3 留学先
その声が会場内に響いたのは、ファーストダンスを終え、挨拶を交わしているときだった。
「シャーリー・エキナセナ、お前との婚約を破棄する!!」
それほど声を張り上げなくとも、目的の人物と思しき女性には聞こえたでしょうに…とセレスリアは思った。少し離れた位置からも内容がはっきり分かるくらいだったので。
特定は容易だった。声の主はおそらく、婚約者同士でもどうか、というほど密着した男女のうち、男性の方だろう。
「お前はこの俺の真実の愛の相手、ミシュアを孤立させ、他の女たちと一緒になって苛め抜いたそうだな! 彼女が子爵令嬢だからと、身分をふりかざし散々貶め、ドレスを汚し、私物を壊した! そんな醜い心根の女は、我が侯爵家には相応しくない!! よってお前との婚約を破棄し、この愛らしく健気なミシュアを妻に迎える!!!」
口上は大層なものだが、要約すると不貞の上での一方的な契約反故といったところ。男の主張が正しかったとしてもだ。
仮に侯爵令息にべったりくっついている子爵令嬢が、エキナセナ嬢に苛めを受けていたとしても、不貞は不貞である。婚約者がいる状態で他の異性と距離を間違えれば、その事実に変わりはない。
しかも侯爵家とは。
ここがどういう場か、理解していない時点で貴族に向いてない。男はそれ以前の問題な気もするが。同調するものは少なくともこの場にはいないし、視線の大半は面白がっているか、冷ややかなものだ。
パチパチパチと殊更大きな音で拍手してみた。
男が振り返る。
というより、周囲の注目を一身に浴びてしまった。
「素晴らしい余興ですこと」
本当に、共に舞台に立っているかのよう。
「なんだお前は! 部外者は引っ込んでろ!!」
「まあ確かに部外者に違いありませんが、わたくしを楽しませようとした上での行動なのでしょう?」
「はあ!? 何言ってる!」
「でなければ、王家主催の、わたくしを歓迎する目的のパーティで、このような演劇が始まる理由がないのではなくて?」
「演劇だと?! 馬鹿にしてんのか!!」
この男、この時点で不敬罪に問われるとは思ってもいないんだろうなあと冷めた目で見る。
高位貴族なのに、私の顔を知らないのもいかがなものか。
この国、ベリエラの貴族院に短期留学することも、本日が私の紹介も兼ねたパーティであることも。
「──私の婚約者に、随分な口の利き方じゃないか」
氷点下の声がしたのは、背後から。
「お、王太子殿下っ! え、婚約者とは…」
さすがに自国の王太子の顔は知っていたようだ。エラルドにまで暴言を吐いたらどうしようかと思った。
「君は、今日が何のために開かれたパーティなのか、知らないのか?」
「え、と…その、今着いたばかりで…」
「先ほど私の婚約者、セレスリア・ラジュワルド皇女殿下が言っていたけれど、彼女の歓迎パーティだよ」
「皇女、殿下…?」
「そう、隣国ラジュワルドの皇女殿下」
「ま、まさか、その女が、」
知って尚不敬を重ねる男に、エラルドの柳眉がぴくりと反応する。
「もういい。──連れて行け」
「はっ!!」
いつの間にか来ていた衛兵が、侯爵令息と、密着していた子爵令嬢を拘束、断罪されていたエキナセナ嬢を誘導している。ぎゃあぎゃあと喚きたてながら強制連行されていく男女と反して、エキナセナ嬢は最初から最後まで取り乱すことなく落ち着いていた。保護者を交えて別室でお話合いか。侯爵家、大丈夫?
そういえば、こんな騒ぎになったのに、侯爵夫妻はどうしたのだろう。王太子であるエラルドが出る前に、諫めるなり退出させるなりできたと思うのだが。
「皆の者、騒がせてすまない。しかし、今宵は私の婚約者のためのパーティだ。先ほどの余興は忘れ、存分に楽しんでくれ」
問題のものたちが連れ出された後、エラルドがよく通る声で宣言すると、群がっていた人々は思い思いに散らばっていく。
「…すまないね、セレス。よもや王家主催のパーティでこんな事態になるとは」
「誰も予想できませんわ。お気になさらず」
「後程、双方から話を聞くが、同席するかい?」
「そうですわね。あの様子では期待はできませんが、機会は与えるべきかと。留学早々、高位貴族に重い罰を与えるのも心証がよくないでしょうし。侯爵令息の言動次第で寛恕も視野に入れましょう」
「君にあんな無礼を働いた時点で、重罪に問いたいけどねえ」
「ほどほどにお願いしますわ」
「善処はするよ」
にっこりとらしからぬ笑みは、穏便に済ませてくれるとはとても思えないものだった。
関係者を集めた話し合いは、パーティに欠席していた侯爵夫妻、子爵夫妻の召喚状を送り、慌てて駆け付けた両夫妻が揃ってから行われた。蛇足であるが、エキナセナ伯爵夫妻は出席していたので別室に待機だった。
結論から言えば、会場で断罪を宣言したディーグ・ノースボルド侯爵令息は廃嫡、除籍、不貞相手であるミシュア・オレガノ子爵令嬢は除籍後に修道院送り、シャーリー・エキナセナ伯爵令嬢は冤罪だったためお咎めなし、2人の婚約は解消となった。
場は主にエラルドが仕切ったが、予想通りと言えば予想通りに、礼儀もなく勝手な発言を繰り返し、叱責されながら反省もせず。自分の行いは正当であると最後まで主張していた。
侯爵夫妻は元侯爵令息の弟である次男が病弱であるとのことで、欠席もそういった理由からだった。子爵夫妻は馬車の事故による遅刻だったとのこと。
しかし、両夫妻とも良識と道徳を兼ね備えた人物たちだったので、話しは当人たちを除けばスムーズにいったと言ってもいい。
私への不敬を知ると、それはもう顔色は真っ青を通り越して真っ白で、夫人は気絶するほど。財産と爵位の返上を申し出るくらいの潔さに、当人たちの罰も妥当とはいえ軽いものではないしということで、手打ちにすることにした。エラルドは最後まで渋っていたが。本来なら、軽く済ませていい事案ではないことは勿論理解している。
「…機嫌悪そうね?」
「そりゃあね。正直甘い処分だと思うし」
「分かってるけど。でも、これからこの国の一員として生きていくなら、特に良識ある貴族に必要以上の罰を与えたくはなかったの」
「だろうと思って、何も言わなかったさ」
肩を竦めるエラルドに、苦笑を返す。
それにしても、問題は元侯爵令息だ。
侯爵夫妻は子爵夫妻同様、むしろセレスリアに感謝していたくらいだが、元侯爵令息は何故自分がこんな不当な扱いを受けなければ、と強制的に部屋を出されるまで喚いていた。
せめて会場でセレスリアが声をかけたとき、最低限の礼を尽くし、場所を変えるなり、その場の余興で終わらせるなりしていれば、多少は手心が加えられていただろうに。その場合も、廃嫡は免れなかっただろうが。
ノースボルド侯爵家は、体の弱い次男にかかりきりで嫡男は放置気味だったらしい。元々向学心もなかったということだが、夫妻に対する反発と甘えもあったのかもしれない。今となっては詮無きこと。
「セレスが学院に通うのは、3日後からだっけ」
「ええ。編入試験や手続きはもう済んだわ」
「ああ、結果はもう聞いてる。さすがだよね。私も油断できないな」
「あら? エル様は入学以来、首席をどなたにも譲らないと聞いておりますのに」
「今のところはね。君が入ったら、どうなるか分からない」
「まあご謙遜」
ふふっと声を立てて笑う。
こちらの学院はどんな感じなのだろう。少なくとも、騒ぎを起こした元侯爵令息のような、愚かな人間はもういないと信じたい。
エキナセナ嬢も控えめでとても好印象だったし、不安がなくもないが、期待もしていた。
そうして迎えた編入日当日。
少し早く着きすぎたかと、セレスリアは護衛の手を借りながら馬車から降りる。視線の先には、同時刻に着いたらしいエラルドの姿が見えた。
彼が近寄る前に、セレスリアが歩き出す前に、”それ”はやってきた。
「セレス!!」
「っ!!」
切羽詰まったエラルドが叫び、駆け寄ってきたときにはもう遅く、護衛の手も間に合わずに。
セレスリアは大きな獣に咥えられ、連れ去られたのだ。




