―70― エビ
少女が、オレ様を見下ろしていた。雨に濡れた薄暗い路地裏で、その純白の姿だけが妙に背景から浮き上がって見える。
幼い見た目に反して、その瞳はどこか大人びていて、感情の読めないクールな光を宿していた。
オレ様はただ、声も出せずに困惑するばかりだった。
すると、少女は小さなカバンから何かを取り出し、オレ様に差し出した。
「こんなものしかないけど」
それは、乾いたパンの切れ端と、少し傷んだ果物だった。お世辞にも上等とは言えない。
だが、何日も何も口にしていなかったオレ様にとって、それはまさに天からの恵みのように見えた。
震える手で受け取り、むさぼるように口へ運ぶ。
……うまい。
なんだ、これは……うますぎる……!
こんなにうまいものを、オレ様は生まれてこの方、一度も口にしたことがない。そう断言できるほど、その素朴な食べ物はオレ様の腹と心を満たしていった。
涙が溢れそうになるのを、必死でこらえる。
食べ終えたオレ様をじっと見ていた少女は、静かに口を開いた。
「行くところがないなら、うちにくる?」
……え?
信じられない言葉だった。この醜悪な姿の、元侵略者であるオレ様を、家に?
「い、いいのか……? オレ様なんかを……」
か細い声で尋ねると、少女は小さくコクリと頷いた。
その瞬間、オレ様の胸に熱いものがこみ上げてきた。
まさか、この地獄のような状況から、救いの手が差し伸べられるなんて!
「ぜひ……! ぜひ、いかせてくれ……!」
オレ様は、地面に頭をこすりつけんばかりの勢いで懇願した。
「いいよ」
少女はあっさりと答えた。
やった……! 助かったんだ!
オレ様は感謝の念で胸がいっぱいになりながら、ふらつく身体を叱咤して起き上がろうとした。
だが、少女は「まって」と、静かにオレ様を制した。
そして、オレ様の全身を、値踏みするように数秒間、じっと見つめた。
なんだ……? 頭にはてなマークが浮かぶ。
やがて、少女は感情の篭らない声で言った。
「なんか違う。うん、あなた、これからは四つん這いで過ごして」
「え?」
聞き間違いか? 今、なんと言った?
「あなたは私のペットになるんでしょう。だから、四つん這い。ね、早くして」
ペット……?
オレ様は混乱し、言葉を失った。だが、少女の冷たい視線は、有無を言わさぬ圧力を放っている。
逆らえば、この束の間の希望も消え失せるかもしれない……。
震える手足で、オレ様は屈辱に耐えながら、ゆっくりと四つん這いになった。
すると少女は満足したのか、どこからか取り出した革製の首輪を、オレ様の首にカチャリと装着した。
「うん、ちょうどペットを飼いたいと思っていた。だから、ちょうどよかった」
その言葉と、首に食い込む首輪の感触に、オレ様はなんだか得体の知れない恐怖を感じ始めた。
「あ、あの……お名前を聞かせて……いただいても?」
恐怖を押し殺し、敬語を使って尋ねた。
「なにその口の聞き方」
少女の声音が、一段と冷たくなった。
「え?」
「あなたはペットなんだから、人間の言葉をしゃべってはいいけない。そうね、見た目が海老みたいだから、エビって鳴き声以外禁止ね」
海老……? オレ様が……エビ……?
「え、エビ……」
かろうじて、それだけを口にする。
「そうだ、名前をつけないと。あなたはこれから『エビ』ね」
「え、えび……」
「うん、気に入ってくれたみたいでよかった」
少女はそう言うと、オレ様――いや、エビの頭を、まるで本物のペットにするかのようにポンポンと撫でた。その手つきに、感情は一切こもっていないように感じられた。
そして、少女はふと思い出したように言った。
「そうだ、まだわたしの名前を伝えてなかった」
少女はオレ様を見下ろし、静かに告げた。
「わたしは『虚構の魔女』リリウム」
魔女という単語を聞いた瞬間、オレ様は悟った。
とんでもなく大きな間違いをしてしまったことを。
「近々、この町ラグバルトに魔女が集まる。そのためにやってきた」
その言いながら、彼女はオレ様につながっているロープを強引にひっばる。逃げることができるなら、逃げたいがそれは叶いそうになかった。




