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嫌気が差すような日常

 ベッドに座り、虚空に喋りかける。

「あーわかる。制限されるのストレスだよね。俺も前、Youtube見すぎてロックかけられて」


 ローテーブル上の三脚にセットしたスマホで、数十人と話す。マスク越しの声はくぐもって耳に届く。画面の中にフィルター越しの自分が映る。

 後ろは本やペットボトルが散乱している。スマホを裏返したらどうなるんだろう、と思う。



 ◇



 ライブ配信を始めたのは数カ月前。

 その日はいつもより孤独だった。鬱屈と不安が手足まで広がる。頭を掻きむしっても、ベッドをがんがんと殴っても身体から抜けない。


 吐き出したくて、AppStoreの検索欄に「話す」と打ち込んだ。

 出会い系が並ぶ中、「今日の出来事を話そう!」と謳う配信アプリ「Yarn」が目に留まる。大して栄えていないマイナーなアプリだが、動画広告ではよく見かける。すがる思いでダウンロードし、登録を済ませた。


 Youtubeで「ライブ配信 伸びる Yarn」と検索した。軒並み数千再生の動画が並ぶ。

 消化するように上から見ていく。配信の設定やプロフィールのテンプレートを教えて、最後は有料教材に誘導する。どの動画もそんな構成だった。商売の骨格が垣間見える。


 ベッドから起き上がってそのまま座る。両手でスマホを握る。

 飛ばし飛ばしに動画を見て、従順に設定していく。垢抜けたプロフィールが完成し、準備は整った。


 勉強机に座って、本にスマホを立てかけてみる。

 インカメラで見ると、部屋の汚さが客観的に分かる。流石に映すわけにはいかない。画角を決めあぐねていると、貧弱な気力はすぐに尽きた。最初はラジオ配信にした。


 初日でも数人が視聴してくれた。コメントは流れずとも他人がそこにいる。

 人に聞かれていると思うと変に昂って、普段は言わない事も零れる。高揚感が癖になって、気づけば配信が日課になった。配信頻度に連れ、リスナーやフォロワーが増えていった。お小遣いで三脚を買ったのは数日後のことだった。



「良かったらフォローしてね~。今日もありがとー」

 配信を止める。総勢来場数が表示されて、また少し安心する。スマホを取り外して三脚を畳んだ。


 使い捨てマスクを外して深呼吸する。顔を完全に出すのは怖かった。

 配信直後はいつも落ち着かない。まだリスナーに見られている気がする。ベッドに座って背筋を伸ばすと、背中が痛んだ。



 ◇



 教室の扉を開ける。

 他者がこちらに入り込むように感じる。それだけで少し不安になる。硬い椅子に座り、机に肘をつく。クラスメイトと目を合わせないため、早めに準備を始める。


 入学して数週間ほどで、カーストの形状は漠然と共有されていた。

 自分はどうやら三角形の中にいないようだった。教室で口を開くことは極めて少ない。そういえば、自分にはあだ名がなかった。



 板書をノートに移していると昼休みになった。各々が集まるのを傍観するのにも慣れた。

 息苦しくて、マスクの下を摘まんで隙間を開ける。息を吸いこんで手を離す。


 コロナ渦が落ち着き、マスク装着は任意になった。そう言われても、すぐには取れない。

 入学した時も渦中だったので、口元を見せたことはなかった。今さら出すと視線を浴びそうで踏み切れない。最初はみんなも同じく渋っていたが、徐々に着けている側が少数派になっていった。


 前から甲高い笑い声が聞こえる。仕草を嘲られたのではと思い、心臓が浮く。指先が遊ぶ。

 顔を上げると、クラスメイトの愛莉さんが友達と笑いあっていた。


「あははは。ねぇガチやから~、Wingつけてみぃって」

「単純で草」

「はは。ほんまに、つけたらめっちゃモチベ上がるんやって」


 香水の話をしていた。

 こっちのことなど眼中になく、知らないブランドに夢中だった。杞憂でもそれはそれで哀しかった。



 ◇



 散乱たる自室に入る。いつも踏んでる場所を踏む。

 鞄を下ろし、制服から着替える。鞄からスマホを取りだす。

「りゅうさん 配信」でエゴサーチして、露ほどの反響をすくっていく。脆くなっていた精神が硬さを取り戻す。りゅうさん名義で配信を始めてから出来た癖だった。


 ノックが聞こえる。叩き方で母だとわかる。

 寝転んでいたベッドから反射的に起き上がる。扉が開く。散らかった部屋が気まずい。


「今日、お風呂掃除しといてな」

「あ、うん」

「はーい。じゃあ、予習ちゃんとやってね」

「うん」


 扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。

 身体をベッドに投げ出し、寝返りを繰り返す。親と話すたびに鈍く疲弊する。



 手癖でYarnを開くと、トップページに「イベント」という枠が大きく掲示されていた。

 頻繫に見かけるので、あまり意識したことが無かった。枠をタッチして専用ページを開いてみる。


 イベント期間中の配信へのいいね数で他の参加者と競う、と記されている。

 1位を取ると五千円分のAmazonギフトカードが貰える。さらに勝者は脚光を浴び、フォロワーが急増する。


 そうして一躍有名になることを、前々からよく妄想していた。

 寝る前はいつも高速で流れるコメント欄を浮かべる。張りぼての優越感に包まれ、いつの間にか眠りにつく。


 しかし、実際に参加はしなかった。

 ふつうに喋れる場所を戦地にしたくない。他の配信者と比べられるのも怖い。もし歯が立たなかったら、いよいよ空っぽになる気がした。

 スマホをベッドに残して勉強机に向き合う。予習をしなければならない。



 リビング方面から呼び声がする。呼応して自室を出る。

 廊下を抜けてリビングに入ると、キッチンに母が見える。窓の外はすっかり暗くなっていた。


 母が手作りのおかずやスーパーの惣菜を皿に盛っている。ダイニングテーブル上の盆にそれを載せていく。

 ぼーっとテーブルの傍で見ていると、話しかけられた。


「ねぇ、まだ入りたい部活見つかってない?」

「あ、うん。まだ」


 皿が盆に乗りきる。適当に返事をしながら、自室に持っていこうとする。

 盆の両端を持つ。


「ふーん。龍正さぁ、うちに友達呼んでないよね」

「......おん」

 足が止まる。


「別に遠慮しないでいいから」

「わかった」


 強引に話を切り上げる。不自然な間だったかもと不安になる。

 気まずさを残したリビングを去る。自室に入ってローテーブルに盆を置く。ベッドに座り、息を吐いた。母親も本当は分かっているのだろうか。だとしたら何も言わないでほしい。


 しょっぱい鶏肉を咀嚼しながら鬱々とする。

 ひとつ辛いことがあると止まらず、他の辛いことも喚起される。いつもは沈んでいる不満と憂慮が意識に上る。散らかった部屋がいつもより鬱陶しい。軋むテーブルも柄物の皿も、目に映るもの全てに見飽きた。



 いつからか、日常に嫌気が差していた。

 いじめに巻き込まれることも、病に侵されることもなく、一介として生きている。そのことで身体を掻きむしりたくなる。


 いっそ分かりやすい不幸の形が欲しい。いつも理想の自分を妄想しては掻き消す。検索してみると「みんなそんなものだ」と出た。この苦悩も凡庸だったらしい。


 みんなそんなものだとは、まだ信じきれなかった。

 例えば愛莉さんは悩んでいるように見えない。大衆として生きていて、それなのに快活だった。思えば、最初にマスクを外したのは彼女だった。


 羨ましく思いつつも、どこか愛莉さんを侮ってもいる。

 自分の些末なフォロワー数が僅かに輝く。狭苦しい教室よりも広く、華やかな場所で上にいる気がする。今はそういうことにしておきたい。



 ◇



 部屋の中から両親の寝息が聞こえた。静かに廊下を渡り、自室に戻る。

 配信をしていることは誰にも伝えていない。ここまで入ってこられたくない。


 スマホの音量を小さくして、Yarnを開く。またイベントの宣伝が目に入る。

 今日はイベントが始まって2日目、期日まではあと49日だった。


 参加要請を開いてみる。

 配信する際のハッシュタグに指定のタグを加えれば、それで参加できるらしい。思ったより敷居が低く、現実味を帯びてくる。



 配信設定を開き、指定のタグを加えてみた。

 メモ帳からテンプレートをコピーし、題名と説明欄にペーストする。スマホを三脚にセットしてローテーブルに置く。小袋からマスクを開封し装着する。後は配信ボタンを押せば、それでいい。


 マスクを下顎へずらし、淀みなく息を吸う。吸い慣れた埃っぽい自室の空気。

 何度も見て飽ききった風景と自分。日常に変化をもたらす可能性があるなら、今はそれでよかった。

 配信を開始した。


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