閑話 主に望む事
「まぁそれはむしろ喜ばしいことではありませんか。早速、今日にでも姫様の部屋に移動してもらいましょう」
「桂殿、それはお待ちください」
「何故止めるのですか?」
桂は菖蒲を親代わりのようにして育ててきた。菖蒲の伴侶探しで一番力が入っていたのは桂だが、それでも誰かを押し付けるような真似はしてこなかった。菖蒲自身が選ぶことを望み、尊重し続けてきたのだ。そんな中で、ようやく見つけた菖蒲が選んだ相手。気持ちが入らないわけがない。藍の前では、さほど興奮した様子を見せることはないものの、翡翠たちの前ではたびたび暴走しがちであった。
「ともかく、姫様もそれを望まないでしょう。望むのであれば、卓也殿たちが帰還した後すぐにでも、そういう対応をとったはずです」
「そうかもしれませんが……」
「桂殿?」
「菖蒲様は何故、藍様と共寝をされないのでしょう。既に伴侶と定めたことは皆が知っています。何を遠慮することがあるでしょうか」
遠慮かどうかは知らない。だが藍と誰よりも行動を共にしているからこそわかることがある。藍は大人びて見える。だがその実、精神的に成熟しきっているわけではない。冷静に見えるのは、諦めているからであり、すべてを割り切って考えているからだ。ここに至るまで、藍が望んだことは一切ない。必要だから、そうしなければならないから、そういう立場に置かれたからこなしているだけである。
「婚儀も、藍様が十八になるのを待つと」
「姫様がそのように?」
「加奈殿から聞いたそうです。それが現世、藍様たちの世界で婚儀を行うことが許される年齢だと」
加奈からの情報ならば確かだろう。社交的で妖たちにも馴染んでいる加奈は、たくさんの情報をくれる。その中でも興味深いものは、現世にある童話の類であった。
『不思議なんですよね。童話では、狐とか狸は姿を変えることができるんですよ。でも実際に生きている動物たちはそんなことできません』
『妖であれば姿を変えることは造作もありませんね』
『鶴の恩返しとか、動物が出てくるお話はたくさん残されています。昔の人が戒めとして残したとか、情緒を育てるための作り話だとは色々と言われていますけど』
書物として逸話を残す。実際にあり得ない話を残すことに、どれだけの効果があるのかはわからないが、今ここで加奈が覚えているということは読み聞かせることに意味あったのかもしれない。
『けど私、思ったんですよね』
『何をですか?』
『その話を作った、というか元になったものって、妖だったのかなって』
『……それは』
否定できない話だ。そもそも狭間の世界を創ったのは、創造主は現世で生まれた鬼の妖の始祖。彼は元々人間として生まれ、妖たちを見る眼を持っていた。彼らと交流していく中で、妖たちだけが住める安心できる場所を求めて狭間の世界を創った。
もしかしたら藍のように、現世で妖を見る眼を持つ者たちが作り出したものが、今なお残っているとしたら、それは妖の一人として素直に嬉しいと思うだろう。現世と狭間の世界が繋がっているという証でもあるのだから。
「桂殿、藍様は確かに狭間の世界で生きることになります。妖とは違う形ではありますが、鬼の血を持つ人間として覚醒することでしょう。その時……我らと同じ長い時を生きることになります」
「……えぇ」
「焦る必要はありません。姫様もそれがわかっているからこそ、彼らの生きた現世での考えを尊重しているのだと、思います」
「焦らず、その時を待てということですね」
妖の寿命は長い。それこそ人間の一生など、瞬き程度の時間でしかない。なれば、たった一年待つことなど簡単だ。その時はあっという間に訪れる。
「加奈殿はどこまで知っていますか?」
「尋ねられたことには答えています」
つまり尋ねられていない者には答えていない。彼らは若い。寿命のことなど気にしてもいないだろう。霊力を持つ藍は薄々気が付いていたとしても、加奈は気が付いていない。気が付き、それを尋ねられれば答える。言葉を偽ることはしない。それが今翡翠たちにできることだ。
「そうですか」
「鬼とて万能ではありません。それは桂殿の方がよくおわかりでしょう」
「もちろんですよ。ただ、翡翠貴方も良い年なのです。姫様の婚儀が落ち着いたら、貴方も次の相手を見つけるのもいいのではありませんか? 何でしたら私が――」
「自分のことは自分でやりますので大丈夫です。桂殿は姫様のことをどうかよろしくお願いします」
まさか翡翠の方に飛び火するとは思わなかった。この場合、撤退するに限る。翡翠は急ぎ藍の部屋へと戻った。




