刹那の攻防
聖火祭が終了してから数日後の昼下がり、小教会へ配給食を届け終えたラドは、中央区のセンター街を歩いていた。祭り一色だったこの場所も、少し前までの出来事が嘘のように普段通りの賑わいへと戻っていた。
そんな街の順応性に感心しつつも、とある場所へと足を運ぶ。行き先は今話題沸騰中のケーキ屋。そう、今日はウルの十八歳の誕生日だった。
始めはプレゼントをどうしようかと散々考えた末に、指輪にしようかと思ったのだが、求婚する訳でもないのに指輪を渡すのはおかしいと、その考えを取り消した。
また、人形という手も考えたが、もう少しで大人になるような女の子にそれはどうなんだろうと思い、その考えも取り消した。
それからしばらくの間悩みに悩んでいたが、ふと昔マークバーンから教わったある言葉を思い出す。
『形が残る物ならその方が良いだろう。だが、一番大事なのはそれがどんな品であれ、贈りたい相手に対しての想いがこもっているかどうかだ。』
マークバーンの言葉を頼りに、導き出した答えこそがケーキであった。早速付近のケーキ屋に赴いて吟味していた所、たまたま立ち寄った店の親切な店員が、知識のないラドに色々と教えてくれたのもあってか、意外とすんなり決まった。
そして今日がその注文品の受取日。ウルの喜ぶ姿が目に浮かんだラドの足取りは、自然と軽くなっていた。
心が浮いていたその時、突如背中に何かを突きつけられる。それはとても鋭利で、棘に似た痛みを与えてくる。十中八九、ナイフであろう事は理解出来た。
ラドは一瞬冷や汗をかいたが、周囲の人間に事態を悟られないよう平静を保つ。このような人気のある場所で交戦すれば、間違いなく周囲はパニックになり、他の人間にも危害が及んでしまうのは想像に難くない。
止めていた足を再び動かしつつ、背後にいる人間に話し掛ける。
「随分と物騒ですね。」
「そうなんだよ、物騒だろう?俺もそう思う。」
「………何が目的なんですか?」
「コレで分からない?」
少年と思しき声の持ち主は、突きつけたナイフを浅く動かして、ラドの反応を待っている。
相手がどういった人間なのかがいまいち把握出来ない今、挑発するのは得策ではないと考え、ひとまず情報収集を兼ねて流れに乗る事にした。
「殺人、ですか。」
「そうさ。つい最近能力者になってさー。いやぁ、これがまた凄く楽しいんだ。」
「能力者………。だったら何故、今その力を行使して僕を殺さないんですか?」
「確かにそうしようと思えば出来るんだけど、こんな人目のつく所でやっちゃったら、この場は逃げられてもいずれ捕まるじゃないか。」
それにさ、と少年は言葉を続ける。
「俺はただ殺すのが好きじゃないんだ。相手を完膚なきまでに痛めつけ、存分に絶望を味あわせてから殺すのが好きなんだよ。」
「だから、人目のつかない場所で殺し合いをすると………?」
少年は何も答えない。ラドは反論がないと言う事は、概ね間違っていないと受け取った。正直な話、殺人鬼の美学を語られても共感出来るはずもない。ラドの心の怒りが、静かに燃え始めていた。
「分かりました。では、打ってつけの場所を知っているので、そこで戦いましょう。」
「おおっ、乗り気?いいねえ楽しくなってきた。」
相手が思慮深い性格でないのが災いして、上手く誘導出来た。少年の声色でその心理状態を考察しながら、次の段階へと話を進める。
「それで、案内する代わりと言っては何ですが、三つほど教えていただきたい事があるんですが。」
「交換条件か、いいよ。」
「まず一つ目、あなたの能力を教えて下さい。」
さすがにこの質問には男も難色を示したらしく、突きつけられたナイフの先端が強く当たる。
「おいおいおい、さすがにそれは出来ねーな。」
「出来ませんか?別に僕は弱点を教えてくれとは頼んでいませんし、聞くつもりもありませんよ。それに今のこの状況、どう考えても僕の方が不利です。確かあなたは、完膚なきまでに痛めつけてから殺すのが好きだと言いましたね?僕の質問を拒否すると言う事は、あなたの信条を自らが否定している事になりますよ?」
ラドが言い切ってから少し間があったが、やがて少年はナイフを引っ込めて、横並びに歩き出した。
視線を向けるとラドと同い年ぐらいの少年で、垂れ目でウェーブのかかった煉瓦色の髪に、フード付きの黒ジャケット、紺色のクロップドパンツ姿をしており、とても殺人を好むような人間には見えなかった。
「そうだな、アンタの言う通りだ。こんな真似して脅したって、俺は真に満足出来ない。」
「分かってもらえたようで何よりです。では、早速教えていただけますか?」
「ああ。俺の能力は加速。常人の五倍近い速度で走れるんだ。」
五倍。その言葉に思わずラドは息を飲んだ。そんな速度で詰め寄られたら、とてもではないが常人のラドには反応出来ない。即ち、一度でも攻撃を受ければ、ラドが敗北する事は間違いない。
不意に、執行部門員になる以前に戦った時の事を思い出す。思えばあの時も一人だった。今の環境に慣れ過ぎた所為か、妙な緊張感が体中にまとわりつく。
「二つ目。何処から来られましたか?」
「生まれも育ちもこのセントラルホームの中央区だ。」
「では最後の三つ目。最近のお気に入りは何ですか?」
「お気に入りと言えば、この靴さ。ブランド物で、結構高かったんだぜ………って、本当にこんな質問で満足か?」
「十分です。おかげさまで、僕にも勝ち筋が見えてきました。」
それは決してハッタリではなかった。今の三つの質問で、戦う為に必要な情報が全て揃ったのであった。後はそれが実戦で上手くいくかどうかだが、万が一失敗した場合の保険も、一応考えているので大丈夫であろう。
「それは楽しみだな。どんな秘策を用意してくれてるんだ?」
「戦ってからのお楽しみです。」
それから数分程歩いて、中央区の中でも特に入り組んでいる小道路の突き当たりに到着する。ラドの推測通り、そこには複数の泥混じりの水溜りが点々としており、人気も全くない。
「少し狭い事は狭いですが、ここならば人目を気にせず戦えますよ。」
少年はばつが悪そうな顔をしたが、やがて納得したような笑みを見せた。
「………まあ、いいか。それで、アンタはどっちにつく?」
そう言って少年は今自身のいる位置と、奥の壁をそれぞれ指差してから、ラドへと視線を向ける。
「奥に行きます。逃げないと言う証の為に。」
「ほほー、いい根性だ。肝が据わってるな。」
尤もらしい言葉で、上手く壁側を陣取る事に成功した。壁側を選択したのには勿論理由がある。一つはラド自身も発言した通り、自らが袋小路に入る事で、相手にどう足掻いても逃げられない、追い詰めたという優勢感を与えてやる為。そしてもう一つは、作戦に利用する水溜りの位置が、壁側の方が今の状況に適していた為である。
ラドは泥混じりの水溜りを避けるようにして壁まで歩いてから、ゆっくりと振り返る。
「おっと、そう言えばまだ名前を聞いてなかった。」
「………聞く必要がありますか?」
「あるさ。だってもう二度と会わないんだから。死人が口を開くことはないだろう?」
「ラドクリフ・オーゲンス。」
「OK、ラドクリフね。俺はサィカ。もし運良く生き延びれたら覚えておいてくれよ。」
サィカと名乗った少年はにっこりと笑顔を見せた後、今見せた笑顔が嘘であったかのように態度を豹変させる。その眼光は見る者を貫かんとする矢の如く、ラドの姿だけをじっと見据えている。
とても少年とは思えないほどの眼力に気圧されるも、ラドは込み上げてくる恐怖心を振り切って構える。そして、緩やかに吹いていた風の鳴る音が消えるのを合図に、サィカは能力を解放した。
「行くぜぇぇぇ!!!」
勢い良く地面を蹴って、目にも留まらぬ速さで接近して来る。想像を遥かに超えるその速度に驚かされるも、ラドは冷静さを保っていた。
落ち着いて、先程から頭の中で考えていた作戦の内容を思い返す。そして、右拳を握って力一杯前へと突き出した。もし第三者がこの光景を目撃していれば、一体何をやっているんだと言いたくなる瞬間であった。
………がしかし、何とラドが放った拳は、接近して来たサィカの腹部を完全に捉えていた。
予期せぬ一撃に大打撃を受けたサィカは、勢い余ってナイフを落として胃液を吐き出す。
「がはっ………!!ど、どうして………!?」
「靴です。」
「靴………だと!?」
ラドはサィカが靴がお気に入りだと発言してから、ずっと彼の靴に注目していた。やはり言うだけあってしっかり手入れがされていると思ったのだが、よく観察すると手入れを施した痕跡が全くなく、ここに辿り着く前に通った小道路の水溜りを、極力避けるかのような挙動をしていたのにピンときたラドは、この場所を選定したのだった。すると予想通りサィカは不快感を露にし、その様子でラドは確信した。
中央区はセントラルホームの核とも呼べる場所。その為他の区と比較しても、舗装されている小道の数が圧倒的に多いので、雨が降っても水溜りができるという事が極めて稀である。
よって今この場所のような、近隣住民でさえも利用しない小道路に入らない限り、サィカの靴が土や泥で汚れることはそうそうない。
「お気に入りの靴を、汚したくなかったんでしょう?」
ラドの一言で察したのか、サィカは力なく呟く。
「俺が水溜りを通って接近することは、端から選択肢になかった訳か………。」
「そうです。だから、進行ルートを絞れる壁側を選択させてもらいました。………あなた自身の能力である加速の力で勢いがついていた分、僕の一撃は普段の倍以上の力がかかっているはずです。もうこれ以上戦うのは無理でしょう。」
「まさか能力を利用されるとは………な。ちくしょう………。」
意識を失ったサィカは、その場に崩れ倒れた。敵が完全に沈黙したのを確認した後、ラドは壁にもたれかかってそのまま地面に腰を下ろす。胸に手を当てると、心臓が高鳴っているのがよく聞き取れた。ひとまず深呼吸をして心を落ち着かせる。
戦闘中は冷静さを保てていたのだが、こうして無事に相手を倒せた後はどうも緊張の糸が切れてしまうようで、それまでの疲労がどっと押し寄せてくる。いい加減慣れなければならないと思ってはいるが、この様ではまだまだ時間がかかりそうな様子であった。
二、三分程して息を整えたラドはサィカを背負って移動を始める。その時、一つの影がラドの前に降り立った。そう………その影こそが、ラドが万が一の為に用意しておいた『保険』であった。
「ラド、どうしてここに?」
「ウル。はは、ちょっとね。」
本日ウルが担当する警邏の地区は、この中央区であった。それを事前に知っていたラドは、大体ウルがここを通るであろう時間を計算し予測した上で、この場所を選んでいた。
「その人は?」
「犯罪者。今さっき抑えたから、これから本部に連行する所さ。」
「そうなんだ………無事で良かった。」
ウルはそう言いつつ、ふらふらと壁に寄りかかる。いつもと違い様子がおかしい。
「ウル、どうしたんだい?」
ラドの問いに返事はない。次の瞬間、ウルは人形のように地面に倒れた。
「ウル!!?」
ひとまず気を失っているサィカを置いて、代わりに突如倒れたウルを抱き起こす。
「ウル、どうしたんだい!?」
頬をほんのり紅潮させており、呼吸も荒い。額に手を当ててみると、非常に熱を感じる。
「くっ、誰かーーー!!!」




