「強がりの怖がりじゃないですかぁ!」
六月十七日、夜九時四十分。
「玖珠さん? 玖珠璃瑠葉? 石橋が来たぞ。もし起きてるなら叫べよー……」
残り五パーセントのバッテリーで、河合のスマホのライトをつけて石橋は納屋へ入った。
農具が整頓された小ぶりな納屋は二階建てになっており、少なくとも一階には玖珠の姿は無かった。先ほどの発砲で壁が撃ち抜かれ、農具のいくつかが傷ついているのが見えるだけだ。
ライトが切れてしまう前に、梯子を上って二階部分へと上がる。そこにも農具が複数あったが、それだけだった。
人影など、誰も、何もなかった――。
「――ッやられた……!」
気づくや否や、石橋はほとんど飛び降りる形で梯子から滑り落り、納屋を飛び出した。
安斎に一杯食わされたのだ。
先ほど投げやりに玖珠の居場所を語ったときから――その前に、石橋に揺さぶりをかけるためにわざと納屋に玖珠がいると嘘をついて発砲したときから、あの女は、石橋に何一つ本当のことなど言ってはいなかったのだ!
納屋を飛び出して、少し光の弱まったスマホのライトをかざして探すが、周りに何も見つからない。
居住に使っているらしいあのログハウスか、鶏小屋か、それとも――考えたくもないが、豚舎の中か――。
最も早く答えを知る方法がある。
石橋はつい先ほど崖に歩いて行った祖父の後を追って走った。走る途中でバッテリー切れのスマホがライトの役目を終え、舌打ちと共にその端末を投げ捨てる。
農園内から断崖までどの程度の距離があるかは分からないが、全速力で石橋は走りながら切れ切れの息で叫ぶ。
「おじいさん待って! そいつはまだ大事なことを――」
「――石橋君!」
そのとき背後から飛び込んできた声に、石橋は立ち止まった。
息を切らしながら振り返る。暗闇の中に、一筋の光がこちらへ一直線に放たれていた。
――玖珠だ。
玖珠璃瑠葉が、懐中電灯を持って、遠くから歩いてくるのが見える。
「……? 玖珠さん? なんで……」
玖珠は声を張り上げながら大手を振って近づいてくる。
「酷いんだよ安斎さんったら、道中であたしを懐中電灯だけ持たせて捨ててったんだ。もうあたしったら、イノシシに食われるか深夜テンションの不審者に性的な意味で食われるかってヒヤヒヤで道路を歩いてここまで……」
言いながら、暗闇の中にやっとその顔が視認できるくらいまで近づいたとき――玖珠は石橋を見つけてすぐに顔色を変えた。
正確には、石橋の、その後ろの光景を見て。
「石橋君、後ろッ!!」
青ざめた玖珠が叫ぶのとほぼ同時に、振り返ろうとした石橋の頬を銃弾が掠めた。チリ、と焼けるような頬の痛みの少し後で、銃声が轟いたのを思い出すように認識した。
フェンスの向こう――その雑草の生い茂る向こう側に――断崖に手をかけ必死に上半身を持ち上げようとしながら、長い髪を垂らしてこちらへ戻ってこようとする姿があった。
「……は、ははは。ほんとに実弾でしたね、嬉しいな……」
安斎小蓮だった。
石橋に腕を強打されたにもかかわらず、たった一人で安斎は崖をよじ登り、膝を崖の縁に掛けながら、その手にライフル銃を握っていた。
「すっこんでろ玖珠璃瑠葉――!」
石橋が叫ぶのとほぼ同時に、二発目の銃声が轟く。
「ッ!」
もはやでたらめな照準ではあったが、見事に銃弾が石橋の左足のすねを掠め、肉をしたたかに抉り取って後ろへ飛んでいった。
それは玖珠のすぐそばで着弾し、彼女の靴先を僅かに掠ったらしい。
「ヒッ――うわ、うわあああああッッ!?」
いきなり目の前で発砲され、靴を削られたのだ。日常を過ごす女子高生にはまず考えられない事態だろう。
玖珠が取り乱してその場にへたり込んだ。足を震わせ、どうやら腰を抜かしているらしい。
安斎は崖をよじ登りながら、心底おかしいというように髪を揺らして笑いだす。
「うふふふ、あはははは! あれぇどうしたんです、ほら、あなたの大好きなスリルですよ? いつもみたいに不敵に笑って、これぞ快感って風に楽しんでみてくださいよ! スリルジャンキーとか言っておきながら――やっぱりただの、強がりの怖がりじゃないですかぁ!」
「クソ安斎お前ェッ!!」
これ見よがしに煽って見せる安斎に、玖珠がまんまと激昂していた。
「あははおっかしい。ほんとに面白い。痛くて怖いのは石橋君のはずなのに、当のあなたときたら顔色一つ変えないんだから……!」
石橋は被弾して流血する足を引きずり、まだ崖を這い上がろうとする安斎を目指して進む。