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紳士な世話好き狼と傷だらけの臆病な猫  作者: papiko
第三章 子供たちの事情
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 リンが正式に大神家の下宿人となり、生活に慣れはじめたころ、学校では奇妙な噂が流れ始めた。ひとつはリンが母親から逃げているくせに、虐待されたと(あきら)に嘘をついて、大神家に住み着いているという噂。もう一つは、夜な夜な繁華街をうろつくリンを見かけたという噂だった。

 当然、リン自身にそんな噂を吹き込む人間はいない。そのかわり、聡には忠告をしてきた女子が一人いた。泉田美鈴(いずみだみすず)である。

「ねぇ、この噂ほっといたら、よくないと思うの」

 目鼻立ちのはっきりした、どちらかといえば気の強そうな顔立ちの美鈴は、深刻な顔で聡にそう言った。だが、聡はそうかといっただけでその場を去ろうとした。美鈴は、内心歯噛みする。

「ちょっとまってよ。ねぇ、いったい何が本当なの?大神君は迷惑してるんでしょ」

「してない。噂もただの噂だ」

「だったら、ちゃんとみんなに説明しないと直井さんの立場が悪くなると思うよ」

「心配ない。俺がいる」

 聡はそういいのこして、美鈴を屋上へ向かう階段の踊り場に一人残して去った。


(姉貴たちに相談……しておいた方がいいかもしれないな)


 聡はあまり気が進まなかったが、噂と言うものは出所がはっきりしない以上、リンになんらかの負荷がかかる可能性をすてきれない。さっきのクラスの女子の言葉に、自分がいるときっぱり言ったし、リンを守るのは自分だとも思っている。ただ、リンは人を頼るすべをまだ知らない。聡を頼ってくれる可能性より、柚季と颯希になら頼ってくれるかもしれないし、二人の姉は人の感情を読むのがうまい。リンが困っていればすぐに気が付くだろうし、気が付いてから事情をはなすより先に話しておいた方がいいと聡は思った。


(黙ってたら、殺されかねないからな)


『可愛い子をかまうのは当然でしょ』

『お前が独占するな』


 そういって、リンの休日はどちらか、あるいは二人が独占するのだ。映画や買い物にでかけたり、猫たちとじゃれながら離れで映画鑑賞会と称して女子会をくりひろげ、その間、聡は離れを追い出される。

 可愛い物好きの柚季と外見をうらぎる騎士癖(ナイトへき)のある颯希にとって、リンは新しい妹のような存在だった。


 その晩、聡は姉たちに一応の説明をした。

「そのくらいの噂ならすぐにきえるでしょ」と柚季はいう。

「問題は、それを理由にいじめを始める奴らだな」と颯希は冷静な分析をした。そして、一番の問題はリンがどう感じるかということだった。

「いまのところ実害はないのよね」

「ない。直井はいつも一人で行動しているし、最近は俺がいるから何かあればわかる」

「それなら、噂が消えるのをまってみるしかないな」

 姉たちはしばらく静観していろと聡にいった。家での噂については、はっきりと聡が下宿人だと言えば済む。そのさいに、離れを貸していると一言付け加えるだけにとどめろと颯希にいわれて、聡はうなずいた。そして、絶対に同じ屋根の下で暮らしていると悟られるなとくぎを刺す。

「なんでだ?」

 問い返す聡に、姉たちは呆れた。

「あのね、アッキー。年頃の男女が同じ屋根の下で共同生活してるってばれたら、それこそ問題なのよ」

「お年頃の癖にそういうとこにぶいよな」

 聡は姉たちのいう意味がいまいちわからなかった。

「とにかく、絶対にそれはいっちゃいけません」

 ぴしゃりと柚季がいうので、嘘を吐くのはきがひけたが黙っているだけだと自分に言い聞かせて、わかったと聡は答えた。


 リンに対する悪意的な噂は聡が危惧するほどのこともなく、いつのまにか消えていた。聡自身、何人かの男女に同居してんのと聞かれて、離れに下宿しているとだけ答えることがあった程度で、それ以上の怪しい噂はでなかった。夜に繁華街をうろついていたという噂の方も、夜遊びに慣れている生徒たちの間ではありえないと苦笑が漏れたせいか、やはり大事には至らなかった。ぶっちゃけ、生徒たちにとって直井リンというのが誰なのかさえわからなかったというのが、事実のようである。リン自身の目立ちにくさが今回はいい方に働いたのだろうと聡は思った。


 当事者であるリンは、なんとなく自分についての噂らしきものがあるとは思っていたが、気にしている余裕はなかった。というのも、電車通学になれることや日々の勉強、将来どんな職業につくべきか、そんなあれやこれやで頭はいっぱいいっぱいだった。大神家での生活に慣れてきたおかげもあり、自立への一歩として就職について考えていた。他にも料理や洗濯、掃除といった身の回りのことをできるかぎり自分でこなしたいと思い、離れの台所をじっと見つめる日が増えた。


(何から始めたらいいんだろう)


 それがリンの心の大半を占めていて、耳にした噂をどうのこうのと思い悩む余地はなかった。けれど、噂を流した張本人は、じだんだを踏んだ。誰もが噂に関心を示さない。それほどに、存在感の薄い直井リンをどうして大神聡がかまうのか。それが悔しくて腹立たしくてたまらなかった。

(こうなったら……)

噂を流した張本人こと、泉田美鈴は意を決して直接的ないやがらせをすることにした。


 中間テストが間近となったある放課後。リンは下駄箱で首をかしげていた。在るべき場所に靴がないのだ。図書室が閉館になるまで本を読んでいた間になのか、それとも靴を脱いだ直後からなのか、不明だが靴がない。まわりの下駄箱にも、間違って入り込んだ形跡はなく、どこへいったのかリンにはさっぱりわからなかった。


(どうしようか……)


 リンが困ったように立ち尽くしていると、聡がどうしたと声をかける。いっしょに帰る約束をしていたわけではなかったけれど、居てくれたことにリンはほっとして、靴がないと正直に言った。

「誰かが間違えたってことでもないみたいなんだけど……」

「いやがらせか?」

「それはわからない。というか、いやがらせされるほど親しい人いないし……」

 リンは小さくため息を吐く。聡はとりあえず探すと言って、あちこちと見て回る。ゴミ箱も念のため、あさってみたが、捨てられてはいなかった。

「ああ、いいよ。運動靴で帰ればいいし……大神君は先に帰ってて」

「待ってるから。とってこい」

 リンがでもというよりもすばやく聡は鞄を取り上げた。

「早くいってこい」

「あ、はい……」

 リンは一旦教室へ戻り、運動靴をもって急いで戻ってきた。そして、二人は何事もなかったように昇降口を後にした。


 それをこっそり観察していた美鈴は、眉間に皺をよせていた。

(……運動靴)

美鈴は、手にしていたローファーを床に落した。彼女の予想では、リンがもっととりみだし、泣く泣く上履きで帰っていく姿だった。そのうえ、とっくに帰っていたと思っていた聡の登場。

(何でよ……)


 美鈴はイライラしながら、次の嫌がらせを考える。なかなかいい手が浮かばない。それは、当然だった。人に嫌がらせをしたことなど、今まで一度もないのだ。ちなみに嫌がらせをされたこともない。そんな美鈴がリンに嫌がらせをしようとしたのは、聡の存在だった。

 美鈴は一年のときも聡と同じクラスだった。無口で無表情の聡とは、美化委員などというただの掃除ボランティアを押し付けられた仲間だった。ただ、文句も言わずに黙々と活動する聡をみていて、なんとなく心惹かれた。気が付けば、いつもその姿を探し、これが恋と美鈴が自覚したころには、一年の三学期がはじまっていた。


 同じ美化委員の活動中、よくゴミ袋を持ってくれたり、泥水に浸かったビニール袋や犬のフンなど女の子が躊躇するようなゴミを手早く片づけてくれたりした。美鈴はそんな聡の優しさにどんどん惹かれた。だから、二年になって同じクラスになったときは、有頂天になった。それもつかの間だった。

 いつの間にか聡のとなりには直井リンがいた。最初は付き合っているのかとはらはらしながら、聡の周辺から情報をしいれた。どうも付き合っているわけではないと分かった。それならと、勇気を出してお昼を一緒に食べ、リンにどういうつもりで聡の側にいるのか尋ねても反応がなく、イライラして目障りだと言った。その現場を聡に見られ、冷やかな態度をとられたことが美鈴はショックだった。


 だから、腹いせに噂を流し、誰かがリンをいじめてくれることを願った。けれど、その存在の薄さのせいか、聡の存在のせいか、誰もリンにいやがらせなどしなかった。腹をくくって、自ら靴を隠してみたものの、美鈴の気は晴れなかった。むしろ、気分が悪い。チクチクと胸のあたりが痛んだ。

 それでも、聡の隣にいるリンが恨めしかった。恨めしくて、羨ましくて、悔しかった。聡に友達になってといったとき、興味がないと一蹴されたことも腹立たしかった。とにかく、どうにかしてリンを困らせなければと美鈴は思った。


「ミーちゃん……」

 不意に仇名をよばれて美鈴は心臓が飛び出しそうなほど驚き、振り返る。そこには呆れた顔で友人の間宮奈々子が立っていた。

「な、なっちゃん……」

「変な噂流したりして何してるかと思えば……」

 奈々子は、深いため息を吐いて靴を拾い上げる。

「えっとね、これにはわけが……」

「わかってるよ。とりあえず、これは返しておこうね」

 そういって、奈々子はリンの下駄箱に靴を戻した。

「とりあえず、マックにでも行こうか。理由、ちゃんと聞かせてくれるかな。そうじゃないと軽蔑するよ」

 奈々子はにこりと冷たい微笑みを浮かべた。美鈴は慌てた。

「話す!話すから軽蔑しないで!」

「うん、じゃ行こう」

 奈々子に手を引かれて美鈴は、学校を後にした。

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