「――題して!」
目的のバス停で降り、五分ほど歩いて目的のトランクルームに到着した。まるでホテルのようにフロント係がおり、石橋は堂々とそこへ行って訊ねる。
「すみません、ここに高校生くらいの女の子が来ませんでしたか? 小柄で細身のお団子頭の。部活の荷物をここに預けてるって言ってたんですけど……」
「さあ……? 見てないし、仮に見てたとしても、悪いがそういうのは答えられないからね……」
当然だがフロントの男は不愛想にそう答えるだけだった。あまり期待はしていなかったとはいえ、ここに安斎が何かを隠した可能性について何も手がかりはつかめなかった。
石橋はがっかりとトランクルームを出て、その足で安斎のアパートへ向かう。
アパートでは先ほど母が語った通り、すでに業者がやって来て安斎の部屋へ忙しなく出入りしていた。中には作業服を着た業者の他に、警官が数人やって来て大家の女性と話している。
そっと死角に近寄る。大家は声が大きいので盗み聞きがしやすかった。
「……どっちも変な子だったわねぇ。妙に大人びてて。あーでも河合君のお部屋からは、たまに激しい物音がしてたわね。それと叫ぶような声も。癇癪持ちだったのかしら……」
しばらく聴いていたが、特に収穫はないようだったため石橋はアパートを後にした。
散歩がてらにしばらく歩いていると、遠くから「おーい」と聞き覚えのある声がした。車道の向こう側から、コンビニの前で玖珠が制服姿のままこちらに手を振っている。
一瞬だけ無視しようと考えたが、結局石橋は横断歩道の信号が青に変わるのを待ち、そこへ向かった。
「やっほ石橋君じゃーん。こんなとこで奇遇だね、もう大丈夫なの? あのー、あれ。えっと……」
事情聴取、と口に出しづらそうにしていたので、石橋もぼかして答える。
「ああ、あれね。“お話し”。大丈夫そうだって母も言ってたよ。少なくともあの日農園にいた男子高生と女子校生についての存在は、一切話題に上がらなかったみたい。……玖珠さんはどうしたの? 喜屋武さんは?」
「さっきお茶してたらさ、意外にも好きなバンドの話で盛り上がっちゃって。今からカラオケ行く前に、喜屋武さんがちょっとお花を摘みにここに立ち寄ったってわけ。――そういう石橋君はこんなとこでどうしたの?」
「僕? 僕はお散歩。気晴らしにね」
「ふーん。ここ、君ん家じゃなく安斎さんの家から一番近いコンビニだよね」
顔色一つ変えず、しかし有無を言わさない口調で玖珠はそう言った。そして手にしていたチューブアイスの半分をへし折って手渡される。逃げることは許されない雰囲気だ。
しぶしぶアイスの片割れを受け取って、石橋はとろとろと白状した。
「映画の観過ぎだって思われるだろうけどさ。……実感ないんだ。彼女が死んだっていう確証がない。実際遺体も見つかってないらしいし……。本当は安斎さんはまだ生きているんじゃないかって思っちまうんだ。僕はあのとき仕留めそこなって、彼女は狡猾にもどっかで逃げ延びているんじゃないかって。だから彼女の部屋で見たトランクルームの鍵を頼りに、安斎小蓮が再びトランクルームに現れて、隠した証拠品を引き取りに来てないか調べに行って……」
語り終える前に玖珠が前のめりになって、安斎のアパートがある方角に向かって声を上げる。
「おーいポリスメーン? ほんとはこいつが殺しましたよー!」
「オーケイ親友、何にも心配しちゃいないぜ! あいつはお空だ、もう死んだ!」
石橋は同じだけの声量で叫び、玖珠の声を相殺する。
少しじっとこちらを睨むように見つめた後、玖珠が大きなため息と共に語って聞かせる。
「……おいおい、頼むぜ相棒。あたしが心配してたのはまさにこういうことだ。ああいう奴はインパクトがドデカいから、君みたいなのが簡単にとり憑かれる。前にも言ったがあたしは石橋君が安斎さんと同じになってほしくはないんだ。いい? 彼女は死んだ。海から死体が出ないのも納得だ。この前の夜は波浪警報が出て、漏電火災なんか起きるほどの悪天候だったからな。むしろおじいさんのご遺体が見つかったのだって奇跡的さ。だから――早く忘れることさ。もう前を向こうぜ。あたしらのこの先の、人生や未来ってやつを考えるんだ。これ以上は頭のリソースの無駄遣いってもんだよ」
「そうだね……忘れるべきだ。それが正解。頭ではわかってるんだけどな。目を閉じると未だに彼女の瞳が浮かんできちゃって。僕の足を掴んで、心底満足そうに笑う顔が…………はは。我ながら参ってるな……」
心配そうな玖珠の視線を受けながら、これ以上何も上手い言葉が出てこず、握ったまま柔くなりつつあるアイスに口を付けた。チューブの中はすでにどろっとしたシェーキのようになっていて、喉に流し込みやすかった。
先にアイスを平らげた玖珠がゴミ箱に空のチューブを捨てたところで、コンビニから喜屋武が出てきて驚いた顔をした。
「あれ、石橋君? どうしたのこんなとこで」
「え? ああ……偶然通りがかったら玖珠さんに見つかってつかまって……」
石橋は思わずいつも通りの口調で返しかけ、大きく咳ばらいをし、勢いよく吸い尽くしたアイスのチューブをゴミ箱に叩きつけながら仕切り直す。
「じゃない、つかまっちゃったのよ。彼女ったら強引なんだから。でも大丈夫よ、アタシもう帰るとこだから――」
「河合のやつ、またしても何かしでかしたって聞いたよ? 大丈夫だったの? 玖珠さんからはケガしたって聞いたけど。ほんとああいう男が男性全体の社会的価値を下げていると思うんだ。私、この前のことがあって考えなおしたんだよ石橋君。あなたは私と性別こそ違えど社会的マイノリティという点では同じだ。つまり仲間なんだ! 許されることをしたとは思ってないけど、これからは私のことを味方だと思ってほしいんだ!」
だんだん大きくなる声量と共に、距離まで近づいてくる喜屋武の顔は真剣そのものだ。
ちらりと玖珠に視線を投げると、含み笑いが返ってくる。
「彼女、素敵でしょ? すごく社会派なんだ」
「……みたいね。とっても頼もしいわ……」
いつか石橋にジェンダーギャップ指数を語ってきたときのような口調だったが、ここまで異性――中身は同性だと思い込んでいたとしても――に近づけるようになったのは、喜屋武にとって大きな進歩に違いない。
何も知らない顔で喜屋武は無邪気に手を叩き提案する。
「そうだ石橋君、これから玖珠さんとカラオケ行くんだけど、あなたも一緒にどうかな?」
「えっ、邪魔しちゃ悪いわよそんなの。お二人で楽しんでらっしゃいよ」
「何を言ってる石橋君! 私たち三人、お友だちじゃないか! 安斎さんと己斐西さんの献杯だ、それと、卑劣な河合を下したお祝い! さあ行こう今行こう!」
喜屋武には強引に押し切られ、玖珠には背中を両手でがっつりと押され、石橋は連行される形となった。
嬉しそうにカラオケ店へ向かいながら「ちょうど今回でポイントが貯まるんだ!」とはしゃぐ喜屋武をいったん玖珠に任せ、念のため母に「帰りが遅くなりそうだ」と一報入れる。彼女の方は夜職の出勤があるため、息子の帰宅と母の出勤は入れ替わりになるようだった。
ついたカラオケ店で意外にも慣れた様子でチェックイン手続きを行い、喜屋武が部屋を確保する。
喜屋武の歌は声量があって張りがあり、合いの手を入れやすかった。
歌に合いの手――ほんの一週間前の出来事のはずなのに、もう二度と会えないクラスメイトとカラオケに行った記憶が石橋の脳裏に蘇る。少しでも彼女の警戒を解きたくて選んだお笑い芸人の持ち歌は、石橋自身も本心から好きだった歌だ。
媚びた選曲だと己斐西は怪しんだかもしれないが――あんなマイナーな曲を、ただ人に媚びるためだけにワンフレーズも間違えず歌えるわけがない。本当はあのカラオケの時点ですでに、石橋は己斐西と自分に共通点を見出し、もしかしたら友人になれるかもしれないと、心のどこかで思っていたのかもしれない……。
「……しくん。石橋君っ」
いきなり隣からこめかみを叩かれ、石橋は我に返った。こんな不躾な振る舞いをする人物を、玖珠璃瑠葉しか知らない。
自分はぼーっといしていたらしい。隣に座っていた玖珠が石橋の意識を引きずり戻した上で、はきはきとした喜屋武の歌声に紛れて小声で話しかけて来た。
「あたしさ、最近新作を書き始めたんだ。できたらぜひ石橋君に一番に読んで欲しいと思ってて――」
「マジ!?」
思わず石橋は身を乗り出した。安斎のこと、己斐西のこと――心にこびりつくネガティブな記憶を忘れさせてくれるのは、いつだって娯楽だ。
敬愛する作家の新作情報に石橋は期待に胸を膨らませ、瞳を輝かせざるを得なかった。
「ぜひぜひ読ませてよ、めっちゃ楽しみだなぁ! 次はどんなエログロ小説?」
興奮気味に訊ねてくる石橋を見て、少し安心したように笑った後、玖珠は胸を張って語りだした。
「ふっふーん、残念ながら今度のは全年齢向けなんだぜ。昨今流行りの学園・ハーレムものにチャレンジしたんだ。――題して! “ぼっちの僕が同時に四人に告られたのは何かの謀略に違いないっ!” ――どうよ!?」
どうよ、と、言われても――だ。
自身満々な玖珠の顔に反して、石橋は分かりやすく幻滅を露わにして嘆く。
「なんだエログロじゃないのか。……それにすっごいありがちなタイトル。主人公が“強請り石太郎”とかってディスられる未来が見えるよ」
「あはは! なろう小説じゃあるまいし!」
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