第1話 借金だけを残して追放されました
「アルト。お前には、今日でパーティーを抜けてもらう」
依頼を終えて町へ戻った夜。
安宿の一室で、リーダーのヴァリスがそう告げた。
「……何を言ってるんだ?」
聞き間違いかと思った。
しかし、テーブルを囲む三人の顔に冗談を言っている様子はない。
剣士のヴァリス。
魔法使いのセナ。
斥候のカスパー。
三人とも、アルトが返事をする前から話は決まっているという顔をしていた。
「言葉どおりだ。もうお前は必要ない」
「待ってくれ。理由くらい説明してくれないか」
「理由?」
ヴァリスは鼻で笑った。
「お前が弱いからだ」
アルトは言い返せなかった。
戦闘で役に立っていないことは、自分が一番よく分かっている。
アルトが担当していたのは、荷物運びと金銭管理だった。
討伐した魔物の素材を運び、必要な道具を買いそろえ、宿代や食費を計算する。依頼の報酬を受け取るのも、仲間への分配を行うのもアルトの仕事だった。
戦闘中は後方で荷物を守り、負傷者が出れば回復薬を届ける。
決して派手な役割ではない。
それでも、仲間を支えているつもりだった。
「雑用なら金を払って誰かを雇えばいい」
カスパーが椅子の背にもたれながら言った。
「最近じゃ、お前の取り分がもったいないって話になってたんだ」
「誰よりも少ない取り分しか受け取っていないはずだ」
「少なくても金は金でしょ」
セナは自分の杖を指でなぞりながら、冷たく言い放った。
銀色の装飾が施された新しい杖。
先端には、大粒の赤い魔石が埋め込まれている。
ヴァリスの腰にある長剣も、カスパーが身につけている外套も、数日前に新調したばかりだ。
どれもアルトでは到底買えない高級品だった。
「私たちは、もっと上を目指すことにしたの。いつまでも荷物持ちを連れて歩いていたら、受けられる依頼まで限られてしまうわ」
「だけど、その装備を購入するための手続きは、俺が――」
「だから最後に、お前へ渡しておくものがある」
ヴァリスがアルトの言葉を遮り、一枚の紙をテーブルへ置いた。
見覚えのある契約書だった。
高額な装備を購入するため、四人で組んだ借入契約。
借りた金額は、金貨三百枚。
並の冒険者なら、何年働いても返せるか分からないほどの大金だ。
ただし、ヴァリスたちが新しい装備を使えば、より難しい依頼を受けられる。収入が増えれば、二年ほどで完済できる計画だった。
アルトも何度も計算した。
無謀な借金ではなかったはずだ。
「これがどうしたんだ?」
「下を読め」
言われたとおり、契約書へ目を落とす。
その瞬間、アルトの呼吸が止まった。
契約者の欄に、三人の名前がない。
残されているのは、アルトの署名だけだった。
「なんだよ……これは」
「パーティーを解散した場合、残っている債務は会計責任者が引き継ぐ。契約書にそう書いてあっただろ?」
ヴァリスは平然と答えた。
「そんな説明は受けていない」
「読まなかったお前が悪い」
「俺はお前たちを信用して署名したんだぞ!」
声を荒らげたアルトに、セナが眉をひそめる。
「大声を出さないで。みっともない」
「みっともない……?」
「だいたい、その契約を提案したのはアルトでしょう? 強い装備をそろえれば、もっと稼げるって」
「パーティー全員で返すことが前提だった!」
新しい装備を欲しがったのは三人だ。
アルトは何度も反対した。
それでもヴァリスたちから「必ず四人で返す」と説得され、最後には会計係として契約書へ署名した。
まさか、こんな抜け道が用意されていたとは思わなかった。
「装備を返せ」
アルトはヴァリスを睨んだ。
「借金を俺一人に背負わせるなら、せめて購入した装備を渡せ。それを売れば、全額は無理でも借金を減らせる」
「断る」
ヴァリスが即答した。
「これは俺たちの装備だ」
「その代金は、これから俺が払うんだぞ!」
「だったら頑張って返せばいいだろ」
カスパーが笑った。
「荷物を運ぶのは得意なんだ。力仕事でもすれば、いつかは返せるんじゃないか?」
「金貨三百枚を……?」
「俺たちには関係ない」
三人が立ち上がる。
ヴァリスは契約書をアルトの前へ押し出した。
「部屋は明日の朝まで取ってある。それまでは使っていい。長い付き合いだったからな」
ヴァリスたちは、新しい装備を身につけたまま部屋を出ていった。
扉が閉まる。
廊下を遠ざかっていく三人の笑い声が、やけに大きく聞こえた。
アルトは動けなかった。
テーブルの上に残された契約書を見つめる。
金貨三百枚。
文字を何度読み直しても、金額が減ることはない。
返済期限を過ぎれば利息が加算される。
逃げれば、犯罪者として手配される可能性もある。
冒険者としての信用も失い、この町でまともな仕事を得ることさえ難しくなるだろう。
「最初から……そのつもりだったのか」
思い返せば、不自然なことはいくつもあった。
契約の手続きをアルト一人へ任せたこと。
借り入れた直後から、三人がアルトを依頼の相談に加えなくなったこと。
そして今朝、アルトに知らせず、報酬の高い護衛依頼を受けていたこと。
すべて計画されていた。
自分だけが気づかなかった。
アルトは椅子へ腰を下ろし、両手で顔を覆った。
怒りより先に、悔しさが込み上げてくる。
何年も一緒に戦ってきた。
ヴァリスが負傷したときは、報酬を減らしてまで高価な回復薬を買った。
セナの杖が壊れたときは、自分の防具を買うための金を貸した。
カスパーが賭け事で金を失ったときも、食事代を立て替えた。
仲間だと思っていた。
少なくとも、自分だけは。
「……馬鹿だったな」
しばらくして、アルトは顔を上げた。
泣いている暇はない。
契約書によれば、最初の返済日は明日。
最低返済額は金貨一枚だった。
アルトは腰の革袋を開き、中身をテーブルへ並べた。
銀貨七枚。
銅貨が二十六枚。
金貨には届かない。
宿を出れば、保証金として預けていた銀貨四枚が戻ってくる。保存食や予備の薬を売れば、どうにか金貨一枚を用意できるだろう。
だが、その金を返済すれば、アルトはほとんど無一文になる。
剣も防具も持っていない。
パーティーの共有装備は、すべてヴァリスたちが持っていった。
残されているのは、荷物を運ぶための背負い袋と、素材を切り取る小さなナイフだけだ。
「それでも、返すしかない」
犯罪者になるわけにはいかない。
明日になれば、日雇いの仕事を探そう。
危険の少ない採取依頼なら、武器がなくても受けられるかもしれない。
何年かかるか分からない。
それでも、生きてさえいれば、いつかは終わる。
翌朝。
アルトは宿を引き払い、持っていた保存食と道具の大半を売った。
手元に残ったのは、背負い袋とナイフ。そして、かき集めた金貨一枚だけだった。
契約を管理する窓口へ向かい、硬貨を差し出す。
「最初の返済です」
金貨一枚が受領箱へ落ちる。
これで残りは、金貨二百九十九枚。
喜べるような金額ではなかった。
それでも、最初の一歩には違いない。
アルトが契約書を受け取った瞬間、その表面に淡い光が走った。
「なんだ……?」
文字が浮かび上がる。
契約書に書かれていたものとは異なる、見覚えのない文章だった。
《第一回の返済を確認しました》
《債権の一部が返済者へ移譲されます》
《担保として登録された技能を回収します》
「技能……?」
次の瞬間、胸の奥へ熱いものが流れ込んできた。
知らないはずの動きが、頭の中に浮かぶ。
剣の握り方。
足の運び方。
相手との間合い。
何年も剣を振ってきた者だけが知る感覚が、アルトの身体へ刻み込まれていく。
《担保技能《剣術》の一部を回収しました》
《技能《剣術Ⅰ》を獲得しました》
アルトは契約書を握りしめたまま、立ち尽くした。
高級装備を買ったのはヴァリスたち。
借金を背負わされたのはアルト。
だが、あの契約で担保にされたものは、装備だけではなかった。
「俺が返すたびに……あいつらの技能が、俺へ移るのか?」
残り、金貨二百九十九枚。
昨日までは、人生を潰すだけの数字に見えた。
今は違う。
これは、すべてを奪われたアルトが、自分の力を手に入れるまでの残額だった。




