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「ムリオカートはやったことないですか?」

 六月十七日、土曜日。夜八時五十二分。


「…………ああ、くそマジか……」


 目を覚まして開口一番、視界の中に入って来た光景に玖珠は悪態をついた。

 自分は何かのシートに座らされており、膝の上に乗った両手は、親指同士を結束バンドで固定されている。

 そして左肩から右の腰に向かって斜めに身体を固定するこれは――シートベルト。


 つまりここは車内か。


 クラスメイトの住居に忍び込んで、ベランダで後ろから何かに頭を小突かれてから、知らないうちに日が暮れ自分はどこかの車内にワープしたようだった。


「……あら、お目覚めですか? おはようございます玖珠さん」


 隣から安斎の声が聞こえて来た。玖珠はもう驚かなかった。この女が、こういうことをしでかしても何も不思議ではないことは、既にあの異様な自室を見た時から覚悟していた。

 玖珠はうんざりと隣を見て――隣の座席に座る、髪を下ろしていつもと雰囲気の違う安斎を見て――その手に握られているものを見てぎょっと目を剥いた。


「ああ、おはよう安斎さ……ちょっと待ておい、あんた何やってんのさ!」

「何って? 石橋君とお話がしたいからあなたを人質にするために誘拐――」

「そーじゃなくて! いやそっちもかなりヤバいけどそうじゃなくって、あんたいくつだよ! なんで運転なんてしてんの!? 免許は!?」


 あろうことか、安斎は玖珠を助手席に乗せ、自動車のハンドルを握っていたのだ。

 自分の記憶が正しければ、安斎小蓮はまだ高校二年生で、車の運転免許を取得できる年齢には至っていないはずだ。


 安斎はご丁寧なことに、いつも着ているカーディガンは着ておらず、制服のリボンも結んではいない。

 よく見れば顔にはうっすらとメイクまで施している。胸元までざっくりとボタンをはずしたブラウスだけを羽織り、下ろした髪を耳に掛けた彼女の姿は、ギリギリ運転免許を取得していてもおかしくない年齢に、見えなくもないが――。


 あんぐりと口を開けて困惑する玖珠をよそに、安斎は少し間を置いて妙な返答をしだした。


「ムリオカートはやったことないですか?」

「は?」

「だから、ムリオカートですよ。昔からあるレースゲーム。もしかして玖珠さんってあまりビデオゲームとかしない人ですか?」

「なんで……? なんで今、ムリオの話になってるの……?」

「ああ、もしかしてムリオを知らないんですか? ハイパームリオって言って、昔からたくさんのゲームで使用されてきたキャラクターなんですけど」

「ムリオぐらい知ってるよなめるんじゃないよ! そうじゃなくて、ああ――あたしの頭に今恐ろしい考えが浮かんでるんだけど認めたくない。まさかゲームで車を運転したから現実で車を運転できるとか言ってるわけ……?」

「操作が意外と似てるんですよ。遊園地のゴーカートを動かせる人なら大丈夫」

「どこに向かってるか知らんけど、いっそ着く前に事故死してえよ……」


 ははは、と乾いた笑い声を出し、玖珠はぐったりと窓にもたれて脱力した。

 知らずと、震えた声で呟く。


「…………いや、事故なんか起こさなくっても、あたしどうせ死ぬかもね。あんたの“行先”に着く前に」

「? どういうことです――」


 玖珠の異変に気づいたらしい。

 後続車もいない山中の道路で、安斎が脇に逸れて路肩に停車した。


 シートベルトを外して身を乗り出し、玖珠の肩を掴んで観察でもするように見つめた。やがて、拘束された指に手が添えられる。


「指先が震えてますね、力も入ってない……持病ですか?」

「はは……糖尿病ってやつ。あたしのは軽いやつだから、普段はこんな、ことないんだけどさ。あんたのせいでストレスマッハでホルモンイカレて、5時のおやつも7時のごはんも食べ損ねちゃったもんだから……かなり……やべえの今……。常備薬も、ああるわ、け、ないし……」


 自分でも弱弱しい声が嫌になる。

 低血糖に特有の倦怠感と軽いうつ症状に、玖珠は少し自己嫌悪に浸った。

 大して人に宣言するほどの持病でもないと自分を過信していた。事実、今日までこんな発作などなかった。だから自分を止める石橋を無視して彼に着いて行った挙句――このざまだ。


 きっと自分を人質にして、安斎は石橋の優位に立つつもりだ。これではただの足手まといだ。

 本当に今、玖珠は低血糖で死んでしまった方が事態が好転するのかもしれない……。


「リンゴジュースでいいですか?」


 ふと、安斎がそんなことをのたまう。

 気づけば後ろの座席から取り出したらしい、果汁20%の甘そうなペットボトルジュースの蓋に手をかけていた。


「は、誰が飲むかよ、んな得体のしれん――」

「飲み込みの悪い人ですね」


 安斎が目の前でぐっとジュースを煽った直後、玖珠は顎を掴まれ、有無を言わさず口移しでそれを飲まされた。

 鼻まで摘まれては、嚥下せざるを得ない。


 ――おいおい、人のファーストキスを……。


 そんな冗談を言う余裕も与えられず、何度かその行為を繰り返され、結局ボトルの半分ほどのジュースを無理やり飲まされた。


 やっと顎を放され、軽くむせる玖珠を尻目に安斎が笑う。


「さ、行きますよ。人質は活きが良くないとね」


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