【サイドA】2-3
動くだけならいいとネグリアの許可を得られた。未だに軟禁には変わらないのだけど、庭で訓練してもいいからまだマシな状況。
今日は空が青い。魔術で竜巻を空中に作り、そして全く関係ないけど雨を降らせてみる。
「メア、今すぐやめるんだ」
男性の声に、集中力が切れてゆっくりと振り返る。案の定、柱にもたれ掛かってこっちを睨んでいる先生がいた。東大陸によくいる焦げ茶の目と髪。どこの国出身か聞いたらナイフが飛んだことがあるから、詳しくは知らない。
そんな先生の隣にはあの拠点の管理者の女性。
屋敷を歩き回る時の給仕服ではなく、そして会議の時のドレス姿でもなく。
体の線を強調しているボタン無しシャツとレザーパンツ、そして丈の短いジャケット。真紅の髪は編み込んで一つ縛り。
その格好も、とてもよくお似合いなマーヤなのだけど。目の色が文字通り変わっている時点で恐怖しか湧かない。想像通り、やはり私にお怒りだった。
マーヤは口元だけ笑みを刻んで金色の目で私を見つめる。
「相変わらずよねえ、メアの魔術。羨ましいわ、色んな事が出来るのって」
「そうですか」
「だって、空も飛べるじゃない」
できるのは、滑空であって飛行ではない。
しかし彼女は魔術師ではないからそこまで細かくは理解していない。先生は分かっているけど訂正はしない。
私は窺うように彼女を見つめる。刺激をしたら大変なことになる。
「こちらには何用で」
「オーガ狩りの帰りなのよ。久しぶりでちょっと危なかったの」
動きやすい服装なのはそういう事か。そのまま私の近くまで歩いてくる。できれば今はお引き取り願いたいけど、先生が止めない時点で諦めた。
「メアも、完全復帰にはあと少しだけ時間かかるのでしょう? ほら、一人だけだと退屈じゃない。折角だし、模擬戦でもどうかしら」
誠心誠意、お断りをしたい。
しかし、マーヤはやる気らしい。先生はあらぬ方向を見ている。これは、言いくるめられたか。もしくは買収……先生、時々簡単に欲望に負けていませんか。そう視線を込めようとしたらマーヤの顔が目の前に映りこんだ。
「一人より二人の方が、よりいいじゃない、ね?」
逃げたい気持ちが大部分を占めているけれども、マーヤは序列が上。
逃がす気はないという事。目を泳がせても仕方ないので、私は短剣を手に持った。彼女の手には鉄扇が握られている。
「本気を出さずにいるなら、短剣は、使ってよいのでしょうか」
「使えるなら、良いわよ。使えるなら、ね。決まりね、いつものルールね」
ウィティウムの魔族同士が本気でぶつかった場合、まず死傷者が出る。だから、勝敗は相手の得物を落とす事。酷い怪我を負わせるのも駄目。多少の怪我なら許容範囲内とされている。多少なら。
お互いに隙を見計らう。
私もマーヤも純粋な戦闘技術はそれほど高くはない。元々は戦闘を生業にしているわけではかったからだ。
だがしかし。それは人間だった頃の話。ありがたくない事に、魔族は身体能力が飛躍的に上がる。比例して自然治癒力も上がる。戦闘に特化する方向に体が変化することが多い。
すっと一歩踏み出すと炎が飛んでくる。
魔術とは微妙に違うそれを放ったマーヤは軽い笑い声を立てる。もちろん、当たれば焼け死ぬ。だからすぐに引いて水の魔術で弾いた。じゅっ、と嫌な音を立てて蒸発する水。温度調節、マーヤはできるはずだ。
これは、明らかにルール違反ではないのか……レフェリー役であろう先生は止めないから、問題ないというつもりなのか。ひそかに鳥肌が立っている腕をさする。
「ふふふ、いいわね、やっぱり楽しいわ」
お相手は非常にご満悦だった。
歪んだ黒い笑みのマーヤが再度炎を飛ばす。軌道は読めるから躱して彼女に接近を試みた。また迫りくる炎を風で巻き上げて注意を逸らせ、鉄扇を持つ彼女の右手首を狙う。
マーヤには読まれていて位置をずらされた。しかし、そのまま続けざまに体にタックルする。こちらは逃がしきれずに相手は地面に倒れた。
ここで油断してはいけない。炎が飛び出す前に更に腹へ蹴りを見舞う。
そのまま喰らってにっこりと笑うマーヤ。
しまった、足を取られた。肉を切らせて骨を断つ作戦か。抜け出す前に引っ張られて私も体勢を崩した。
風で距離を取ろうとしても、魔術が間に合わない。任務なら短剣で相手の首を掻き切るけれど、これは殺し合いではない。だからその一手は取れない。
マーヤはその私の瞬時の躊躇いを感じ取った。
感じ取って、唇に……か、かさ……舌が、舌まで。
短剣は既に取られている。ホルターから別の短剣を抜いて投げようとしたところで、うなじから猛烈な痛みが走ってうずくまる。
魔術による折檻。ウィティウムの規律を乱すか許容できないほど逆らった場合に、序列上位者が発動させるもの。今のは、私がうっかり本気でマーヤを刺そうとしたから。
これはきっと先生だ。でも、すぐに止まったのにまた再度。今度はマーヤか。
「本当、いつもメアは慣れないわねえ、ふふふ」
形の良い己の唇をなめるマーヤは、端的に言っていやらしい。体の痛みが強くて私は目を開いているのがやっと。
そして今の彼女はここからが本領発揮だ。奪い取った短剣を持ちながら笑みを深める。
「私の血は美味しくないって話よね、確か」
マーヤが短剣に指を走らせる。つつ、と割けた肌から血が滲んでいく。ああ、血が。でも、彼女の血はまずそうだった。いや、絶対にまずいと分かる。
まだ痛みが引かない私にマーヤは笑いながらその指を口に突っ込んだ。
魔力が、強烈に苦い。そのえぐみと臭いでのたうち回りそう。先生助けて下さい! といいたいけれども、声が出ない上に、この苦痛は吸血型にしか理解できない。
「どうかしら、お味は。私、貴方の事はそれなりに気に入ってるのよ? それなりに」
それなり。すごくじゃないという事は、いつでも評価が入れ替わるという事。下手をしたら、処分対象って思われる可能性もある。
動けない私を嬲って遊んでいる悪魔のような人なのに、淫魔型の特性のせいで魅力的に見えるから本当にやめてほしい。
頭が混乱してぐったりした頃合いにようやく先生が「マーヤ、やりすぎだ」と止めに入った。完全に弄ばれている。ぽろぽろと出てくる涙は止まらない。
ぼやけた視界の中で彼女は首をかしげるけど、先生には通じない。
「あら、淫魔型らしく戦っちゃいけないのかしら」
「途中までは理解するが……最後のは、ただのいじめだろう」
「でも、メアが悪いのよ。ルールを破って、私に襲いかかるんだもの」
ため息をつく先生が私を担いだ。荷物を運ぶような持ち方でまるで誘拐されるような感覚。ああ、誰に担がれてもこうなるのか。ジェイクも似たような運び方をしていたと思いだして無常な気持ちに。
「メアの落ち度の分は黙認する。だが、それ以上は僕への無礼だ」
「もう、だったらちゃんと教育してあげないと駄目よ。殺しに来たら、嬲りたくなるじゃない」
淡々とする先生の言葉に、少しだけ落ち着きを取り戻したマーヤの声が響く。きっと目の色は元のヘーゼルに戻っているのだろう。吸魔が収まった、なら良かった。
「淫魔型と悪魔型が混ざると面倒だな」
「私だって、困ってるわよ。メア、ごめんなさいね。貴方、とても可愛く泣くわね」
「まるで謝罪になっていない気がするが」
「……まだ完全には戻らないみたい。少し、頭を冷やしてくるわ」
足音が遠ざかる。涙が少しだけ止まった私は、先生に運ばれながら色々と心の整理をした。
マーヤがあんなになっているのは、やはり私にも原因はある。
例えるならば吸血型が血の匂いに酔って吸魔を必死に抑えている状態と同じ。マーヤはいい方だ。途端に意識が無くなる私よりも全然マシ。
先生は何も言わないで、適当な部屋で私を椅子に座らせる。乱暴ではないけど、やはりどう考えても女性扱いはされていない。
「メア。サセックの件だが」
先生の話に背筋を伸ばした。仕事の話。今の今まで先生に投げていた話。聞かないと後が怖い。
「クレセリア水の保管場所は抑えた。しかし、製造方法を知る者は依然として見つかっていない」
「原材料は。まだ在庫がある可能性は」
先生は腕を組んでその鋭い目を更に鋭くさせる。
「ありえる。個体数が不自然に減っていた事を考えるに、確実に数頭はセレ・ジェに狩られている。魔術師協会に狩られた二頭を差し引いても、間違いなくあいつらが持っていった」
サセックの森にいるマッドベアは、先生が放牧している。
元からサセックはあの森に人を立ち入らせる気が無かったから、許可が下りて先生が趣味に走った結果。いや、そう言ったらまた怒られるから表向きの調教師としての仕事。
無類の動物好き。そこに魔物も含まれている時点で相当特殊な人だと個人的には思うのだけど、南大陸では別段特殊ではない。あまりにも他の大陸が魔境過ぎて私は言及に困る。
でも、今回の件を受けてこの事業自体を止めなければならないだろう。彼らは薬の材料にされた。最悪だ、クレセリア水の原材料の一つが彼らなど。
やや気落ちした様子の先生は「トゥアは処分してきた」とだけ言ってしばらく黙る。
私は「そうですか」としか返せない。
トゥアは番を持っていた雄だ。番をやられた以上は、先生だろうと敵とみなす。他の熊は気性が彼ほど荒くないけど……躾の方針を変えないと言うことは聞かないかもしれない。
先生は悲しみの淵から戻って来て私を見つめる。
「ところで、メア。マテウスによると、魔術師協会の者達に口止めをしたらしいな」
「サイネリアを発見されたので」
「ああ、別に口止め自体は気にしていない。彼の判断には信頼を置いている。しかし、だ。彼に聞いた話では、その中に、気になる魔術師が居たという事だったんだが」
だ、誰のことでしょうか。私は色々な意味で口をつぐんだ。
同好会の彼等がトリシャの依頼で巻き込まれたと知った時は、もう駄目だと思った。先生に怒られるのは確定事項だ。きっとこってりと絞られる。本人を前に逃げても無駄だから諦めているだけで、すぐにでも逃げ出したい。
そして別アプローチから攻めることにしたらしい先生が、やけに優しい口調になった。
「……時にメア。調査は進んでいるかな」
「現状、止まったままですが、半数くらいは、調べ終わってます」
そっちも既に破れかぶれとなっている。挽回の方法は、ちょっと思いつかない。だから黙っていたかった。しかし、先生はお構いなしに聞いてくる。
「そうか。トリシャに同行した魔術師達は?」
「彼等は調査済みです」
「その中に、不審な者はいなかったか?」
「あの件とは無関係でしたが、何か、ありましたか」
やけに、先生は同好会に引っかかりを覚えている。
じっと私の目を覗き込む。近い、私がはっきりと彼の瞳に映るくらいすごく近い。目を逸らしたら悪化しかしないので耐える。
「トリシャの依頼を受けに組合に来たのは、確かヤンと名乗った魔術師だったな。協会魔術師の名簿には居ないが、誰だ」
ヤーニャの事が気にかかるのだろうか。確かに、本人はヤンと名乗ってるけど、そこまで不審な理由があるわけでは。でも、先生はどうやら疑いを持っているらしいので、本人の名誉のために言った。
「名簿上は、ヤーニャ・スヴェンコフです」
「……まあ、まだいい。スヴェンコフ家を関わらせてしまったのは、まだ。しかし、同時に護衛として依頼を受けた魔術師は、あと五人居たな」
「ええ、そうですが」
「名前を言え。他に、誰を、関わらせている」
「そ、そのー……」
い、言いにくい。非常に、言いにくい。
「調査の守秘ぎ」
「僕に隠し立てをする気かシェリーメア!」
耳を塞いだ。ほとんど条件反射並みのスピードで動いた手が、あっさりと剥がされる。そして、両手を掴まれた。凄味のある先生は怖くてたまらない。
「僕に洗いざらい吐くか、僕の可愛い友人達の世話をするか、どちらか選べ」
「言います! 言いますからもう飼育小屋に行きたくありません!」
嫌だ、あんな人外魔境な場所でもう二度と過ごしたくない。一晩中追いかけっこなんてもうしたくない。向こうは絶対、私を敵と思って追い立ててくる。震える私を、先生が見下ろしながらため息を付いた。
「名前だ。フルネームで言え」
「ディ、ディートリヒ・ハーフェンと、ラインハルト・イオネスクと、フィロガ・ユーリッドと、リリー・ソロリオと、ベル・ファウラスです」
一気に言い切ると、先生は晴天を仰いだ。分かっている、こんな事態になるとは薄々予想がついた。
「も、申し訳ございません!」
目が据わっている先生に私はただ謝る。この件は陳情をしても許してもらえるのか。たっぷりと間を置いた先生は「分かっていて、これか」と息を吐いた。
「『魔術師協会総合魔術同好会』だったか。確か」
「お、おっしゃる通りです」
「事前に、会員は調べたか?」
「いえ、導師からの口添えで関わりましたので」
既に先生は彼らの情報をある程度知っている。たぶん。
本人達に自覚はなくとも、かなり特殊な人達の集まりだ。当然、目立つから真っ先に調査対象になっていたことだろう。そこまで聞かされた覚え、ないけれども。
「僕は、気が長い方だと、自負している」
私相手に気長だった覚えが全くないのだけど、本人はそう仰る。
そして、頭を抑えつけられた。かなり痛い。
「まず、何故、『剣』での仕事を潰した」
「あ、あの、えっと」
「僕が調整して、半年の契約とした、仕事を、何故潰した」
「そ、その」
「そして何故、リリー・ソロリオを襲った」
「え、ええと」
「あらゆる属性を駆使する、『色彩の魔術師』に、何故、ちょっかいをかけた」
「つ、強そうだな、と」
「ふざけるなシェリーメア!」
先生の怒号が飛んだ。鼓膜が破れそう。
「吸魔の管理をしろとは言わん! せめて抑える努力くらいはしろ!」
「誠に申し開きもございません!」
怒鳴った先生は私を離して苦々しい顔になっている。
序列制度が、これさえなければこの仕事は即辞退している。
「もう、いい。過ぎた事は仕方ない。そう、過ぎた事は」
「か、寛大な処置に感謝したします」
でも、謝って済むならみんなこんなに怒らない。こちら側の事情とあちら側の事情がかみ合って状況を悪化させている。残りの幹部達もきっと呆れるか怒っているか。
自分の運の無さに辟易しているところで、先生が煩わしそうに髪をかきあげる。
「メア……僕の座右の銘は、結果のみが全て、だ」
「そうお伺いしております」
確かに、先生はよく言ってる。真面目にやっても、結果が伴わなければ意味が無い。最終的に目標が達成されれば問題ない、と。だから私が数々の失敗をしても丸く収まれば大事にしない、と。
そういう観点からだと、柔軟というか気長なのかもしれない。
先生は再度ため息をついた後、不意に声から感情を削ぎ落とした。
「そうだ。だから、お前が本当は何を企んでいるのかまでは、興味はない。ウィティウムに忠誠を誓っていないのも、僕は咎めない。全部個人の自由だ。だが、これだけは覚えておけ」
じっとしている私に先生は殺意を向ける。
「周りを巻き込む気なら、僕はお前だろうと狩る。トゥアのようにな」
――やはりこの人には勝てない。むしろ、それで良かったと思う。
先生は目を細めただけでそれ以上言及はしてこなかった。




