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2-8

 一旦、家に帰って鞄にバスローブを詰め込んだ。ほとんど揃っているから他はいらないけど、寝巻きだけはどうしてもこれがいい。そうじゃないとぐっすり寝れない。


 そして協会都市にとんぼ返りした。もう日が落ちて暗くなった夜道のレンガがところどころ薄く光っている。川の飛び石みたいにコントラストが幻想的で綺麗なんだけど、人によっては気味悪がるらしい。

 あまり遅すぎても迷惑だろうから足早に道を急いだ。


 辿り着いたのは魔術師が入居するアパルトマン。その中の一部屋を開けて料理をしていると、部屋の主が帰ってくる。


「おかえりなさい」


 声を掛けて玄関に出るとベルが笑顔で「ただいま、リリー」と返してくれる。

 今日も仕事が遅くまでかかったんでしょう。最近『飾』の人達全体がなんだか慌ただしくしている気がするから、ベルも当然そうだと思ったの。


「突然でごめんなさい」

「いいのよ、リリーなら。今日は何か作ってくれたの?」

「一応は作ったんだけど」


 買い物袋を受け取って傷みやすそうな食材が無いか確認する。

 今日はおやつを買ってきただけだったから、持ってきたウィンナーを鍋に投入した。これでポトフの出来あがり。

 その間、ベルは自分の身支度を済ませてる。ご飯を並べる頃には厚手のワンピース姿のベルが席に着いた。


「じゃあ、温かいうちにいただこうかしら」


 ベルの好みに合わせて薄味にしたんだけど、久しぶりで分量間違ってないか不安になる。じっと見ていると、「おいしい」と目を和ませながらほめてくれた。


 夕ご飯後のシャワーも全部終わらせてさっぱりした後は、もこもこしたソファーでホットミルクを飲みながらのんびりする。黒猫のぬいぐるみ、まだベルは置いてくれているのね。


「それで、どうしたのかしら」

「喧嘩じゃないけど、あたし、あんま聞いちゃいけないこと聞いたのかって思って」


 ベルは明日の用意をしながら話を振ってくる。

 そして何となく黒猫を抱きかかえながら答えた。縫い目が少しだけ粗いこのぬいぐるみは、私が作ったものだ。黒猫が好きだって聞いたから、ベルにあげた。


 言い淀んでいる私を急かすわけでも無くのんびりと作業を終わらせて、ベルは隣に座った。いつもこんな感じね、話を聞いてくれる時は。


「その、ベルとあいつが一緒にいたって、誰かが見たらしくて。それで、あたし、あいつが変なことしてないかって思って」


 フィロガと自分の事だって分かったベルは「あらまあ」と自分のカップに口をつけながら私の続きを待っている。

 そして私はぬいぐるみを持ったままうつむいた。そのせいで黒猫の姿がくしゃくしゃになる。


「ディートと話してた時に、いかがわしい場所がどうのこうのって、出たから。そんなとこに行ってたら嫌だと思って、あいつに聞いたのよ」

「そうしたら?」

「聞いたら、なんでかディートに怒り出したの。それで、険悪になって。あたしが聞いたのになんでそうなるのよ」


 話し終えたら、ベルは「あの人はバカね」と言って私を抱き締めた。そして腕を離して少し悪戯っ子のように笑う。


「リリーは、いかがわしい場所って意味は分かるんでしょう」

「流石に分かるわよ」

「そうなのにね。リリーにはそういう知識なんて早すぎるって思ってるのよ」


 義兄の意味が分からない勘違いにため息をついた。

 いい年した大人の私が知らないってどう考えてもおかしいじゃない。


 変形した黒猫の形を整えていると、ベルが「でもね」と微笑みながらカップをゆっくりと回す。


「フィロガの気持ちは、ちょっとだけなら分かるわ。あの人、まだリリーを子供だと思って接しているから。バカで独りよがりだけど、それもまた可愛いところではあるのよ。リリーには悪い方向で出てしまうだけで」


 私はとても複雑な気持ちになった。理解できないフィロガにだけじゃなくて、あいつを貶しているけど言い方が優しいベルにも。ベルはきっとまだ好きなの。あんなに一方的で酷い対応されたのに。


「何もされてないのよね、ベルは」

「むしろ私が引きずり回したのよ。楽しかったわ」


 そう言ったベルは特に暗い感じじゃないから、本当にただあいつが振り回されただけって事が分かった。同情なんてしないわ、いい気味よ。


「でも、本当に……リリー、フィロガが嫌になったら一緒に暮らしましょう?」

「それは、大丈夫よ」

「そう? 残念だわ、あの時期は賑やかだったから」


 そう言ってもらえるだけで私は嬉しい。だから、同居のお誘いはいつも断っている。私は最後まであの家に居ようって思っているから。


 微笑むベルに身を寄せる。

 そろそろ眠くなってきてソファーに横になる。ベルも自分のベッドに入って明かりを消した。ブランケットを被るともう意識がうとうととしてきた。


「落ち着いたら、また演奏、聞きに行きましょうか」

「うん、お姉さんと一緒に行きたい」

「あら、もうお姉さん呼びはやめるんじゃなかったの?」

「家の中でくらい呼ばせて」

「もう、わがままなんだから」


 半分くらい何を話しているか分かってないまま私は眠気に吸い込まれていった。



 ***



 次の日、同好会で目の隈を作ったヤンと会った。すごい眠そう。作業が徹夜になってしまったらしい。人手に余裕が無い部署だからこういう時は大変ね。

 眠気覚ましにミントを嚙んでいるからこっちまで目が刺激されそう。


「昨日は何か進展があったか?」


 呆れていた義兄がその言葉に咳払いして真面目な顔になる。


「水晶熔の歴史的考察を交えると、北大陸からの征服民がルクスに持ち込んだ魔道具かもしれないってさ。それと、その魔術体系はリスリヴォールの魔術とかと似ているんじゃないかって疑惑がある」


 私が先に出た後も話が進んだらしくて議事録の内容が増えている。あの滅茶苦茶気まずい空間でもフィロガとディートリヒは話ができたらしい。今は二人とも普段通りに接しているわ。

 そしてどうしてそんな話になったのかはまだ分からない。


「興味深い話だが、その理由は?」


 当然の疑問をヤンがぶつける。

 一緒に呑んでいる白湯の温かさでその目が逆に閉じそうだけど果たして意味があるのかしら、そのミント。


「一点目は記述式の魔道具じゃなさそうな点。紋様や文字が内部に彫られている可能性はまだ捨てきれないけど、解析魔術で検出できなかったなら低いよね」

「確かにそうだが……だが、それとリスリヴォールとの関連性はどこにあるんだ?」


 興味をそそられてヤンが解析器具を取り出す。

 データの内容を確認するつもりみたいだけど、眠気で操作がうまくいっていない。それをディートリヒが引き取って「後にしろ」って止めた。


 もう、先に寝たほうがいいわ。そう思ったけど、ヤンはどうしても話を聞きたいみたいで帰る気はない。

 ラインハルトが揺れるヤンを迷惑そうに押し返した。今日の彼は全然関係ない本を読んでいる。もちろん、前にディートリヒに注意されてたけど、本人曰く話は全部聞いているから問題ない、らしい。


 そんな二人を見てため息をつきながらフィロガが話を続けた。


「二点目は、魔力回路が非常に見えにくいって点」

「協会の解析妨害と同等の魔術が組み込まれているのではないかという考察だったが」

「でも、隠しているわけじゃなかったら?」

「隠してないという……?」


 残りは全部黒板に書いて話すのを止めたわ、フィロガは。

 ぼうっとした様子のヤンが数秒間その箇条書きを眺めて「なるほど」と呟いた。いつもよりヤンの閃きが遅い。


「つまり、妨害が主目的ではなくあくまで副産物だったとしたら、って事。そして、協会魔術やルクスの魔術、いや光術とは魔力へのアプローチが違う魔術体系だったら?」

「そもそも視覚優位の魔術体系でなければ協会の紋様式もルクスの記述式も確かに適さないな」

「そうなんだ。それで、リスリヴォールの魔術体系は魔力の捉え方が音だって文献に書いてあったから詳細を読んでたんだけど。魔術兵器の項目があってさ」


 そう言って紙の束を義兄が持ち出した。昨日、中座して持ってきてた資料ね、あれは。紐で軽く止めてあっただけだからバラバラにして一部を抜き出している。

 開いて見せた記述の中に水晶熔の言葉があった。


「北大陸には広範囲にこの物質を使った魔道具が伝播したんだけど、呪文式で発動させるのが主流で。特に相性が良いのは詩歌による魔術とあったんだ」

「歌による発動とは古風だな」

「で。リスリヴォールはその形式を踏襲している」


 ミントを山羊みたくもぐもぐ食べるヤンは空中を見ながら「どこで聞いたんだ?」と首を傾げている。

 笑うフィロガはその質問をスルーした。


 私は義兄の態度を思い返す。

 最初に怒りだした理由は理解できた。さっきからずっとディートリヒが遠い目をしているのは、私が帰ってから聞いたんでしょう。メアの出身がいろんなところでばれているうえに、言い逃れできないわよこれは。


 自分のペースで話を続ける義兄は、同じく自分のペースを崩さないラインハルトに目を向けた。


「そこで音響魔術で一回確認してほしいんだ、ハル」


 本を閉じたラインハルトは「ですが先輩」ととても微妙な顔をした。信者もどきのこいつがフィロガの言う事を聞かないのは、別にやる気が無いわけじゃない。


「ここですとかなり不快な思いをしますけど、どうしますか」

「我慢するしかないんじゃないかな」


 ちらりとヤンを見る義兄に頷いたラインハルトは、すぐに「分かりました先輩」と返事をした。当のヤンは全く視線に気づいていない。私とディートリヒはヤンの無事を祈ったわ。

 いつも身に着けているネックレスをラインハルトが外すと小さな音が聞こえる。


「防御をお願いします」


 そう忠告してラインハルトが魔力を筒に流そうとする。私達はすぐに結界魔術で自分を囲った。

 一拍遅れてけたたましい音が響く。魔力を結界で遮断しても耳元で金切声に近い音が鳴っているような感覚がする。そして寝ぼけていたヤンは思いっきり遅れて「うるさい!」と部屋の奥に逃げ込んだ。


 私が代わりにヤンの結界を張ったところで、ラインハルトが音響魔術の解析を始める。余計に聞こえる音が酷くなる。しばらく我慢してたら音は止まった。彼が制御のネックレスを掛け直したからよ。


「このスケールは荒々しいですね。魔道具としては協会のほうがやはり優れているかと」

「魔術体系的には、その音ってリスリヴォールに近い?」


 関係ない感想を呟くラインハルトに義兄が話を振る。


「先輩が言っているのは、リーメア・スレイの使った魔術と同じスケールかという事ですよね。コードとして奏でられそうですけど、どう思案しても一音が雑音と化しています」


 半分以上言っている意味が分からない。専門用語じゃなくてもう少し分かる言葉で説明してほしいわ。


「つまり、魔術体系に類似性が認められるが、サンプル数が少なくて断言はできないんだな」


 ヤンが戻ってきて翻訳してくれた。あの音を喰らったから目がばっちり冴えてしまったらしい。でもミントは食べたままで格好は付かない。


「彼女が使った魔術とメロディーの弾き比べをしてみますか?」

「そうだね」

「場合によっては史料が反応する恐れがあるので魔力障壁を掛けてください」


 こくこくと頷いたヤンが結界魔術で筒を保護した。ただ、眠い状態だとそんなに持たないでしょうけど。

 で、ラインハルトがヴァイオリンを持ち出して演奏したけど二つの曲が似てるかは私には何とも言えない。こいつのヴァイオリンの腕がいいのだけは、分かる。オーケストラに紛れてても問題ないくらい。


 そしてラインハルトは弾き終わると何かが刺激されたのか膝を地面について落ち込んだ。


「これでは解析とは言えません! 音を並べただけです!」

「開発途中じゃ、仕方ねーだろ」

「でも、でも! 速さも強弱もない魔術なんて」

「俺らは魔力が音には聞こえねーからな、それだけでスゲーよ、ハル」


 ディートリヒが何故か慰めている。

 そこに調子づいてラインハルトが「メソッドを解析」云々言い出したから、フィロガが軌道修正を図った。


「ハル、音響魔術の研究をやっているわけじゃないからね」

「ええもちろんですよ先輩!」


 釘を差したフィロガに笑顔で答えるラインハルト。でも、そういうけど隙あらば自分の研究を進めようとするからそこの信用は無い。


 それからは解析結果を整理しての話し合い。

 本当は結界を掛けないで音に反応するのか確認したいけれども、切断が駄目なら本番はできない。魔力石と同じで暴発したら目も当てられないわよ。イリアさんに怒られる。

 だからあくまで仮説を提示するだけってことになるけど、何も収穫が無いよりはいい。


 依頼については目途が立ったからこれで一安心ってところね。

 目標は達成したから今日は早めにお開きになる。そして睡眠不足でヤンがふらついているからって事で義兄がヤンのお兄さんを呼んだ。

 山賊みたいな見た目が変わってたから驚いたわ。顔にあった傷で分かったけれども。


「こら、ヤーニャ。先に体調を整えないと駄目だろ」

「うるさい。大声出すな」


 駄々っ子みたく耳を塞ぐヤンを背負って「またな」と言って去っていった。成人女性も軽々持ち上げられるって、相当鍛えているわね。

 そんな兄妹を見送ったら買い出しに向かう。義兄はまだやることがあるからって『理』の塔に戻っていったから一人。

 いつものお店の奥さんは薄黄色のカボチャを陳列棚に並べているところだった。

 夕ご飯の食材はもう選んだけど、ちょっと奥さんに聞きたいことがあったから声を掛ける。


「おや、魔術師様。シャケトヴァの本かい?」

「いいえ、違います。ちょっと食材を探していて。野菜か果物なんですけど、味しか分からなくて……教えてください」


 あのトリシャのゼリーを再現して梅干しみたくして食べたいと思ったの。


「うーん、味は甘いのかい?」


 思い出そうとするけど、あれは加工したから酸っぱいのか塩辛いのか。甘さはあまりなかったから、とりあえずそう伝えた。


 出てきた候補は茶色のナッツとプラムとプルルとクコの実。


「とりあえず、これで試してごらん。プルルは薄めると味変わるからさ」

「ありがとうございます」


 全部煮汁をとってひたすらゼリーにしていくしかない。少し余計に買わされた気もしている。けど、いつも親身になってくれるからそれはいいとして。味見をするだけで重労働よね、これは。全部はさすがに食べきれないから、残ったものが問題よ。

 適当に義兄に押し付けようかと考えながら麻袋に詰めていると、他の人が来たみたいで奥さんがそっちに向かった。


「ホラスさん。協会には慣れたかい?」

「はい、おかげ様で。よくしてもらって、ありがとうございます」

「そんな事ないよ、誰だって最初は世話されるもんさ」

「早くなじめるように頑張りますね」

「そうだねえ……おや、魔術師様、どうしたんだい?」


 奥さんが首を傾ける。相手は細身の知らない男性。私が目を向けるとぺこぺことお辞儀をした。

 その様子を見た私は「なんでもないです」と言って店を出る。


 歩きながらさっきのやり取りを反芻する。

 あの人はきっと大嘘付きだって思った。でも、下手に指摘してもおかしいと思われるだけ。

 そんな精神的にも物理的にも重い足取りのまま、私は家まで帰った。

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