第7話 解決
四月六日 木曜日、午後一時。
私達は再び『ズーコート新宿』へやってきた。
鷹岡はズカズカとエントランスに入ると、部屋番号を押してインターホンを鳴らす。
「はい。どなたですか?」
桜子さんが応対する。鷹岡が言う。
「昨日伺った警察の者ですが」
だからあなた警察じゃないだろ! とのツッコミは鷹岡には聞こえない。
「……はい。今開けます」
一瞬の間があった。昨日の失礼な対応を思い出したのだろう。それでも招いてくれたのは、滝上さんについて何か新事実が判明したと思ったからなのか。
私は鷹岡とエレベーターに乗り、五〇二号室の前までやってきた。鷹岡がインターホンを鳴らす。
「はい」
ガチャっと出てきた桜子さんは、フリルの付いた服にロングスカートを履いている。部屋からは芳しい匂いがしてきたが、昨日とは違う匂いのような気がした。
「どうぞ」
今日は部屋の中に招き入れてくれた。桜子さんの部屋はキレイで掃除が行き届いているように思えた。私の部屋なんて散らかり放題で、掃除なんて一ヶ月に一度すれば良い方だ。ほとんど資料室に寝泊まりしているので、部屋の埃などさほど気にならない。
きちんと閉められた扉のおかげで寝室やら脱衣所やらお手洗いは見ることができなかった。
廊下の突き当りにあるダイニングに案内された私達は、椅子に腰掛ける。
紅茶を出されたあと、鷹岡が話す。
「実は、滝上の死の真相が分かった」
「え?」
桜子さんは驚きの表情をみせる。当然だ。私だって驚いている。一体犯人は誰なのだろうか。
鷹岡は「あくまで俺の推測も含まれているが」と前置きして推理を披露した。
「滝上はここの隣に引っ越してから、あなたと会う内に恋に落ちたのだろう」
「はい、私も同じです。だから、私から誘いました。ほぼ事実婚状態にまで発展しました」
滝上さんと桜子さんは両想いだったのか。
鷹岡は続ける。
「あなたは滝上と体の関係を持つ内に闇金での借金について話した」
「はい。滝上さんが警察官だというのを聞いていたので、相談に乗って貰おうと思って」
「滝上は、なんとかしてあげようと思った。そこで自分に保険金を掛けてその受取人を桜子さんにしたんだ。だが自殺では保険金は支払われない。そこで、滝上さんは漆黒の太陽に自分を殺させようとした」
私は驚愕し、疑問が口をつく。
「だから滝上さんは潜入捜査を自ら志願したんですか?」
「ああ。それに、捜査一課の捜査中に漆黒の太陽のメンバーに目撃されたのもワザとだろうな。裏切ったと思わせて殺させるために」
「そんな……」
「しかし、誤算があった。漆黒の太陽は二重スパイを提案してきたんだ。おそらく滝上はこれを承諾した。嘘の情報を流して、バレりゃ殺される。で、実際にバレてしまったが殺されなかった。なぜなら、漆黒の太陽は滝上に裏切られたと知った直後に海外に逃げていたからだ」
桜子さんは鷹岡を見つめながら話を聞いている。
「海外に逃亡したことなど知らない滝上は、さらなる計画を思いついた。自ら死を選び、それを他殺に見せかけること」
桜子さんは目を丸くして尋ねる。
「それって……」
「そうだ。滝上さんは自殺だったんだよ」
私は鷹岡に問う。
「どうやって自殺したんですか? 滝上さんは背中を刺されていたんですよ?」
「まず、地下道の壁にナイフの柄を押し当て、刃を背中にくっつけて固定する。腰のあたりなら手が届くからこれが可能だ。そして、背中を思いっきり壁に押し当てればナイフを自らの背中に刺すことができる。死体が東を頭にして倒れていたのがその証拠だ。歩いていて刺されたんなら死体は南か北を頭にして倒れていただろうからな」
「でも、ナイフに指紋はありませんでしたよ」
「白手袋を使ったんだろう。その証拠に、手袋は雑にポケットに仕舞われている」
「他の仲間が殺したかもしれないじゃないですか」
「滝上は左利きだ。白手袋の左が汚れていた。それに犯行に使われたナイフは左利き用。内田が入室記録を書いたのは右手、芝山は右にお茶が置いてあった。田中は腕組みをしたときどっちが上にきてた?」
「右ですけど」
「なら、田中も右利きだ。だから仲間の犯行とは考えづらい」
滝上さんは自殺だったのか。私はメモを取りながら質問した。
「なぜそこまでして桜子さんを助けようと思ったんですか?」
「それほど愛していたんだろう。滝上は愛する人のために命を落とす決断をしたんだ」
ここまで聞いていた桜子さんは、わっと泣き出し膝から崩れ落ちた。私は桜子さんの背中をさすりながら複雑な心境になった。愛する人のために命を落とす。恋愛経験などほとんどない私には、とんと理解できない。
*
その帰り道は夕方になっていた。私はつぶやく。
「愛する人が自殺なんて耐えられませんね」
「まさか今のが真実だと思ってんのか?」
鷹岡が蔑むような目で私を見る。
「え? 違うんですか?」
「言ったろ、俺の推測も含んでいるって。自殺した確たる証拠なんて無い」
何を言ってるんだこの人。
「もう一つ可能性がある。桜子が保険金目当てで殺害した可能性だ」
そんなバカな。
「だって、頭が東に向いているのが証拠だって……」
「あんなもの、どうとでも偽装できる」
「手袋が雑にポケットに突っ込まれていたのは……」
「あれも桜子が突っ込んだかもしれないだろ」
それでも食い下がってみる。
「じゃ、じゃあ自ら潜入捜査を志願したのは? 捜査中を漆黒の太陽のメンバーに見られたのは?」
「そりゃ刑事なら一度は潜入捜査してみたいだろう。漆黒の太陽のメンバーに見られたのだって偶然かもしれない。真実なんて当事者にしか分かんねーよ」
「き……利き手は? 桜子さんは右利きの可能性がありますよね」
「桜子も左利きだ。気付かなかったか? ティーカップの取っ手が左になった状態で出された。左利きの癖だ」
私は目眩がした。なら、桜子さんの犯行かもしれない。滝上さんの自殺か桜子さんの犯行か、どちらが真実なのか。
私が考え込んでいると、鷹岡がいきなり立ち止まり、私を見つめてきた。
「それよりお前、俺を見て何も気づかないのか?」
は? いきなり何言ってんだ?
そう思っていると、鷹岡がいきなり壁ドンしてきた。
****
四月七日 金曜日、午前十時。
高所は素敵だ、と思う。
雨が降る今日のような天気には、窓の外に立ち並ぶ高層ビル郡はわずかに霞がかっていて幻想的だ。権力者から見れば残念な天気なのだろうが、普段から地下に籠もっている私にとっては、雨の日の眺望も悪くはない。
警視庁十八階、警視総監室。私は田邉警視総監に報告書を提出した。静寂に支配されたこの空間には、若干の緊張感が漂っている。
黙々と報告書に目を通していた田邉警視総監は、報告書を机に置くと静寂を破る。
「なかなか良く出来ているね」
「ありがとうございます」
「私の予想以上の出来だよ。この短期間で解決するとは」
「いえ。鷹岡さんのおかげです」
やけに褒め称える田邉警視総監に謙遜してみせる。実際、解決したのはほとんど鷹岡のおかげであることは事実だ。
「そんなことはないよ。君なら鷹岡君がいなくても近々解決できると思っていた」
よくもまあいけしゃあしゃあと。私をべた褒めする田邉警視総監の心の内が読めない。
「しかし、滝上君の最後はとても悲しいものだったね、まさか自殺とは。だが仲間の犯行ではなかったことは良かった」
どちらが真実か分からなかったので、自殺の線で報告書を書いた。
田邉警視総監は、机から一枚の紙を取り出す。
「君にはご褒美をあげなくてはいけないね」
そう言いながら、紙を私に手渡す。
紙には、『辞令』と書かれていた。新たに創設される秘密捜査課に異動を命じる辞令書だった。
「秘密……捜査課……ですか?」
「その通りだ」
私は辞令書を田邉警視総監に突き返す。
「無理です。私には資料課が合っていますので」
「お願いだ。この秘密捜査課の創設は私の念願だったんだ。どうか君に入って欲しい」
田邉警視総監は頭を下げる。卑怯だ。しかも、頭の角度は以前と比べ物にならないほど低かった。これでは断われるわけがない。
「わ……分かりましたから頭を上げてください」
頭を上げた田邉警視総監は、ニヤニヤしている。言質を与えてしまった。もう引き返せない。
「では、早速来週から勤務してもらう。場所は……たしか十七階が空いていたね、そこで良いだろう」
わざとらしく考えるフリをしながら、場所を指定する。十七階の空いている部屋といえばここのすぐ真下だ。これは、私の地位向上と田邉警視総監の支配下に属することを意味する。
もぐら叩きゲームが得意な私にとって、地下から這い出たモグラがどうなるかよく知っている。他部署からの妬みは避けられないだろう。そんな将来の自分を想像してげんなりする。
私は再び窓の外に現実逃避した。
《了》