第二十九話 僕たちは月明かり包まれる
翌朝は、いつも通り学校に向かう。教室に入ると、近くの男子生徒に挨拶をする。「おはよう」と挨拶をすると、「おはよう」が返ってくる。休み時間に入れば、一緒にご飯を食べながら話しをする。廊下で相馬と会えば、少しだけ世間話をする。今では、僕の学校環境は大きく変化している。
沙織里と出会う前の僕はいつも一人で、なにをするにも勇気が出ず行動ができなかった。早く大人になって、別の世界で生きたいと思っていたあの頃とは違う。でも今の学校環境が続けば、新たな問題が起きるかもしれない。そのときは、再び勇気を出して行動しなければならない。個人で問題が解決しなければ、他人を頼ることも重要になる。僕は改めて、沙織里の言葉を思い出した。
学校にいても、沙織里のことを考えてしまう。いや、学校にいないときも沙織里のことを考えている。四六時中、沙織里のことを考えてた。沙織里は、いまなにをしているだろうか。授業が終わると、文芸部の部室に向かった。誰もいない部室で、『野良犬トビーの愛すべき転生』の続きを読む。
部室を出る頃には、『野良犬トビーの愛すべき転生』を読み終えていた。これで、沙織里としっかり作品の感想を言い合える。僕は、話すことが増えて気分が上がっていく。沙織里と会える喜び、たくさん話しができる喜びを握りしめ、学校をあとにした。
やっと、沙織里と会うことができる。ベンチに向かう道中、いつも以上に緊張した。蒸し暑さを感じる夏の夜、緊張の汗なのか蒸し暑さの汗なのかはわからない。空は、少しずつ薄暗くなっていく。雲に隠れていた月は、少しだけ顔を出しはじめた。川沿いの歩道を歩いていると、街路灯の白い光に照らされる沙織里が見えてきた。まるで、初めて沙織里を見たときのようだった。綺麗な黒髪で、白く透き通った肌はいつ見ても綺麗だ。
僕は沙織里の姿を確認すると、駆け足でベンチまで行く。また、少しだけ痩せただろうか。沙織里は明るく振る舞うが、ちゃんと顔を確認すると弱っているのがわかる。沙織里の姿を見ると、同情したくなるが僕はいつものように接した。
「久しぶりだね。元気だった?」
「元気だよ。ちゃんと、来てくれたんだね」
「毎日来ていたし、ノートの伝言もちゃんと見たよ」
「ありがとう。何も言わず、病院を離れちゃってごめんね。私は病院で良かったんだけど、両親が自宅での緩和ケアを希望してたから」
「少し寂しいけど、そっちの方がいいと思うよ。けど、急にいなくなったときはびっくりしたよ……。沙織里さんが、本当にいなくなったのかと思ったんだから」
「勝手に死んだことにしないでよ笑」
「いや、それはごめん……。でも、それくらい衝撃でショックだったから」
「泣いた? 泣いた?」
「そりゃ、泣くよ……」
「嬉しいねぇ。こうやって、ベンチで話すの久しぶりだね。蒼汰くんの、最近の出来事を聞かせてほしいな」
僕は最近の出来事を話すと、いつものように嬉しそうに聞いてくれる。沙織里の日常に変化はないみたいだが、辛い思いをしているに違いない。沙織里には少しでも元気になってもらいたい、笑顔になってもらいたい。その思いで、お互いの最近の出来事を話したり、今後の『やりたいことリスト』の打ち合わせをしたりした。
「学校に友達がいるだけで、日常が大きく変化するでしょ?」
「それはそうだけど、全部沙織里さんのおかげだから」
「私はアドバイスをしただけだよ。行動に移して、実現させたのは蒼汰くんでしょ?」
「そうだけど、やっぱり沙織里さんのおかげなんだよ。沙織里さんと出会わなかったら、今も一人だったと思うし」
「私は関係ないよ。蒼汰くんが頑張ったから、今があるんだよ。そこは自信持ちなよ」
「ありがとう。本当に、沙織里さんには感謝しているんだ」
「私に感謝の話はおしまい! そういえば、『野良犬トビーの愛すべき転生』はもう読み終わりそう?」
「ちょうど、今日読み終えたんだ。沙織里さんの言う通り、良い作品だった」
「でしょ? 最後も良いよね〜。イーサンと再開して、昔の恋人ハンナとも再婚したし」
「そうだね。やっと、作品の感想を語り合えたね」
「じゃ、次に会うときは私のおすすめの本を持ってくるから」
「うん、楽しみにしてる」
「あっ、そうだ。この前、自宅の庭で花火をしたんだよ」
「へぇ。沙織里さん、花火好きだよね」
「夏しかできないから、今のうちにたくさんやろうと思ってね笑」
「実は、今日も持ってきてるんだよね」
僕は、事前に通販サイトで購入した小さな打ち上げ花火を準備する。線香花火も持っていこうか考えたが、以前「線香花火ってさ、大切な時間との別れを意味していると思わない?」と言われたのを思い出して購入するのはやめた。せっかくなら、楽しい時間を過ごしてほしい。もう、沙織里を悲しい気持ちにさせたくない。
僕たちは最初に出会った、このベンチで小さな打ち上げ花火を見ることにした。花火大会のような打ち上げ花火ではないため、夜空に大きな花は咲かない。口笛じみた音が鳴り、光の線が地上から約二◯メートルほど上空へ上がる。破裂する短い音に続いて、小さな花火が夜空に咲いた。一瞬の赤い花を開いて、夜空の中に消えていく。
夢のように儚く、一瞬の出来事だった。連続で打ち上がる姿も見たいということで、残りの二つの打ち上げ花火にも時間差で火をつける。同じように、口笛じみた音が鳴り光の線が上空へ上る。緑色の花や青色の花が咲き、夜空を彩る。あっという間の時間だったが、沙織里は満足そうな顔を浮かべてパチパチと手を叩いていた。
「この前よりも、クオリティ下がっちゃったね」
「花火大会のような打ち上げ花火は想像してないよ笑 充分に楽しめたし、また打ち上げ花火が見れて嬉しい」
「長岡花火のようにはいかないけど、意外と迫力があったね」
「そうだね。でも、ここで蒼汰くんと見れたことが私にとって大きなことなんだよ」
僕の右肩が、少しだけ重くなった。沙織里は、僕の肩にそっと頭をのせていた。それから、一言「ありがとう」と細く澄んだ声で僕に感謝を伝える。僕の拳の上に、沙織里の手がそっと包むように添えられた。細くて、冷たい手だった。気がつくと、僕の指と沙織里の指が知らぬ間に絡み合っていた。自然と手を繋いだ状態で、身を寄せ合う。
「この夏は、本当に楽しかった……。いろんなことを知って、いろんな経験が出来たし。それに、蒼汰くんと出会えて良かった、蒼汰くんを好きになって良かった」
「僕も同じだよ。沙織里さんと出会って、沙織里さんを好きになって、僕は幸せものだよ。けど、まだ『やりたいことリスト』は全て埋まってないよ」
「そうだったね。まだまだ、頑張らなくちゃ。蒼汰くん、これから大変なこともあると思うけど、私はずっと応援しているよ」
「それは、嬉しいな。けど、僕の横にいてくれないと意味がないよ。もちろん、僕も一生、沙織里さんのことを応援するよ」
「そうだね、ありがとう。私は、蒼汰くんが大好きだよ。それと……」
沙織里は、か細い声で僕に言う。「それと……」という言葉の後を待っていたが、ぷつんと会話が途切れた。沙織里は、黙ったまま。いったん言葉が途切れると、穏やかな沈黙が続く。せせらぎの音だけが、辺りに響き渡る。沙織里の呼吸音が、せせらぎの音に流されていくように感じた。
首を少し傾けて、隣に視線を移す。沙織里は、目をつぶっていた。呼吸音が、ほとんど聞こえない。先ほどまで強く握っていた沙織里の手が、少しずつ弱まっていく。僕は、なんとなく感じていた。沙織里の身体が、限界に近いってことを。それでも、まだ沙織里と一緒にいたかった。わかっていたけど……やっぱり、だめだ。待ってくれ。僕を、置いていかないで。
僕には、沙織里が必要なんだ。僕は、必死に声をかけた。「沙織里さん! 沙織里さん!」何度も声をかけるが反応はない。沙織里の手を両手で握りしめても、握り返してくることはない。だんだん、離れていく沙織里の手を必死で抑えた。
先ほどよりも、冷たい手。必死で声をかけても沙織里の反応がないことを知ると、悲しくて涙がポロポロと流れる。手の甲には、一粒、二粒と涙が落ちていく。僕は沙織里の手を握り、涙を流しながら祈るしかできなかった。沙織里の手を握っていると、ピクッと反応したような気がした。少し、沙織里の手が動いたかもしれない。
「沙織里さん! 沙織里さん!」僕は、必死に名前を呼び続けた。すると、沙織里の手は僕の手を握り返す。
「蒼汰くん……」
「沙織里さん! すぐ、病院に連れて行くから」
「いいの。ここにいて」
「だめだよ……」
「蒼汰くんと過ごしたいから」
「……。でも……」
「それと……。もう、駄目かもだけど……。生まれ変わって、また会いに行くから」
「……。僕は、目の前にいる沙織里さんじゃないと無理だよ。それに、次はおすすめの本を持ってきてくれる約束もしたじゃん……」
「そうだったね……。けど蒼汰くんは、もう大丈夫だよ。人として成長して、どんどん前に進んでいる。友達も出来て、これからもっと楽しくなる。いまの私は、もう役目を終えたんだよ。だから生まれ変わって、蒼汰くんが人生の壁にぶつかったときに助けに行くの。どんなに遠回りしても、ベイリーのように最後は蒼汰くんの所に辿り着くように頑張るから」
「そんなの……嫌だよ。今じゃなきゃ僕は……それに『やりたいことリスト』も…。まだ、全部埋まってないじゃん」
「お願いがあるの。次に会うときまで、持っておいて欲しんだ……」
「……」
「お願いね。そうだ、ノートを半分くらいまで捲ってくれる?」
『やりたいことリスト』が書かれたページから何枚かページをペラペラ捲ると、ノートの中央部分に追加で何かが書かれていた。『やりたいことリスト』の一部だろうか。よく見ると、《蒼汰くんと友達になる》《蒼汰くんに友達ができるように手助けする》《蒼汰くんと恋人になる》《蒼汰くんと一生、仲良くする》などが書かれていた。
「途中までしか叶えられてないけど、また会うときまで覚えておいてね? 生まれ変わって、絶対に会いに行くから……」
「友達ができるように手助けしてくれて、沙織里さんと友達になれて、恋人にもなっているじゃないか。それなのに、僕は沙織里さんになにもしてあげれてない。僕だけ励ましてもらって、助けてもらって……」
「私は、蒼汰くんに感謝してるの。蒼汰くんは気づいてないかもしれないけど、たくさん希望をもらって、たくさん元気ももらって……私のほうが助けてもらってたんだよ。今日まで元気に過ごせたのは、蒼汰くんのおかげなんだよ。本当に、人生最高の夏だったよ」
僕は沙織里の言葉を聞き、更に頬を濡らしていく。次第に沙織里は、ゆっくり目を閉じていく。僕は、必死に沙織里の名前を呼んだ。沙織里が、どこかに行ってしまうのが嫌だ。必死に、沙織里を呼び続ける。僕は、まだ沙織里といなきゃいけない。何度も何度も、声をかけた。
先程まで、僕の手を握り返していた沙織里の手はゆっくりと離れていく。沙織里の顔を確認すると、安心しきって目を閉じているように見えた。月は、徐々に明るくなっている。重さを感じるほどの月光を全身で浴びる。気がつくと、完全に顔を出した月は僕たちの正面に移動していた。
目の前の月を見て、僕は『月への送魂』を思い出す。夜空にくっきりと浮かび上がる月は、輪廻転生の中継基地そのもののようだった。いや、まだ沙織里の魂は月に行っていないかもしれない。楽しい夢でも、見ているのだろうか。夜空から差し込む月光に照らされながら、沙織里は僕の横で笑みを浮かべていた。




