「今カノと一緒に修羅場を目論むギャルだ」
<思わせぶりのヤリチンでモラルに欠けてるあなただけど――やっぱりちゃんと、話し合うべきだと思うの。だから、話し合いに来て。場所はもうわかってると思う。そ、あたしの――あの場所。緊張する? あはは、まさかね! そうそう、彼女さんも一緒にいるから。いい? みんなで、話し合うんだよ>
ICレコーダーの音量を上げてそれを聴きながら、すっかり様変わりした部屋の中を確認する。
棚の中の小さな理科室はすでに空だ。
キッチンの凶器やトリカブトの苗も片付けられており、居間と浴室のゴミ箱まで丁寧に処理されていた。
もう、この部屋に何も痕跡はない。
ただ、火の消されたガスコンロの上に鍋が置いてあった。蓋を外すと、まだしっかりと湯気の出る湯の中に、二台のスマートフォンが沈んでいる。
一台は自分の物で、おそらくもう一台は玖珠璃瑠葉のものだ。
<だけどあなたって卑怯だから、ルールをつくるよ。約束を破ったら、彼女さんにあのペンを使ってみせる。……分かるでしょ? あのとき借りた、あなたのペン。そうしたらあなたと彼女さんの関係はそこで終わりだね。――そーだ! 何なら和田君にも証言を頼むよ。そしたらきっと、あなたが人の心をもてあそぶ酷いやつだってみんなにバレちゃう。もしかしたら――ううん、絶対、彼女をあそこまで追い詰めたのはあなたのせいだって言われちゃうだろうね。ま、あながち間違いじゃないけどさ。だってあなたが彼女に余計なことしなきゃ、ああはなってなかっただろーからさ。きゃははっ!>
どの口が、そんなことをのたまうのか――。
熱によく似た鋭い冷えが、石橋の頭を支配する。激しい怒りが通り過ぎて、冷静さが頂点に達しているのだと自分でも理解できた。
<もう一回言うよ、簡単なやくそく。ポチの前で歌ったりしないでね。――じゃ、穏便に話し合おうね。待ってるから!>
そこでレコーダーは切れていた。
石橋がこの部屋に入ってからずっと録音していたはずのデータは、当然だが上書きされている。
思わず尻から崩れ落ちるように座り込み、乾いた声で笑う。
「徹底してるな、これじゃまるで安斎小蓮だって分からない。ギャルだよ。彼ぴっぴの浮気疑惑に激おこで、今カノと一緒に修羅場を目論むギャルだ。いったい誰にこんな口調、教わったんだか……」
すっかり持ち主の変わったICレコーダーを睨み、念のためにポケットへ忍ばせた。
この録音データはハッキリとした脅迫の証拠にはなり得ないだろう。
むしろ、これを持って友人が誘拐されたと警察に泣きつけば、石橋磐眞は少なくとも玖珠璃瑠葉の殺害容疑をかけられるというわけだ。
通報すれば最後、安斎は石橋の購入した、彼の指紋がついたタクティカルペンを使って、玖珠を殺害するつもりのようだから。
「別に僕がしょっ引かれるのは良い。もともと河合とやり合った時そのつもりだったんだから。だけど玖珠さんが殺されるいわれはないんだよな……ああ、クソ、めんどくさい女……」
思わず壁を殴る。八つ当たりだ。
一人で毒づきながらも、石橋はこれからすべきことの計画を立てて整理する。
万に一つの希望をかけて、菜箸でつまみだしたスマホはどちらもイカレていた。玖珠のものはもちろん、石橋のものもショートして沈黙を貫く。
「畜生、防水ってなんだよ。己斐西さんだってそれを当てにして選んだっていうのに……」
ぼやきながらセラミックのガラクタを放り、ガラステーブルの上に置かれていたPCを立ち上げる。
ご丁寧にPCは初期化されていたが、石橋が用があるのは中のデータではない。
初期設定を全てスキップし、初期画面のWEBブラウザを開いて、検索ワードからスマートタグ製品のユーザーページでログインを試みる。
幸いにもログインが成功し、GPSも起動しているようだ。玖珠の靴の中のGPSは、農園付近ではなく高校の近くを彷徨っている。どうやら安斎は農場へ向かう前にやり残したことがあるらしい。
念のためにノートPCからHDDを抜き出して、石橋は部屋を出た。
階段を下りる度、全身を衝撃が貫く。打撲と謎の薬の後遺症だ。
「ったく酷いことしやがる。体の節々が痛い――」
「あら、さっきの子じゃない。安斎さん居留守使ったって言ってたけど……」
アパート入口で運悪く鉢合わせた大家が言いかけて、まるで少女のようにぽっと顔を赤らめた。
「あら、あらあらあらそういうこと……! さっきのメガネの子だけ撒いたのね。まあ、若いっていいわねぇ……!」
「え? なんですって?」
「大丈夫よあたし口は堅いから! でも気を付けた方が良いわよ、ここ。首のとこ。それじゃ、ふふ……丸わかりじゃない」
首元を指さされ、ああ、と石橋はうんざりした声を上げる。
注射痕が妙な誤解を招いたようだ。
「いやこれは……」
「安斎さんったら大人しそうな顔してやるわねぇ。あら違うのよ、やるってそういう意味じゃ」
「はは、悪いけど僕は何にも分かりません。それじゃ」
何だかもうハッキリと否定するのも面倒くさくて、おざなりに返事をして石橋は真っすぐ高校へ向かった。