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丑三ツ書店の清書係 〜指切り心中〜   作者: 入江 鋭利
第二部 「神隠し集落の記帳本」
16/18

十五頁目:褪せた村落


 山道を這うように進んでいたバスが、最期の吐息のような排気音を漏らして止まった。


 錆びついた停留所の看板には、掠れた文字で"見返"と書かれている。扉が開くと同時に流れ込んできたのは、都会の排熱とは無縁の、湿った土と濃い緑の匂いだった。


 バスを見送り、僕と朱音は村の入り口に立ち尽くした。


 見返村。


 そこは、地図上で見た印象よりもずっと、世界から取り残されたような静寂に包まれていた。急峻な斜面を削って作られた棚田が幾重にも重なり、その間を縫うようにして、年季の入った瓦屋根の民家が点在している。農業が盛んなのだろう、青々とした稲や野菜が整然と並んでいるが、不思議と活気は感じられない。


 まるで、誰かが描いた風景画の中に、間違って迷い込んでしまったかのような、薄ら寒い静けさ。


「……なんか、思ってたより普通の田舎だねえ。もっとこう、入り口に『これより先、生きて帰れると思うな』って書かれた立て看板とか、不気味な案山子が並んでるのを期待してたんだけど。まさにステレオタイプな、日本の原風景って感じ」


 朱音が大きなカメラバッグを肩に担ぎ直し、退屈そうに口を尖らせる。彼女の足元、厚底のスニーカーが乾いたアスファルトを叩く音が、静まり返った村に不自然に響いた。


 僕は彼女の言葉に生返事をしながら、村の奥へと視線を這わせた。


 谷あいに淀む霧。家々の影が長く伸び、山の稜線が空を鋭く切り取っている。


(……なんだろう、この感覚)


 初めて来た場所のはずだ。市内の図書館で調べても、観光ガイドの隅にすら載っていないような無名の村。なのに、なぜか胸の奥がざわつく。


 曲がりくねった坂道の角度。石垣の積み方。道端に佇む、首の折れた野仏。


 それら全てに、見覚えがあるような気がしてならない。

 幼い頃に見た夢か、あるいは——。


 そこまで考えたところで、朱音の"営業用"の明るい声が思考を遮った。


「はいはーい! あかねチャンネル、緊急ロケ開始! ついに到着しました、伝説の神隠し村、見返村! 見てくださいこの霧! この閉鎖感! マジで帰れなくなりそう……って、あれ、さっくー、もっと寄って! 君も画角に入らないと、視聴者が満足しないでしょ!」


 朱音は手慣れた手つきでジンバルを起動し、スマートフォンを僕の方へ向けた。


「朱音さん、ちょっと、やめてください。まだ村に入ったばかりなんですから」


「何言ってるの、到着の瞬間が一番の見どころじゃん。ほら、もっと"不気味な村に来て震えてる男子大学生"感を出して! リアリティ大事だよ!」


「騒ぎすぎですよ。ここには普通に生活している人がいるんです。迷惑になりますから、撮影はせめて許可を取ってから……」


 諌める僕の声など、朱音の耳には届かない。彼女はレンズを広角に切り替え、まるで舞台の上を踊るようにして、独り言のような実況を続けながら歩き出した。


「お、あそこの畑に誰かいるじゃん。さっそくインタビュー行っちゃう? 『最近、神隠しに遭った女の子のこと、知ってますかー?』って!」


 朱音の視線の先、一段下がった畑の中に、麦わら帽子を被った人影が屈み込んでいるのが見えた。


 彼女が突撃しようと一歩踏み出した、その時だ。



「——おいおい。そこの二人組。観光かい?」



 背後から響いたのは、石を擦り合わせたような、低く重い声だった。

 

 反射的に振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。


 年齢は五十代から六十代といったところだろうか。日焼けして深く刻まれた皺と、使い込まれた作業着。しかし、その身体つきは岩のように頑強で、こちらを見据える眼光には、都市生活者にはない鋭い"野生"が宿っている。


「いきなり村の中で大騒ぎするもんじゃない。みんな驚くだろうが。……それ、しまえよ」


 男の言葉には、拒絶に近い圧があった。


 朱音は流石に気圧されたようで、引き攣った笑いを浮かべながらスマートフォンを懐に隠した。


「あ、あはは……。すみません、あんまり景色が綺麗だったんで、ついテンション上がっちゃって」


「景色、ねえ。こんな何もない村のどこに、撮るもんがあるんだか」


 男は鼻を鳴らし、僕たちを値踏みするように見つめた。

 

「俺は、この村に住んでる稿坂(こうさか)ってモンだ。……で、あんたたちは?」


「あの、私たちは——」


 朱音が身を乗り出し、口を開こうとした。


 彼女の性格だ。「実は、ここで行方不明になった女の子を探しに来たんです。神隠しの噂って本当ですか?」と、直球を投げ込もうとしているのが目に見えて分かった。


(……それはマズい)


 こんな閉鎖的な村で、いきなり"神隠し"などという不穏な単語を出せば、即座に追い出されるか、あるいは徹底的に警戒される。


 僕は反射的に、朱音の口を手で力一杯塞いだ。


「んー! んぐぅ!?(ちょっと、さっくー、なにするのさ!)」


 朱音が僕の手を剥がそうと暴れるが、僕はそれを無視して、稿坂に向かってぎこちない笑みを浮かべた。


「……すみません、この人、ちょっと興奮しやすくて。僕たちは、その……大学のサークルで、地方の伝承や風景を記録して回っているんです」


 僕は囁くような声で朱音の耳元に言った。

 

「素直に言って、警戒されたら意味ないでしょ……! 調べるなら、まずは懐に入らないと」


 朱音は不満そうに目を剥いたが、ようやく状況を察したのか、大人しく頷いた。僕が手を離すと、彼女は「……ぷはっ! ちょっと、いきなり口塞がないでよ!」と小声で毒づいたが、なんとか騒ぎは収まった。


 稿坂は、僕たちのそんなやり取りを、あきれたような、あるいは憐れむような目で見つめていた。


 やがて彼は、深く長いため息を吐くと、背負っていた籠を地面に置いた。


「……まあいいや。若い奴らが、こんな山奥までわざわざきたんだ。疲れたろ」


 稿坂は、顎で村の奥にある一軒の民家を指し示した。

 他の家々よりも一段高い場所に建つ、古風だが手入れの行き届いた立派な家だ。


「茶の一杯くらいは出してやる。……変な邪推をされるのも寝覚めが悪いしな。話があるなら、うちに来い。話しながら歩けるほど、この村の道は平坦じゃないからな」


 意外な招待だった。

 

「……いいんですか?」


「断るならそれでもいい。……だが、後から休みたくなっても、街場とは違って、喫茶店の一つすら、この村には無いからな」


 稿坂はそれだけ言うと、僕たちの返事も待たずに、無骨な足取りで歩き出した。

 

「……どうする、さっくー? 罠かな? 監禁されて、そのまま神隠しルート?」


 朱音が不安と期待が半々に混じった声で囁く。

 僕はもう一度、村の景色を見渡した。

 

 霧の向こう側。

 稿坂が歩いていく先にある、あの家。


 やっぱり、懐かしい。しかし、その正体には、どう足掻いても辿り着けそうにない。

 

「……行きましょう。何か分かるかもしれません」


 僕は自分の指先をギュッと握りしめた。僅かに感じた不安を、誤魔化すように。


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