閑話 鬼と友人
ここでの生活にも慣れてきたこの日、加奈は屋敷内を散策していた。屋敷の奥にある中庭に差し掛かったところで、丁度反対側の柱の陰に人がいるのが見えた。覗き込むように首を伸ばすとそこにいたのは同じ現世から迷い込んだ一人である藍、そしてこの屋敷の主である姫こと菖蒲の二人がいる。相手に見えないようにと加奈は近くにある柱に身体を隠すようにして様子を伺う。
何か話をしていることまではわかるけれど、距離的に内容までは聞こえない。菖蒲は上品に笑っており、藍は無愛想なまま腕を組んでいる。やがて藍の腕に手を乗せた菖蒲がその手を藍に近づけるのが分かった。てっきり避けると思いきや、藍はされるがままになっている。
「意外だなぁ」
「何がですか、加奈殿」
「うわぁ! って綺羅と沙羅じゃない」
突然背後から声を掛けられ、驚いて振り返るとそこにいたのは鬼の姿をした女性二人。加奈と同年代で、屋敷で働いている。名前は似ているけれども、姉妹ではない。ほぼ同じ時期に生まれたため、揃えたような名を贈られたということらしい。
妖たちは親兄妹というよりも、同じ國で生きる妖同士という絆がある。鬼の中には自分たちが特別だと思う者たちもいるけれど、多くは姫である菖蒲に追随するように争いを避け、助け合うことを当たり前としていた。だからこそ同じ時期に生まれた妖同士は共に過ごすことも多く、半分兄弟姉妹のような関係であることが多いという。加奈が知る限り、綺羅と沙羅はいつも一緒にいる。
「加奈さん、何を見ていたんですか?」
「うん、あっちに久遠くん……藍くんと菖蒲さんがいたからのぞき見をしてたの」
藍の呼び名を改めたのは、久遠では通じないからだ。狭間の世界に氏はない。藍は藍、加奈は加奈。妖たちの中にはそれで通達されているらしく、苗字を使っても誰であるか認識してもらえない。菖蒲や翡翠はわかってもらえるのだが。
「ほんとですね、姫様がいらっしゃいます」
「藍様の姿は背中しか見えませんが……沙羅、加奈殿も見つかる前にここを出ますよ」
「綺羅、どうして?」
せっかくの場面なのだから、もう少し覗いていたい。あの二人がどういう風に普段から接しているのか。ものすごく興味がある。特に藍がどういう風にしているのかが気になって仕方ない。
「加奈殿、興味本位で姫様たちの様子を伺うのはおすすめできません」
「どうして? これくらい離れて居たら気づかれないわよ」
「姫様はわかっております。加奈殿も私たちもここにいることに。ですから、あのようにして藍様に近づいているのです」
「どういうこと?」
この距離で気づくというのか。声も聞こえないし、陰にも隠れているのに。そう話す加奈に綺羅は呆れたように息を吐いた。
「姫様は鬼の中でも強いお方。鬼は自らのものだと決めたことに対する所有欲、独占欲、執着心とも言いますが、それがとても強いのです」
「あの菖蒲さんが? 想像できないわね」
「藍様の首元、布が撒かれているのはご存じですか?」
「そういえば、いつも巻いている気がする。包帯? みたいなものよね」
ここに来てから右腕と首元のところに藍は包帯を巻いていた。腕にあったものは既に外されているが、首元のそれは外されておらず、今も巻かれたままになっている。尋ねたことはないものの、気になってはいた。
「あれは姫様が己のものであると、牙を立てた証です」
「……そ、そうなの?」
「受けた側にも得るものはあります。鬼の妖でなくとも、鬼と同等の治癒力を得たり、妖力が増したりするので、むしろ嬉々として受け入れるものですが」
そこれ加奈は納得した。藍の怪我、治りが早かったのはその所為だったのだと。受ける側にそれだけの利があるというのであれば、悪いことではない。ただ綺羅の言い方だと、もっと別の何かがあるようにも思えた。
「が、何?」
「授けた側はその相手に対して強い執着心を抱きます。本能的なものですからどうすることもできません。姫様も他の者が藍様に対して邪な想いを抱くと思っているわけではないのですが、そういう問題でもなく……」
「私たちを含めこの屋敷の女性は、誰もが藍様の傍に控えることを許されておりません。藍様自身は世話も不要だと仰っています。日頃からお傍にいるのは翡翠さんだけ。唯一傍にいても許されているのは加奈さんくらいでしょう」
「……なんか、大変な状況だったり」
同郷の友人である藍の意外な立ち位置を知った気分だ。このことについて、当人である藍も既に知っていることらしい。当事者が知った上でそうしているのであれば、加奈がとやかくいうことではない。ただ大変だなとは思う。と同時に面白いと思った。
「あっちでは振り回す側だったのに、こっちでは振り回されているのが何だか面白いわね」
「加奈殿?」
「こっちの話。でも、面白いものが見れると思ったんだけど、菖蒲さんが嫌なら引き下がるしかないかな」
「姫様は嫌というのではないと思います。なのでお尋ねすれば快く教えてくれると思いますよ」
「そうなの?」
普通ならば二人だけの秘密にしたいとか、照れたりするものではないのだろうか。少なくとも加奈が想像する反応はそれだ。だが加奈が疑問に思うことが不思議なのか、綺羅と沙羅は目を瞬いてから次に笑い出す。
「鬼にとって姫様の行動は当然ですから。隠す必要もありません」
「明け透けというか、恥ずかしいとか照れもないんだ……」
「ありませんよ。公然とした事実でしかありませんから。加奈さんたちにとっては違うのかもしれませんけれど」
綺羅、沙羅の二人が揃って大したことではないと言う。この場を去ってから、実際に加奈は菖蒲に尋ねてみた。すると確かにすらすらと教えてくれた。いつも何をしているのか。二人だけの時間もあるのかなど、加奈の問いかけには逐一答えてくれる。なんだか申し訳なくて、藍にも揶揄い次いでに伝えにいったのだが、当の藍も諦めているようだった。
自室に戻った加奈は布団の上に寝転がり、天井を見上げながらしみじみと感じていた。ここは自分たちとは違う世界観を持つ者たちばかりなのだと。一方でそれを心地よく感じる自分もいる。現世に未練がないとは言えない。でもきっとここでもうまくやっていけるだろう。
「……私も頑張るよ、有希ちゃん。だから気にしないでね」
帯紐に結んである鈴を加奈は取った。これは最後に、有希が加奈に渡してくれたものだ。ずっとカバンにつけられていたストラップについていたもの。汚れた部分は綺麗にして、帯紐につけるようにしていた。いつか、現世で加奈のことも藍のことも忘れ去られていくのかもしれない。事件性があろうとなかろうと、数年経てば世間は忘れる。それでもいい。加奈は忘れない。有希のことも、学校のことも。家族のことだって忘れない。
「さて、明日からも頑張りますか」




