「あっははは! 青春じゃねえの」
電波に乗って、ペンと紙を用意する音が聞こえる。コリコリとペン先の滑る音が響き始めたのを認識し、石橋は会話を続けた。
「……0%にはならないけど、30%まで下げるためにもう一つお願いがあるんです。……安斎小蓮が初めて人を殺したときの猟銃って、まだお持ちですか?」
即答はなかった。
ペンの音だけが響く無言が少し続いた後、やがてそのペンの音も止んだ。
『……いや、あのライフル銃は証拠品として没収された。だが同じ型のを後で買い直したよ。俺自身への戒めとして、な。まさかお前、孫を撃ち殺すつもりか?』
「撃ち殺されるのはあなたです。さっきも言ったけど、彼女は目的を達成――僕に人殺しをさせたがっているんですよ。で、多分彼女のことだから、自分と同じスタートを僕に切らせたいだろうな、と僕は思っていて……。だから僕があなたに向ける最初の一発――そのライフルの初弾を、しれっと空砲に変えておいてもらいたいんです」
『なるほど、イカレてる。イカレた考えを汲み取るお前も、相当に。……いい案だが油断はするな、おそらく孫は一度しか騙されてくれないぞ』
「でしょうね、まったく恐ろしい。……一発勝負というわけです。お互い迫真の演技でいきましょう」
遺書を書き終えたらしい。席を立ち、何かの扉を開けて物を動かす音が聞こえた。探し物でもしているのだろう。
彼が自分の“戒め”を見つけるまでの間に、間を持たせるように軽い口調で聞いてきた。
『……なあ、なんでお前はあいつに狙われてんだ? 俺の知る限りじゃ小蓮はアウトローだ。なんでまた、仲間なんて欲しがってる?』
「あー……話せば長くなるんですけど……そうだな……」
石橋が答えに悩んでいる間に、「あったあった」と呟く声が聞こえた。次いで響く金属音で、弾を込めているのが分かった。
電車が山を貫く長いトンネルを抜け、窓から初夏の夕空の光景が眩しく映る。
その穏やかさと雄大さに目を細めながら石橋は答えた。
「……告白されて、断って、そしたら余計に好かれてしまった」
『あっははは! 青春じゃねえの』
***
六月十八日、夜九時二十八分。
「…………はあー、あ。興醒めだな。ほんとひどい。優良誤認だこんなの……」
心底がっかりした声で安斎が言った。
石橋に組み敷かれたまま、失望の眼差しで彼を見上げる。片腕を強打され、力なく横たわる少女の上で、無情にも銃口を向けたまま石橋は詰問を続ける。
「落ち込んでるとこ悪いけどさっさと答えろよ、玖珠璃瑠葉は今どこにいる?」
普段のおっとりとした様子からは想像もできない悪態で、舌を打ち石橋の背後を指さす。
「…………さっき撃った納屋の、天井裏。安心してください、弾は当たってないでしょうし、のんびり仮眠をとってるはずです。――はい、わたしの負け。あなたの勝ち。ね、これで良いですか?」
酷く投げやりな口調で告げ、安斎は両手を自分の頭の横でひらひらと振ってみせた。
「ほらほら、おめでとうございますよ石橋君。見事にわたしを出し抜きました。次はどうします? ねえあなたは、何がしたくてこんなところまで来たんですか? 結局くだらない正義だか道徳だかですか? わたしを生かして警察に突き出したかった? 少年院にでも入れて、反省させたかった? 濡れ衣を着せられた真柴さんの潔白を証明したかった? それとも、ああ……わかりました、こうでしょう? 聡明な高校生探偵、連続殺人を解き明かした令和のシャーロック・ホームズになりたかった!」
「安斎さんさ、実は頭悪いんだよなぁ」
ゴリ、と額に銃口を押し付ける。ぎょろりと上目にそれを見上げる安斎に、石橋は激しい苛立ちを覚えて捲し立てた。
「そんなことどうでもいいんだよ。ああ、確かに一度は夢見たさ、ここへ来る電車の途中で、君がしょっぴかれてしおらしく反省文を書いて自分の若気の至りを告白し、ドキュメンタリー番組で涙を流して許しを請うところを。でも無駄なんだよそんなことしたって。どうせ君はプライバシーを保護されてどのニュースでも“少女A”。ネットで誰がどう頑張って個人情報を晒したところで、顔も名前も今や誰もが簡単に変えられる。君が殺した人たちは多分周りの同情を誘うような人徳者じゃないし、彼らのために正義を振りかざして君を追い詰めるような、熱心な遺族はいない。せいぜいゴシップ狂いの間抜けな大衆ってやつが、君を面白がって美少女シリアルキラーにして、どっかのイカれた映画サークルが短編映画なんか作っちゃって、それがどっかの賞にノミネートされちゃうだけさ。多分君が書いた反省文はそのうち書籍化されて平積み。映画のディスクとセットで売られるだろう。――そうだ、くだらない全く、くだらない! こんなくだらない時間と金の流れに、君の贖罪は何一つとしてありはしないんだ!」
「贖罪?」
「とぼけなくていいよ、君は罪を贖わないだろ。なぜなら安斎小蓮の中に罪という言葉はあっても概念が存在しないからだ。なんとなくわかってたよ、君は罪や罰なんて理解できないんだ。だから僕が安斎さんにどんな制裁を加えたところで、君のいうところの“くだらない正義”ってやつは果たされない。つまり僕がここでできるのは……」
ライフル銃の引き金に指をかける。手は震えなかった。
石橋は今度こそ、人を殺す覚悟を決めていた。