「うちにも娘がいるの。まだ小学生だけどね」
昨夜、六月十七日、金曜日。
N県K市のとあるビルから、県立高校生の飛び降り自殺があったと報道された。自殺した女子生徒の制服のポケットからは、先日同市内にて自殺したと思われる真柴秀幸さんのスマートフォン端末が見つかっており……。
――そんなニュースを今朝テレビで見たばかりの、六月十八日、土曜日。
本来なら学校は休みのはずだったが、二年三組の生徒に限り、任意での登校を促された。
「――じゃあ、プリントを配ります。これを三十分後に答えと解説を…………。ああ、集中できないよねこんなの……」
二年三組の教室で、橋本先生がメガネを外して目頭をつまんだ。今朝はコンタクトが入らないほど目が腫れていたらしい。
「……うちにも娘がいるの。まだ小学生だけどね。……だんだん親には言いたくないことも増えていって、それが成長だとは思うし嬉しいの。だけど思った……これはあなたたちにも知っておいてほしい。どうしようもないくらいに追い詰められたと感じたら、親や教師、隣の家の人。もしかしたらネットの中かも……必ずどこかにあなたの味方をしたいと思う人がいる。だから引き返せなくなる前に、誰かに悩みを打ち明けてみて欲しい……」
そう言ってまたすすり泣き出す橋本先生を起点に、数人の女子がつられて泣き出した。
教室にはいつもの三分の一程度しかクラスメイトがいなかった。残りの生徒と担任は葬儀場に向かい、己斐西唯恋の告別式に参加している。
様々な事情で葬儀に参加しないことを選んだクラスメイトたちは、任意で教室に集まり、補習という名目の元で追悼の意を示すことになっていた。
玖珠璃瑠葉もそこにいた。
玖珠は昨日、己斐西が自殺したニュースを担任からの電話で知る前に、石橋からの電話で知っていた。
『己斐西さんが死ぬ前、確かに安斎さんもそこにいた。多分これには安斎さんがかかわってる。彼女のスカートから出てきた真柴さんのスマホのせいで、警察にも信じてはもらえなかったし、仮に信じて貰えても、どうせ意味なんてないだろうけど……』
不機嫌そうな鼻声で語る石橋の声を聞きながら、玖珠は安斎と話したときのことを思い出した。
玖珠の尋問を全く悪びれずにかわしつづけた、不気味で穏やかな声色を。
教室には自宅謹慎中の石橋磐眞と河合雁也は当然おらず、喜屋武照沙は部活の地区大会のため欠席だった。
安斎小蓮はいなかった。葬儀場か自宅か、そこ以外にいるのかはわからない。
玖珠は己斐西との会話こそあまりなかったものの、彼女自身のことは人間的に好きだった。派手な見た目とそれに反するような几帳面さを感じ取ったときから、何か人間的なトラブルを抱えて居そうな人物だと思っていた。
ドラマチックなスリルを確かにそこに感じたし、石橋を通じて彼女を知って、もっと好意的に捉えていた。
その己斐西の死を悼む場に敢えて出席しなかったのは、玖珠が彼女の死を心底残念に思っていてるからに他ならない。
「先生、委員会の資料を届けたいので安斎さんの住所を教えてください」
補習とは名ばかりの、教室を使ったクラスメイトを悼む会の後。
とぼとぼと廊下を歩く橋本先生を呼び留めて玖珠は言った。橋本先生は振り向き、困ったような顔で目尻を下げる。
「……ええと、玖珠さんあのね、そういうのは……」
「分かってます、個人情報でしょ? だけどその……あはは、分かるでしょ? 今のは口実です。建前。本当はただ安斎さんのことが心配なんです。あんまり知ってる人いないけど、安斎さんと己斐西さんって本当は結構仲が良かったんです。タイプが違うからこそ惹かれるものがあったのかな。……安斎さんって一人暮らしなんですよね。だから親友をあんな形で亡くして、塞ぎ込んじゃわないかって不安で……。会えなくてもいいから、ドア越しにチャイムを鳴らして、一声かけたいだけなんです。さっき先生が言ってたみたいに、あなたの味方をしたい人がいるんだって、安斎さんに伝えたくて……」
玖珠がゆっくりとそう口にすると、橋本先生はメガネを外してまたすすり泣き出した。
「……そうね、そうよね……。私もね、実は一度だけ見たことがあるの。花壇で一人ぼっちで花をお世話してる安斎さんのところに、そっと己斐西さんがあらわれて、二人で楽しそうに笑い合ってたところ。…………玖珠さん、私も安斎さんを心配しているってこと、伝えてきてくれる?」
「はい、もちろん――!」
少し職員室の前で待たされて、橋本先生から住所の書かれたメモ用紙を受け取った。
告別式に行かずに少しだけ学校に顔を出した者たちは、部活生以外はそのまま校舎を出て行った。
散り散りに教室を出る生徒たちの中、玖珠も教室へ戻って鞄を取り、靴箱へ向かいながらスマホで電話をかける。
「もしもし名監督? ……うん、万事順調。君の脚本を丸暗記で上手くいったよ。住所は手に入れた。そっちはどう?」