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神隠しと鬼の姫  作者: 紫音
第二章 妖の國

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8話


 結局その日は、そのまま布団に運ばれて眠った。気が付いた時には菖蒲が傍におり、その笑顔は満足したように輝いていた。


「藍、何か飲みますか?」

「頼む」


 水差しのようなものから陶器のようなコップへ透明な液体が注がれる。起き上がると同時に、菖蒲から渡されたそれを飲み切り、コップを返した。多少気分はスッキリしたような気がする。狩衣から袿へと着替えさせられているその肩に触れれば、真新しい包帯が巻かれていた。


「翡翠が呆れていました」

「だろうな」

「でも藍もいけないのですよ。あの河童は雌でしたから、私も焦ると言うものです」

「……あれが雌だってよくわかったな」


 むしろそっちに驚く。河童は河童でしかなく、その雌雄をどう判別するのかもわからない。そもそも見た目は同じだろう。目撃をしてもいない菖蒲がわかるとは思えない。だが菖蒲は首を横に振る。


「妖力の気配が残っていましたから。それだけでわかります」

「なんというか……面倒だな、相変わらず」


 己以外の気配がしただけでこれだ。全くもって鬼の本能というのは厄介である。


「そう思うのでしたら、むやみやたらと何者かに触れさせないようにしてくださいな」

「気を付けるようにする」

「お願いします」


 普通の恋人同士であれば、喜ぶところだろうか。それとも強い束縛に嫌気を感じるところだろうか。残念ながら菖蒲と藍の関係はそういう簡単なものではないので、どちらともいえなかった。ただ菖蒲を刺激しないような行動を心掛ける程度しか、藍ができることはない。


「藍……貴方はどうして、されるがままなのですか?」

「どうして?」

「はい。私が近づいた時点で避けることもできたはずです。私が噛みつく前にいくらでも抵抗することも可能でしょう?」


 気が付いた時点で逃げればよかった。それはそうかもしれない。けれど、藍にそれは難しいことだった。


「女に手を挙げることだけはするな。殴られたりするようならば、甘んじて受けろ。そう姉に言われてきたからな」

「お姉様に?」

「あぁ。ただ明らかにヤバイ相手を除いてだ」


 そうそう滅多にないと思いたいが絶対はない。身の危険を感じたならば逃げることを選ぶ。ただ菖蒲の場合は少し勝手が違っていた。


「そもそもあんたは逃がしてくれない。逃げて、部屋を破壊でもされてるのは困るし、服を破られても困る」

「否定できませんね」

「そこは否定してくれ」


 何をされるのかが事前にわかれば身構える。それでもできれば止めてもらいたいし、言葉で止まってくれるならばそれが一番だ。決して受けたいわけではない。


「藍……ご家族のこと、教えてくれませんか?」

「何故だ?」

「聞きたいのです。私には身内はいますが、家族と呼べる者はいませんから」


 菖蒲がいう身内は鬼、そして國に住む妖たちのこと。けれど血の繋がった家族はいない。國の外にいる「なりそこない」から侵入されたことがあり、その討伐のために命を散らしたらしい。


「貴方をご家族から奪ったのは私の行為です。けれど私は貴方にもう謝ったりはしません。それが必要だと私は選んだからです」

「……そうだな」


 道を奪ったこと。何の承諾も得ずに行為を進めたこと。既に菖蒲から謝罪は受けている。ただ菖蒲にも理由があった。恨まれたとしてもそれを優先した。鬼の姫として。既に起きたことを責め立てても変わるものはないからと、藍はそれを受け入れている。今更蒸し返すことに意味はなかった。


「だからこそ、私は知っておかねばならないと思うのです。貴方を大切に想っていただろう方々のことを」

「大して面白い話でもない」

「それでも教えてください」


 家族、と問われて真っ先に思い浮かぶのは両親と姉、兄は既に家を出ているのでしばらく顔を見ていない。兄は既婚者であり、子どももいる。一回り近く離れているため、兄弟喧嘩一つしたことがない。


「藍は一番下なのですか」

「あぁ、俺たちの世界では末っ子という言い方をするな」


 どちらかといえば姉の方が年が近い。今は大学生で落ち着きも出てきたけれど、幼い頃はよく遊ばれたものだ。中学に入った辺りからは、女性の扱い方についてきつく言われた。最初の恋人が酷い男だったらしく、ああいった男にだけはなるなと。友人となった卓也にも言い含めていたほどだ。


「とても良い家族だったのですね」

「菖蒲?」

「お話をしている藍の顔が、とても柔らかいものでした。それが本来の貴方の姿なのでしょう」


 最近は会話さえも一言二言で済ませる日もあった。今思えば、もっと話しておくべきことがあったのではないかと後悔もある。優しくしておけばよかった。両親に感謝を伝えておけばよかったと。後悔したところで、戻ることはできない。


「貴方を還すことはできませんが、私でよければいつでもお話を聞きます。ここでのことではなく、あちらの世界での貴方のことを」

「聞いたところで訳がわからないと思う」

「それはこちらにきた貴方も同じです。わからないことを理解しようと努力してくれています。ならば私たちも貴方たちを理解したいと、貴方たちのことを知りたいと思うのは当然ではありませんか?」


 現世のこと、藍と加奈がどういう生活をしていたのかを知りたいと思ってくれるのは素直に嬉しいと感じる。それが優しさなのか、それとも許しを請う行為なのか。まっすぐな感情を伝えてくる妖たち。ならばこれは菖蒲自身が素直にそれを望んでいるからなのだろう。


「……俺はわからなくなってきた」

「何がですか?」

「あんたが俺を理解しようとしてくれていることを偽りだと思うことはない。鬼という妖はそういう存在だって、俺にもわかっている」


 思ったことそのままだ。心を偽ることをしない。だからこそ、菖蒲の行動に矛盾を感じることがある。


「あんたは俺を利用したいと言っていた、一族のために。それは今も変わっていないんだろ?」

「はい。もちろんです」

「それだけのために、どうしてあんたはそこまで俺を気に掛けるんだ?」


 罪悪感を抱いたが故の行動であれば、色々と気を遣うのも理解できる。しかし、菖蒲はそんな感情を抱いているわけではない。力のみを欲しているのであれば、必要な時だけ呼びだして藍を使えばいい。藍が何を想っているのか、何をしたいのかまでを気に掛けることはない。ましてや家族のことを聞いて、藍を気遣うことをせずともいいのだ。その方が藍とて楽でいられる。何をされたところで、そういうものだと割り切れる。


「あんたがわからなくなる」

「……」


 決して菖蒲の在り方を否定するために告げているのではない。この世界に来て二か月余り。藍自身も感じている。自分が人間から離れてきていることを。霊力と妖力をその身に宿すからなのか、藍も自分が不安定な精神状態にあることには気づいていた。けれども一度気づいた違和感を消すことはできない。

 珍しく黙ってしまった菖蒲は、ただじっと藍の顔を見つめている。いつもの妖力を受け取る時のように瞳孔が変わるでもなく、いつもの菖蒲がただただ目を向けているだけだ。


「……藍、聞いてくださいますか?」


 ようやく口を開いた菖蒲が問うてくる。藍が頷きを返すと、ただ黙って藍の身体を抱きしめてきた。背中に腕を回されるが、藍はただじっとその様子を見守る。


「貴方の霊力と私の妖力。それが合わさることで、私たちの子はより強く、鬼の一族を率いる存在として生まれてくるでしょう。私はそれを強く望んでいます」


 始祖が霊力と妖力を持つ鬼だったことも理由だろう。少しずつ鬼は数を減らしている。一族を救うために、未来を繋ぐためには強い鬼が必要だと。


「ですが私の姫としての力は、相手の悪意、善意を視ることができるものです。私が好まない相手であれば、善意を持つ者だろうと私は拒否します」

「前に言っていた特異能力だな」

「はい。つまり私が藍を選んだのは、藍であれば身を委ねても良いと思ったのは、本能的に私が好む相手だったからです。藍を見た時に、私は確かに視ましたから」


 一体どういうことだろう。そもそも菖蒲の話はわかりにくい。こういう話であれば特に。


「それで結局何が言いたいんだ?」

「すみません、私にもわかりません。ただ、その……利用したいというのは事実ですが、それだけではなく……いえ直感のような、でもあの頃とはまた違う気もしますし」


 だんだんと尻蕾になり、菖蒲の声が小さくなる。つまり菖蒲にもわからないということだろう。ならばこれ以上問いかけても答えはでてこない。藍は菖蒲の肩に手を置き、身体を離させようとする。だが菖蒲の力は緩むことなく、更に腕に込める力が増した。


「おい、菖蒲。そろそろ離れろ」

「……お願いします。今はこのままでいさせてください」

「いやあのな――」


 目覚めたばかりではあるけれど、いつもなら就寝する時間だろう。そんな時に菖蒲と二人きりでいては、色々と不味い。何を言われるかわかったものではない。

 菖蒲は藍を伴侶にすると公言しているが、実際にそういう関係になるには婚儀を上げてからだという。鬼の婚儀というか妖が認識している婚儀がどういうものかはさておき、この状況だけは要らぬ誤解を招いてしまう。


「そうすればわかる気がするのです」

「わかる?」

「こうして共に居れば、それがどういうことなのかがわかる気がします」

「……明日じゃだめなのか?」

「今です」


 梃子でも動かない。こうなった菖蒲は頑固だ。ただ鬼の本能としての執着とは少し様子が異なっているようにも思える。動かないと決めた菖蒲をこれ以上説くのは無理だと諦めた藍は、仕方ないとばかりに菖蒲と共に布団の上へと寝ころんだ。


「気が済んだら戻れ」

「……はい、ありがとうございます藍」





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