第二話 命捨島
《助けてほしいの》
奈美から届いたメッセージを見ながら、僕はこの三日間のことを思い返した。
五年間、一度も会っていない初恋の相手、西条奈美から、三日続けて奇妙な荷物が届いた。
一つ目は、
コインロッカーの鍵。
二つ目は、
地図に名前も載っていない島の地図。
三つ目は、
東京から倉敷までの新幹線の切符。
しかも送り元は、
**香川県香川郡命捨島町。**
検索しても存在しない住所だった。
奈美が僕に何かを伝えようとしている。
そして何より、
奈美に会いたかった。
だから僕は、
東京から倉敷まで来た。
倉敷駅のコインロッカーを開けると、
中にQRコードがあった。
読み込むと、
奈美のチャットにつながった。
五年ぶりに届いたメッセージは、
《今から、命捨島に来て》
そして、
《助けてほしいの》
だった。
*
僕はチャットアプリで奈美にメッセージを送った。
《できることはやる。だから、状況を説明してほしい》
すぐに既読がついた。
《中野の目で、実際に見てもらった方が早い》
《島に着いたら連絡して》
「またそれかよ……」
ここまで来ても、
何も教えてくれない。
僕は返信した。
《分かった》
《島へはどうやって行けばいい?》
すぐに、
港までの行き方が送られてきた。
命捨島に定期船はない。
指定された小さな貨物船に乗る。
最後に、
《船長には、西条から紹介されたって言って》
とあった。
僕は、
《了解》
と返信し、スマートフォンをポケットに入れた。
五年ぶりに奈美に会う。
しかも、
瀬戸内海の無人島で。
どういう再会なんだよ。
僕は倉敷駅から港へ向かった。
*
港には、
小さな貨物船が停まっていた。
古びた船体。
油と潮が混ざった匂い。
一人の老人がロープを片づけている。
白髪。
無精髭。
日に焼けた顔。
ハンチング帽。
その顔を見て、
どこかで会ったことがあるような気がした。
でも、
思い出せなかった。
「すみません。西条さんから紹介されました。命捨島に行きたいんですけど」
「西条?」
「はい。西条奈美です」
老人はロープを船に放り込んだ。
「乗りな」
「あ、はい」
僕は船に乗った。
*
船は瀬戸内海を進んだ。
「命捨島まで、どれくらいですか?」
「三十分くらいや」
船長はそれ以上話さなかった。
僕は海を眺めた。
五年ぶりか。
奈美はどんな顔で僕を迎えるんだろう。
そんなことばかり考えていた。
三十分ほどすると、
船長が前方を指差した。
「あれや」
小さな島が見えた。
ほとんど木しかない。
バッグから地図を出す。
輪郭が一致している。
命捨島だ。
島が近づく。
僕は桟橋を見た。
ショートパンツ姿の奈美。
茶色のポニーテール。
笑顔で僕に手を振っている。
そんな姿を想像した。
五年ぶりに会ったら、
何て言おう。
でも、
桟橋には誰もいなかった。
先に島の中へ行っているんだろう。
船が横付けされた。
「一時間半後に迎えに来る」
「分かりました」
僕が降りると、
船はすぐに桟橋を離れた。
「西条さん!」
呼んでみた。
返事はない。
僕はチャットアプリを開き、奈美にメッセージを送った。
《着いたよ》
《どこにいるの?》
すぐに既読がついた。
《今日は、私は島にはいないよ》
「……は?」
二度見した。
《今日は、私は島にはいないよ》
「マジで、いないの?」
僕はすぐに返信した。
《東京からここまで来たんだけど》
《西条さんに助けてって言われたから》
《ごめん》
《誤解させたなら謝る》
いや。
普通、会えると思うだろ。
腹が立って、そのままメッセージを送った。
《じゃあ何のために俺をここまで呼んだの?》
すぐに返事が来た。
《見てほしいものがあるの》
《桟橋から島の中央へ歩いて》
《古い家があるから》
ため息が出た。
でも、
船が戻るのは一時間半後だ。
僕は、
《分かった》
と返信して、スマートフォンをポケットに入れた。
島の奥へ歩き始める。
十メートルほど進んだところで、
ニャア。
草むらから、
白い子猫が出てきた。
「猫?」
その後ろから、
茶色い猫。
三毛猫。
少し歩くと、
またいた。
木の陰。
岩の上。
道の脇。
どこを見ても猫がいる。
十匹。
二十匹。
もっといる。
ニャア。
ニャア。
あちこちから鳴き声が聞こえる。
「すごいな……」
猫島というやつだろうか。
奈美は昔から猫が好きだった。
その先に、
古い家が見えた。
縁側にも猫。
軒下にも猫。
屋根にもいる。
僕はスマートフォンで写真を撮り、奈美に送った。
続けて、
《猫だらけなんだけど》
《猫を見せたかったの?》
とメッセージを送る。
その直後、
足元に灰色の子猫がいることに気づいた。
丸くなっている。
「おい」
しゃがんで、
背中に触れる。
冷たい。
もう一度触った。
やっぱり、
冷たい。
死んでいる。
僕は手を引いた。
立ち上がる。
草むらにも、
小さな身体があった。
木の根元にも。
「……え?」
周りの猫を見る。
痩せている。
片目が塞がっている。
毛が抜けている。
足を引きずっている。
肋骨が浮き出ている猫もいた。
「なんだよ、これ……」
古い家の横に、
井戸があった。
中を覗く。
最初、
何があるのか分からなかった。
目が暗さに慣れた。
「……嘘だろ」
猫だった。
何匹もの猫が、
井戸の底で折り重なっていた。
僕は顔を背けた。
吐きそうになった。
すぐにチャットアプリを開き、奈美にメッセージを送った。
《井戸の中に猫がいる》
《死んでる》
返信が来た。
《ひどいでしょ》
《それを中野に見てほしかったの》
僕は奈美に問い返した。
《どういうこと?》
《処分に困った猫が、この島に運ばれてくるの》
《ここに置いていかれる》
痩せた猫たちが、
井戸のそばを歩いている。
僕は続けて送った。
《行政は知らないの?》
少しして、
《知ってる》
と返ってきた。
「え?」
《この島は国有地なの》
《昔、軍事上の理由で地図から消された要塞島》
《今も正式な住所がない》
あの送り状が頭に浮かんだ。
香川県香川郡命捨島町。
僕は返信した。
《だから住所がなかったんだ》
《うん》
続けて質問した。
《助けてほしいって》
《この猫たちのこと?》
《うん》
ようやく、
奈美が僕をここまで呼んだ理由が分かった。
少し腹が立って、僕はメッセージを送った。
《最初から言ってよ》
《猫がたくさんいる無人島があるから》
《東京から見に来てって言ったら、来てくれた?》
指が止まった。
たぶん、
来なかった。
目の前を、
小さな子猫が歩いていく。
ここへ来なければ、
こんな場所があることすら知らなかった。
僕は奈美に返信した。
《分かった》
《何ができるか分からないけど、考える》
《ありがとう》
五年前、
捨て猫を助けたときにも、
奈美は同じように、
「中野、ありがとう」
と言った。
今でも覚えている。
僕はそのまま、奈美に別の質問を送った。
《ところで》
《西条は今どこにいるの?》
続けて、
《今日、会えない? 倉敷でも東京でもいいから》
と送った。
既読。
返事がない。
もう一度送る。
《猫のことも、直接話したいし》
三十秒。
一分。
ようやく返事が来た。
《ごめん。無理》
胸が沈んだ。
僕はすぐに返信した。
《じゃあ明日は?》
また少し間が空いた。
《ごめん》
「明日も?」
続けて聞いた。
《いつなら会える?》
今度は、
なかなか返事が来なかった。
そして、
《私は、中野とは会わない》
「……え?」
読み返した。
会えない、
ではない。
会わない。
僕はすぐに返信した。
《なんで?》
《僕、何かした?》
《違うよ》
さらに聞いた。
《じゃあ、彼氏がいるとか?》
《今は、彼氏いないよ》
その返事に、
一瞬だけ顔が緩んだ。
いや。
だったら、
もっと分からない。
僕は問い返した。
《じゃあ、なんで会わないの?》
《中野のこと、嫌いじゃないよ》
続けて、
《むしろ、好き》
「……え?」
もう一度読んだ。
好き。
頭の中で、
その二文字だけが大きくなる。
僕は戸惑いながら返信した。
《どういう意味?》
少しして、
《仲良くなったら》
《キスとかしたくなるでしょ》
「え……」
顔が熱くなった。
猫だらけの無人島で、
一人で何を言われてるんだ、僕は。
僕は慌てて返信した。
《いや、いきなりそんなことしないけど》
《でも、いつかはするでしょ》
返事に困った。
好きな相手と付き合えたら、
そういうことをしたいと思う。
たぶん、
普通だ。
僕は少し迷ってから質問した。
《それが嫌なの?》
しばらくして、
《私は、そういうのには応えられない》
と返ってきた。
僕はすぐに返信した。
《どういう意味?》
《そのままの意味》
《だから、会わない方がいい》
分からない。
恋愛そのものが嫌なのか。
過去に何かあったのか。
高校を卒業してから五年。
その間の奈美を、
僕は何も知らない。
《でも》
《中野との関係は壊したくない》
余計に意味が分からなかった。
《わがままでしょ》
《嫌いになった?》
僕は反射的に返信した。
《嫌いになんてならないよ》
送った直後、
ちょっと必死すぎたかと思った。
でも、
もう遅い。
すぐに既読がついた。
《ほんとに?》
僕は、
《うん》
と返信した。
《嬉しい》
続けて、
《高校のときから、中野は優しかったから》
《雨の日の猫のことも覚えてるよ》
僕の手が止まった。
奈美に返信した。
《覚えてたの?》
《もちろん》
そして、
もう一通。
《私の中で、中野は特別だから》
思わず、
もう一度読み返した。
特別。
その二文字だけで、
心臓が急に速くなった。
高校時代の僕が聞いたら、
たぶん気絶する。
*
桟橋へ戻った。
船長が約束した一時間半が過ぎた。
海を見る。
船は来ていない。
「遅いな」
船なら多少時間がずれることもある。
そう思って待った。
さらに一時間。
まだ来ない。
陽もかなり傾いている。
さすがに気になり、
僕はチャットアプリを開いて奈美にメッセージを送った。
《船が来ない》
すぐに既読がついた。
《ちょっと待ってて》
《私から連絡してみる》
僕は桟橋に座って待った。
やがて、
太陽が沈み始めた。
奈美からも返事がない。
「さすがに遅すぎるだろ……」
海を見ながら、
船長の顔を思い出した。
白髪。
日に焼けた顔。
ハンチング帽。
どこで見たんだっけ。
しばらく考えて、
思い出した。
校舎の裏。
飼育小屋。
ウサギに餌をやっていた男。
「あ……」
高校の用務員だ。
ほとんど話したことはなかった。
だから、
すぐに思い出せなかった。
そのとき、
スマートフォンの画面に表示が出た。
バッテリー残量、
10%。
「マジかよ……」
辺りは、
すっかり暗くなっていた。
船は来ない。
奈美からも返事がない。
僕はもう一度、
暗い海を見た。
船の灯りは、
どこにもなかった。
船長は、
奈美が紹介した人だった。
そして、
あの人は高校の用務員だった。
奈美とは、
高校時代からつながりがあったのかもしれない。
でも、
その船長は迎えに来ない。
奈美も、
さっきまで普通に返信していたのに、
急に何も言わなくなった。
僕はチャットアプリを開いた。
奈美とのやり取りが、
画面にずっと残っている。
《今から、命捨島に来て》
《助けてほしいの》
全部、
奈美に言われてここまで来た。
僕は奈美にメッセージを送った。
《船長とは連絡ついた?》
送信。
既読。
返事はない。
一分。
二分。
画面は変わらない。
僕は暗い海を見た。
どうして、
船長は戻ってこない?
どうして、
奈美は何も答えない?
偶然、
二つのことが重なっただけなのか。
それとも――
僕は、なんらかの目的で船長に、この島に軟禁されたということなのか?




