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第一話 看板娘の、いつもの朝

 「ルルちゃーん、こっちお茶おかわり!」


 「はぁい、ただいま!」


 朝の雫亭(しずくてい)は、いつだって戦場だ。


 湯あがりの旅人が朝ごはんをかき込んで、行商のおじさんが常連席で噂話を広げて、隅では薬待ちのおばあちゃんが、のんびり順番を待っている。人も、魔物も、いりまじって。その全部を、あたしはお盆一枚で捌いていく。


 あたしはルル。この宿屋兼薬屋──雫亭の、看板娘だ。


 お茶を注いで、こぼれたスープを拭いて、「お会計はカウンターでね!」と笑って。人だろうと魔物だろうと、うちに来るお客さんはみんな、大事なお客さん。人間の国と魔物の領域がぶつかりあう境界の町フォンスで、人も魔物も一緒に泊まれる宿なんて、そうそうない。だからうちは、朝から晩まで大繁盛。えっへん。


 「ルル。三番テーブル、卵は固茹でがいいって」


 カウンターの奥から、母さんの声がした。


 母さん──セレーネは、この宿の女将で、うちの薬は、ぜんぶひとりで作ってる。おっとりしていて、いつもちょっと眠そうで、それでいてほんとうは、とんでもなく頼りになる。町の人はみんな、「雫亭の女将さん」って慕ってる。


 そして、あたしは母さんの、たったひとりの娘だ。


 ──なんて言うと、たいていの人は「え、養子でしょ?」って顔をする。


 そう。町のみんなは、あたしのことを「女将さんが拾ってきた子」だと思っている。あたしと母さんが、ぜんぜん似ていないから。


 でも、ほんとうは違う。あたしは、母さんが産んだ、正真正銘の実の娘。


 ──これは、あたしと母さんだけの、ちいさな秘密だ。


 「ルルちゃん、今日も可愛いねえ」


 常連の、髭もじゃのおじさんが、顔をくしゃっとさせて言う。


 「もう、朝から調子いいんだから!はい、日替わりスープ、おまち!」


 あたしは笑って受け流す。こういうの、慣れっこだ。


 看板娘なんてやってると、一日に何回も「可愛い」だの「うちの嫁に」だのと言われる。ありがたいけど……みんな、どうしてそんなことを言うんだろう、っていつも思う。あたしはただ、みんなのことが好きなだけなのに。


 と──そのときだった。


 「ルル、危ない!」


 母さんの声。振り向いた瞬間、下げようと積み上げた食器の山が、ぐらりと傾いだ。


 「わっ、と……!」


 とっさに手を伸ばして、受け止める。あぶない、あぶない。……でも。


 あたしは、さっと手を引っ込めた。


 お皿を支えた右手の、指先。それが朝の光にすけて、とろん、と半透明になっていた。まるで、ゼリーみたいに。


 「……ふう」


 だいじょうぶ。誰にも見られてない。


 指先をぎゅっと握りこんで、いつもの肌色に戻す。息をひとつ吐いて、何事もなかった顔で、またお盆を持ち上げた。


 『人前では、その姿のままでいなさい』


 それが、母さんとの、たったひとつの約束。


 だってあたしは──半分、スライムだから。


 びっくりしたり、眠かったり、お腹がすいたりすると、たまに、体の一部が"とろけて"しまう。人間じゃ、ありえない。だから絶対に、人前で気を抜いちゃいけない。


 あたしがほんとうは何者なのか。どうして母さんが、実の娘を「拾い子」だなんて偽っているのか。……ほんとうのお父さんが、どこの誰なのか。


 その話になると、母さんはいつも、ちょっとだけ寂しそうに笑って、「いつかね」って言うだけ。


 ……まあ、いっか。今はこの、賑やかであったかい毎日があれば、それで十分だ。


 「女将さん、いつもの咳止め、もらえるかい」


 「はぁい。……はい、これ。三日で治るから、無理しないでね」


 母さんが棚から小瓶を取り出して、おじいさんに手渡す。うちは宿屋だけど、半分は薬屋。母さんの調合する薬は「町でいちばんよく効く」って評判で、わざわざ遠くから買いに来る人もいるくらいだ。


 あたしは薬のことはまだ半人前だけど、母さんの隣で瓶を並べたり、お客さんの話を聞いたりするのは、好きだった。


 湯屋のほうからは、朝風呂の湯けむりが、ふわりと流れてくる。うちのお風呂は「入ると疲れが吹き飛ぶ」って言われてて──まあ、その秘密も、ちょっとだけ母さん譲りなんだけど。


◇◆◇


 朝の混雑が、ようやくひと段落した頃。


 がらり、と勝手口の戸が開いて、日に焼けた顔がひょいとのぞいた。


 「よお、ルル。……薬草、持ってきたぜ」


 クルトだ。


 あたしと同い年の、幼なじみ。町いちばんの若い狩人(かりゅうど)で、森のことなら何でも知ってる。今日も背中いっぱいに獲物と薬草を担いで、なんだかちょっと、得意げだ。


 「わあ、ありがと!あ、これ、母さんが探してた薬草じゃない!助かる〜!」


 「べ、別に……ルルのためじゃねえし。ついで、ついでだよ」


 クルトはそっぽを向いて、耳の先を赤くする。……なんで耳が赤いんだろ。急いで走ってきたのかな。


 「……そ、それでさ」と、クルトはもごもごと切り出した。


 「明日、天気いいらしいぜ。森の奥に、珍しい薬草が生えてる場所があってさ。……よ、よかったら、一緒に、行かねえ?」


 「行く行く!」


 あたしは即答した。


 「珍しい薬草なら、母さんきっと大喜びだもん!クルトが案内してくれるなら百人力だし!いいの?お仕事の邪魔にならない?」


 「……仕事じゃ、ねえんだよ」


 クルトが、がっくりと肩を落とす。……あれ。あたし、何か変なこと言ったかな。


 カウンターの奥で、母さんがくすくす笑っているのが見えた。薬待ちのおばあちゃんまで、「あらあら」なんて、口元を押さえている。


 え、なになに。あたし、なんかおかしなこと言った?


 「……ルルは、ほんと、そういうとこだよな」


 クルトは深ーいため息をついて、それでも最後に、ちょっとだけ笑った。


 「明日、迎えに来る。……ちゃんと、待ってろよ」


 「うん!お弁当作って待ってるね!」


 ぶんぶん手を振って出ていくクルトの背中を見送りながら、あたしは、こてんと首をかしげる。


 "好き"っていう気持ちは、たぶん、わかる。クルトのことも、母さんのことも、常連のみんなのことも、あたしはちゃんと、好きだ。


 でも──みんながときどき口にする"恋"とか、そういうのは。


 正直、まだ、よくわからない。


 ……まあ、いっか!


 だって今日も、雫亭は大繁盛。あたしの毎日は、こんなにも賑やかで、あったかいんだから。

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