心霊スポットでの遭遇
気がつくと、どこかの建物の屋上にいた。
おかしいな。さっきまでトラックの助手席にいたはずなのに。葉月ねえちゃんも富本さんの姿もない。空には星空の代わりに灰色の雲のが覆い、真っ赤な夕日が浮かぶ。
「急いだ方がいい」
後ろで声がした。背後にそびえる巨大な給水タンク、そこに腰かける人影があった。知らない男の子だった。黒い学ランを着ている。歳は中学生ぐらい。前髪はパッツンで青白い丸顔。目はマジックで塗りつぶしたように真っ黒で瞳が見えない。
「君は誰?」
相手は答えない。口元が冷たく笑った。この人は生きた人間ではない。直感的にそう思った。
「ここはどこ?」
「あすなろ海岸だ」
「ここじゃないよ。僕らが向かっているのは、もっときれいな砂浜だ」
「いいや。ここがあすなろ海岸だ」
「嘘を言うな」
「ホントさ。人は死ぬとき、いつも、同じ場所にいる」
少年が立ち上がり、まるでマジックショーみたいに空中を歩いた。歩いたというより、フワリと浮かんでいる感じなのは、彼の足がなかったせいだった。
「急いだ方がいい。遅くなるほど、怖くなるぞ」
少年の隣に葉月ねえちゃんがいた。僕はとても不安に駆られた。一緒にいたらダメだと叫んだが、声に出てこない。
「君もすぐ追いつく」
突然、足元が沈んだ。コンクリートが飴細工みたいに溶けて、自分の足が埋まっていく。泥でできた底なし沼を空想させる。めちゃくちゃに暴れるが、今度は腰から下がぬかるみの下に消えた。
「葉月ねえちゃん行ったらダメだ!」
首から下が埋まると、二人が空へ上がっていく。行ったらダメだ! 僕は強く叫び続けた。葉月ねえちゃんがこちらに手を振っている。もう、二度と会えない気がした。
急に、目の前を大きな獣が突っ込んできた。
避ける暇もなく、僕は目をつぶった。
突然、ガクンと体が前のめりになり、僕の目は覚めた。どうやら、トラックが急ブレーキをしたらしい。
幸い、ベルトをしていたので、ダッシュボードに頭をぶつけずにすんだ。
「すまん! 大丈夫か、ボン?」
「……大丈夫、平気です。どうかしたんですか?」
「さっき、なんかがトラックの前を横切ったんや」
フロントガラスに映るのは、人気はおろか、電灯一本も立ってない山道だった。左右はガードレールと山肌が続く。ガードレールの向こうは木々が並び、その向こうには霧が立ち込めている。絶対に一人で歩きたくはない。
「すまんが、確認しとくわ。念のためやからな」
富本さんは懐中電灯を持って外へ出た。葉月ねえちゃんも出ていくので、僕も怖いけど後に続くしかなかった。
誰かが何も言わずに肩を叩いてきて、僕は叫んだ。葉月ねえちゃんだった。普段でも顔色が悪いのに、ここでは幽霊みたいだった。
「驚かさないでよ。何だよ、一体」
「あれ」と、彼女が指さす方に看板がかかっている。
『○×ゴルフ場までここから車で十五分』
その下に赤いペンキで落書きしてあった。
『ここマジで出るゾ!』
『落ち武者出没注意』
『死ねばいいのに』
『祝ってやる』
何が出るのか教えてくれないのが腹立たしい。他愛もない悪戯だけど、今の時間は草木も眠る丑三つ時の上、ここはいかにも何かが出そうな場所だった。先週見れなかった心霊番組で紹介された心霊スポットはきっと、こんなところに違いない。
背中に汗が流れてきた。腕にも鳥肌が浮かんでいる。
「あの、この辺で何か出ますか?」
「わしは仕事で今ぐらい時間にここを通るけど、生きた人間に会うた事は一度もあらへん」
「生きてる人以外は出るんですか?」
「こんなとこで出ない方がおかしいで」
富本さんは奥歯の金歯まで見えるくらいニヤけてみせた。
ああ、あすなろ海岸まで遠すぎる。
「早く車に戻った方がいいと思いますよ」
ボンネットを確認する富本さんは「そうやな」とうなづいた。そうそう、こんなところ長いは無用だ。僕らは二人よりも先に車へ戻ろうとした。
サガガサッ――。
茂みの奥で何かが動いた。虫とか鳥とかそんな小さな動きではない。もっと、大きな何かだった。
「イワコデジマ、イワコデジマ……」
僕は小声でおまじないを唱えながら、草むらにライトを向けた。
何もいない。気のせいみたいだ。胸をなで下ろした瞬間、足元に何かが当たった。柔らかく動く感触。そして、生暖かい息づかい。
そこに目を向けた時、地面にいた生き物と目が合った。
「ブヒッ」とそいつは鳴いた。
「ぎゃああぁぁぁっっ!」
僕は絶叫を上げて腰を抜かした。
「ボン、どうないしたんや!」
駆け寄る富本さんの横で、葉月ねえちゃんが僕のそばにいる何かにライトを照らした。
「ブヒッ」
四本足のそいつがまた鳴き声を発した。
「かわいい」
こっちを心配するどころか、ゆっくりとそいつに近づくと、薄いピンク色の脇腹をなでた。
僕を恐怖におとしいれたそいつの正体は、一頭のブタだった。ピンと立てた三角の耳、前に突き出た鼻、ぐるぐるに巻いた尻尾、そして、つぶらな瞳。大きさは子豚よりも少し大きい。ちょうど食べ頃だ。
「タイくん、食べちゃダメだからね」
葉月ねえちゃんが言った。僕の心が読めるのか?
「ブタか。こんな山道に豚がおるなんて……お、こいつはどっかの牧場から逃げてきたんやな。見てみ、耳にタグが付いとる」
富本さんの言うとおり、子ブタの耳にぶら下がっているタグには、番号が刻まれており、下には『安くておいしくブーブーファーム』と印刷されてある。
「そういえば、朝のニュースで横転して、ブタが逃げ出した事故があったよね。きっと、そのうちの一頭がこの子なのね」
「何キロも逃げてきたんだな。でも、かわいそうだけど、コイツは家畜のブタだ。トンカツかトンテキになって、人の口に入るために生まれてきたんだよ」
「私、この子を飼うわ」
「はい?」
いきなり出た葉月ねえちゃんの宣言。僕は自分の耳が腐っていないか、自分の耳をかき回してみた。大丈夫。本当に腐っていたのは、彼女の頭の方みたい。
「こいつは農場の豚だよ。葉月ねえちゃんは、人の物を盗むと窃盗で犯罪になるって学校で習わなかった?」
すると、葉月ねえちゃんは何をしたと思う? ブタの耳からタグを外した。
「これで、野良犬ならぬ野良ブタになっちゃった。この子は、タイくんと私にすごくなついてる。この子がミンチにされて、作られたハンバーグを食べられる?」
僕は答えようがなかった。つぶらな瞳は確かにかわいく見える。でも、ペットを飼うのは簡単じゃない。毎日、餌をやらないといけないし、散歩もしてやらないといけない。いつか、ペットが死ぬのを看取らないといけない。もっとも、僕らは数時間後にはこいつよりも先に死んでいるかもしれない。こんな無責任な飼い主がどこにいる?
「でもな、ねえちゃん、ブタはくさいで」
「ブタが臭うのは、飼育者の責任なんです。ひどい環境でも生きられる我慢強い動物だから、飼育する人は手を抜いてしまうの。むしろきれい好きで、寝床とトイレを分けているの」
「そうやったんか」
なるほどと感心する富本さん。
「でもさ、ブタはよく食うよ。しかも大きくなったらデブになるし」
「タイくんは知らないの? ブタの体脂肪率は十八%くらいしかないのよ。女性モデルと同じぐらいなの。だぶついた体は全部筋肉」
「ブタって、馬鹿そうじゃん」
「ブタはイルカと同じくらい賢い動物って言われているのよ。もしかしたら、タイくんより賢いかも」
「僕ら、これから……するんだよ」
僕らはこれから死ぬんだぞ。そう伝えたかったのだが、富本さんに分からないように濁して言うしかなかった。なのに、葉月ねえちゃんは首をかしげた。あたかも聞こえないと言わんばかりに。
「飼ってもいいよね?」
と、勝手にトラックに子ブタを乗せてしまった。そして、自分のカバンから、便所の隅に置いてあるような消臭剤を取り出すと、車内をほのかなラベンダーの香りで満たした。
どうして、そんなものを持ってきんだ?
「よっしゃあ、新しい旅のお供ができたところで出発しよか」
トラックは夜道を再び走り出した。
「ねえ、葉月ねえちゃん」
「なあに、タイくん?」
「もしさ、葉月ねえちゃんが事故で死んだりしたら、こいつを誰が面倒見るわ? 言っとくけど、僕は嫌だからね」
「タイくんも死ぬんじゃないの?」
僕はまた大きな咳払いでごまかした。
「うーん、そうねえ……ピーちゃんが死んだら、私も悲しい。その逆は分からないなあ。でも、タイくんはお姉ちゃんが死んだら悲しいよね?」
「か、悲しいに決まってるだろ」
「じゃあ、私がいなくなったら、ピーちゃんが悲しまないように、タイくんが面倒見てあげて欲しいな」
どうして、そんな答えになるんだよ! 一+一=七というぐらいおかしい。どうかしてる。というか、こいつの名前がピーちゃんだといつ決まったのだ?
「面倒なんか見ないからね。葉月ねえちゃんが勝手に飼うんだから。てか、名前がダサいよ。ピーちゃんなんてありきたりだ。センスを疑うよ」
「じゃあ、タイちゃんはどう?」
「ハヅキ二号にしよう」
子ブタがどちらもイヤだと言っているように、「ブッブ!」と大きく鼻を鳴らした。
「トンくんがいいな。トンカツのトンだ」
「ドンにしましょう。その方がカッコイイと思う」
富本さんはケラケラ笑った。
「おもろいな、二人は。仲のええ姉弟はうらやましいわ。ドンでええやろ。親分みたいな感じで貫禄があってええ」
確かにドンならいいかもしれない。飼い主がいなくなってもたくましく生きていけそうだ。ドンくんには、飼い主の二人が死んだあともたくましく生きて欲しい。




