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踊らない人形<下>

大司祭からの特命を終え、セントラルホームに帰還してから数日後、リオンはエミィの頼みを聞いて西区にあるペルサ湖へとやって来た。街の中とは到底思えない程に巨大なことから、湖と名付けられた市民達の憩いの場である。

ペルサ湖はエミィのお気に入りの場所であり、以前にも訪れたことがあったが、エミィの体力も考えてそう易々と来られる場所ではなかった。


「兄様、見て下さい。お魚が泳いでいます。」


波紋を指差して笑うエミィの姿に、リオンの心は癒される。


「もう少し近くに寄って見るか。」


車椅子を押して水辺まで寄る。美しく澄んだ水面が、リオンとエミィの顔をくっきりと映し出していた。


「いつ来ても、ここは綺麗ですね………。心が洗われる気がします。」


「ああ、そうだな。エミィ、そろそろお昼にしようか。」


「はい、兄様。」


付近に植えられていた樹木の辺りにシートを広げ、エミィを車椅子からゆっくり降ろす。そして、少し大きめのポーチに入れてきた、お昼ご飯のサンドイッチを取り出して、エミィの口元に運ぶ。


「あ、あの………兄様。」


「どうした?」


「ただでさえ恥ずかしいのに、外だと余計に………。自分で食べます。」


「だが、手は大丈夫なのか?こぼさず食べられるか?」


「もう兄様、子供扱いし過ぎです。」


エミィは頬を膨らませてそっぽを向く。


「すまない、過保護だったな。だが無理はするなよ?」


「はい、いざとなったら兄様を頼りにさせてもらいますから。」


リオンからサンドイッチを受け取ると、ゆっくりと落とさないように口元まで近付けて、端にかぶりついた。


「おいしいです!兄様は料理も上手で、本当に凄いです。」


やや危なげではあったが、何とか一人で食べられそうな様子だったので、安心したリオンも自らの空腹を満たし始める。そして二人は、楽しく談笑しながら、時間を掛けて昼食を満喫した。


「ご馳走様でした。………少し、眠たくなってきましたね。」


口を押さえて小さな欠伸をするエミィに、リオンは笑みを浮かべる。


「寝ても良いぞ?一時間後ぐらいに起こしてやるから。」


「ありがとうございます、兄様。では少しだけ………。」


疲れていたのか、エミィは五分も経たないうちに眠りについた。エミィの体力はそれほど多くないが故に、普段は南区限定と活動範囲を定めている。なので、西区の中心部辺りまで来たとなれば、エミィにとってはかなりの大移動だった。


「兄様………。」


いつものようにうわごとを呟いて、ぐっすりと眠るエミィを眺めつつ、リオンも身体を伸ばして横になる。すると、日頃の疲れが溜まっているのか、強烈な睡魔に襲われる。抗おうとしたが諦めて身を委ね、深い眠りにつく。




―――――誰かが自らを呼ぶ声が聞こえる。現実と夢の境界で、リオンはその声をひろった。


「兄様、兄様。」


呼んでいるのはエミィだった。優しさを含んだ愛らしい声色で、兄を起こそうと鈍い手を動かして揺すっている。やがてリオンの意識が完全に戻ると、目の前にはエミィの朗らかな笑顔があった。


「エミィ………?」


「ふふっ、兄様も疲れてらしたんですね。もう夕方ですよ。」


一時間後に起こしてやると宣言していた本人が熟睡してしまっていた。リオンは慌てて身体を起こし、エミィに頭を下げる。


「すまないエミィ。少しだけと思って油断していた。」


「いえ、元々は私の我が儘(わがまま)で兄様に付き添っていただいてるのですから、謝らないで下さい。」


「そうは言ってもな。………そうだ、ちょっと待っててくれ。」


飛び跳ねる格好で立ち上がったリオンは、丁度付近を通りかかった菓子の屋台を呼び止めて、小走りで向かう。店主の大男は、リオンの制服が聖騎隊のものであるのを知っていたのか、深々と頭を下げた。


「急に呼び止めてすまないな。」


「いえ、とんでもございません。何をお求めでしょうか?」


「そうだな………軽く空腹感をごまかせるぐらいの菓子がないか?」


「それでしたら、これを。」


そう言って店主が取り出したのは、棒状のキャンディー。職業柄、周囲を良く観察しているのか、リオンが食べるのではないと理解しているらしく、差し出されたキャンディーは、女の子向けに装飾がなされていた。


「なるほど、キャンディーか。ではそれをもらおう。いくらだ?」


「まさか、お代は要りませんよ。妹さんですか?大切になさって下さいね。」


「………店主、感謝する。」


店主の厚意を素直に受け取ってエミィの元へ戻り、お詫びの品であるキャンディーを、エミィの手にそっと持たせる。


「エミィ、帰ろうか。」


「はい、兄様。」


二人のやり取りを遠くから見つめていた店主に軽く頭を下げ、夕焼けに染まる美しいけや木通りを、仲睦まじく帰路に着いた。


南区まで戻る頃には日が暮れて、辺りはすっかり暗くなっていた。規則正しく設置された街頭を頼りに、車椅子が段差や石ころに引っ掛からないように注意しつつ、ゆっくりと押し歩く。

それから数分。対向から、見知った人物が歩いて来るのが分かった。その姿が街灯に照らし出されると、リオンは思わず声が出た。


「………リィズ嬢?」


「えっ?」


名前を呼ばれてハッとしたリィズは、リオンの顔を見て歓喜の表情を露わにした。


「リオンさん!!」


「お久しぶりです、リィズ嬢。ここにおられるという事は、そういう事だと勝手に解釈させてもらいますよ。」


リィズは丁寧な会釈をもって、リオンの問いに返答する。


「まさかこんなにも早く再会出来るとは、思ってもみませんでした。」


「私もです。………どうやら、今日到着されたばかりのようですね。」


私服だったのと、街の地図を片手に視線を泳がせていた為に、予想するのは容易であった。そんな二人の会話に入りずらそうにしていたエミィが、おずおずと口を開く。


「あの、兄様。こちらの方は………?」


「ああ、そう言えばエミィにはまだ話していなかったな。すまない。」


リオンの謝罪と同時に、リィズはエミィの傍に寄ってしゃがみ、目線を合わせる。初対面のほとんどの人間が、同情や憐れみの目でエミィを見るが、リィズの瞳にそれらは含まれてはいなかった。自身の眼光が曇っていなかったことに安堵したリオンは、成り行きを見守る。


「初めまして。私はリィズ・サーバティと言います。貴方がエミィさんですね?」


「は、はい!エミィ・マークウェルです。兄様がお世話になっております。」


「いいえ、私の方がお世話になっています。この度は、聖典教会リベル・サーンクトゥス入団へのお誘いを受けてここに来ましたから。」


エミィは両手を合わせてにっこりと微笑む。兄に関連する事なので、一段と嬉しい様子であった。


「まぁ、そうなんですか?ふふふ、何だか私も嬉しいです。」


「そう言ってもらえて何よりです。リオンさんのお話に聞いていた通り、仲がよろしいんですね。」


「自分で言うのもなんですが、とっても仲が良いんですよ。」


「自信を持ってそう言えるのは、羨ましい限りです。やはりリオンさんは、素晴らしいお兄さんのようですね。」


「あの、リィズ嬢。その………むず痒いのでその辺で。」


「あっ、す、すみません!!」


深入りし過ぎたと察したのか、リィズは慌てて立ち上がっては頭を下げる。


「リィズさん、謝らないで下さい。もう、兄様?」


「………今のは俺が悪いのか?まあいいか。それよりリィズ嬢、今後のご予定は?」


「面接は明日で、結果は一週間後らしいです。なので、しばらくの間は付近の宿泊施設で滞在させてもらう形になります。」


「そうですか。リィズ嬢であれば何も問題なく合格出来るはずですので、落ち着いて試験に臨んで下さい。」


「はい。………実は言うと、先程までは緊張していたんです。ですが、お二人のおかげでその緊張もだいぶん解れました。」


にこりと微笑むリィズに、エミィも微笑み返す。


「お役に立てたようで幸いです。私も、リィズさんの合格を心から願っています。」


「ありがとうございます、エミィさん。そろそろ宿に戻らなければならないので、これにて失礼します。」


リィズは再度優雅な会釈を行って、奥の小道路へと姿を消した。そのやる気に満ちた背中を見送った後、リオンとエミィも家へと向かう。


「とても、お優しい方でしたね。」


「ああ、だからこそお誘いしたのさ。ああいう人材が、聖典教会リベル・サーンクトゥスには必要だ。」


リオンの決意を含んだ声色に、エミィは誇らしげだった。深呼吸の為一拍おいてからエミィは口を開く。


「兄様、帰ったら人形作りの続きをしても構いませんか?」


「勿論良いが………急にどうしたんだ?」


「あの方のように、私も頑張らないと………って思ったんです。何事も挑戦しないことには分かりませんから。ね、兄様?」


「ああ、そうだな。」


リオンはふっと笑みをこぼす。短時間ではあったが、リィズとの出会いはエミィにとって良い影響をもたらしたようであった。


「………兄様?」


「何でもない。さあ、帰ろうかエミィ。今日は兄ちゃんが腕によりをかけて美味しいもの作ってやるぞ。」


「本当ですか!?ふふっ、楽しみです。早く帰りましょう、兄様。」

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