―72― 一番腹の立つやり方
「うざっ……」
自分でも驚くほど低い声が、喉から漏れ出た。
しまった、と思ったがもう遅い。目の前でふんぞり返っていた少女――コーダ=コルツァーネの動きがピタリと止まる。彼女はゆっくりと、芝居がかった仕草で大きなサングラスを押し上げた。その奥の瞳が、面白そうに細められる。
「……今、何か言ったかしら? リリア」
「べ、別に何も」
「ふぅん? あたしの聞き間違いかなぁ。『うざい』って聞こえた気がしたんだけど。まあいいわ、スーパースターは寛大だからね。今の独り言は、あたしに会えた感激のあまり漏れた言葉ってことにしてあげる」
最悪だ。聞こえていた。しかも、それを的確に、一番腹の立つやり方で流してくる。こいつは昔からこうなのだ。人の神経を逆撫でする天才。わたしはぐっとこめかみを押さえたくなったが、ここで反応したら思うツボだ。
「それで、何の用? 手紙にも書いてあったけど、わざわざこんな辺境まで来るなんて、よっぽど暇なんでしょうね」
「暇? 違うわ、これはファンサービスよ。落ちこぼれの元ライバルを気遣ってあげる、あたしの優しさ。どう? 感動した?」
わたしは無言で首を横に振る。その反応すら楽しんでいるのか、コーダは「ふふん」と鼻を鳴らすと、ずかずかとわたしの部屋のドアへと向かった。
「ちょっと、勝手に入らないでくれる?」
「いいじゃない、減るもんじゃないでしょ。それに、あなたがどんなみじめな暮らしをしてるのか、この目でしっかり見ておいてあげないと。後で雑誌のインタビューで語るネタになるかもしれないし」
わたしが止める間もなく、コーダは狭い部屋に足を踏み入れ、まるで高級ホテルのスイートルームでも検分するかのように、大げさに室内を見回し始めた。
「へぇ……。ベッドはこれだけ? クローゼットも小さいし、装飾品の一つもないじゃない。まあ、今のあなたにはお似合いかもしれないけど。質素倹約、いい心がけだわ」
上から目線の言葉の一つひとつが、わたしの我慢の限界を試してくる。だが、わたしは耐えた。ここで言い返したところで、水掛け論になるだけだ。
「用件がないなら帰ってくれる? わたし、疲れてるから」
「あら、つれないわね。せっかくあたしが来てあげたのに。……そういえば、あなた、最近騎襲闘技のトレーニング、ちゃんとしてるの?」
核心を突いてきた。その話題だけは、今一番触れられたくなかったのに。
わたしの表情がわずかに強張ったのを、コーダは見逃さなかった。彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、さらに畳み掛けてくる。
「図星みたいね。まさかとは思うけど、もう諦めちゃったわけ? プロで通用しないって悟って、こんな辺境の町で冒険者ごっこ? 首席だのMVPだの騒がれてた頃が懐かしいわねぇ」
「……あなたには、関係ないでしょ」
「関係なくないわよ。だって、あたしは今や世界ランキング3位。あなたはずっとあたしのライバルだったんだから、そのライバルがこんなところで腐ってるのを見たら、あたしの箔にも傷がつくじゃない」
どこまでも自分本位な理屈。わたしはもう、相手にするのも馬鹿らしくなってきた。
荷物をベッドの脇に置き、コーダに背を向ける。
「もういいでしょ。話は終わり。帰って」
「あら、逃げるの?」
その言葉に、ピクリと肩が震えた。
逃げる……。その単語は、今のわたしの胸に深く突き刺さる。
わたしは、逃げているのだろうか。プロの世界から。自分の限界から。そして、コーダというライバルから……。
「……別に、逃げてるわけじゃない」
「じゃあ、何? ただのスランプ? それとも、もう戦うのが怖くなっちゃった?」
コーダはわたしの背後から、楽しそうに言葉を続ける。
わたしはぎゅっと拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込む。
怖い……? そうかもしれない。セツさんやシーナさんの、あの圧倒的な力を見てしまった後では、自分の力がひどくちっぽけに思えて、戦うことそのものに意味を見出せなくなりかけていた。
そんなわたしの葛藤を見透かしたかのように、コーダは呆れたようにため息をついた。
「はぁ……。本当にがっかりだわ。まあいいわ、しょうがないから、この天才美少女スーパースターのあたしが、直々にリハビリに付き合ってあげる」
「……は?」
わたしが振り返ると、コーダはにやりと笑い、窓の外を指さした。
「こんな辺境でも近くに広場ぐらいあるでしょう。少し、体を動かしましょうよ。あなたがどれだけ腕を落としたのか、あたしが直々に確かめてあげる。光栄に思いなさい」
それは、紛れもない挑戦状だった。
断れば、わたしは「逃げた」と認めることになる。
受ければ、今の精神状態で、絶好調のコーダと戦わなければならない。
最悪の二択。
わたしの心の奥底で、忘れかけていた闘争心と、もう傷つきたくないという臆病さが、激しくぶつかり合っていた。
「……どうするの、リリア? まさか、あたしの誘いを断るなんて、そんなダサい真似はしないわよね?」
コーダの挑発的な瞳が、まっすぐにわたしを射抜く。
わたしは、震える唇をぐっと噛みしめるしかなかった。




