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余白の時間
コーヒーを飲み終えた直樹は、空になったカップを流しに置いた。
水を流す音が、部屋の中にささやかな響きを作る。
それを止めると、またいつもの静寂に戻った。
部屋の隅に積み上がった本を一冊手に取る。
高校を卒業したころに買ったまま、ほとんど開かずにいた小説。
ページをめくると、紙の匂いがかすかに立ちのぼる。
数行だけ目で追って、指を止める。
文字は意味を持ってそこにあるのに、頭の奥にはうまく入ってこない。
「……やっぱ、集中できねえな。」
苦笑して本を閉じた。
机の上のノートを開きかけて、また閉じる。
スマートフォンを手に取ってみるが、通知は何もない。
ぽん、と机に戻す。
窓の外では、子どもたちの笑い声が聞こえた。
登校するのだろう、小さな足音が重なって遠ざかっていく。
その音が消えると、直樹の部屋は再び、世界から切り離されたように静まり返った。
彼は椅子に背を預け、天井を見上げる。
何もしていないはずなのに、時間は確かに過ぎていく。
そのことだけが、少し胸を締めつけた。
「……俺は、何を待ってんだろうな。」
呟きは自分の耳にだけ届き、空気の中に消えていった。




