初めての人間としての世界
「よし、それじゃ今から君を人間にしてあげよう」
少年神の言葉に呼応して、柴犬(小石丸)の体が光に包まれる。
メキメキと音を立てながら、小石丸の足が、体が、徐々に巨大化してゆく。
手足が伸びて、四足歩行が難しくなってきた。
自然と二本の足で立っていた。
一分は経ったろうか。
小石丸は、金髪の美青年へと変化を遂げた。
「いきなり人間になったら不便だろうから、犬の時と同じことが出来るようにしといたよ」
少年神は、ぱっと花を生み出す。
先ほどまでは不自然なくらい匂いのない空間だったのに、花の香りが優しく鼻腔をくすぐる。
「うん。嗅覚はちゃんと残ってるね」
小石丸は先ほどから鮮やかすぎる景色に戸惑い、周囲をキョロキョロ見回していた。
「あ、そうそう。人間のほうが優れてる部分は人間に合わせたから。これはサービスね」
犬の視界では、もっと世界はシンプルな色をしていた。
でも、人間の視覚は色彩豊かで少し眩しい。
「――じゃあ、陽くんを送ったのと“同じ場所”に送ってあげるから。あとよろしく!」
何かを隠すように視線をそらした少年神は、小さく右手の指を振る。
と、小石丸の視界が光に包まれた。
「まあ、もう移動してるから、陽くんはいないけど」
神の声は光の向こうで途切れて、空色の空間とともに消えていった。
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草原。
小石丸に与えられた語彙力の中から、この言葉が出てくる。
一面の草。草しかない。
都会で生まれ育った小石丸には記憶にないほどの、強い草の匂いが鼻を刺激する。
「へっくし」
一面の景色の鮮やかさに圧倒されているうちに、なぜだかくしゃみが出た。
「陽くんのにおい……ない……」
草の匂い、土の匂い。
遠くに人間の匂い。
――陽の匂いだけがない。
だが、深く考えようとしても、嗅覚がそれを許さなかった。
ここには、小石丸の意識を強く惹きつける匂いがひとつあった。
あまりにも魅力的なその香りは――。
「おなかすいた!」
――肉の焼ける匂いである。
なんとも美味しそうな匂いに、人間になったばかりの小石丸の腹がぐぅと鳴る。
匂いのするほうに歩くと、程なくして人間の男の集団を見つけた。
彼らは十人ほどの集団で、全員が武器を持っている。
しかし、殺伐とした空気はあまりなく、どこか楽しそうですらあった。
男たちは急に現れた金髪の美青年小石丸に一瞬警戒したものの、丸腰だと分かるとすぐに警戒を解く。
「なんだ兄ちゃん、丸腰みたいだが……討伐隊の志願兵か?」
「肉……欲しい……」
今井家のしつけはちゃんとしていたため、ご飯をもらう前には必ず『良し』と言われるまで待つことが習慣になっていた。
しかし、目の前で焼かれている肉の匂いに涎よだれが止まらない。
それを見た男たちは笑って、一人の男が良く焼けた肉を投げてよこす。
「俺たちこれから魔物討伐に行くんだけど、兄ちゃんガタイもいいし一緒に来るか? 少しはお礼も出せるぞ」
肉を投げてよこした男を見ると、一人だけ少し身なりが整っている。
みんなの視線が、その男の口元を追っている。
彼がリーダーなのだろう。
肉はもらえた。
けど、リーダーの「良し」がない。
「肉……食べていい?」
小石丸の言葉に、リーダーの男は一層笑って頷いた。
小石丸は肉にかぶりついた。
「肉、おいしい!!?」
食事は、好きな匂いかどうかが一番重要だった。
だけどこの肉はどうだろう。
噛めば噛むほど“味”が増えていく。「旨い」という言葉が、勝手に口をついて出た。
犬の頃は生存のための食事でしかなかった。
今は食事が楽しい。
今井家でも、陽たちはよく美味しそうに食事をしていた。
人間はこんなにも美味しいものを食べていたのか。
感動とともに夢中でかじっていたら、肉は一瞬にして消えた。
「ははは、よほど腹減ってたのか。魔物討伐手伝ってくれるなら肉をもっとやるぞ?」
「まものたおす!」
小石丸は、初めて“人間として”食べた肉のあまりの旨さに、なけなしの理性が吹き飛んでいた。
彼は、二つ返事で討伐の手伝いを申し出るのだった。




