめえには関係のねえ事だが、付き合ってもらおうか。てめえが忍者と絡んでんのが悪いんだぜ?」
忍者?
こいつ忍者とか言ったか?
まさか、苑子関係か?
ヤバい、素人の俺だって、こいつが強いのは分かる。
苑子が敵う相手じゃ、ない。
だが俺は、何も出来ないまま、意識を失った。




