第2話 忍んで Night school
「てかよミヤ、聞いてくれよ。」
時刻は正午を回り昼休み。周囲は大小の喧騒で溢れている。
机をくっつけ合ったり、体を反転して同じ机で食べたり、弁当を持って他の場所へ行ったりとクラスメイトの動向は様々だ。
肝心の俺は後ろの夕佑の席に半身を向け、菓子パンを食べながらスマホゲームのログインボーナスを消化している。
そんな時、昼ご飯のおにぎりを頬張りながら夕佑が話しかけてきた。口の中にあるパンを咀嚼しつつ、目線を上げて夕佑を一瞥する。
「聞けよなあミヤ。あるんだよ聞かせたい話がお前に。」
「倒置法がキモすぎてもはや誤用の域だな。てか何だよ聞いてるよ。」
「聞いてねぇだろスマホ閉じろよ。俺と飯食ってんだから俺の方見ろよ。」
「だから聞いてるっつってんだろしつけぇな。面倒臭い彼女かお前は。」
「彼女って笑。お前彼女出来たことないのに…笑」
「あぁ!?彼女居た事ねぇ奴は彼女の例え使うなってか!?経験した事しか喋るなってか!?そりゃ随分と素晴らしい考え方だな!!」
「ご、ゴメン……何らかのコンプレックスを刺激したなら謝るわ…」
苦笑いで宥めてくる夕佑から目を逸らし、手元で潰れかけているパンを見て気持ちを落ち着ける。
深呼吸し、水を一口分含む。乾いた口内を潤しながら中指で眼鏡の位置を直し、再度夕佑を顔を合わせる。
「…で?何だよ、俺に聞かせたい話って。」
「ん?あーそうだったな。2つあるんだけどどっちが良い?1つは昨日の話で、もう1つは最近の話だ。」
「話の大まかな概要を聞いてんだよ。昨日と最近ってなんだよ何も言ってないのと同じじゃねぇか。時期で言われてもお前のさじ加減が分かんねぇよ。」
「そんなに悩むなら昨日の話にするか?俺はどっちでもいいぜ。」
「悩んでるように見えるか?死ぬほどどうでもいいと思ってるのが伝わらないか?…まあ、とりあえず昨日の話で頼む。」
「分かった。実は俺よ、昨日帰ってから考えてみたんだよ。一体どんな行為が青春と呼ぶに相応しいのかについてって感じでな。」
「えっ!?」
信じられない情報が登場し、思わず声が出てしまった。
聞き終えた今でも驚きの感情が隠せない。夕佑が自分から言い出した事を次の日も覚えているなんて、地球の自転が停止しても起こり得ない事だと思っていたのに。
「あ?何だよその反の……お前まさか、昨日俺が話した事を忘れてたんじゃねぇだろうな?」
「いや忘れてねぇよ…。むしろお前が覚えてた事に驚いてんだよ。だってお前の脳みそって俺らが生まれるより前のレトロゲームより容量少ないだろ?」
「どうせ夕佑の事だから帰って飯食ったら忘れてるんだろうなと確信してたから…まさか覚えてるなんて思わなくて…」
「お前今すげー失礼な事言ったって自覚あるか?」
「いや事実だろ。容量いくつだっけ?1MBとかだっけ?」
「写真1枚も保存できないじゃねぇかぶっ飛ばすぞお前。俺だって日々アップデートしてんだよ今や容量128GBだよ舐めんな。」
「それも今は割と標準レベルだろ本体性能までレトロじゃねぇか。」
「はぁ〜?積んでるハードはスパコン並だぞコラ。毎秒174京2000兆回の浮動小数点演算能力だぞおい。」
「ならその超高性能で成績最下位取ってんのは何なんだよ。持て余しすぎだろどっかに寄贈してこい。」
「うるせぇな!いや違ぇよ聞けよ!いいか?俺は昨日帰ってから考えたんだ。そして!それっぽい青春候補をいくつか考案してみました!!」
「………」
期待できない。
まず真っ先にこの結論が頭に浮かんだ。何故ならこいつはとんでもないバカかつ果てしないアホだからだ。思考回路は破滅的に支離滅裂で、真面目に付き合うと円周率すら音を上げる。
今年の年度末、終業式の最中に「ジャーマンポテトとジャーマンスープレックスって途中までどっちが出てくるか分からないの強すぎじゃね?」などと喋り出した時には流石の俺も頭を抱えた。
…とは言ってもこいつも一応は人間、言葉の通じないゴリラではない。昨日唐突に繰り出した青春の話のように、時折整合性が取れてかつ興味を引く話題を持ち出す事もある。
頭ごなしに否定するのは得策ではない。こういう時はとりあえず聞き通し、1つ1つ確実に悪性の芽を摘んでいくのが最適解だ。
「…そうか。じゃあ、聞かせてくれるか?考案してきた青春候補とやらを。」
「おう、聞いて驚くなよ?では…俺が考えた青春候補…その1……」
「夜の学校に侵入しよう。」
パンを食べながら聞こうと開いた口が、半開きのまま固まった。
反応すら忘れてしまった。こいつが考えてきた候補とは、青春と称して建造物に無断で侵入する建造物侵入罪に該当する行為だった。
「どうだ?革新的だと思わねぇか?」
「そ、そうだな…革新的というか…犯罪的というか…」
「いや的じゃないな犯罪そのものだ…。すごいなお前…記念すべき一発目に持ってくるものが犯罪予告だとは俺も予想外だったぞ…。」
「ふっ…止めろよ…照れる照れる。」
「ちょっと待て、本気で俺が褒めてると思ってんのか?」
「え?違うの?」
「お前の脳内のお花畑はケシで埋め尽くされてるのか?お前不法侵入って知ってるか?」
「は?当たり前だろバカにしてんのかよ。」
「…………そうか。分かった。ちょっと一旦情報を整理しよう。」
5秒ほどかけて深呼吸し、夕佑の前に向き直る。首筋に伝う一滴の汗と心拍数の上昇を感じる。
大丈夫、俺ならまだこいつを助けてやれるはずだ。
「えーと…不法侵入は犯罪って事も知ってるよな?」
「だから知ってるって。お前俺の事ナメすぎじゃね?」
「……じゃあ、何で夜の学校に侵入する事が青春に値すると思ったんだ?」
「お、良い質問だなミヤ。…俺は昨日家に帰って飯食った後、それはそれは深く考えてたんだがな。そん時に昔見た映画を思い出したんだよ。」
「その映画はな、1969年を舞台にその時代の学生たちがバカをやってる姿を描いた作品なんだけどよ。最終的に何やかんやあって主人公たちが夜中に学校に侵入して、何と学校をバリケード封鎖しちまうんだよ。」
「俺はガキの頃に親父に見せられたこの映画が大好きでよ、そんで昨日の夜に10年ぶりくらいに見返したら咄嗟にインスピレーションが湧いたわけよ。」
「俺も似たような事やってみたいって思ったんだよ。でも今の時代に学校をバリ封なんかしたら一発アウトだろ?」
「セーフだった時代がそもそもねぇよ。」
「だからだ!目的の焦点をバリ封ではなく、夜に学校に忍び込むことに当てたわけだ!」
「つまり何が言いたいかって言うとな?楽しい事をやるのも青春っぽいが、ちょいワルな事をやるのも青春ぽくね?って事だよ!」
「…うーん。理屈はギリ理解できなくはないが…初手から不法侵入は流石にパンチが効きすぎてるというか…こういうのって軽めのジャブから済ますものじゃないのか?」
「は?じゃあ何しろってんだよ。校舎の裏で煙草ふかして盗んだバイクで走り出せってか?」
「思考までレトロに染まってる!?戻ってこい夕佑!15の夜はとっくに過ぎてんだよ!」
続けてなにか言おうとしたが、頑なに自信満々の表情を崩さない夕佑にやる気が削がれた。というかこれ以上のやり取りに限界を感じている。
漏れ出ようとした溜め息を抑え、塞ぎかけていた口を開く。
「何でそんなに夜の学校に拘るんだよ。インスピレーションだのちょいワルだのそれっぽい事言ってるけどお前どうせアレだろ、映画の影響で面白そうだと思ったからやりたいだけだろ?」
「流石よく分かってんな。そうだよ面白そうだからやりてぇんだよ。いやだって絶対楽しいぜこれ、夜の学校とか考えるだけでワクワクするだろ?」
「こんな楽しそうな事、今しかやれねぇと思わねぇか?だからよ、今日の夜に俺ら二人でやってやろうぜ。」
熱弁する夕佑の目は、枕元のクリスマスプレゼントを発見した小学生のように期待に満ちている。
幾度となく経験してきたから分かる、やる気が乗ってしまった夕佑を止めるのは非常に難しい。3日間密室に閉じ込めて微分積分を理解させる方がまだ現実的だ。
とにかくここまで話が進んでしまった以上、腹を決めるしかない。
俺は荒らげたい気持ちを鎮め、溜め息を吐いて夕佑と顔を見合わせた。
「…もしこれでバレたら絶対許さねぇからな。」
「ウハハハ!そう来なくっちゃな!心配すんな絶対バレねぇから!」
「不安しかねぇよ。大体お前どうやって侵入するつもりなんだよ。バレたら冗談抜きに警備会社と警察が来るんだぞ。」
「だから安心しろって確実にバレずに侵入できる方法があるから!まあ決行までは内緒だけどな!ウハハハ!!」
呑気に高笑いしている夕佑を尻目に、熟考する。
もしこいつを1人で行かせたら確実に何かをやらかす。その確信がある。ならば俺も可能な限り同行して、可能な限りこいつの動きを制限してやればいい。
そうすれば、少なくともこいつの顔がネットニュースの見出しに載るような事態は防げる筈だ。
「いや〜、やっぱお前なら来ると思ってたぜ。流石は俺の大親友だ。てか何だかんだ言ってお前もちょっと楽しみだったりすんだろ?」
「お前と一緒にすんな。俺はお前の監視係だよ。」
「んなつまんねー事言うなよ!てかよミヤ。昨日の話を聞いたんだし、この流れで最近あった話も聞きたいと思わねぇか?」
「…?………ああ、そういえばそんな事言ってたな。いや別に聞きたいとは思わないな、どうせお前の話クソつまんないし。」
「まあまあとりあえず聞けよ。これは俺が最近電車に乗ってた時の話なんだけどな?」
「座席に座ってた人が急に「うぅッ!」って苦しそうな声出しながら倒れちゃってよ、その隣の席の人がそれを見てめちゃくちゃ慌ててるのを横目に「うわぁ…」ってなってる人を動画撮ってる人を見てる人を俺は見てたわけよ。」
「お前1ミリも関係ねぇじゃねぇか!!」
「いやすげぇ驚いたんだぜ隣の人が。」
「いらねぇよその情報補完!かんむり座みてぇな相関図になってんぞ!!」
ーーーーー
黒色の空から、月明かりが降り注いでいる。
自分以外に出歩いている人の数は極わずかで、電車を降りてから10分ほど歩いても数人程度としかすれ違わなかった。
ポケットからスマホを取り出し、現在時刻を確認する。画面の明るさに明順応が発生したが、何とか目を細めて現在が22時35分である事を視認した。
目線を上げ、自分が今歩いている道を改める。
昼間には付くことがない街灯。闇に染まり奥が見えない茂み。静かに道を照らす月明かり。
考えてみると、こんな時間に外を出歩くのは初めての経験だ。ましてや近所ならともかく、通学路となると尚のこと日常から離れた気分になる。
学校がある日は毎日歩いている道の筈なのに、時間帯が違うだけで何もかもが別世界のようだ。
この非日常感に、わずかに高揚している自分がいる。
夕佑に言われた通りになるのが癪だったが、流石にこの高揚感を1人で押し殺せるほど器用ではない。
何とも不思議な気分だ。吸い込まれそうなほど真っ暗な空にさえ、心の内をくすぐられる。夜中に出歩くのが若干癖になりそうな勢いだ。
そんな事を考えながら歩いていると、いつの間にか学校の校門前に辿り着いていた。軽く辺りを見回すと、校門の横にある学校銘板付近にしゃがみ込む、平均を大きく超えた体格の男を発見した。
それと同時に男の方も俺に気付いたのか、立ち上がった勢いのままこちらへ接近してきた。男の格好は黒いパーカーにグレーのハーフパンツと、夜に見たら不審者だと間違われても仕方のない色合いをしている。
やがて互いの距離が2、3m程まで差し掛かり、毎日学校で見るあの馬鹿面が月明かりに照らされ露わになった。
「おいミヤ遅せぇよお前。22時半に来いっつったろ遅刻だぞ。」
「普段から遅刻しまくってる奴が偉そうな事抜かすな。大体近所のお前と違ってこっちは電車通学なんだよ、数分くらい我慢しろよ。」
「てか夕佑、お前なんだよその格好。どう贔屓しても実行役の男にしか見えねぇぞ。」
「あ?いや良いだろこれ、闇に紛れるセットだぜ。折角なら下も黒にしようと思ったんだけど流石に見た目ヤバすぎて笑っちまったから変えたわ。」
「今のままでも十分ヤベェっつってんだよ。誤解させるには何一つ余念が無い服装してるぞ。」
「いやお前は逆に普通すぎだろ。休日に図書館行く時みてぇなカジュアルコーデしやがって、俺の事バカにしてんのか?」
「おおそうだよよく分かったな。お前が人の胸の内を慮るようになって俺は大変嬉しいよ。」
「てかこんな無駄話してる暇あるならとっとと行くぞ。言っとくけど俺1時間も付き合えないからな。」
「分かった分かった…ったくせっかちだな。んじゃとりあえず校門乗り越えるぞ。一応言っとくが、これは普段のテストみてぇに簡単には乗り越えられねぇぞ?」
「全然上手くねぇんだよ、とっとと先行け。」
1.5mはある校門を片腕を支点にひとっ飛びで乗り越えた夕佑に続き、俺は怪我をしないようにゆっくりと手と足を掛けて乗り越える。
しっかりと両足で着地して、振り返りつつ先行している夕佑に早歩きで着いていく。
ふと、校舎を一瞥する。
中に誰も居らず、誘導灯だけが淡く光っている学校の校舎は形容し難い独特の威圧感を放っている。見慣れた景色の筈なのに、まるで異世界にいるかのような感覚が湧き上がる。
校門から数十mほど進んでいると、2年生棟のとある教室の横で夕佑が立ち止まった。表情から察するに、恐らくここから侵入するのだろう。
「…おし、2年生棟1階の美術室…ここだ、間違いねぇ。ミヤ、こっから入るぞ。」
「場所は分かったが、方法はどうするんだ?いい加減教えろよ。」
「おう。これは先輩から聞いたんだけどよ、実はこの教室の窓の一部は立て付けが悪ぃのか、完全には閉まらない箇所があるらしいんだよ。つまり常に開きっぱなしって事だな。」
「開きっぱなしなら警備システムもそこだけは作動しねぇからこっそり忍び込めるって訳だ。ここだけの話、ここから侵入して遊んでる先輩とか結構居たらしいぜ。そんでこの窓の秘密は代々ひと握りの先輩からひと握りの後輩に密かに受け継がれるんだとよ。」
「代々ってなんだよ襲名性かよ、仰々しく言いやがって。お前こんな事誰に教えてもらったんだよ。」
「それは俺の口からは言えねぇな。まあでも受け継ぐべきひと握りの後輩として認められたんだ、名誉な事じゃねぇか。」
「知らねぇよ勝手に言ってろよ。んで?どれがぶっ壊れてる窓なんだよ。それ以外は普通に警備システムの作動対象なんだろ?絶対間違えるなよ。」
「分かってるって心配すんな。…えーと確か……お、アレだな。」
そう言うと夕佑はおもむろに教室の右端の窓に近付き、一呼吸置いてから慎重に窓枠に手を掛けた。それから10秒ほど経過した後、窓枠の金属が擦れ合う音と共に右端の窓がゆっくりと開かれた。
その後洋画の俳優のようなニヤケ面でドヤ顔とGOサインを見せてくる夕佑に続いて、俺は夜の学校の内部へ侵入する事に成功してしまった。
美術室のドアを開け、黒一色に染められた廊下に出る。
照明灯は付いておらず、人間は俺たちを除いて誰もいない。靴底から伝わる床の感触でさえ、この状況では酷く冷たく感じる。廊下の各所に点在している誘導灯の緑光と、それに強調されるピクトグラムだけが存在を主張している。
普段なら決して見ることがない景色を前に、さっきよりもわずかに高揚しているのを実感する。肺を膨らませる空気とは別に、呼吸する度に何かが胸を満たしていくような感覚がする。
「おぉ〜……とうとう来ちまったな、夜の学校。ヤベェめちゃくちゃワクワクするな。何する?廊下爆走とかする?」
「お前いつもやってるじゃねぇか。…まあとりあえず、教室とか行ってみるか?」
「お、名案だなそれ。とりあえず行くか。てか夜の学校ってめちゃくちゃ幽霊出そうじゃね?どうするよミヤ、廊下の奥から全速力で走ってくる幽霊とか出てきたらどうするよ。」
「そんなアグレッシブな幽霊がいてたまるか。」
「分かんねぇじゃん、陸上部エースの幽霊かもよ?」
「陸上部のエースが何で校内で走ってんだよ。お前と同レベルのバカじゃねぇか。」
夕佑と並んで、廊下を歩き階段を上がる。
いつもなら気に留めない、壁や踊り場のボードに貼られているポスターに自然と目が引かれる。
学内新聞や注意の張り紙、文部科学省発行の警告ポスターなど種類は大小様々だ。特に警告ポスターに関しては現在の自分を咎められてる気分になったが、目を逸らして深く考えないようにした。
4階に到着し、向かって左側に見える教室へ向かう。
ドアの前で立ち止まり、取ってに手を掛ける。ドアの開く乾いた音を廊下に響かせながら、俺と夕佑は2年1組の教室へ入場した。
教室内は窓から入る月明かりで少しだけ照らされており、幸いにも手足元程度なら視認できる。
俺は近くの席を拝借し、夕佑は何故か迷わず教卓の前に直立した。
「何か不思議な気分だなおい。俺ら6時間前までここに居たんだぜ。」
「そうだな。お前は6時間前にここで宿題忘れた事を先生に怒られてたな。」
「宿題じゃねぇよ、教科書に落書きしてんのがバレて怒られたんだよ。」
「むしろレベル下がってるじゃねぇか。よくそれで自信満々に反論できたな。」
しばし、静寂が流れる。
普段は静かになる事が基本ない場所だからこそ、今この場を取り巻く静けさがより際立って感じる。
ふと、夕佑の方を見た。
楽しそうだった先程とは打って変わり、その表情は何故か神妙な面持ちを見せている。その様子に困惑していると、夕佑がゆっくりと口を開いた。
「……なあミヤ。」
「なんだよ。」
「来てから言う事じゃねぇと思うんだけどさ………夜の学校ってあんまやること無くね?」
「来てから言う事じゃなさすぎるだろ。ふざけんなよお前なんか目的があって来たんじゃねぇのかよ。」
「いや強いて言うなら忍び込む事が目的だったからその後のことはマジで考えてなかったっつーか…」
「だってバレないようにするなら下手なこと出来ねぇじゃん?だからやれる事なんて地味な事ばっかじゃん?でも地味な事なんて別に昼間でも出来るじゃん?そういう条件を突き詰めてったらさ、もしかしたら夜の学校でやれる事ってほぼ無いんじゃないかって…」
そう言って夕佑は、半ば萎え気味に教卓に項垂れた。
その様子に何か言おうと思ったが、夕佑の言い分には少なからず正当性が見受けられる。
ちょいワルな事をしたいが、それがバレて処分を食らっては元も子もない。ならばバレないように目立たず活動する必要があるが、目立たない地味な事は別に昼間学校にいる時でもできる。つまり、夜の学校でこそ出来る事なんて実際のところほとんど存在しないのではないのだろうか。
せいぜい無断で侵入し、その特別感と背徳感に背筋をよじらせるのが関の山だろう。侵入がバレて処分を食らうリスクと考えると、あまりにも釣り合っていない。ハナから大して期待はしていなかったが、今回ばかりは時間の無駄だったようだ。
「じゃあ帰るか。まだ来て15分くらいだが、とっとと帰ってお前は遅刻しないように早く寝ろよ。」
「う〜ん…でもなぁ……なんかあった様な気がすんだよな…………あ、そうだ!思い出したわ!!」
「声がデケェ!反響しまくってクソうるせぇんだよ声量考えろ!!」
「屋上だよ屋上!そういえば屋上行きたかったのすっかり忘れてたわ!ミヤ最後に屋上行くぞ!!」
先程までの物憂げな表情から一転、一瞬で輝きを取り戻した夕佑は一目散に教室を出て行った。俺は座っていた椅子を元の位置に戻し、夕佑の後をすぐさま追いかける。
教室を後にした俺たちは登ってきた階段を更に登り、息付く間もなく屋上の扉まで辿り着いた。
走った影響で荒れた呼吸をゆっくり整え、上下する肩を抑えながら夕佑に話しかける。
「はぁ…はぁ…お、…お前……マジで何なんだよ…急に走り出しやがって…」
「いやだから屋上だよ。先輩から聞いたんだけどよ、2年生棟の屋上扉って鍵がぶっ壊れてるからいつでも出入り出来るんだってよ。」
「お前にその類の情報を教え込んでる先輩はマジで誰なんだよ。本当に学校の先輩なんだよな?指示役と見られる人間ではないよな?」
「まあまあ細かい事気にすんなよ。それでは、オープンセサミ。」
夕佑が古びた扉のレバーハンドルを下げ、重厚な金属音が鳴り響いた。
そして扉が開くと同時に、外から涼しい空気が侵食するように流れ込んできた。既に出ている夕佑の後に続いて、屋上に足を踏み入れる。
まず一番に、地上4階建ての屋上に吹き付ける風に全身を撫でられた。
春の暖かい空気と冬の残滓である涼しい風が混ざり合い、まるで風呂上がりのような心地良さを感じた。
次に目の前に、水平線のように広がる街の灯りと空に散らばる星と月の光が飛び込んできた。
地面や高層ビルから見る景色とはまた違う、等身大の自分を表したような光景だった。
「うおぉ〜!めっちゃ綺麗だなおい!屋上初めて来たけどこんなにいい景観してたのかよ!」
「……そうだな…俺も初めて来た。…良い景色だ。」
予想外の展開に、不覚にも言葉を奪われた。
なまじここに来るまでの過程が酷かった分、その落差によるところも大きいだろう。今の俺なら虫の交尾にすら関心を抱き涙するかもしれない。
しばらく屋上の風景を眺めていた俺たちは、いつの間にか息を合わせるように柵に寄りかかって同じ方角を見つめていた。
「…なあミヤ。俺がここに来てぇって思ったのはよ。」
「夜の学校だからこそ出来る事は無くても、夜の学校だからこそ見れる景色はあるんじゃねぇか……って思ったからなんだよ。」
「最高だと思わねぇか?この景色はよ、俺と来なきゃ見れなかった景色なんだぜ。」
そう、夕佑は語った。
確かに最初は懐疑的もいいところだった。何をしでかすか分からないこいつを見張る為に同行して、何かあれば全力で阻止しようと決めていた。
だが途中から、純粋に楽しんでいた自分が居たのも事実だ。夜の道を出歩き、校門を乗り越え、夜の学校に侵入して夜の教室で月明かりに照らされた時間を、俺は楽しいと思っていたんだ。
しかし、バレるリスクやバレた時の処分を考えればあまりにも割に合ってなさすぎるのもまた事実だ。普通に過ごしていれば、こんな事考える必要なんてないのだろう。
しかし普通に過ごしていれば、この景色を見る事は永劫訪れなかっただろう。
それもまた、事実だ。
「…そうだな。少なくとも、時間の無駄ではなかったよ。」
「んだよ、回りくどい言い方しやがって。普通に楽しかったです、ありがとうございました夕佑様くらい言えねぇのかよ。」
「誰が言うかバカ野郎。そういう妄想は何事もなく帰った後に展開しろよ。」
「へいへい。んじゃそろそろ帰るか〜、………あれ?」
柵から離れ、扉に向かおうとした時だった。
困惑した声が聞こえ振り返ると、夕佑が柵から身を乗り出して下の方を食い入るように凝視していた。
「…?どうした?」
「いや……あ、誰か来てね?」
「………は?」
夕佑の言葉に反応すると同時に、柵に寄りかかり同じように下を眺める。
すると、校門の方で確かに人間のような動きをする塊が確認できた。灯りも無い為正確にはわからないが、人数は3人ほどだろうか。俺と夕佑が来た時のように、若干身を屈めながらコソコソと移動しているのがわずかに見て取れる。
「あれは……警備会社とか、警察…ではないよな?」
「ああ、ぽいよな。……待てあいつら3年じゃね?いや絶対そうだわ!なんか顔見た事ある奴いるわ!ぜってぇ3年の連中だあいつら!!」
「バカ声がデカい!…本当に3年なのか?もしそうなら…俺たちみたいに夜の学校に忍び込みに来た…って事で良いんだよな?」
「まあそれ以外ねぇだろうな。こういうのって他のグループが来たらめちゃくちゃ萎えるよな。」
「良いだろもう俺たちは帰るんだから。とにかく鉢合わせないように遠回ってから出て行くぞ。不要なトラブルに発展しかねない。」
「いや待てミヤ。俺は今とんでもなく面白い事を考えたぜ。」
「…は?なんだよそれ。」
「だからミヤ、最後にお前にも協力してもらうぜ。」
そう言って俺に協力を仰いだ夕佑の顔は、さっきまでのエモーショナルな雰囲気を粉微塵と化すような悪人面だった。
ー
蛇口から、水が一滴落ちた音が聞こえた。
個室のドアは人が居ない事を示す為に半開きで、洗面台の鏡は水垢で薄汚れている。
俺は今、夕佑から言われて2年生棟2階の男子トイレに隠れている。
何故この場所に隠れているのかと言うと、3年の奴らが3年生棟に行くと予想して待ち伏せているからだ。2年生棟から3年生棟に行くには2階にある共用の渡り廊下を通る必要がある。つまり奴らが3年生棟に行くなら、必ずこのトイレ前の渡り廊下に繋がる通路を通る筈だ…と夕佑は強気に予想していた。
ちなみに当の本人は廊下を挟んで向かいにある教室の中に隠れて待機している。
では何故3年の奴らを待ち伏せているのか。……これに関してはわざわざ説明する必要はないだろう。ちなみにこれは全部夕佑が考えた。
隠れてから5分ほど経過した時だった。
階段の方から、複数人の話し声が聞こえてきた。それは段々と大きくなり、距離が縮まってきていることを聴覚のみで認識する。
男女比は男2人と女1人。大方3年生になったばかりの浮かれ気分を健全な方法で消化するやり方を知らない奴らが不純異性交遊を図りに夜の学校に侵入したのだろう。どうでもいいが男女比が気に食わない。俺はあのバカと男2人でここに居るというのに、この3年共は男女でペチャクチャ駄弁ってこの校舎に華やかな思い出を刻もうとしている。心底どうでもいいが非常に腹立たしい。
楽しそうに喋る声はどんどんと近付いてくる。やがてトイレを通過する数m前に差し掛かった、その時だった。
向かい側の教室から、壁を蹴り飛ばすような派手な音が鳴り響いた。それと同時にワチャワチャ喋っていた3年共の声がピタリと止んだ。
この音は夕佑の作戦かつ俺への合図だ。
俺は不自然な音を立てないように1番近い個室へ入り、大便器の水流レバーを思い切り作動させた。静寂を穿つ水流の音が、トイレから廊下にひびきわたる。それと同時に、廊下から3年共の息を飲むような声が耳に入った。
水の音が止まり、30秒ほど経過した後。3年共が弱々しい声でゆっくりと会話し始めた。
聞いてみると、女子と男子の1人は帰りたがっているが残り1人の男子が退く事を拒否しているようだ。声色からして明らかに強がっているが、女子と友達の手前ビビっている所を見られたくないのだろう。
会話が段々とエスカレートし、言い争いに発展し始める。
その時、ポケットに入れていたスマホから静かにバイブレーションの振動を感じた。気付かれないように明度を落として画面を確認すると、夕佑から10秒のカウントダウンメッセージが送られてきていた。
それは3秒ほどの感覚で続けて送信されており、俺が見ている間にもカウントは7を切っていた。
スマホをポケットに戻し、感じるバイブレーションの振動で残りのカウントを把握する。恐らくカウントが1になった時、向かいの教室のドアが勢い良く開かれた音が聞こえた。
それを合図に個室から走り出し、俺は夕佑とほぼ同時のタイミングで廊下へ飛び出した。
「ウワアアアアアアアァァァァァァァーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!」
「バアアアアアアァァァァァァァァァァァーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
「ぎゃああああー!!!!」
「わあああああ!!!ごめんなさいいいい!!!!」
「キャー!!!!!待ってよ!!!置いてかないでよ!!!!!」
俺たち2人のドッキリに、3年共は泣き、叫び、みっともなく走って逃げていった。姿が見えなくなってもその声は響いて伝わり、それが数十秒続いた。
やがて奴らの叫び声が聞こえなくなり、再び静寂が周囲を包もうとした時。横にいる夕佑と顔を見合せた。表情を見て、すぐに俺と同じ事を考えているのだと分かった。そして、俺と同じで我慢の限界だと言う事もすぐに理解した。
「……く…くくくく………」
「ふ…ふふふふ………」
「ギャハハハハハハハハハ!!何だよあの反応ガチすぎだろ!!うははははは!!!!」
「はっはっはっはっはっはっはっ!!!!いや流石にアレはビックリするだろ!!ハハハハハ!」
俺と夕佑は、腹がよじれるほど笑い合った。
悪い事だとは分かっていたが、それでも笑いが止められなかった。今やった事もそうだが、2人で揃ってやった事があまりにもくだらな過ぎて笑いが止まらなかった。もう高校2年生だと言うのに、未だにこんな事で笑ってしまう自分の精神年齢が心配になる。
だが、今なら少しだけ分かるような気がした。
こんなくだらない事でもしょうもない事でも、本気で笑い合えるのならそれは青春と呼べるのではないだろうか。
こいつが探そうと言っていた青春の一端を、俺はほんの少しだけ垣間見れたような気がした。
「あーおもしれ…マジでクソ笑ったわ……今年1笑ったかもしれねぇわ。」
「ホントにな…明日腹筋筋肉痛になったらどうするんだよ。」
「知らねぇよ。日頃から筋トレしてねぇからそんな発想になるんだろ。プランクでもやってろよ、毎日30秒3セットでも効果あるんだぞ。」
「お前は筋トレする体力すらない人間にもっと寄り添うべきだぞ。皆が皆お前みてぇなフィジカルモンスターじゃねぇんだよ。」
「へいへい、んじゃもう帰ろうぜ。あいつらもとっくに居なくなってんだろ。」
「だな。……おい!お前なに手触ってんだよ!気持ち悪ぃな!」
急に手を触られた感触がして、思わず声を荒げる。
触ってきた加害者を睨めつけるが、当の本人はとぼけているのかアホ面を浮かべている。
「は?いや触ってねぇよ何言ってんだお前。…イッテェ!おいミヤ!今お前俺の足蹴っ飛ばしたろ!」
「は!?そんな事してねぇよ!お前が先に俺の手触ってきたんだろうが!」
「だからぁ!お前の手なんか触ってね…」
俺に何か言おうとした所で、夕佑が動きを静止した。
ふざけてるだけだと思い、顔を覗く。すると、薄暗い中でも分かるくらいに夕佑の顔が真っ青になっていた。
一瞬だけ思考したが、その瞬間に俺も夕佑が青ざめた理由を理解した。そして夕佑のように、自分の顔から血が引いて青ざめていくのを実感する。
俺達2人の後ろに、何かがいる。
何かは分からない。ただ確実に、人間でない事は確かだろう。この気配が、背筋を伝う感覚が、全身を覆う嫌悪感が、見知った生き物である筈が無い。
身体が硬直し、心臓だけが動いている。気を抜いたら心臓すら止まってしまいそうで、指先を曲げることにも意識が向かない。
今すぐ逃げ出したい。振り向いて、何でもない勘違いだったと胸を撫で下ろしたい。そんな思いが脳内を錯綜する。今起きてる事だけが現実だとは分かっているのに、頭の中は都合の良い結末だけを求め続けている。
目線だけを横に向けると、既に俺の方を見ていた夕佑と目が合った。
夕佑は相変わらず真っ青な顔で、無理やり口角を上げてニヤケ面を生み出している。この状況でもふざけた真似をする夕佑に、引きつつも少しだけ安堵した。
すると、夕佑の目が何かを訴えるように俺たちの後ろの方へ何度も向けられた。
それを見て、こいつがやろうとしている事を一瞬で察知する。止めようと一瞬考えたが、いつまでもこの状況で居続ける訳にも行かない。俺は唾を飲み、夕佑に向けて小さく頷いた。
アイコンタクトでタイミングを見計らい、俺と夕佑は同時に後ろを振り返った。
あの日の事は、2人の間で誰にも話さない事を誓った。
俺たちが学校で見たもの、俺たちがそれを見て一目散に逃げ出し、アレがそんな俺たちをじっと見続けていた事。
学校に侵入した事も含め、あの日起きた出来事は決して誰にも他言しない事を俺と夕佑で取り決めた。
そしてもう1つ、俺は自分の心の中にとある決まりを打ち立てた。
夜の学校には、もう二度と行かない。
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