2 四阿にて
ラジュワルド皇国に明確な四季はない。年中、穏やかで寒暖差が少なく、土地は肥沃な上に大きな災害もない、とても恵まれた国だ。隣国ベリエラも場所によって冬に多少の降雪があることを除けば、大した違いはない。治安の良さも含め、セレスリアの嫁ぎ先に選ばれた理由のひとつ。
皇宮には、おおまかに4カ所、ガゼボが設置してある。
各担当の庭師が精魂込めて造り上げた庭園で、それぞれ特色がある。一年を通し、咲き誇る花々が鑑賞できるのも、安定した気候に包まれた環境であることと、庭師たちの努力の賜物だ。
すべての庭園に美しさを感じているが、セレスリアはインシグニスブルーのネモフィラが一面に広がる東のこの庭園を特に気に入っている。兄妹間で『四阿』といえば暗黙の了解とばかりにここを差すのは、2人がそれを知っているからだ。
「ごきげんよう、イグリードお兄様」
もてなす客人より早く着くのはマナーなので、ホストである長兄は既に来ている。到着は、早すぎても遅すぎても礼を失するため、現在時刻は15時、5分前。
略式のカーテシーで挨拶すると、イグリードは立ち上がり手で制す。
我が兄ながら、相変わらずの麗しさというか。父母の美貌を完璧に受け継ぎ、次兄と同じ色彩を纏う長兄は所作ひとつとっても優雅だ。
「セレスリア。昨晩は災難だったね。…こちらに来て、座りなさい。軽食を用意してある」
「はい、お兄様」
侍従が椅子を引き腰かけると同時に、淹れたばかりの紅茶が置かれた。テーブルのスリーティアーズには、フルーツが彩を飾るケーキ、スコーン、サンドイッチと形式は変わらないが、どれも私の好みで揃えてある。こういうところも、相変わらずだ。ふふ、と思わず笑みがこぼれる。
「今日のオレンジのドレスもいいね。レースの刺繍も精緻で素晴らしい。よく似合っている」
「ありがとうございます。お兄様もそちらのカフス、先日の贈り物ですわね。素敵な細工」
「ああ、私も気に入っているよ」
本題に入る前置きの挨拶が済むと、置かれたティーカップを手に取り口にする。軽食も勧められたが、ひとまず断りを入れた。
「概要はフェリオスから聞いたが、当事者であるリアからも聞いておきたくてね」
「あまり変わらないと思いますわよ?」
「いい。その場に居合わせたとはいえ、身内でも第三者であることに違いないからな」
「分かりましたわ」
セレスリアの思考を交えて、事のあらましを説明すると、話が進むにつれイグリードの笑みが深まる。終わる頃には、それはそれは美しい微笑みを湛えた兄がいた。
…恐ろしい。
身内である私には分かる。
イグリードが本気で怒っているということを。
「その獣、本当に公爵家の人間か?」
「…獣って、お兄様」
「手順を踏まず、空気も読めず、各国首脳陣が集まるパーティで、己の感情と欲望優先で動いた輩に、理性があるとは到底言えないだろう?」
「否定はできませんが…」
「高位貴族でさえそれだ。そんな国に存在価値はないな」
断言である。
なんとなく、こうなることが予想できたので昨晩は席を外してもらったのだ。家族、特にセレスリアに害するものに対して容赦がない。
即断即決に加え、次兄と違い、その場で納得しても裏から手を回して長兄の望む方向へ誘導したりする。結果、どうなるかなど分かりすぎるほど分かっている。似たような会話を次兄と婚約者がしていたのはともかくとしてだ。
「いえ、こういってはなんですが、王太子殿下は非常にまともで人格者でしたので」
「ああ、単に奴が異常なだけか」
「…それも否定できませんが」
「では、その公爵家のみ潰せばいいか」
「お兄様…」
潰すことは確定なのか。
「かの公爵家は広大な土地と領民を持ち、管理しています。公爵家が爵位返上ともなれば、必ずその土地を巡って争いが生じます。公子1人ならともかく、領民が犠牲になることを、わたくしは望みません。それに、公子とて現状、罪という罪を犯したわけでもありませんし」
「そうだね」
敢えて言葉にせずとも、長兄は百も承知だ。行動に移していないのは、そういった背景と、ひとえにセレスリアが望まないからに尽きる。あわよくば、くらいは狙っているかもしれないが。
…お兄様、残念そうに溜息をつかないでください。
「リア。私はね、お前が幸せならいいと思っているよ」
「はい」
3つ上の長兄から大切にされていることを、過ぎるほどの愛情を向けられていることを、微塵も疑ったことはない。今に至るまでずっと、行動で、言葉で示されてきた。
前世が前世だっただけに、家族に愛されるということに戸惑いを感じていたのは昔の話。
「…お前を任せるに足る男が、この国にいればなあ…」
「……」
長兄の嘆きにセレスリアは沈黙を返す。
隣国との婚約が決まったとき、皇帝より難色を示したのがこの長兄だ。自国には長兄の基準──皇帝よりも厳しい──を満たす対象がいなかったにも関わらず。
セレスリアと年齢、身分、最低条件だけならば、釣り合う男性がいないこともなかった。幼少時の交流にも招かれていた。
しかし、長じるにつれ、本人の資質や能力に不足があったり、本人に責はなくとも他に問題が出てきたりと、結果、残らなかったのだ。エラルド以外は。
ほぼ確定した折に、共同事業、鉱山、商会など、様々な取引や条約が締結したりした。元々同盟国ではあるが、婚姻により強固な結びつきとなるだろう。
「その番とやらが、リアを幸せにできるのなら、私の持てる力をもって何としてでも婚約を解消してやるが」
「論外ですわ」
「分かっているよ。リアがエラルド殿を慕っていることもね」
「お兄様っ」
からかうような口ぶりに顔が熱くなる。身内から指摘されると妙に気恥しい。
誤魔化すように、お茶を飲む。
「──皇太子殿下」
「うん? もうそんな時間か」
「はい」
侍従との短いやり取りに、長兄には次の予定があることを窺い知る。
多忙な長兄は、いつでも時間に追われている。昨日の件で、私を心配し時間を割いてくれたのだと思うと、より実感する。本当に大事にされていると。
「さて、あまり時間が残されていないようだ。そろそろ本題に入ろうか」
「…昨晩のお話が本題ではなかったのですか?」
「それもないとは言わないが。──これを」
こと、と長兄の手で広いテーブルに置かれたビロード地の小箱。侍従から受け取ると、開けるように促される。
中には、アクアブルーの石が一粒の、シンプルなピアスが入っていた。
「他国では何があるか分からないからと、留学前に渡そうと用意したものだ。遅きに失したが、番認識阻害と魅了封じの力が込められている。正直、番に関しては必要になるとは思っていなかったのだが、協定があるにせよ、獣人による事件がないわけではない。…警戒ではなく備えのつもりだったのだがな」
スビアナイトの参加が判明した時点で渡すべきだったと、イグリードは深い溜息をついた。他国へ訪れる前に番認定されるとは誰も予想できるはずがない。
「それくらいなら、日常でもパーティなどでも、外すことなく着けられるだろう。留学先にも、問題になるほど華美ではないからね」
「…ありがとうございます」
向けられる愛情を重いと感じることはあるが、すべて私を思ってのことと知っている。
それが、私の意思を無視した押しつけではなく、尊重した上での愛情であることも。
「愛しているよ、私のリア。可愛い妹。お前の幸せを、いつも願っている」
「わたくしも愛しておりますわ、お兄様」
だから、心から笑みを浮かべられるのだ。
『そのピアスは、相愛の相手と片方ずつ身に着けた方がより効果がある。彼に渡すといい』
そう告げて、侍従に追い立てられながら席を立った長兄と入れ替わるように、エラルドが現れた。終わる頃を見計らい、予め伝えられていたらしい。
「ごきげんよう、エラルド王太子殿下」
「セレスリア皇女殿下におかれましては、ご機嫌麗しく」
形式的な挨拶の後、ドレスや髪型、アクセサリーに至るまで褒められ、頬を緩めた。女性の身支度は時間も労力もかかる。故に、装いを褒めるのは礼儀ともいえるが、細部まで気付いてもらえるとやはり嬉しい。私的な茶会なので、顔に出しても問題ない。
「どうぞお座りになって?」
「セレスもいつも通りでね?」
「分かってるわ」
ここ数か月は建国記念パーティの準備などで、エラルドとゆっくりお茶をしている時間がとれなかった。夜会も式典も、隙を見せるわけにはいかないので気を張るばかり。くだけた口調で話すのも、2人で過ごす心地よい空気も久しぶりだ。
隣り合って座ると、新たにエラルドの分のティーカップが置かれる。イグリードの元にあったものは既に片付けられていた。
ふと、彼の視線がテーブルの軽食に向けられ、くすりと笑う。
「このスリーティアーズ、全部セレスの好みだね」
「ええ。イグリードお兄様とのお茶会ではいつもなの」
「気持ちはよく分かる」
「そうなの?」
「セレスが喜んでくれる方が、嬉しいから」
「…ありがとう」
「ん? なにが?」
「そういうところ」
さらりとごく自然なことのように言うが、それが当たり前でないことを知っている。肉親であろうが、…愛を向ける相手であろうが。
血の繋がりがあろうと、無条件に愛されるわけではない。気にかけてくれるわけではない。手を差し伸べてくれるわけではない。
私のことを知り、想い、喜ばせたいと。
言葉にすれば簡単なようで、簡単ではないことを。
求めれば得られるというわけではないことを、知っている。
──ああ、まただ。
前世と比較することはなくなっていたのに、切り離せなくなっている。記憶が引きずられている。
”私”に向けられたものを、”ティエラ”だったときと比べても無意味なのに。国も環境も人も、何もかも重ならないのだから。今の私は、”ティエラ”ではないのだから。
嬉しいと感じているのは確か。私を思ってくれる人たちに、想いだけではない何かを返したいと思っているのも、感謝があるのも、本当の気持ち。私のまま、そのまま受け止めるだけでいいのに、いつまで捉われているのだろう。
あの男だけが、変わらなかったのを目にしたせいだろうか。
いや、それは単なる他責に過ぎない。自分の中の問題をすり替えてはいけない。
「大丈夫かい、セレス?」
思考の海に溺れそうになっているのを、引き上げたのはエラルドの明瞭な声。気遣わしげな瞳。
父母を、兄たちを、妹を、臣下たちを、周囲にいる人々を、そして婚約者を、信じている。信じられるように、なった。
言葉にする前に心を汲み、傍にいてくれた彼らを、どうして信じられずにいられようか。
気がかりは自分のこと以外にもあるけれど、過剰に不安に思うのは、彼らを疑っているようなものだ。
だから軽く首を振り、笑った。
「昨日のアレのことなら、心配いらないからね」
「…何かしたの?」
「セレスは気にしなくていいよ」
何をしたのだ。まさか、次兄と話していたことではないだろうが。
「…気になるわ」
「そんなことより、私を気にしてほしいね。婚約者が美しいと寄ってくる虫が多くて多くて…気が気じゃない」
「それ、エル様が言うの?」
「言うさ」
愛称を呼ぶと、セレスに向ける笑みが変わる。他の誰にも向けない、蕩けるような甘い笑み。
「エル様こそ、数多の女性から秋波を送られてるじゃない」
「私はセレスしか興味ない」
「わたくしだって同じよ?」
「そもそも、外見だけで寄ってこられてもねえ」
「…確かに、理知的で涼しげなアイスブルーの瞳も、真っすぐで癖のないグリーンがかった金糸のような髪も、端正なお顔立ちも素敵だけど、エル様の魅力は容姿だけじゃないでしょ」
「セレスこそ、煌めくシルバーブルーの髪も、どんな高価な宝石も敵わないヴァイオレットの瞳も、その目に映したいという男がどれほどいることか。もちろん、君の美しさはそれだけじゃないけど」
お互い、皇族、王族という地位も権力ある立場で。
どうしても、”個人”として見られることがない。
外見や立ち位置だけで人を判断し、すり寄ってくる人間は多く、避けることは難しい。
セレスリアもエラルドも、生まれたときから、その血の責任を背負っている故の引き換えでもある。それは変えようがないし、変えようとするならば相応の代償が必要だとも。
上に立つものは、民に生かされている存在だということを、教えられるまでもなく理解しなければならないのだ。
だからこそ。
「──エル様のお傍にいられるなら、皇女として生まれてよかったと思うわ」
「それなら、私の最大の幸運は、セレスと出逢えたことだね」
そうして、2人して、顔を合わせて声を立てて笑う。
「…そういえば気になってたんだけど」
「なあに?」
「セレスの手元にあるの、なに?」
じっと、やけに真剣な目で先ほどイグリードから贈られた箱を見ている。
「これのこと? ああ、ちょうどよかった。渡そうと思ってたの」
「私にかい? …君が誰かに贈られたものじゃなくて?」
「半分正解よ。イグリードお兄様からなんだけど」
開けて見せ、かいつまんで説明する。
「なるほど。では片方、貰っていいかな」
「どうぞ」
エラルドはピアスの片方を手に、矯めつ眇めつ眺めていると、不意に悪戯を思いついたような顔で笑う。
「セレスがつけて?」
「わたくしが?」
「うん、そう」
難しいことではないのでと了承し、形のいい耳につけると。
「…セレスのは私がつけてあげる」
引き寄せられ、耳元で囁かれる。
ばっと、耳を抑え距離をとると実に楽しそうに笑われた。
顔に熱が集まっているのが分かる。
「まるで薔薇のように色づいたね。…かわいい」
「エル様…っ」
「ほらおいで」
「………っ」
「セレス?」
してやられたことが少し悔しいので、ささやかな抵抗で無言で近寄った。
そんな私を気にすることなく、エラルドは機嫌よく耳に触れ、ピアスが装着される。
「…いいね。セレスが私の色を纏ってるのを見るのは、気分がいい」
言われてみれば、エラルドの瞳の色そのままだ。
渡されて見たとき、私の色でないのを訝しく思ってはいたけれど、そういうことか。
『お前は自分の色より、エラルド殿の色の方が好きだろう?』なんて、お兄様の副音声が聞こえた気がする。
間違ってはいない。いないけれど。
「お兄様も、エル様も、ほどほどにしてくださいませんか」
「セレス、口調」
「今はそんなこと、」
「そんなに、そのかわいい唇を塞がれたいのかい? 大歓迎だけど」
「…ごめんなさい」
留学するのも目前に迫っているけれど。
平穏に過ごせるだろうか、いろいろな意味で。




