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光の方へ  作者: 常圓坊
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第8話 魂を揺さぶる真言の火

昴が赦しを示し、その場にいた人々が随喜の涙を流したあの日から、彼の周囲にはこれまでになかった静かな変化が訪れていた。職場の同僚の態度も、少しずつ柔らかくなり、顔を合わせたときに交わす言葉のトーンが温かくなっているのを感じた。ある朝、昴がいつものように会社へ向かう途中、いつもはそっけなかった同僚の一人が声をかけてきた。「昴さん、最近なんか変わったな。なんか、いい顔してるよ」昴は驚きながらも、ほんの少し照れくさそうに笑った。「ああ、護摩の火のおかげかな。何かを許して、自分が楽になったのかもしれません」同僚はうなずき、微笑んだ。また、昴は日々の小さな出来事に感謝の気持ちを持つようになり、困っている人を見かければ、自然に手を差し伸べられるようになっていた。それはまさに、法話で聞いた「随喜」の心が昴の中で根付いていた証だった。人の善意に触れ、喜びを分かち合うことは、昴だけでなく、周囲の人たちの心にも小さな火を灯し始めていた。護摩の火が小さな灯明から大きな炎になるように、昴の行いと随喜の輪はゆっくりと、しかし確実に広がっていった。それは、まだ目に見える変化ではないかもしれない。しかし確かに、この町のどこかで、誰かの心を温め、救っていた。昴は胸の中で静かに決めていた。「この火は消さへん。これからもずっと、大事に育てていくんや」そして、昴の人生の新しい章は、希望の火を胸に刻みながら続いていった。昴と川崎亮介は、ふたたび山寺を訪れていた。和尚の護摩祈祷に、正式に申し込みをしての参座だった。炎の前に座るのは、川崎にとっては二度目。昴も、心に迷いが生じたとき、ここへ足が向くようになっていた。だが、この日の護摩は、いつもと何かが違った。太鼓の音が、鼓膜ではなく、胸の内側に直接響いてくる。法螺の音色が、風のように自分の背中をなでていく。火は確かに燃えているはずなのに、目を閉じると白い光に包まれているような感覚が湧く。昴は自分の意識が、どこか深い層へと引き込まれていくのを感じていた。火が唸る。木が爆ぜる音が、なぜか心の痛みを打ち砕いていくように聞こえる。祈祷が進むにつれて、これまで胸の奥にこびりついていたもの怒り、恐れ、自己否定……それらが静かにほどけていくようだった。隣に座る川崎も、同じように目を閉じ、涙をこぼしていた。「……なんなんだ、この護摩は……。見てるだけで、自分が中に焼かれてるみたいだ……」川崎は小声でつぶやいたが、その声は震えていた。昴もまた、頷いた。「和尚さんの火……あれはただの炎やない。“祈りそのもの”が燃えてる気がするんや……」和尚は、微塵も変わらぬ静かな所作で護摩を続けていたが、その周囲にはたしかに、言葉では形容しがたい澄んだ“場”が漂っていた。それは宗教的な力とか、神秘の演出というようなものではない。人のカルマや念、そして魂のざわめきまでも包み、溶かし、昇華していくような“火”だった。護摩が終わったとき、堂内には静寂が戻った。だが、空気はどこか透き通っていて、まるで深い山の頂上にいるような感覚だった。川崎は、涙に濡れた顔で笑いながら言った。「……これが“本物”ってやつか。俺は今日、やっと自分の過去を本当に手放せた気がする。お前が許してくれたことも……この火が俺に教えてくれた気がする」昴もまた、清められた心で言った。「俺も思った。あの火の中には、“ただの宗教”を超えた“人のいのちの力”が宿ってる。……和尚さんの祈りは、本当に“届いてる”んやな」その日以来、昴と川崎は、ときどき一緒に護摩に参座するようになった。人生の節目に。心が曇ったときに。そして、ふたりともが同じように感じていた。あの火は、生きている。自分の中の何かを焼いてくれる。ただ焼くだけじゃない。“整えて”、送り出してくれる。そう、あの火はただの護摩ではない。魂の深い層にまで届く、不可思議なる“真言の火”なのだ。

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