16、トラブルの始まり
広場に出ると、洪水のような騒がしさに包まれた。今度は違う大道芸人が噴水の水を操って花を作っていた。飛沫の下を子供たちが楽しそうにはしゃいでいる。
次は実を売りに行きたいが、空腹感が存在を主張してきていた。
「イーリス、昼食にしないか?少し休憩しよう。」
「はい。ちょうどお腹減ってました。」
近くの露店で軽食を二つ買うと、広場の端にある長椅子に座った。油紙の包みを開けると、カリカリに焼かれたパンの間に葉物野菜と豚肉の燻製が挟まれていた。一口食べると燻製肉の風味と塩味、甘味のあるソースと柑橘類の酸味、野菜の食感が合わさって幸せになれた。
イーリスは包みを開けるのに苦戦していた。ソルが食べやすいように包みを開け、手に持たせた。
「凄くいい匂いがします。」
「味も美味いぞ。」
イーリスも一口食べてみる。表情が緩みうっとりしていた。
「初めて食べました。パンに具材を挟むだけでこんなに美味しくなるんですね。」
彼女の目はキラキラ輝いている。
「新しい世界が開けました。」
満足そうで何よりである。
気配を察したアビィが鞄から出てきた。ちぎって貰ったパンを勢いよく齧り始める。
ソルはあっという間に食べ終えると、油紙を丸め近くの屑入れに捨てた。
イーリスは厚みのある具材とパンに阻まれ、食べるのに手間取っている。これはしばらくかかりそうだ。
今のうちにあの実を売りに行くことにする。青果店はここからそれ程離れていない。一人なら直ぐに行って帰って来れるだろう。
パンを頬張る彼女に青果店へ行くことを告げ、中央の通りへ向かって行った。
人通りは減ることなく賑わいは変わらない。露天商は日用品から骨董品まで様々なものを並べている。中には見慣れたガルドラントの武具も置いてあった。
商人と交渉する人や商品をじっくり品定めしている人、観光らしき人もいる。人々の装いも様々で交易の街ということがよくわかる。
香辛料を並べた露天商の横を通り、奥にある青果店に入った。店頭には野菜や果物が所狭しと陳列されている。
恰幅のいい女が奥から出てきた。
「いらっしゃい!うちのは全部セレスタ産だよ!」
女は笑顔で野菜類を指した。
「購入ではなく買い取りをお願いしたいんだが。」
「あら、青果店に持ち込みなんて珍しいね。先に言っとくけど、ものによっては買い取れないからね。」
ソルは背嚢から蔦蛞蝓の実を取り出して見せる。すると女は満面の笑みになり、彼の手から実をもぎ取った。
「あんた!いいもの持ってきてくれたねぇ!」
女は赤く光沢のある実をじっくりと見ている。その間に残る実を背嚢から出すと、それに気づいた女が目を丸くした。
「こんなにあるの!状態も良いし全部買い取るわ!」
女は上機嫌で奥の卓にある小型の金庫から金を持ってきてソルに渡した。手の中には金貨が三枚あった。
「こんなに…!?」
思わず声が漏れていた。
「あら、あんたこれの価値を知らないで持って来たのかい?」
「いや、高値で売れるとは聞いていたがこれ程とは思っていなかった。」
「これは紅い宝石と言われててね、今貴族の間で流行ってるんだよ。どんな果実より美味しいからね。手に入れる為ならいくらでも払うって奴はわんさかいるのさ。」
それなのにこの実は滅多に市場に出回らない。魔物の生息域でしか取れないからだ。今まではたまに実を持ち込む人がいたが最近は全くなかったのだという。
「東の魔の森で見つけたんだろう?あんたみたいな酔狂な人がいてくれると助かるよ。」
金になるとはいえあの森に入ろうと考える奴はそういないだろう。命の値段にしては流石に安い。
女はサービスだよと言って林檎を一つくれた。ソルは礼を言うと背嚢を背負った。金貨は服の裏についているポケットにしまう。万が一の盗難対策だった。
通りに戻りイーリスの元へ向かう。一気に懐が温かくなったので足取りも軽い。これでしばらくは金に困らない生活が出来そうだ。
道中、露天商から代えの上着を購入した。宿で着替える事にする。
広場の方へ近づくにつれ人の密度が増していく。大道芸人の見せ物に集まっているのかと思ったが、人々の様子を見ると違うようだ。妙な緊張感があった。
何かトラブルでも起こっているのか。気にはなるが、イーリスと合流する必要があるので人の隙間を縫って進む。
前へ前へ行くと甲高い女の声が聞こえてきた。
「はぁ?何であたしが謝らないといけないわけ?当たったって証拠なんてないでしょ!しつこい奴!」
誰かとトラブルになっているようだ。
「当たってます。あなたの魔術のコントロールが悪いせいでこちらは被害を被ったのです。もっと人のいない方へ飛ばせたはずでは?」
こちらは静かな怒気を孕んだ声。聞き覚えのあるその声にソルは焦る。嫌な予感しかしない。
人をかき分けようやく一番前まで出ると、人垣に囲まれて二人の少女が対峙していた。
一人は珊瑚色の髪で学生服を着た少女。もう一人は言わずもがなイーリスだった。
「おいおいおい、どういうことだ?」
この短時間で一体何があったというのか。
時は少し前に遡る。
イーリスはアビィにパンを分けつつ順調に食べていた。口の中に広がる具材とパンのハーモニーを堪能している。
いつもパンはパン、野菜は野菜といった風にそれぞれ独立して食べていたので、この様に一緒に食べることで美味しさが何倍にもなるとは知らなかった。
これはいろいろ試してみたいと思い、もう一口食べる。
近くで女の悲鳴が聞こえた。
イーリスは咀嚼しながら、傍らにある杖に触れようとしたが、指先に付着しているソースの感触に気づき止めた。
彼女の左手の方から男が走って来る。
「誰がその男を捕まえて!」
女の声が響き、近くにいた男が走る男めがけて突進した。走る男は突進を高く跳んで避けた。突進した男は勢いのまま転倒。跳んだ男は着地、と思われたが地面に足が着こうとした瞬間、背後から強い衝撃を受けて派手に吹き飛んだ。
男が吹き飛んだ先には、指のソースを舐めているイーリスがいた。直撃こそしなかったものの、男の手が微かに彼女の手に当たる。パンが地面に落ち具材も散らばってしまった。
吹き飛んだ男は全身を地面に打ちつけ動かなくなった。うつ伏せに倒れている男の背中には焦げたような跡があった。
そこへ珊瑚色の長い髪をなびかせて一人の少女が優雅に歩いて来る。身の丈程ある杖を持つその顔には高慢さ滲み出ていた。
「盗人風情があたしの前で逃げられるわけないでしょ。」
男は気を失っているのか反応がなかった。少女の背後から甲冑を装備した大柄な男二人が出てきた。甲冑の男の一人が、気を失った男の手から小さな巾着袋を取り持ち主の女に渡した。
女は感謝の言葉を述べると深く頭を下げ、通りに消えていった。
甲冑の男は地面の男が完全に気を失っていることを確認すると肩に担いだ。
「さっさと怠け者の騎士団に引き渡しちゃいましょ。」
少女は杖をくるりと回すと肩にかけた。太陽の光を反射して紅い魔石が輝いている。
地方の騎士団のやる気のなさに文句を言いながら立ち去ろうとしたが、足が何かに固定されて動かなかった。甲冑の男たちも同じだった。視線を下げると魔術の蛇が足に絡みついていた。
「さっき人を飛ばしたのはあなたですか?」
雑踏の中でもよく聞こえる澄んだ声が少女にかけられた。少女が振り向くと長椅子に腰掛けている少女、イーリスがいた。片手に杖を持ち少女たちの方へ顔を向けている。
イーリスの足元では散らばったパンや具材をアビィが一心不乱に食べていた。
少女はイーリスの杖を見ると不愉快そうに口を開いた。
「何?あたしがやったの見てたんじゃないの?この拘束はあんたの仕業ね。喧嘩売ってんの?」
強気な少女の言葉に怯むことなくイーリスは淡々と話す。
「あなたのせいで私の楽しみがなくなってしまいました。謝ってください。」
イーリスは杖で足元に散らばるパンを指した。
「はぁ?」
少女は吹っ飛ばした男の軌道を思い出した。確かに長椅子の方へ飛んだが、ギリギリ当てていないはず。
「あんたには当たってないでしょ。自分で落としたのをあたしのせいにしないでくれる?」
「いえ、私の手に当たりました。」
いつの間にか魔術師同士の口論を見ようと人だかりができていた。イーリスは長椅子から立ち上がり、少女の方へ近づいた。
「謝ってください。」
と、これがソルが来るまでにあった出来事だ。
魔術のコントロールのことを指摘された少女は、顔を真っ赤にして怒っている。少女が杖を振ると拘束していた蛇が燃え上がり紫の燐光を残して消えた。
「あんたみたいなショボい杖しか持てない魔術師に何がわかるのよ!」
「私は事実を言っているまでです。第一捕縛が目的なら吹き飛ばしたりせず拘束した方が早いでしょうに。」
イーリスはにっこり笑う。だが目は笑っていない。
「もしかして出来ないんですか?拘束するのは魔力のコントロールにコツがありますからね。」
ソルはイーリスからあの時の黒魔女の片鱗を見た。
少女の杖を握る手に痛いほど力が入る。抑えきれない感情を反映するかのように、溢れ出る魔力の奔流が少女の髪や服の裾を翻す。
激情の怒りと静かな怒りが見えない圧を作っている。
これは仲裁しないと危険だ。ソルはイーリスに駆け寄った。




