泣かないで
まだおぼつかない足腰を懸命に動かしながら、ラドは愛する者の傍へ向かう。目的地に到達した途端、半ば倒れるように地面に腰を下ろし、物言わぬウルの遺体を優しく抱き起こす。
素顔は寝顔に近く、死んでいると思わせないぐらい美しかった。重力に逆らって乱れた白銀の髪をそっとかき上げると、冷え切ったその頬に触れて小声で呼びかける。
「ウル………。」
当然ながら返事はない。しかし、ラドはその名前を呼ばずにはいられなかった。
「ごめん、ウル。僕は………君のことを何も分かっていなかった。分かっていた気でいただけだったんだ。絶えず優しい君のことを………何一つ………!」
ウルの頬に雫が落ちる。声を震わせて、後悔の念を唱え続ける。最初にウルから能力の紹介をしてもらった時に、彼女が事実を話さなかったのは、きっと心配をかけまいとする気持ちが心の中にあったに他ならなかった。いや、本当は真実を全て打ち明けたかったのでは………とも思う。
嗚咽を漏らし、顔面がくしゃくしゃになっても止まない、感謝と謝罪の入り混じった涙の雨。悲壮の嘆きに犠牲の力が無意識に働いたのか、神様が祈りを聞き届けてくれたのかは定かではないが、奇跡が起こった。
「………ラド?」
「ウルッ!?」
突如ラドの名を呼び、ウルは目を覚ました。半分だけ瞼を開けて覗かせた、曇りの無い紅色の瞳がラドの顔を静かに見つめる。
「私は………確か、大司祭と戦ってて………。」
「ウルッ!!」
もう二度と声を聞くことは叶わないと思っていたラドは、嬉しさのあまり全力でウルを抱きしめた。
「ラド、どうしたの?」
「何でも………ないんだ。何でも………!」
「変なラド。でも、心配してくれてありがとう。」
「ウル、僕は君に謝らなくちゃいけない。僕は、君のことを何でも分かっている気になっていたんだ。いつだって、独り善がりで………分かってる気になってた………!」
「そんなことない………。」
「あるんだよ!だってウルの能力の事………僕は全然………!!」
「ごめんね。」
「何で謝るんだよっ………!!」
「私が言わなかったから、結果としてラドを苦しめてしまった………。だから、ごめんね。」
「いいんだ………!僕こそ、怒鳴ったりしてごめん………。」
しばしの沈黙。ラドは顔を背けるが、すぐにまた正面にウルの顔を捉え、見つめ直す。
「ウル………僕さ、凄く嬉しかったんだ。七年前、君が家に戻らなくなったあの日から、僕は毎日を死んだように生きていた。だから、セントラルホームで君に再会した時、僕は本当に嬉しかった。たとえ外面が変わってしまっていても、君が生きていてくれたことが………。」
「ラド………。」
「再び出会い接していく度に、外面が変わっていたっていうのは僕の勘違いだと気付いた。ウルはあの時と何一つ変わらない、優しいままだった。だから僕は、そんな君に惹かれて………また好きになった。」
「ラドだって、何も変わってないよ?ラドも、あの頃のまま。」
「ありがとう。思い返せば、語り尽くせない程の物語があったね。一緒に色々な事を経験して、笑ったり、悲しんだり、喜んだり、驚いたり………。僕にとってそれらは、かけがえのない大切な思い出。」
ラドは感情の赴くまま、思いの丈を包み隠さず全て打ち明ける。
「………やっぱりラドは優しいね。そう、優し過ぎるから私も悩んだんだ。」
「どう言うことだい?」
「私、本当はね、ラドと再会してなかったら、全てを捨ててでもお父さんの意志を継いで、目的を達成する為に阿修羅になるつもりだった。もともと消えたはずの命を、ウンブラの書………ううん、神様の計らいで生き長らえさせてもらったに過ぎなかったから。だから、氣の力を行使することにも躊躇いはなかったし、他にどんな犠牲を払ってでも、イヴァムの蛮行を阻止する覚悟だった。………でもね、結果は知っての通り出来なかった。」
ウルの目尻に悲哀の大波が押し寄せる。その波は止めどなく滝のように流れては、美しい軌跡を描いて地面へ落ちた。
「私が………生きたいって思ったから………!一人の人間として普通に生きて、普通に死ぬ。決して望んではいけない、そんな当たり前の一生を過ごしたいって思ったから………!!」
書の力を求めるイヴァムの手で理不尽に殺され、一生を終えたウル。仮に他の人間が同じ立場に置かれた場合でも、ウルのように普通に生きたいと願っていたであろう。何らおかしいことではなかった。
ラドは触れていたウルの右手を強く握り締め、力の限り喉を震わせて主張する。
「そんなはずがあるか!!生きたいって思うことが間違いのはずがない、間違いのはずがあるか!!いいんだよ………!いいんだよウル!!君は、生きていたいって願ってもいいんだ!!!」
「うんッ………!」
ウルの涙は止まらない。溢れては頬を伝い、地面に跡を作る。七年間に渡って正義の為に戦い続けた少女の枷が、ようやく解き放たれた瞬間だった。ひとしきりにウルが涙を流した後、ラドは握っていたウルの右手を離そうとするが、その上からウルの左手が覆い被さる。一体どうしたのかと、ウルの顔を見やると―――――
ウルが、微笑んでいた。
再会してから初めて見せた彼女の笑みに、ラドは心から喜びたかった。しかし、彼女が笑うということが何を意味するのかを知ってしまった今、ただただ胸が痛むばかりだった。ウルに代わって、今度はラドが涙を流す。神様が与えてくれた幸せの時間は、終わりを迎えようとしていた。
「ふふっ、また泣いてる。」
ウルは笑みをこぼし、ラドへ慈愛の眼差しを向ける。
「駄目だよウル。まだ君は、生きなくちゃならないんだ………!その資格も権利も君には―――――」
「それは許されない。死があるから生が存在するように、どんな生物にも始まりと終わりがあるんだから………。私だけを特別扱いするのは絶対駄目。」
「でもっ!これじゃああんまりじゃないか………!どうして、こんな!!」
「いいの。私は、もう十分過ぎるくらい愉しい時間をもらったから。ラド、ジン、セリス………。皆が私に、かけがえのない、大切な時間を。」
頭では理解出来ているが、どうしても覚悟が決まらなかった。ウルの決断を認めるという事は、彼女は死んだと認めるも同義だったからだ。全身を震わせ、己の我が儘を抑えようと抗うが、やはり失いたくない想いが上回る。
「ラドは泣き虫さん、だね。」
「ああ………!前にもいっただろう?僕は泣き虫なんだ。すぐ………っ、泣く!でも、僕が泣いてウルの命が助かるのなら、僕は………その度に何度でも泣くさ………!」
「ありがとう………ラド。」
もはや言葉は不要だった。最後のその時が訪れるまで、互いに熱い口づけを交わした。狂ったように、何度も、何度も。呆れる程に繰り返したその後、ウルはゆっくりと瞳を閉じて、安らかな眠りについた。
「おやすみ、ウル………。うっ………!うああああぁぁぁ………!!!」
ラドは、何度も拳を床に叩きつけて号泣した。後に駆けつけたジン、セリスに名を呼ばれようとも、一心不乱に泣き続けた。天命を全うした彼女に捧げるべく、己の涙が枯れ果てるまで………。
ウルリリカ・エーテルハート。十七年の命を全うし、ここに死す――――――――




