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 早朝の空が薄明るい時間に目を覚ました。少し眠い。

 トリシャはまだ寝込んでいる。あまりにも大変だったもの。とりあえず、鮭とばが残っていたからそれを食べて携帯食料は彼女の分にする。

 やっぱり、前食べた味とは違うのよね。どう改良したらいいのか、分からない。

 ヤンが目元を擦る。


「寝られたか?」

「ほどほどよ。ヤンは、隈が酷いわね」

「頭が重い」


 ヤンはよく眠れなかったらしい。こんな状況だから当たり前だ。

 そろそろ起きる時間って所でトリシャを起こした。


「すみません。こんな時に」

「雨風の心配をしないからよかったわよ。真夜中は外って危ないから」


 首を振って笑顔を作った。トリシャの事情を聞いたら、怒るに怒れない。だって、彼女がずっと帰りたかった場所だから。

 それに、テントもないし。狼とか他の何かに出くわす危険を考えたら、壁があるだけで安心する。ヤンも同意してその話は終わった。

 問題はこれからどうするか、よ。ヤンが紙を取り出して木炭で状況を整理しはじめた。


「さて。今後の方針だが。ここは大気魔力の異常値地帯だ。よって、緊急時以外は魔術を使用できない。現状、川下に戻るか、そのまま森を抜けるまで真横に突っ切るか。その二択だな」


 非常に魔術師には痛い状態ね。場所も、地図もないから太陽の位置だけが頼り。

 ヤンは現在地を割り出してから森を抜けるまでの算段をした。魔術を使うとかなりの精度で分かるらしいんだけれど、計算だけでも結構絞れると言っていた。すごすぎて私にはできない。ヤンが攻撃魔術を不得意としていなければ、『剣』の推薦も狙えたでしょう。


「トリシャ、疲れているところ悪いんだが、都市までの通り道を知っているか?」

「覚えているのは、あの目印が道標になっていて、道に出られること、くらいです……今も、ちゃんと道があれば、なんですけど」

「それだけでも、御の字だな。迷わないで行けるなら、日中までに森は抜けられる可能性が高い」


 ヤンの表情はそれでも、依然として厳しい。問題は橋があるかどうかなんだけれど。誰も使わずに崩落していたら、装備がないから川を渡ることは出来ない。

 今の大気魔力の濃度では魔術で橋を作るなんて大がかりな仕事は到底無理。何日もかかってやることだし。


 その時はその時で、と腹をくくって私達は村から出た。

 トリシャが目印の石を見ては方角を確認して進む。


 暫く歩いたところだった。

 木の枝が途中でぶら下がっていた。まだ、折れたばかりの枝。そして幹に爪痕がある。ああ、これはもう諦めるしかないわね。私は小声で告げた。


「……ヤン。動物か何かの縄張りに入ってる」


 トリシャを止めて周りの気配を探る。ヤンも動きを止めたわ。

 耳を澄ませると、微かに草木を踏みしめる音がする。でも、距離感が掴めない。

 口を両手で抑えて声を殺してるトリシャの側で、ヤンは短剣を抜いて構える。ここじゃ、大気魔力が濃すぎるから結界をヤンが張るのは難しい。


 私が攻撃に回って、二人は逃がす。もうこれしか手段はない。


 遠くのほうで木が一本倒れた。私達にまだ気付いてないかどうかは、分からない。


「トリシャ。次の石はどの方角? 指差して」


 言われた通りにトリシャが震えながら教えてくれる。音とは別の方角ね。これなら、撹乱はできそう。

 徐々に近づいてくる影がうっすらと見える。やっぱり気付かれてるわね。周りの木々といい勝負ができそうな大きさがある、熊型の魔物。熊ではありえない大きさだもの、完全に魔物。

 そして熊と同じ生態なら、鼻が利く。臭い消しは持ってない。


「トリシャ。距離を取ったら、薬草でもなんでもいいから体にすり付けて匂いを消して。そうしないと追ってくる」


 静かに話すとトリシャの代わりにヤンが頷く。ヤンがゆっくりトリシャを連れて帰り道へと後ずさる。

 牽制のために短剣を用意した。私は少しだけ前に出て注意を引き付ける。

 

 魔物と目があった、気がした。

 私は敢えて前に走り出した。魔物の標的になるために。思惑通り、動いた私に突進してくる。

 大気魔力を取り込む危険があるけど、構わず結界を張る。いつもより強度が薄い。私は衝撃で結界に皹が入ったのを見ながら次の手を考える。物理障壁の層は、もう壊れる。


 確認すべきは、魔術は使うのかどうか。結界が割れたと同時に迫りくる爪を避けて魔物の上に飛び乗った。風が乱れて着地点がずれる。

 すぐさま振り落とそうと魔物が立ち上がるから、そのまま地面に着地して目の前の木々を風でなぎ倒した。これで、視界確保は問題ないわ。


 そして魔物には投擲用の短剣で牽制する。興奮状態になった魔物が荒い息で私を見つめる。見晴らしが良くなった大地を均して距離を取った。上手くヤン達から気が逸れた。


 すぐに魔物が後ろ足でしっかりと踏み込んで、私めがけて跳躍する。踏み潰す気ね。風を使って魔物の速度を逆に早めて滞空時間を伸ばした。その下を潜り抜けて、魔物と向き合う。

 

 ヤン達はもう目視できる場所にはいない。

 魔物が着地したところを見計らって、『色移り』を解いた。普段使っている見た目の色を変える魔術は、実は複雑だから他の魔術と併用すると負担がかかる。人には極力見られたくないから、解きたくはないのだけど。単騎で戦闘するには、集中力があまりにも分散してしまう。それに……私は魔物としっかり目を合わせた。話すなら、このほうがいい。


「……あんた、悪いけどどこか行ってくれない?」

「――――――!」

「ねえ、本当に争いたい訳じゃないの。お互いに傷つきたくないでしょ」

「――――――!」


 完全に駄目だった。この魔物、縄張りに入っただけにしては怒り方が尋常じゃないわよ。

 すぐに執拗な攻撃をしてきたのといい、食べるにしては噛み付こうとしないのといい。殺すのが目的って感じ。怖がっているのとも、違う。


 冷静に分析している間にも、魔物は私を串刺しにかかかる。

 仕方ないから、攻撃魔術に魔力を回す。自分の魔力に大気の魔力が逆流する感覚。それを無視して発動させた。


「『ビリジアンカッター!』」


 薄い水の刃。それを、魔物の首めがけて三枚射出させる。

 魔物は爪で急所に向かった刃を止める。残りの二枚はそのまま受けたけど、大した出血量にならない。一応、魔術なら通すのね。


 怒りを宿した瞳が私を捉えている。地面に爪を突き立てて、魔物が魔力を流した。足場がぬかるむ。

 あの爪が魔術機構、か。

 破壊しない限りは魔術の警戒も必要になる。魔物は泥の中でも速度が落ちない。足元は自分の魔力ですぐ固めるという器用な芸当をしている。完全に大地の属性は網羅している魔物。

 他の攻撃方法を持っているかの確認はする暇がない。

 

 ぬかるんだ足場だと私がジャンプするには反発力が足りない。伏せたらそれこそ踏みつぶされるわ。

 追突する前に泥を目にぶつけて魔術をもう一つ唱える。


「『ヘイゼルウォール』」


 壁の上に返しを付けようと思ったのに、つかないでそのまま直線になった。お陰でひっくり返せなかった。

 大気魔力がまた流入してくる。ヤン達が遠くに行ってくれれば、私も遁走するんだけれど、まだ時間が早すぎる。このまま膠着したら、それこそ泥沼な状況になるわ。どっちも決定打の攻撃を躱されているもの。


 私は、左小指に意識をむける。最後の手を使おうか、迷う。

 隊長には使うなと止められる事請け合いの魔術が。補助としての指輪もまだあるし。

 この魔物だったら、深手を負わせられる魔術。ただ、それを使ってしまうと……目を付けられている以上は止めたほうが無難なのよね。


 そうこうしている間に魔物が立ち上がる。せめて、もう一回くらいは対話を試みる。


「ねえ、あたしはただ帰りたいだけなの。自分のねぐらに逃げてくれない?」

「――――――!」


 私は和解を諦めた。初めから諦め半分だったけれど、もう殺す殺されるしかないわね、この状況。

 それならば、と。最終手段を発動させようとして、私は止めた。

 

 大気魔力の濃度が変わっている?

 

 息のつまるような圧迫感は消えた。

 魔物は立ち止まる。さっきまで向けられてた殺気が急激に下火になった。


「――!」


 魔物は咆哮を響かせてヤン達とは全然別方向へ走り去っていく。

 不可解な現象に直面したけれども、私はとりあえず『色移り』をもう一度発動させて周囲を見渡す。索敵の魔術を使うと、いくつも反応があるわね。


 そして見えてきたのは、ヤンとトリシャ? どうして戻ってくるのよ。でも、理由はすぐに分かったわ。義兄達が居たから。

 合流、できた。


「リリー!」


 フィロガは走り寄ってきて、抱擁のポーズを取っている。

 私は無言で避けた。泥だらけの地面へ派手に転ぶ義兄を複雑な表情で見守っていると、走り出したフィロガを追ってきたヤンが眉を顰める。


「リリー、心配した兄に向ってそれはないだろう」

「あたしはこいつが兄だとは思ってないわよ」


 ここら辺の事情をヤンはよく知らないけれど、私の態度が兄へのそれじゃないって事をヤンは分かっている。


「それでも、それはないだろう」

「抱擁なんてしないで止まってくれれば普通にしてたわよ」

「……ねえ、俺はいつになったらお兄ちゃんって呼ばれるの?」


 私がフィロガを兄と思える時が来るのか全く不明だから返事はできない。起き上がった義兄は前が泥だらけで非常に汚れている。魔物がすぐに戻ってくる可能性を考えたら、こんな事をしている余裕はないんだけれど。でも、義兄の様子がおかしくなってしまって。


「ふふ、泥だらけじゃない」

「どこの誰のせいだよ」

「だって、自分で転んでいったじゃない」

「……性格悪っ」

「善人のつもりはないわよ」


 魔術で熱風を作ってフィロガの泥を乾燥させて散らした。ヤンは隣で見てるだけ。この人はもう私を研究対象にはしない。

 義兄が目を細める。


「相変わらず、常識度外視な魔術の使い方だね」


 残っていた泥を払いつつ義兄はそれだけ言った。自分が異端だって事はよく知っている。

 残りの人達は後からやってきたわ。


「リリー、また派手に魔術を使ったのね」

「とりあえず先に解毒だリリー、俺んところに来い。その無鉄砲は放っておいて」

「ええ、分かったわ」


 ベルとディートリヒが来たわ。その後ろには……私は幻覚でも見ているのか。目を瞬かせた。

 ラインハルトと、トリシャと……メアが居た。


 ベルが事情を説明してくれる。トリシャに防犯用の魔道具を身に付けさせていた、らしいわ。

 攻撃魔術の類いに反応するアミュレット型の魔道具は確かに存在する。対になってるものなら、もう片方に伝わるから、トリシャの危機を知ることが出来た、のは納得した。


 でも、転移魔術はまた別の話よね?

 トリシャにあらかじめ場所でも聞いていたのかしら。ディートリヒに解毒されながら、どこ吹く風のメアと無言で彼女を睨みつけているラインハルトを観察する。

 周りは二人を放置しているけれども、明らかに物騒な空気がするのよね。ラインハルトから。


「どうしたの、ハルは」

「色々あったのよ。色々と」


 言葉を濁したベルは苦笑をして詳細なことは言わない。こういう時は絶対言わないわ、ベルは。代わりに、フィロガが周囲を見回して言った。


「ヤンから聞いたんだけど、魔物は?」

「逃げたわよ。何故か」


 いつも付けてる眼鏡が無いのに、眼鏡を押し上げる残念なフィロガは少し動揺している。

 私には殺意を向けていたのに、別の要因には逃走を選んだ魔物。


「大気魔力、明らかに下がったわよね」


 きっと原因と思われることを口にすると、ヤンが機器を取り出して計測値を見る。はっとした顔でその機器にかじりついた。


「本当だ、これは世紀のはっけ」

「ヤン、今はそれどころじゃねーだろう」


 被せるようにディートリヒが制止する。気のせいか、目が泳いでいるわ。


「そうよ。一刻も早く森を抜けましょう。トリシャさんが消耗しきっているようだから」


 ベルがそれに乗っかるようにしてヤンの軌道修正を図る。でも、興奮気味のヤンはたぶん、声が頭に入っていない。目が輝きだしているから。


「これは我々魔術師にとってはひじょ」


 そんな、暴走しているヤンの肩をフィロガが叩いた。


「なんだ、フィロガ」

「ヤーニャ、俺はさ、思うんだ」


 ヤンの本名を呼んだフィロガは笑顔だ。清々しいほどの微笑みは非常に胡散臭い。


「世の中には、不思議であることが、正しい事もあるんだよ」


『理』の魔術師はその不思議を解明する研究機関でしょ。そう、突っ込みたいけど私は口を閉ざす。誤魔化すのを躊躇わない義兄に、私は触れてはいけなのだと悟った。


 だって、ほら。

 メアから壮絶な冷気が漂っているじゃない。どう考えても、メアが何かしたって事でしょう、これは。

 ヤンはメアを見た。その顔から冷や汗が一滴落ちていく。黙ったヤンと視線を外したメアと。


「……とりあえず、進むか」


 ヤンの暴走は止まった。


※2021.9月 改稿しました。

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