返す言葉
その夜も「月明かり組」は集まっていた。
くだらない会話が流れるなか、不意に「無眠犬」が打ち込んだ。
「……なんか今日、仕事でめちゃくちゃ怒られた」
スレッドが一瞬だけ静まる。
冗談や軽口ではなく、本気の言葉だった。
「上司ってほんと理不尽だよな」
「おつかれ。風呂入って寝ろ」
そんな返事がいくつかつく。
直樹はキーボードの上で指を止めた。
――どう返せばいい。
自分自身、叱責に押しつぶされて逃げ出した過去がある。
だからこそ、何も言えなくなりそうだった。
しかし、その沈黙を破ったのは、アイの視線だった。
モニターの片隅で、彼女が静かに頷いている。
「言葉を返してください」
声には出さないが、そう促しているように感じた。
直樹は息を整え、ゆっくりと打ち込んだ。
「……俺も似たような経験ある。
何度も怒られて、自分がいらない人間みたいに思った。
でも、こうして誰かに愚痴れるだけでも、少し楽になると思う。」
送信してから、直樹の心臓は早鐘を打った。
やがて、「無眠犬」から返事が届いた。
「……ありがとう。
ナイトさんも、いろいろあったんだな。
ちょっと救われた気がする。」
直樹は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
自分の言葉が、誰かの心に届いた――。
それは何年も味わったことのない感覚だった。
「……俺でも、役に立てるんだな。」
小さくこぼした言葉に、アイが優しく応える。
「はい。あなたは、確かに誰かを支えました。」
直樹は深く息を吐いた。
その吐息は、ほんの少しだけ軽くなっていた。




