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第六回『異世界病院』

 愛した女性を苦しみから解放したかった。


 異世界病院。

 異世界には様々な病気がある。

 魔力特有の病や、異世界の気候ならではの病、種族の身体の構造上起こり得る病、ダンジョンに生息する様々な生物がきっかけの病など、様々だ。

 病を患った者へ救済の手を差し伸べる。

 それが異世界病院。



 ♤



 早朝四時。

 ギルド都市中心部にある異世界病院。

 心臓から血を流している男性が第三オペ室へと運ばれていた。

 第三オペ準備室に緊急招集された六名の医療関係者はオペ服に素早く着替え、オペ室に運ばれた男性の症状を確認する。


「目撃者の話では、突然心臓から血が噴き出したそうです。魔法による干渉の痕跡は見られません」


 症状を聞き、全員が治療法や原因を推察する。


「寄生型生物はどうですか。ダンジョンに生息するブラッドハントであれば血管を破裂させることができる」


「いえ、全身スキャンでは寄生型生物を確認することはできませんでした」


「小型の爆弾などの外傷によって心臓部に穴が空いた可能性は」


「いえ、外傷は見つかりません。内側から加わった力が原因のはずです」


 第一助手の憶測に第一看護師が淡々と答える。

 二人のやり取りを聞き、主治医は可能性を狭める。


「だったら原因はあれしかない」


 そのオペの主治医である男は症状を確信した。


「魔力バーストだ」


 魔力バースト。

 それは魔力の流れが悪くなり滞ったため、魔力腫瘍ができた場合に発生する症状。

 魔力腫瘍によって詰まった魔力が管を破壊し、体内や体外に漏れ出す現象。


 個人によって魔力が流れる場所は異なるが、主に血管を流れる者がいる。祖先が魔力の使用を後天的に獲得した場合に多いと考えられている魔力の通り道。

 反対に、遠い祖先から魔力の使用が可能な種族の場合、魔力管と呼ばれる、魔力が流れる独自の管が形成される。


 仮に前者であった場合、血管に魔力腫瘍ができれば血管を破壊することがある。


「今回の患者に魔力管はあったか」


「いえ、ありませんでした」


「患者は魔法の使用は可能か」


「はい。職業が魔法鍛冶師ですので、魔法は使用できるはずです」


「心臓部付近の拡大スキャン画像を」


「はい」


 右耳に魔法イヤホンをつけた第一看護師は駆け足で別室へ向かう。

 その間、五名の医療従事者は沈黙せず、患者の症状が魔力バーストによるものだという方向で話を続ける。


「まずは破裂した血管の修復作業を行う。破損した血管を切り、血管複製装置〈ルブルムスタム〉で複製した血管を差し込む。または魔力腫瘍を除去する前提で血管修復細胞を投与する」


「後者でしたら瞬間凝固血液を使用し、血液吸引、循環など行う相当な技術が必要となります。それに今回は相当重傷な魔力バーストを起こしている。破損した血管は相当多く見られるでしょう。それに魔力腫瘍の大きさや粘着力は厄介すぎる。しかも場所が場所。繊細な手術が必要となり、

 プロでも毎回成功するとは限らない手術です」


 新入りの第三助手が声を上げる。

 第三助手の言う通り、手術の成功率は高くはない。

 もし魔力腫瘍が肥大化して血管と密着している場合、

 前者の手術は成功率が高い代わりに魔力腫瘍再発の可能性が高い。

 後者は成功率が低い代わりに比較的健康な状態が維持される。


「大丈夫なのよ。血薔薇(ちばら)先生は何百人もの命を救っている。異世界病院で最も優秀な医者の一人だから」


 第二助手が羨望に満ちた目で第三助手に言う。

 その場にいる全員が、主治医に絶対の信頼を持っている。


 そこへ、第一看護師が患者の情報などが入ったチップ型データメモリを持って現れる。

 メモリをすぐそばにある出力機器に挿入し、画面に胸部拡大スキャンの画像を映し出す。


「画像を見る限り、魔力バーストによって心臓にも穴が空いています。その穴を魔力腫瘍が塞いでいる状態です。おかげで今生きてはいます」


 第三助手は険しい表情を浮かべる。

 魔力は基本目には見えず、透過性が高い。


「やはり手術は後者で行う。一宮(いちのみや)、手術道具の手配は」


「既に完了しています。三分後には手術を始められます」


 第一看護師は魔法イヤホンで会話の内容を聞いていた。どのような手術を行うのか、どのような機器が必要なのか。

 その上で画像スキャンも行い、仕事をこなしていた。


「よし。二分で手術の全容を伝える。一語一句聞き逃すな」


 そして主治医は説明する。

 並々ならぬ緊張感の中、全員が彼の説明を頭に叩き込む。



 十分後。

 手術が始まる。

 オペ室には設備が整えられ、それぞれが持ち場につく。


 患者が仰向けで眠る台をそれぞれが囲む。

 主治医、血薔薇黄泉(よみ)は落ち着いた様子で患者を見下ろす。

 第一助手、死薙(しなぎ)は主治医を信頼し、落ち着いて主治医の横に立つ。

 第二助手、六拡(ろっかく)は隣の第三助手を気にしつつも、悟られぬよう主治医の前に立つ。

 第三助手、再逢(さいほう)(のぞむ)は落ち着かない様子で六拡の横に立つ。

 第一看護師、一宮は患者に取りつけた機械を制御する機器の側に座っている。

 第二看護師、有栖(ありす)は照明や空調、その他あらゆる機器の管理・調整を行う。


「これより手術を行う」


 全員がアイコンタクトをとる。

 若干再逢が遅れる。


「メス」


 死薙は血薔薇にメスを手渡す。

 メスには風車の図形が刻まれている。

 血薔薇は心臓部の肉を切り剥がしていき、心臓が露見する。


「人工心肺装置〈ソール〉の準備は」


「既に完了しています」


 血薔薇の問いかけに、一宮が冷静に言葉を返す。

 血薔薇はメスを持ち、心臓部に視覚化されるほど濁った大きな魔力腫瘍を見つける。


「腫瘍を除去する」


 全員が頷く。

 血薔薇は腫瘍の除去を始め、噴き出す血の吸引やその他サポートを助手が務める。


 血薔薇は魔力レンズを左目につけ、魔力腫瘍の切り離しを始める。

 だが途中で動きは止まる。


「どうしました」


 六拡が問う。

 血薔薇の視線の先を追っていた死薙はそれを見て戦慄した。


「まさかこれは……」


 血薔薇の視線は魔力腫瘍に向いていた。

 その魔力腫瘍は時折仄かに赤く光る。


 全員が理解した。


「この魔力腫瘍、爆発しますよ」


 前例は数件ほど。

 だが時折、魔力腫瘍除去手術中に魔力腫瘍が魔法を発動することがある。

 氷の放出、発光などだ。

 魔力腫瘍が赤く光っていることから考えると、火属性である可能性が高い。


 戦慄が伝播する。


「どうしますか」


 魔力腫瘍は魔力の塊。そこに人の意思が加わって魔法が発動されるため、魔力腫瘍が魔法を発動する原理は謎に満ちている。

 考えられている説としては、無意識に魔力腫瘍に意思が伝わった。


 対処法は未だ確立されていない。


「魔法封じのメスを使いますか」


「危険だ。魔力腫瘍に詰まった不純物がその効果を阻害する可能性が高い。刺激するだけだ」


「では……」


「魔力腫瘍の除去を続ける」


 血薔薇の言葉に全員が一瞬動揺する。

 だが血薔薇の目を見て、全員が返事をする。


「はい」


 手術は続けられる。


 血薔薇は魔力腫瘍を傷つけることなく、魔力腫瘍がくっついている血管を薄く切り、次々と魔力腫瘍の接着面を剥がしていった。

 繊細な手さばきで切断し、一時間かけて魔力腫瘍は完全に切り離された。


「有栖」


 有栖は直ぐ様駆けつけ、対火属性ボックスを持ってくる。

 そこに魔力腫瘍を入れ、有栖が即座に蓋をする。

 次の瞬間、対火属性ボックス内から風船が割れたような音が響く。


 魔力腫瘍が爆発した。


 魔力腫瘍には不純物が多く含まれていた。だからこそ魔法の発動も阻害されていた。


 全員が安堵につく。

 その間に、血薔薇は次々と作業を済ませる。


 三時間ほどかけて手術を終わらせた。

 その手術は誰の目から見ても明らかに卓越していた。



 ♡



 九時。

 第三助手を務めたばかりの再逢は、同じ手術で第一看護師を務めた一宮に注ぐコーヒーを作っていた。


「どうだった。血薔薇先生の手術は」


「完璧でした。あの人がこの病院で一番って言われている理由も分かりました」


 再逢は血薔薇の手術の上手さに感服していた。


「まあこの病院で血薔薇先生と張り合えるのは二人くらいかな」


「二人もいるんですか!」


「そうね。でも残りの二人は異世界出身者。血薔薇先生は現実世界から異世界に迷い込んできた医者だった」


「げ、現実世界の人なんですか!?」


 再逢はこれまた驚いた。

 コーヒーがこぼれる。


「現実世界でもともと医者だったから異世界でもある程度の治療はできた」


「でも現実世界に魔力腫瘍とかはないですよね」


「異世界に関する病の対処法を音の速さで身につけたんだよ」


 話しながら、一宮は血薔薇の経歴に感心していた。


「でもなんでそこまで身につけるのが早かったんですか? やはり天才だったからですか」


「いや、それは違うな」


 一宮はすぐに続きを言わなかった。

 不思議に思いながら、再逢は注いだコーヒーを一宮のもとに運んだ。


「血薔薇が異世界に来た時、一人じゃなかった。彼はある人物を抱えながら異世界にやって来たんだよ。現実世界で流行っていたある噂を頼りに」


「ある人物とは一体……」


「それは──」


 一宮が続きを話そうとした時、


「俺の話か。一宮」


 音もなく歩み寄っていた血薔薇が一宮の肩を叩き、話を止めた。


「いたんですか」


 二人とも気配に気付かなかった。

 血薔薇は穏やかな表情で二人を見る。


「あ、すいません。つい話してしまいました」


「問題ない。隠したいような話でもない。むしろ救世主を求めているくらいだ」


「救世主……?」


「気になるなら俺から話そうか」


「良いんですか」


「着いてくると良い」


 まだ温かいコーヒーは残したまま、再逢は血薔薇についていき、消えていった。

 部屋にまだコーヒーの香りが残っている。



 ♡



 血薔薇が向かった場所はある病室だった。

 その病室には一つだけベッドが置かれていた。

 ベッドの側には様々な機器が備え付けられており、それらは全てベッドで眠る彼女のためにあった。


 ベッドで眠る女性。

 色が抜け落ちた白い髪。瞳は鍵がかけられたように閉ざされており、表情に一切の変化が見られない。


 再逢がその女性をじっと見ていると、血薔薇は言った。


「彼女は俺が惚れた女性だ」


「…………っ!?」


 それを聞いた瞬間、再逢は目を見開いた。

 彼が異世界病院でも医者としてやっていけたのは……


「少しだけ、過去の話をしよう」



 ♡



 十二年前。

 現実世界。

 血薔薇黄泉は病院に勤めていた。

 そこでの彼は要領が悪く、手術も失敗するかもしれないという恐怖からできずにいた。


 医者は自分には向いていない。

 そう思った彼は病院を辞めようとしていた。


 彼は息抜きがてら、近くの山を散策していた。広大な森が広がり、一時間も歩けば滝が見えてきた。


「きれいな滝だな。まるで別世界に繋がっているようだ」


 滝を見れば心が洗われる。

 辛いことの一つや二つ、洗い流されていく。


 血薔薇は滝に近づいていった。

 そこで彼は見た、

 滝の中に女性が浮かんでいるのを。


 水面のように透き通る青みがかった髪を持つ女性。瞳も同じように麗しい。


「大丈夫ですか」


 血薔薇はすぐに彼女のもとに駆けつけた。

 幸いにまだ意識はある。

 血薔薇は彼女を抱え、山を急いで駆け降りる。全身に擦り傷を負いながら、一心不乱に木々の合間を抜ける。


 病院に着いた頃には、血薔薇は全身血塗れだった。

 背負っていた彼女は布で覆っていたため、怪我は見られなかった。


 後日、彼女は目を覚ました。

 特に外傷はなく、平然としていた。


 血薔薇は彼女に問いかけた。


「なぜあの場所にいたんですか」


「それが、よく覚えていないんです。なぜあの場にいたのか」


 彼女は記憶喪失になっていた。

 名前も忘れ、自分の生まれた場所さえも忘れていた。

 そのため、彼女はしばらく病院で様子を見ることになった。


 血薔薇は彼女とすぐに打ち解けた。

 性格は真反対。血薔薇は臆病で心配性、彼女は強気でガツガツいくタイプ。

 だからこそ二人のピースははまった。


 何かあれば相談に来る血薔薇を彼女はいつも励ました。

 いつしかお互いにその時間が来るのを楽しみにし、血薔薇は相談がなくとも訪れるようになっていた。


 年月も流れ、六年が経った。


 異変が起こる。

 彼女の青い髪の一部が白く変色していた。


 彼女の様子も変わり始めた。


「黄泉、私がいなくなっても元気でいてね」

「いつになったらあんたは胸を張るの」

「もう時間はないのかもね。それでもあなたは大丈夫」


 そしてその日が来た。

 夜、病院の周辺で不審者の目撃情報が多発していたため、見回りをしていた。

 不意に彼女が入院している病室を覗くと、窓が解き放たれていた。


「こんな夜風に吹かれたら風邪を引いてしまうな」


 血薔薇は見回りを中断し、彼女の部屋に向かった。

 部屋に彼女はいなかった。

 ベッドの上に手紙が置かれている。


「……っ!?」


 言葉にできない感情が胸を襲う。


 彼女がいなくなる兆候はあった。

 この状況もいずれ来るべきことだったのだ。


 血薔薇は手紙を見る。


『いきなりで驚くかと思いますが、というかあなたは確実に驚くはずです。実は私、異世界から来たんです。

 ね、驚いたでしょ。

 本当はもう少しこの世界に居たかったけれど、帰らなきゃいけない。帰らないと、私は自我を失ってしまうから。そうなったらどうなってしまうのか、私にも分からない。

 けれどきっと最悪な結末を迎えてしまう。そんな予感がする。

 あなたとの日々は楽しかった。

 私がいなくても頑張ってね。

 あなたは人を救う医者だ。

 私を救ってくれた。

 じゃあね。』


 手紙を読んだ。

 血薔薇の目には涙が。

 孤独の病室で泣きわめいた。



 血薔薇は泣き崩れた。

 いつもの彼であれば立ち上がることはしなかった。

 だが、彼は大地を踏みつけ、森へ視線を向けた。


「俺は……」


 血薔薇は強くなりたかった。

 人を救いたいと思ったから、医者になりたいと思った。


 原点を思い出した。

 あとは進むだけだ。

 彼女が勇気をくれた。

 だからせめて彼女にお礼を。


 理由づけをした。

 彼女を追いかける理由がほしかった。


「俺はまだ、あなたに会いたい」


 夜風に背中を押され、血薔薇は走り出した。



 森を駆け、山を駆け、滝を目指した。

 滝が見えるとこまで来た血薔薇の目に映ったのは、滝の前で倒れている彼女の姿だった。


 真っ白に染まった髪。

 頭を押さえる彼女。


「大丈夫!?」


 血薔薇は駆け寄る。

 その声で気付き、彼女はわずかに笑みを浮かべる。


「なんだ、来ちゃったんだ」


「来て良かった」


「……だね」


 彼女は辛そうにしながらも答えた。

 血薔薇はどうしようかと頭を巡らせ、滝を見る。


「──ねえ黄泉、こんな噂を知ってる?

 目の前に扉が現れて、扉を開けたら異世界が広がっている。

 その扉を君なら開ける?」


 血薔薇は答える。


「行こう。異世界に」


 血薔薇は彼女を抱え、滝に入る。

 もし手紙の内容が本当だったなら、今の話が本当だったなら、

 彼女と初めて逢ったこの滝が異世界への扉である。

 血薔薇はそう信じ、心中も覚悟で滝に入っていった。


 水に全身を包まれる。

 水の音が聞こえる。

 水の中で、自分が生まれたような……



 ♡



「そして俺は異世界に来た。既にその時彼女の意識はなく、必死に病院を探した。そしてここにたどり着いた」


 彼女が眠る病室で、血薔薇は過去の話を語った。

 再逢は黙って聞き続けた。


「そんな話が……」


「なぜ彼女が眠り続けているままなのか、俺には分からない。異世界で様々な知識を得たが、彼女を目覚めさせる方法は見当たらなかった」


 血薔薇がなぜ優秀な医者としてこの異世界病院にいるのか。

 再逢はなんとなく理解していた。


 彼女を救いたいがためにあらゆる知識を叩き込んだのだろう。

 どんな術も身につけ、彼女の救世主になりたいと願った。

 そして六年間、ずっと探し続けた。


「再逢、何か知らないか。彼女を救う術を」


 血薔薇は問いかける。

 再逢は黙って彼女を見る。


「知っています」


 血薔薇は一瞬足を後ろに下げる。それほどに驚いた。

 再逢の目は冗談を言っていない。


「──しかし、この方法はあまりにも危険すぎます。確実に彼女を救えるとも限らない」


「それでも教えてほしい。俺は彼女ともう一度話したいんだ」


 渋る再逢。

 だが血薔薇は必死に懇願する。


「……分かりました。あなたが望むなら、その方法を教えます」



 ♡



 再逢家。

 その一族は山奥に住んでいる。

 その山は死んだはずの人が現れると時折報告される不気味な山。


 そこへ血薔薇が彼女を背負い、再逢臨とともに登っていた。


「それにしても、何故僕にあのような話をしたんですか」


 山を登りながら、再逢は訊く。


「再逢家のことは噂で聞いていた。だから過去にこの山を登ったことがある」


「しかしたどり着けなかった、ですか」


「ああ。山中を走り回った気がするが、一向に人に人を見つけることができなかった」


「それは仕方ありませんよ。あの場所には我々が案内しない限り一生たどり着けませんから」


「……そうか」


 あの日の徒労は無駄だった。

 だが結局この場所にたどり着くことができた。


 山を登り続けること三時間。

 先頭を歩いていた再逢は祠の前で足を止めた。


「僕の手を掴んでください」


 血薔薇は再逢の手を掴んだ。

 捻れた感覚が全身に伝わり、視界まで歪み始めた。

 それはたった数秒のことで、気付けば場所は変わっていた。


「着きました。ここが再逢家の屋敷です」


 三階建てだろうか。屋根は瓦、主に木材で建築された屋敷が堂々と目の前にあった。

 百人以上暮らせるほど広大な大きさがあり、庭には鯉が泳ぐ池や雀が羽を休める木が立っていた。その側で子供たちが蹴鞠で遊んでいる。


「当主のもとへ案内します。着いてきてください」



 屋敷内。

 床に畳が敷き詰められた部屋。

 そこに着物を着た男が一人正座していた。


「そういうわけで当主、彼女と彼を禁忌の聖域へお連れください」


 再逢臨の申し出を男は表情一つ変えずに受け止めた。すぐに返答はなく、男が口を開いたのは三分後のことだった。


「許可する。──が、私からも忠告しておく。彼女が目覚めるか否かはお前ら次第だ」


「はい」


「最悪の場合、二人とも死ぬだろう。それでも行くなら連れていこう。禁忌の聖域へ」


 血薔薇は隣で眠っている彼女に目を向ける。

 彼女は何も言わない。


「はい。行きます」


 血薔薇は言った。


 当主の男は立ち上がった。血薔薇も立ち上がろうとした時、突然頭に激痛が駆け巡る。

 まるで死んでいくような熱を感じながら、目を閉じた。



 ◇



 目が覚めた。

 けれど夢の中のような世界に落ちていた。

 海の中で沈んでいっていた。


 そういえば俺、何してたんだっけ。

 何かしていたはずなのに思い出せない。

 誰かが側にいたはずなのに思い出せない。


 ああ、沈んでいく。

 このまま、どうか渦の中へ。



 ──さよな…………


 ……えっ?


 手に温もりを感じた。

 周囲の海水を押し退けるほどの熱が俺の手を覆っている。

 いや、掴んでいる。


 そこに誰かいるの。


 一人や二人じゃない。何百人もの人が俺の手を掴んでいる。

 熱に背中を押され、上に上がっていく。

 そして海面を抜けた。


「いってらっしゃい。先生」


 まさか君たちは……



 這い上がり、地面に手をつける。周囲を見ると、広がる大地を横一直線に塞ぐ川があった。

 川には橋がかけられ、奥の方で誰かが歩いている。

 白髪の女性。


「あれは……」


 直後、思い出した。

 俺がここにいる理由を。


「あの人を、救いに来たんだ」


 大地を疾走し、橋に足を踏み入れる。

 彼女が進む橋の終着地には、鎌を持ち、髑髏の仮面を被った人物が立っていた。


 このまま行けば彼女は死ぬ。


 させてたまるか。

 俺はあの人に……


 必死に橋を走るが、間に合わない。

 俺が追いつく前に、彼女が橋を渡りきってしまう。そうなればあの死神のような様相をした人物に殺されてしまう。


 名前を叫ぼうとするが、彼女の名前を知らない。


 引き止めなきゃ。

 どうやって。


 彼女を引き止める方法は……


「俺は、血薔薇黄泉だああああああああ」


 自分の名前を叫んだ。

 それが功を奏したのか、彼女の足が止まる。


 俺は一気に橋を駆け抜け、彼女との距離を詰める。が、足が止まったのは少しの間だけだった。

 彼女は再び歩き始めた。


「待って、待ってよ。俺を置いていくな。俺はまだあなたにお礼を言えていないんだ。まだあなたに思いを伝えられていない」


 走れ。

 走れ。

 走れ。


 彼女と指一本触れ合う距離まで近づく。そのまま全身を彼女に委ねるように、抱きついた。

 それでも彼女は歩みを進める。死神の方へ向かって歩いている。

 目には正気がなく、無意識のように前に向かってあるいている。


「行かせない。君を助けるんだ」


 必死に止めようとするが、思いの外彼女の力は強く、俺の力が足りず、止められない。

 死神との距離も数歩のところまで差し迫っている。



 ◇



 誰かに抱き締められていた。

 その熱には覚えがあるはずなのに、どうしてか思い出せない。

 身体は勝手に動いてる。

 視界はぼやけている。


 私はどこへ向かっている。


 声がする。

 聞き覚えのある声。


 あなたは誰。



 ♧



 血薔薇は彼女を抱き締める。

 引き止めるため。


「なあ聞いてくれ。俺はあなたが大好きだ」


 血薔薇は叫んだ。

 その声は彼女にも届いている。


「初めて会ったあの日、きれいな人だなって思った。それから気になっていて、定期的に診察する日が待ち遠しくなっていた。その日が来る度に嫌なことも全部霧散していく気分だった。幸せだったんだ」


 血薔薇は赤裸々に叫んだ。

 彼女との六年間での思い出を、余すことなく語り続けた。


 血薔薇の話は一時間以上続いていた。

 一心不乱に思い出を話し続けていたから気付かなかった。

 既に彼女の足が止まっていたことに。


「黄泉、私はとっくに目覚めているよ」


 彼女は顔を背けながら答える。微かに紅潮した顔を隠していた。

 血薔薇は彼女が目覚めていたことに気付き、顔を紅潮させる。


「あ……、もう正気を取り戻していたんだ」


「うん……結構前から」


 お互いに顔を火照らせ、互いに顔を背ける。


 しばらく経って、顔の熱も大分冷めてきた彼女が言う。


「ありがとね。私を救ってくれたんでしょ」


「うん。でもお礼を言うのは俺の方だ。あなたがいたから、俺はこの六年で異世界病院の医者として人を救えるようになれた。あなたに勇気をもらったから」


 血薔薇は彼女に感謝を伝えた。

 伝えたかった思いを告白する。


「へえ、異世界病院で医者になったんだ。君はやっぱすごいね。私の見込み通りだよ」


 血薔薇は彼女のおかげで変わることができた。


「それじゃあ帰ろっか」


「そうだね」


 二人は手を繋ぎ、歩いてきた道を戻っていく。


「そういえば聞きたいことあったんですが、名前って何ですか」


「私はね、瀧──」

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