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新たな芽

「見えない人間?」


東区のとあるカフェのカウンターで朝食を摂っていたラドは、店のマスターの話を聞き違えたのかと思い、再度聞き返した。


「そう、見えない人間。ここ最近うちに来るお客さんの中で話題になっているんだよ。ラドは知らないかい?」


「いえ全く。詳しく聞かせてもらえませんか?」


マスターはラドの使用しているコップにミルクを足しながら話を続ける。


「セントラルホームの外にラピス山岳ってあるだろう?そこにある人気スポット、セントラルホームを一望出来る崖の付近に、四人組の観光客が行ったらしいんだがね………。」


マスターは言葉を詰まらせる。口にしたくないような事件が起きたのだろうか。


「その観光客の一人が、登山途中に突然消えたそうだ。残りの三人は、遊びか何かかと思ってそれ程気に留めなかったそうだが、どれだけ呼んでも返事がないことに異常を感じた三人は、いなくなった一人を探し始めた。」


まるでホラーでも聞かされているかのような凄みのある声色に、ラドの背筋は凍りつく。


「捜す事数十分、ようやく消えた一人の姿を見つける事が出来たんだけど、何とその体は真っ二つになっていたんだとか………。」


「ど、どうしてそれが見えない人間と関係が?」


「三人が見ている目の前で、死亡した一人の遺体が突然宙に浮いたそうだ。その直後、女性と思しき声が聞こえたんだとか。」


「女性の声………ですか。それで、その声の主は何と?」


「さあね。恐怖あまり皆脱兎の如く逃げてしまったそうだから、ハッキリとは聞いていないらしい。」


確かに仲間の死を目前にすれば、まともな人間なら冷静でいられるはずがない。ラドはその事象をウルやセリス、ジンに置き換えて考えていると、胸が苦しくなった。


「その一件を皮切りに、興味本位で訪れた人達が次々に被害に遭っているようでね。これ以上規模が拡大することを懸念したのか、先日ついに聖典教会リベル・サーンクトゥスの人間が現地に派遣されたそうだよ。」


いくら同じ聖典教会リベル・サーンクトゥス関係の話とはいっても、組織としての規模が膨大過ぎるが故に、一介の部門員は自身の部門内の状況把握だけで手一杯なのが現状だった。ラドもその例に漏れず、そんな話は耳にしたことがなかった。


「………結果は?」


マスターは首を横に振った。分からずじまいと言う事らしい。


「まあ何はともあれ、詳細が鮮明になるまでは、あの周辺には近づかない方が良いだろうね。………っとすまないねラド。朝から変な話を聞かせてしまって。」


「いえ、興味深いお話でした。お気になさらないで下さい。」


それでもと、お詫びに少しサービスしてくれたマスターにお礼を言いつつ、ラドはこの件を仲間に相談しようと思い、記憶に留めておくことにした。そして店を出てから汽車を乗り継ぎして、いつものように修練場へ向かう。中に入ると、珍しく今日は先客がその腕を振るっていた。

二十~二十五歳ぐらいの男性で、整えられた水色の髪に、温厚な性格だと思わせる、少し垂れた目が特徴的な青年だった。先程から疲れを見せることなく、絶えず全身を動かして訓練に励んでいる。

青年はじっと入口で見つめるラドの視線に気付いたのか、ゆっくりと振り返って爽やかに笑った。ラドは青年の近くに寄る。


「お疲れ様です。自主訓練ですか?」


「うん、そんなところ………かな?初めて見る顔だね、君は?」


「失礼しました。自分は配給部門所属のラドクリフです。」


「初めましてラドクリフ。私はゴーシュ。断罪部門員の人間だ。」


爽やかな笑顔を保ちつつ、握手を求めるゴーシュに応えて、ラドはその手を取って握った。


「よくここには来られるんですか?」


「いいや、それ程利用はしないよ。時間の余った時に、こうして数分だけ身体を動かしてるだけさ。」


今まで気付かなかったが、ゴーシュの付近の床には糸屑のような物が散乱していた。ただ単に身体を動かしていただけではないのかも知れない。


「私からも質問いいかな?何故ラドクリフは、配給部門員にも関わらずここで訓練を?」


尤もな疑問だった。聖典教会リベル・サーンクトゥスで刑事を取り扱う部門は数少なく、ましてや配給部門など、戦闘とは全くの無縁である。


「大切な守りたい人がいるんです。自分は、いつもその人に助けられてばかりで………。だからそんな弱い自分を変えて、いつかその人を守ってあげられるようになる為に、毎日ここで訓練しているんです。」


初対面の人間にそこまで話すつもりではなかったが、真摯に耳を傾けて聞いてくれるゴーシュの姿を見ていると、自然と口が動いていた。


「そうか、良い心がけだね。ラドクリフの内に秘めたその想いが、いつかその人に届くといいね。」


「ありがとうございます。」


「っと、もうこんな時間か。すまないが、私はこれで失礼させてもらうよ。また時間があった時に話をしよう、ラドクリフ。」


「はい、また。」


お互いに軽く手を振って別れの挨拶とし、ゴーシュが修練場を出るのを確認した後、ラドは意識を集中させて修練に打ち込んだ。それから数十分ほどして、珍しくジンが入口から顔を覗かせた。


「やってるね。おはよう(グーテンモルゲン)、ラド。」


「ジンさん?珍しいですね。」


ラドは訓練を中断して、用意しておいたタオルで身体の汗を拭く。その間にジンはラドの元へ歩み寄る。


「たまには僕も朝練ってやつをしようと思ってね。一つ組手に付き合ってくれないかな?」


「ええ、勿論です。………あ、でも加減して下さいね。」


「分かってるさ。それじゃあラドの準備が良ければ始めようか。」


ジンは愛用のマフラーを壁にかけてから定位置で構える。水のように透き通ったその気配は、一点の隙もない。ジンの力量は重々承知しているが、ラドはその力を、直接自身の肌で実感してみたいと前々から思っていた。


床がぎしりと低い音を立てたのを合図に、ラドは床を蹴ってジンに詰め寄った。早速牽制を打ち込むも、ジンは凄まじい速度で必要以上に距離を取る。ラチア鉱山でエティーラと対峙した時にも感じたが、ジンの常人を遥かに超えた、その恐るべき身体能力には改めて驚かされた。

一瞬の間の後、ジンはウルよりも速くラドの懐に潜り込んでは、顔をめがけて浅めの拳を放ってくる。

ぎりぎりのところで海老反りになって何とか避け、すかさず膝蹴りで応戦する。

しかし、そんな甘い攻撃を受けるほどジンは弱くない。手で払うように受け流して、がら空きになったラドの懐に次の拳を加える。

最初の一撃ですらぎりぎりだったのに、隙だらけの今攻撃されては、当然防御は間に合わない。

なればこそ、反撃に打って出るしかないと判断し、防御行動を取らなかった。

ジンはそんなラドの考えを読んだのか、警戒したのかは分からないが、攻撃を当てる直前に拳を引っ込めて、再度十分過ぎる距離を取った。


「何か狙ってたね。」


ジンの質問に、ラドは口元を緩ませて応えた。

じりじりと距離を詰めるジンに対して、何か対策はないものかと考えている合間に、突如加速をつけたジンが、あっという間にラドの背後へと回り込んだ。

加減。組手前に交わした言葉の通り、ジンは速度を抑えていただけに過ぎなかった。

先日戦った少年、サィカでさえ遅く見えるほどの電光石火を捉えきれず、ジンの拳を背中に受けたラドは、もんどりを打って滑り込むかのように転がった。


「うっ、く………!」


これでもまだ手加減しているのだろうが、差は歴然だった。雲の上の存在である事を理解してはいたが、やはり負けると悔しさが心に残った。


「すまないラド。少しやり過ぎてしまった。」


ジンが差し伸べてくれた手を取って立ち上がって埃を払う。


「分かってはいましたけど、やっぱり僕じゃジンさんの相手は務まりませんね。」


「そんな事はないよ。特に予測の出来ない動きをするラドはね。」


「そうなんですか………?」


「ああ。人によって戦術は千差万別だろう?対峙した相手全員が、AをしたらBで返すとは限らない。Cをしたり、もしかしたらDをする場合だってある。だから、こうして色々な人間と戦って五感を養うのさ。」


戦い慣れているだけあって、とても理にかなった説明だった。確かに様々な行動やパターンを覚えれば、実際に遭遇した際の対処も楽になる。


模造品ダミー相手に練習するより、思考を持った人間と戦った方がより早く覚えられる。」


「なるほど………。ジンさん、もう一度お願い出来ますか?」


ラドの闘志が再燃したのを感じ取ったジンは、首を縦に振って定位置についた。それから配給部門の始業開始時間ぎりぎりまで、ジンに付き合ってもらうことにした。



………もう何度打ちのめされただろう。力尽きて動けなくなったラドは、呼吸を乱して床に倒れていた。

加減してくれているとはいえ、やはり女性と男性の力の差は大きい。ウルと組手を行っていた時とは段違いの痛みに、息をするのも辛い。反面ジンは、何故か涼しい表情のままであり、息一つの乱れもない。


「ど、どうして………ジンさんは、疲れないん………ですか?」


「うん?ええっと、修行の賜物………かな?」


どこか嘘が混じった様子だったが、追求するのも気が引けるのでこれ以上は続けない。ラドは大きく深呼吸をして息を整えた後、『見えない人間』の件についてジンの意見を聞こうと思い話をした。

粗方話を聞き終えたジンは、口元に手を当てて何かを考え、それを口にする。


「もしかして、能力リボルトじゃないのかい?」


「ですよね………。僕も、何となくそんな気がしてたんです。それで提案なんですが、僕達執行で確かめに行きませんか?」


イヴァムの所在や目的を、ナーゲル一人に任せきりにしていたのがどうにも心残りだったラドは、自らも何か行動を起こそうと考えていたところ、この話が転がってきたのだった。

ジンもそれに共感していたようで、珍しくすぐ頷いてくれた。


「そうだね。それじゃあ大司祭様に、この件について話を通そうか。」


ジンは壁に掛けていたマフラーを身にまとって、美しく靡かせた。

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