「玖珠さん、なあ玖珠璃瑠葉、返事しろよ」
玖珠が青ざめた顔で笑いながら、興奮か怯えか分からない声の震わせ方で言う。
「新鮮なお肉屋さんでだって、さすがにこんなまがまがしく血はつかないよね……」
「まったく、一体何を刻んだんだか……」キッチンに可愛らしくぶら下げられた、小柄なプランターの植物を見て石橋は続ける。「こっちは家庭菜園かな? キッチンに植物。食事風景に爽やかなグリーンを、ってね。これトリカブトだけど」
「トリカブトって家で育てられるんだね……」
毒を育て血まみれの刃物を浸け置きする、明らかに異様なキッチンを後にする。
清潔そうなマットの上にテーブルが置かれた居間に立ち入り、壁際に設置されたカーテン付きの棚の前に立つ。
石橋がおもむろにそのカーテンを開くと、試験管に注射器、濾過器、遠心分離機、フラスコ、アルコールランプ、極細のチューブ……様々な専用器具が出てきた。
石橋はもう笑うしかなかった。
「自作の理科室ってとこかな。ハーブティ作るにしては本格的すぎる」
「あたしちょっとベランダ見てくるよ。植物のことは詳しくないんだけどさ、ここまで来たら気になるじゃん、やっぱさ。他にやべえハーブでも育ててんじゃないのかね……」
一度靴を取りに玄関へ戻った玖珠が、それを持ってベランダへ出る。
その間に石橋は出来る限り自分のスマホで室内の写真を撮った。後で忍び込んだことを悟られないよう、動かしたものを元に戻すためだ。
棚の中の自作の理科室に、血まみれの凶器と毒性の強い植物が育てられるキッチン。
壁に掛けられたコルクボードに、明らかに一人暮らしの女子高生が持つには多すぎる数の鍵が掛けられていた。鍵の形もまばらだ。
玄関に後ずさり、居住空間全体を撮影する。全体的に雑然とした雰囲気があった。
一通りの撮影を終えると、クラスメイトの女子の住まいだというのに、躊躇いもなく石橋はトイレ付きのユニットバスに侵入した。もちろんそこにも人はなく、目立つものは置かれていない。
開け放した浴室扉の向こうに聞こえるように、石橋は玖珠に叫んだ。
「……本人がいないなら今は撤退しようか! ひとまずこれだけでも十分な収穫だし――」
言いながら、浴室のゴミ箱の中を見て怖気が走った。震える手で拾い上げる。
へし折られた状態だが分かる、スマホ端末用のSIMカードだ。ビニール手袋も一緒に捨てられていた。
――“SIMカードの抜きとられた男性のスマートフォン端末が、自殺したと思われる少女の制服ポケットに……”。
今朝のニュースを思い返す。
つまり――いや、やはりといったところか。
真柴秀幸を殺したのは安斎小蓮だ。
それを上手く自殺に見せかけ、女子校生とのトラブルを目くらましにするためだけに、己斐西唯恋は自殺させられた。
「――ックソ、己斐西唯恋は死して尚も輝くってか? 安斎小蓮のためだけに!? 冗談抜かせッ……なあ玖珠さんちょっと! ……玖珠さん……?」
半ば怒鳴りながら浴室を出たが、玖珠からの返事はなかった。激情に駆られてベランダに飛び出す前に、嫌な予感を覚えて、石橋は立ち止まる。
ベランダの掃き出し窓が閉じられている。
律儀に玖珠が閉じていったのか? ――まさかだろう。
足音を立てず、カーテン付きの棚の中から注射器を一本握り、――半ば賭けだったが――ラベルのない小瓶の中身を吸い出して、後は注入するだけの形にして手に持つ。
それからやっと、掃き出し窓の締められたベランダに近づいた。
慎重に、ガラス製の窓をノックする。
「玖珠さん? ……玖珠さん、なあ玖珠璃瑠葉、返事しろよ」
返事はない。石橋はノックをやめた手でスマホを取り出し、緊急通報ボタンを押す手前まで操作する。
「……このまま返事しなけりゃ通報するよ。僕はマジだぜ……」
返事はなかった。