真実
「少々始末に手間取っておりました……、お待たせして申し訳ございません」
ナハトは深々と頭を下げた。この殺伐とした状況で冷静に詫びるものだから面食らう。鴎外はまたもや邪魔が入ったおかげで憤慨しきっていた。
「貴様あ!?新人のクセして私に歯向かうと言うのか!!」
唾を飛ばして喚き散らす鴎外に向かって、ナハトは呆れたように肩を竦めて返した。笑顔を浮かべているはずに瞳には軽蔑の色が見える。人間の表情に対してこんなに冷たい印象を持つのは、冬千夏にとって始めてのことだった。そして疑問もひとつ、浮かんでいる。
彼が立っているのは入り口の扉から一歩前へ出た辺りで、冬千夏と藤岡のすぐ傍。鴎外は部屋の中央にある書斎机の前におり、ナハトからは一番距離が遠いはずだった。
――どうやってナイフを飛ばしたんだろう?
「サル芝居もその辺になさってはいかがですか、旦那様?……いえ、もう旦那様とお呼びする必要もありませんね」
冬千夏と藤岡を守るようにナハトは立ちふさがる。執事服の袖口から食用ナイフを滑り出すと、風を切る速さで鴎外へと投げた。
「きゃっ!」
冬千夏が叫んだ。同時にズグリと、人間の骨と肉を金属が貫通する鈍い音が響く。ナイフは鴎外の眉間に真っ直ぐと根元まで突き刺さり、素人目に見ても絶命したかに思えた。
しかし鴎外は前後に揺らめいただけで倒れない。白目を向いて涎を口から垂らしているが、その場に棒立ちしている。
「種明かしといきましょうか……お嬢様、私のそばから離れぬよう」
冬千夏はぐったりした藤岡に駆け寄り、膝上へなんとか抱き込んでナハトの後ろに後ずさる。ぜえぜえと息を吐く藤岡は見るも痛々しい姿だったが、自分一人では部屋の外へ運び込めない。今できるのは、これから起こる出来事から目を逸らさずにいることだけだ。
「ーーなんだ、バレていたのか」
眉間から血を流してニタリと笑う。鴎外の姿は傷口からボコボコと泡立ち醜く変形し始めた。肌はタールのように黒く色づき爪は鋭く伸び、大きく尖り出した両耳の間では皮膚のギリギリまで裂けた口がガパリと開く。灰色の体液を垂れ流す喉からギギギギと、金属同士が擦れ合うような耳障りな咆哮が発せられた。大きく飛び出た5つの瞳すべてがナハト達を映す。
「ひっ!」
「ああ……!」
吹き飛びそうになる意識を、冬千夏は爪がくい込むほど手を握ることで必死に保った。目を薄ら開けていた藤岡は驚愕の声をあげ、そのまま意識を手放してしまう。ナハトだけがじっと動かず変わりゆく化け物の姿を見据えていた。
「冬千夏だけハ道具トして、生かしてやろうとも思ったが……。こうなっテシマッテは仕方ない、全員喰ロウて我がチカラの糧にしてヤル」
不快な水音がグボグボと混じる聞くに堪えない声だ。
「……あなたは冬千夏さまのご両親を飛行機事故に見せかけて殺害し、伯父君になりすました。そうですね?」
「!」
怪物を無視するナハトの言葉に硬直する。ナハトの言葉に、怪物は唾液を巻き散らし笑った。
「そウだ……この際すべテ話して。すべテお前を手に入れるため、我が人間共を支配するため。冬千夏に眠ル奴のチカラを手に入れるべく、人間如きになりすました」
彼らが何を言っているのか、冬千夏にはわからなかった。一気に色んなことが起こりすぎていて理解が追いつかない。
「16歳の誕生日に解放されル、惑星……否、宇宙すら揺るがす程の未知のチカラ。こンな小娘が奴の“器”だト、調べるのにモ苦労しタ……」
お父さんとお母さんを殺害?
叔父さまは、叔父さまじゃなかった?
ちからって何、奴って誰?
この化け物は、なに。
「うっ」
首を後ろに曲げてなるべく藤岡から身体を離し、せりあがってきたものを吐き出した。喉が焼けるように熱い。手足がひどく冷たい。満身創痍だったが、今意識を手放してはならない――そんな気がした。真実を知らなければならないという意思は固かった。それに今自分が気絶なんかしたら、誰が藤岡を守るのだ。
冬千夏は破かれた衣服を引き千切って口元を拭い、化け物に向き直る。
「さテ、お喋りはコこまでダ。そろそろ時間が惜しい……大人しく私ニ喰わレレば恐怖モすぐに忘れよう」
怪物の身体から細い針のようなものが次々と生えてくる。攻撃を仕掛けてくる気だと嫌でもわかった。
「さてお嬢様、私はこれからこの外道を始末致します」
ナハトは白手袋を外しながら背中越しに冬千夏に語る。
「な、ナハトさんは」
「私は大丈夫で御座います。……しかし少々、お願いが」
首だけわずかに振り返ったナハトの顔は憂いを帯びていた。
「ご自身の目と耳を塞いで頂けませんか。……これ以上恐ろしい思いを、あなたにして欲しくありません」
哀しそうな、寂しそうな笑顔だった。
どうして私にそんな顔をするんですか、そう口に出しかける。
「……」
押し黙ってゆっくりと瞼を閉じ、両耳を手で覆った。
「……冬千夏さまはお強い方ですね。……さて」
ナハトの呟きが冬千夏に届いたかはわからない。
冬千夏は目蓋をきつく閉じて、どうかナハトと藤岡が助かるように、怪物が目の前からいなくなるように、強く強く祈るだけだった。