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愛があれば、何をしてもいいとでも?  作者: 篠月珪霞


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1 追憶

「おいで」と優しく差し伸べられた手をとってしまったのが、そもそもの間違いだった。

何故、あのときの私は、それに縋ってしまったのか。

生まれ変わった今、再びあの男と対峙し、後悔と共に苦い思い出が蘇った。


「我が番よ、どうかこの手を取ってほしい」


過去とまったく同じ台詞、まったく同じ、焦がれるような表情。

まるであのときまで遡ったようだと錯覚させられるほどに。







そう、私には前世の、ティエラ・アルジェントだった記憶がある。物心つく頃くらいに、自然と思い浮かんできたもの。徐々に薄れていき、思い出すこともなくなっていた記憶。







──アルジェント家は伯爵位を賜っていたが、取り立てて目立つところはない、平凡な家門だった。裕福でも貧しくもなく、至って普通の。

ティエラは子爵家次男の父と伯爵家長女だった母との長子で、れっきとした伯爵令嬢だった。母が亡くなったと同時期に父は再婚し、後妻とその娘がやってきたのが11歳のとき。普通だった私の生活が普通でなくなったのは、それからだった。


義母からすれば、前妻の娘など目障りでしかないのは分からないでもない。とはいえ、それは虐げてもいい理由にはならないが。

血筋的にティエラが正統な後継であろうとも、他に後見もいない成人前ではなすすべもなく、使用人同然の扱いを受けるようになった。

始めは抵抗の意思を見せていたが、罵倒、暴力に加え、食事を抜かれた。実に楽し気に告げられるそれらに、罰と称した憂さ晴らしなのだと気付いてからは逆らうことをやめた。


従順にしていれば、少なくとも衣食住には困らない。それが、母が存命だったときとは比べるべくもなく、質が劣るものであっても。朝から夜まで働きどおしだったとしても。娼館に売られたり、嗜虐趣味のある人間に嫁がされないだけまだマシだと思っていた。

ドレスもアクセサリーも奪われてしまい衣服すらろくになくても、母の残してくれた本だけは残った。知識を得るのに書物だけでは限界があるにせよ、何も残らないよりは遥かにいい。捨てられたり破られたりしなくて本当によかった。月明かりのほの暗い中で、大切に読んだものだった。


祖父母はとうに亡く、母もまた。使用人も義母たちに阿るような人間ばかり。どこにも1人も味方などいない私は、家を継ぐことなど考えもしなかった。

幸いとは言えないかもしれないが、1人で生活するために必要なことは、すべて覚えた。掃除、洗濯、料理、平民並みの金銭感覚すら。

ただ、自由になりたかった。

生きていく以上、何かしら柵があり、完全な自由が存在しないことなど分かっていたけれど。家族とも呼べぬ血から、縛るだけの貴族の血から、私を私として見ないすべてのものから、解放されたかった。

他人に決められ押さえつけられる人生から、自分で選んで生きていけるように。

いずれ、この家を出ていく。

それだけを希望に、言いつけられた雑事を黙々とこなしていくのが日常だった。


その雑事のひとつに、町への買い出しがあった。末端とはいえ上位貴族であるから、出入りの商人に言いつけるだけで済むのだが。町までは少し距離があったので、平たく言えば嫌がらせの一環だったのだろう。

私が逃げたり助けを求めたりするとは考えなかったのだろうか、とは思った。すぐにその理由にも気付いた。

たとえ私が助けを求めたところで、町の人間にはどうすることもできないのだと。匿えば、罰を受けるだけ。逃亡に手を貸しても、発覚すれば同じこと。そして、人の目はどこにでもあるのだと。

分かっていて、領民を犠牲にするようなことはできなかった。それ以前に私が、領主である伯爵の娘とは誰も気付かなかったけれども。母と視察に来ていた頃はまだ幼少の時期であったのと、当時の私は令嬢らしからぬ様相だったから。

その日は、息を切らしながら両手の荷物を落とさないように持ち、帰宅している途中だった。


──出逢ってしまったのだ、あの男に。


『見つけた!』という喜色に満ちた若い男の声がしたと同時に、抱き締められたのだ。後ろから。

不意打ちに、思わず持っていた荷物を取り落としてしまったのを覚えている。必要のないものと知っていても、傷んでしまった事実を嬉々として責められるだろうことがありありと予想できたからだ。

肩を落とした私を抱き締めたまま気遣う男。初対面で無作法どころではなかった。


『君は俺の番なんだ!!』

『俺は狼の獣人なのだが、番というのは唯一の運命の人で、君がそうなんだ!』


言い募る男に、だから何だとしか思えなかった。不審者、いや変質者以外の何者でもないと冷ややかに見返すと、男は目の前で跪いた。


『我が番よ、どうかこの手を取ってほしい』


当然即、断った。男が、それまでティエラが見たことのないほど野性味あふれる美形で気品ある佇まいだったとしても、同意なく突然抱き締めるような輩は願い下げだ。ついでに番だの運命だの、そんなことに割く余裕はなかった。心も身体も。それで終われば、話は簡単だった。

荷物は傷んだものだけ弁償してもらい事なきを得たが、それから家を出るたびに付き纏われ、求愛され、家を知られたときはタイミングよく、いや悪く、修羅場だった。




町で男といるのを見かけたと他の使用人から報告を受けたらしい、義母から呼び出され。

使ってみたかったのよねえ、と舌なめずりしながら義母は真新しい鞭をしならせた。

ここ数年はつけ入る隙を見せなかったのが、却って悪かったのだろうか。今までは人を使っての殴打程度で、あからさまに傷が残るような痛めつけられ方はされなかったというのに。

振り上げられた鞭に、まず1度目は衣服ごと皮膚が裂けた。

悲鳴を上げ、誤解だと許しを乞うても無駄だった。躾など、口実に過ぎなかったから。

肉が裂け、血だらけになりながら、熱さと痛みで朦朧としかかったときに、あの男は現れたのだ。どこから入り込んだのか、義母はどうなったのか、痛みに呻いていた私には分からなかった。

新たな衝撃が突如なくなったのを怪訝に思いながらも、この屋敷で助けなど来ないはずなのにと。

霞む視界の中、朧げに映ったのは見覚えのあるアンバーの瞳。傷ましそうな、自分こそが傷を受けているような顔。

もう大丈夫だと、ここから連れ出してあげると。

そして言ったのだ、『おいで』と。


救いが来たのだと思ってしまった。

この痛みから逃れられるのだと、思ってしまった。



あの頃の私が、何よりも求めていたもの。

必死に伸ばした手の先は、その”自由”から最も遠いところにあるのだということに。



新たな地獄の始まりだと、気付かずに。














ああー…。そうだった、そうだった。

何故も何も、あのときは痛みで意識失う寸前だったわ。そりゃ、判断力以前の問題よねえ…。

一気に過去のアレコレが脳内を駆け巡り、軽い眩暈がする。


差し伸べられた手が誰のものかなんて、連れ出されて治療を受けた後に知ったことだ。天蓋付の寝台の上で目が覚めて、顔を合わせてから。

状況を聞きたくとも、傷が癒えるまでは些事は気にするなとばかりに、質問自体を封じられた。甲斐甲斐しく世話を焼く男に、何とも言えない複雑な気持ちを抱いたものだ。

あの場から連れ出して治療してくれたことに対する感謝はあった。恩も感じていた。男が望んでいるのが、そういった感情でないことを知っていてもそれだけだった。


「番、と言われましたわね。つまり、わたくしに求婚していると思ってよろしくて?」


片鱗は、確かにあったのだ。鍵は内からではなく外から掛けるものであったり、手の届く位置には窓がなかったり。医師以外はあの男しか姿を見なかったり。

──完治しても、安静にと部屋から出ることを、許されなかったり。


「はい。どうか、この手をとっていただきたい」


今の私は、大国ラジュワルド皇国、皇女の1人。何の因果か、神があのような形で命を絶つことになった私を哀れに思ったのか、前世とは違い、両親、2人の兄に愛され、1つ下の妹にも慕われている。容姿も、皇族特有のシルバーブルーの髪にヴァイオレットの瞳と、ティエラだった時の茶髪碧眼と比べれば華やかな色彩に様変わりした。

変わった環境で最も大きな差は、望む望まないに関わらず、学ぶことが義務であること。教養や礼儀は前提として、自国は言うに及ばす、他国についても。

要は、この男の国、獣人国もそれに含まれるということだ。

当時、唯一とされる番である私が息も絶え絶えの状況で、何故無理やりにでも連れ出さなかったのか疑問に思っていたのだ。傷が癒え、平常心を取り戻した私が、異常な環境に放り込まれてからだったが。

答えを、他国の歴史、事件として知ることになるとは思いもせず。


「あなた方、スビアナイト国では番は運命だとか」

「その通りです」

「生憎、わたくし、既に婚約しておりますの。隣国ベリエラの王太子殿下と」

「…なっ」


驚愕のまなざしを向けてくる男に、知らなかったことにこちらが驚きだ。

まあそれも無理はないかとは思い直す。ここ数年、かの獣人国の情勢は決して穏やかとは言い難かったようであるし。

情報戦で後れを取っても仕方ないのかもしれない。とはいえ、私たちの婚約が発表されたのは昨年のことなのだが。

パーティも欠席の返信のみであったし、だから出逢うこともなかったと言える。幸いなことに。


「それは…っ」

「はい、そこまで」


何か言いかけた男を遮ったのは、2つ上の兄だ。私と同じシルバーブルーの髪、ヴァイオレットに母の瞳の色のブルーが混じった涼し気な目元は、僅かに険を帯びている。どこから聞いていたのだろう。


「フェリオスお兄様」


見慣れた兄が現れ、ほっと安堵の息が漏れる。何事かと周囲がざわつきだしたので、早めに気付いてくれて助かった。

ちなみに、本日は各国要人を招いた建国記念パーティである。

挨拶が一通り済み、各々歓談していた中での出来事である。ただでさえ、主催の皇族とあって注目されているのに、皇女に跪いた男がいれば衆目を集めない方がむしろおかしい。

兄の登場で、多くの女性の視線も一緒についてきたのはさておき。


「セレスリア、ひとまず場所を変えようか。そちらの」

「スビアナイト国、ガネーシュ公爵が嫡子、アイドクレスと申します。第二皇子殿下」


この男、公爵家だったのか。そういえば、あのとき宛がわれた部屋の調度は、確かに高級品だった気がする。気遣うところが違うだろうと言いたい。

さりげなく視線を向ければ、あれから10数年経過したとは思えないほど、変わりない姿だ。獣人は長寿で緩やかに年を取ると聞いていたが、加齢を感じさせるほどの年数ではないということか。まさかまったく同じ姿で再会した上に、再び番認定してくるとは。


「王太子も交えて後程場を設けよう。それでよいか」

「…承りました」


肯定以外の返事はなく、未練がましく私だけをちらちらと見ながら、不承不承といった体で離れていく男。

ああ、面倒なことになりそうと今後の展開を思うと頭痛がする。


「──リア」

「はい」

「番がどうとか言ってたけど、リアが嫌ならもちろん断っていいからね。エラルド殿は関係なく」


権力や地位に比例して、個人ではなく家や国単位の利益を、血による結びつきによって求める傾向にある。王族や皇族、貴族が政略による結婚が常であるのは周知のことだ。

私の婚約も当然であるが、政略によるもの。望んだからとて簡単に破棄などできない。

しかし兄は、私に選択の余地をくれる。この件に限らずいつでも。

”私が”選択したという名分を盾に、逃げ道を完全に塞ぐような、あの男のようなやり方は決してしない。


「そうですね、もし彼と婚約してなくてもお断りしてましたわ」

「だろうねえ」


微笑む兄の顔は先ほどと違い穏やかだ。見惚れる女性たちが視界の端に映る。

かく言う兄には婚約者がいない。2人ともだ。

身内の欲目抜きにも、長身美形、文武両道、性格も穏やかで、国内外から縁談が殺到しているのに。

選考基準が厳しいのか、理想が高いのか。

兄たちはどんな女性を選ぶのだろうと埒もないことを考えていると、これまた聞きなれた美声が耳をくすぐった。


「──私が少し離れていた間に、よからぬ虫が湧いたそうだね」


言うまでもないが、私の婚約者、隣国の王太子である彼も招かれていた。飲み物を取ってくると言って離れた数分の隙に、あの男が来たのだ。湧いて出てきたと言い換えてもいい。

エラルドはフルートグラスを手に、内心を悟らせない微笑みを浮かべている。


「エラルド様」

「セレス、違うだろう?」

「…今はまだ公務中ですので」

「つれないな」


手にしたグラスを渡され、私は笑う。エラルドも対外的なものではない、柔らかい笑みでこちらを見ている。どこからか、痛いほどの視線を感じるが敢えて知らぬふりを装った。


政略結婚であるのは違いないが、エラルドとは幼い頃から交流を重ね、心を通わせてきた。お互い切磋琢磨し、国を豊かにしようと誓った信頼のおける唯一と決めた人。

突如として現れたただの本能でしかない番など、積み重ねた年月と信頼に敵うはずがないのだ。















「さて。それでは先ほどの一件について、改めて話をしようではないか」


パーティ終了後、関係者を集めた話し合いということで、応接室へ案内される。

当事者である私、無礼な求婚者、獣人国スビアナイトからは責任者として王太子、関係者として婚約者のエラルド様、我が国からは皇帝、皇后、次兄の3人だ。

ソファにそれぞれ腰を下ろしお茶を供された後、口火を切ったのは、父である皇帝ではなく現場にいた兄フェリオスだった。


「発言よろしいでしょうか」

「どうぞ」


手を上げ、発言の許可を求めたのは獣人国の王太子だ。


「まずは我が国の者の非礼、お詫びいたします。私はその場に居合わせず、本人と侍従から話を聞きました。貴国の第一皇女殿下が番であり求婚したが、断られたとのこと」

「我が妹、セレスリアには数多くの申し込みがありましたが、幼少より候補はほぼ決まっておりました。昨年正式に、隣にいるベリエラ国エラルド殿との婚約が発表されています。国同士の益も兼ねた政略的なものもありますが、本人たちの相性も含めた決定です」

「つまり、入り込む余地はない、ということですね…」

「はい。我が国も隣国も、何より本人たちが納得しないでしょう」

「…だ、そうだ。アイドクレス」


言外に諦めろ、と自国の王太子に言われ、悲痛な表情を浮かべるガネーシュ公子。そういえば、まだ公爵位は継承していないのか。どうでもいいけど。

対面に座る前から、鬱陶しいほど注がれている視線。面倒としか思えない。


「機会すら、いただけないのでしょうか…」


独り言なのか誰かに問いたいのか判別つかないが、私的な会談とはいえ勝手に発言するのはいただけない。


「ガネーシュ公子、それはセレスリアに聞いているのか、独り言か。どちらにしても、貴人が集まる場に許可なく発言するのは高位貴族とも思えぬ愚行よな」

「も、申し訳ございません!」


辛辣だが真っ当な兄の指摘に、即謝罪したのはやはり王太子で、当人は空気も読めず何やら呟いている。本当に教育を受けた高位貴族なのか?

少なくとも王太子は至ってまともであるようなので、獣人国というより個々の資質か。


「我が国スビアナイトについて、改めて説明させていただいてもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「では…」


──許可された獣人の王太子は語りだす。


スビアナイトは、皆様ご承知の通り、竜人を頂点とした獣人が治める国です。個人の武力としては強力なのですが、人族と比較するとどうしても本能が勝るきらいがあります。

その最たるものが”番”という存在です。

五感全てが鋭い我らは、それを匂いで判別します。

絶対的な、強制的な支配に近いものとでもいえばいいのでしょうか。我らにとっては、抗い難い、飢餓感に近いものを、出逢ってしまえば覚えるのです。番に出逢うこと自体が稀だということも、要因のひとつかもしれません。

愛しい、触れたい、誰の目にも触れさせたくない、閉じ込めたい。

正も負も、すべての感情が、番に向かいます。出逢った番を失うと狂い死ぬほどに、たった1人に向けられる感情は凄まじいのです。

それ故、何十年にわたり、周辺諸国との諍いがありました。

番に出逢ってしまった獣人たちが、同意なく、家族を、恋人を、妻を、夫を力ずくで奪うのです。争いにならないはずもなく…。

あまりにもそうした暴挙が多発した、約15年前。気付いた時には、戦争が目前といった緊張状態にあったのです。

いかに我らとて、数で押されれば、勝てる見込みはなかったでしょう。それだけ多くの国に悲劇を強い、怒りを買ってきたのです。

お互いの損害を、少なくない被害を生み出す前に、我が父、竜帝が動きました。まずは暴虐の限りを尽くした家門に罰を下し、自国を平定した後、周辺との会談により協定が結ばれました。

本来なら、こうなるまで放置すべきではなかった。自領自治で放任してきた、統治者である我が一族も、被害を出してないにせよ、何もしなかったという点で同罪です。非難は甘んじて受けました。賠償も。当然のことです。

まず、獣人はこうした歴史と過ちを、幼いうちから叩き込まれます。今後、同じ過ちを繰り返さないために。私も、また。

そして協定が結ばれてから、番対策として、あらゆる道具が開発されました。いえ、開発されたというより、協定後に普及し始めたと言った方が正しいですね。各国では対策として、既に完成させていたそうなので。簡単には外れないよう、装飾品として加工まで考えられていました。

公子は、そのほぼ同じ時期に番を亡くしました。

今、こうして公子が多少なりとも平静を保てるのは、その開発品の1つである制御アクセサリーを身に着けているからです。

獣人は番以外との子供ができにくい傾向にあります。公爵家には公子1人しか嫡子がいなかった。

狂気に呑まれる前に、制御装置を身に着けさせたのは竜帝の意向です。要らぬ争いを生まぬために。



「ひとつ、質問があります」


手を挙げたのは私だ。兄が目で促し、獣人の王太子も頷く。


「なんでしょう?」

「番とは、唯一の存在であると聞き及んでおります。公子には番が存在していた。では、わたくしが”番”であるはずがないのでは?」

「それは違う! あなたは確かに私の番だ!!」

「黙れ、アイドクレス! お前に発言は許されていない! …最低限の礼儀すら守れないのであれば、退室させるぞ」

「っ…申し訳、ございませんでした」


もはや、この場にいる人間は呆れた空気を隠さない。制御アクセサリーを着けていて、このざまかと。特に顕著なのは、隣に座っているエラルドだ。目には侮蔑を、口元には冷笑を、真向いの公子に向けているのが分かる。


「獣人は長命で、一度出逢えた番とは、死して尚、縁が結ばれるとの言い伝えがありまして。同じ魂に惹かれると」

「…わたくしが、公子様の亡くした番であると?」

「私には断言できかねますが、その可能性はあるかと思われます」


間違ってはいない。確かに、私はこの男の番であった記憶がある。前世も今世も獣人ではないので、正確には、番だと言われて求愛されたというべきか。認めたが最後、ここぞとばかりに主張してくるのは火を見るより明らかなので、口に出しはしない。

…ため息をつく。


「運命とはなんなのでしょう。唯一と、番だと言いながら、望まぬ相手に一方的に愛を強いることでしょうか。……”番”は出逢う切っ掛けでしかなく、それでお互いを知り、想いを深めていく方々もいるでしょう。貴国の”番”で幸福に過ごされている方がいらっしゃることも存じております」


一目惚れや番の衝動を一概に否定する気はない。ないが、それが自分に向けられたのであれば話は別だ。他国の風習や文化を受容できないこととはまた違うのだ。


「しかし、わたくしの内面や人間性、趣味嗜好、何も知らず、知ろうともせず、”番”だから結婚してほしい? ”番”だから愛してる? なんと薄っぺらい運命なのでしょうか。愛ではなく、単なる本能を愛という言葉に置き換えているだけではなくて?」

「そんなことはない! 私はあなたを愛している!」


感情のまま叫んだ公子に、王太子は退室させるべく衛兵を呼ぼうとしたが、私が煽ったせいなので手で制す。

この男は、何も変わっていない。姿形だけではなく。

傍にいるだけでいいと、何も知らせず、何もさせず、自身のことさえ何一つ話さなかった、あの頃と。

私を愛しているから番なのではなく、”番だから”私を愛していると。

当人の意思は関係なく、与えられる愛を享受するだけの存在など、”私”である必要はないではないか。


「──…愛とは信頼の積み重ねであると、わたくしは考えます」


機会などない。もう遅い。たとえ出逢ったのが、今の婚約者と同じ時期であったとしても、私の答えも変わらない。


「公子。あなたは、信頼に値しない」



ただただ”番”であるのを理由に、愛を求めるのであれば。

私がその愛を受け入れる未来は、決して来ない。















「余らの出る幕はなかったな」

「ええ、本当に」


少し離れた席にいた皇帝夫妻は、結局会談中に一言も発することなく、獣人国の2人が退室してからの言葉である。決定権が皇帝にあるためだったが、不必要に時間をとらせてしまったかもしれないと申し訳なく思う。

この場にいる人数分お茶は供されていたが、すべて手つかずのまま冷めてしまっていた。ゆっくりお茶を味わう場ではなかったからだ。空気が緩んだところで、淹れ直してもらう。

我が国の特産品の1つである薫り高い濃い紅茶は、ミルクを入れた方が私は好きだ。侍女は心得たもので、小型のミルクピッチャーも置かれる。


「ありがとう」

「この紅茶にミルクは最高の相性だよね」

「ええ。やはりいろいろ試してみるものですわね」


エラルドも同じくミルクを入れるのが好きなので、2人して調整し、ティーカップを傾ける。変わらず、美味しい。

ほう、と息が漏れる。

温かい紅茶に、無意識に入っていた力がほどける気がした。


「…セレス」

「大丈夫ですわ、エラルド様」


あの男との邂逅に驚きはあったが、この程度で動揺していては大国皇女は務まらない。好意も悪意も、上手く受け流さなければ貴族社会では生きてはいけないのだから。鈍感であっても敏感すぎても駄目なのだと、今世で学んだ。

作ったものでない笑みを向けると、彼も安心したように微笑んだ。

会談中、セレスリアの緊張が伝わっていたのだろう。気遣う心が嬉しい。


隣国といえど、そう頻繁に会えるほど気軽な身分ではなかった。それでも、多くはない機会に2人は時間が許す限り話をした。

お互いの好きなもの、公言できないが嫌いなものや苦手なもの、趣味という個人的なことから、自国の産業、特産物に改良、外交を含めた諸国との関連と対策等、それはもう様々なことを。紅茶に入れるミルクの黄金比という、嗜好まで。

時に賛同し、時に衝突し、折衷案を講じたりと、試行錯誤したのもいい思い出である。


隣国ベリエラへ未来の王太子妃として輿入れするまで、予定ではあと2年。教養やマナー面、言語については問題なく、すべての教師に合格点をもらっている。建国記念パーティ後に、エラルドの卒業と合わせて、人脈づくりを兼ねた1年の短期留学を予定しているのだが。


「…あれで諦めたと思います?」


ぽつりと、静かな部屋に言葉が落ちる。不安要素が思わぬところから出てきた。

セレスリアがはっきり拒絶しているにも関わらず、まるで引く気がない様子だった。

狼獣人の執着心は殊の外強いという。それは前世で身に染みるほど味わったし、会談中のあの自制心のなさからも窺えた。


「思わんな」


とは、父の皇帝。


「私に対する殺気も凄かったしね」


隣のエラルドは軽やかに笑っているが、笑い事ではない。


「ベリエラへの留学は2週間後だったか」

「はい」

「護衛の数を予定より増やしておこう。女性の護衛も」

「そうね、それにサフィール様にも詳細を念のため伝えておくわ」


次兄が言うが早いか、早速侍従に手配するよう指示、母の皇后はベリエラの王妃サフィール陛下にも話を通しておくということで、頼もしいことこの上ない。何もないに越したことはないが、もし何事か起こった場合に対処がしやすい。下地があるのとないのとでは、初動が違う。

情報に疎いあの国の人間が動くかどうかはともかくとして、備えはあった方がいい。


「こちらからも女性の護衛をつけよう。有事の際には、自国の人間の方が動けることもある」


エラルドの配慮にも感謝だ。


「いっそ獣人国を潰してもいいか」


続いた言葉は笑えないが。

我が婚約者よ、笑顔で物騒なこと言わないで。

彼がその気になればやってのけるだろうから、洒落にならない。


「それもありだな」


にこやかに同意しないでくださいお兄様。


「リアに手を出すような真似をしたら、外交問題どころか戦争になるというのに。理解してないところが致命的だな」

「確実に2国は敵に回しますからね」

「以前ほどの国力も武力もない、個々の力だけでどれだけ抗えるかといったところか」

「そうですね…やはり内部崩壊に導いた後に、一気に叩くのがいいでしょう。被害も最小限で済みますし。周辺諸国との連携も欠かせません」

「まあリアのためなら、命など惜しくないという騎士たちも多いが。…いやそうでない騎士はいないか。だがエラルド殿の言う通り、獣人国などに、我が国の騎士も兵たちも命をかける価値はないか」

「まったく同感です」

「それでは、密かに暗部の者を動かすか? まずは情報収集からだが、ある程度は掴んでいるだろうし」

「こちらの手の者と情報のすり合わせをしますか?」

「そうだな」


だんだん具体性が増してきた。詳細を詰めようとする次兄と婚約者に、そろそろ止めるべきか逡巡する。いや本気ではないだろうし。…本気で潰そうとか思ってないですよね?

角を挟んで隣のフェリオスをじっと見つめると、会話の内容とは裏腹な爽やかな笑みを次兄は見せた。


「何か言いたげだな、リア」

「…大体、察しておられるのではないですか?」

「まあ。無辜の民まで巻き込むな、とかだろう?」

「さすがお兄様。正解ですわ」

「だが、兄上が詳細を知ったらどうなるか…」

「………内密には」

「無理だな。会場の時点で知られているし、関係者を最低限の人数で済ますために同席していなかっただけだから」

「ですよね…」


次兄も大概だが、長兄は軽く上回る。兄妹仲がいいのはいいことなのだろうけれども…愛が重い。


「そういえば、伝言を預かってる」

「それはもちろん、」

「兄上からだ。『明日午後3時、四阿にて』だそうだ」

「…承りましたわ」


















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― 新着の感想 ―
早速の訂正、ありがとうございました。作者さまには大変ご無礼いたしました。 ここ数年なろうでは、『切欠』という書かれ方をあまりにも多く見るようになり正直またか…との思いからコメントさせていただきましたが…
『きっかけ』を変換して『切欠』と出たからと、意味も考えずそのまま誤用する人が多過ぎます。なろうでは、他の人も使用しているからと、それが正しいと思い込んで意地でも訂正しないという現象が山のように存在する…
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