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川辺からはだいぶ遠退いた。
救援要請を伝える魔道具を発動させる。大体、二日くらいで応援が来るはず。緊張が一旦は解けて腰が抜けたトリシャを、ヤンが介抱している。その間、私は今後の対応を考える。
こっちは森の奥。初日に歩いていた元の道を探さないといけない。
でも、近づいた物体は魔術を使って私達をこっちに追い立てた。知性のある魔物の可能性が高いわ。これは非常にまずい。自分が魔術師だからよく分かる。最初に狙うのは一番弱そうな人間でしょう。この場合は、トリシャね。
私達の方向を誤魔化すために、そしてあわよくば痛手を食らわせるために、ヤンは仕掛けを作った。魔術で私が落とし穴を作ったその上に糸を固定してなるべく普通の地面に見えるよう偽装した。糸は魔術で強化しているから、人では落ちない。重量のある生き物が引っ掛かれば落ちるわ。
「ヤン、あの場所から距離を取るわよ」
「ああ、そうだな。トリシャ、それでいいか?」
「は……はい、お任せします」
姿を見られたら標的にされる。魔物が義兄達に注目している間に動かないといけない。物音をなるべく立てないように動く。トリシャは最初よりは落ち着いたのか、足取りもしっかりしている。
ただ、私はやっぱり向こうの様子が心配。
「無茶しなきゃいいんだけど」
「フィロガの事か」
ヤンもすぐに勘づいた。
トリシャは全然ピンと来ていないけれども、私達二人はあいつの最近の様子を見ていてそう思う。
「……あいつ、元はあの中じゃ一番、攻撃魔術、得意だったのよ」
「そうなんですか」
トリシャの緊張を和らげるために言葉少なだけど話す。
本当は協会の中でも上から数えた方が早かった。学生の時なんて、戦闘に関係する魔術はほぼすぐに覚えて周りを戦慄させてたってベルに聞いたわ。本人は全く私に言わない。悪目立ちを無かった事にしたいんでしょう。
「ま、今は落ちぶれてるけど。ベルがいるからそこまで馬鹿なことはしないでしょ」
色々諦めて訓練もサボってたし、自分の実力くらいは解ってると思いたいわ。戦闘は日々の積み重ねがものを言うんだから。
しばらく歩いたら、二度目の獣の声が響いた。びくり、とトリシャの足が竦んだ。
「大丈夫よ。もしかしたら断末魔かもしれないわ」
「そ、そうですよね。皆さんが勝った証かもしれませんよね」
魔物による勝利の雄たけびだった場合については、私もヤンも考えないようにしている。
ここは大気魔力が中濃度。だから、魔術を使ってない。ヤンが無言で周りの様子を探っている。私も何かがないかは確認している。『剣』の野営訓練はほどほど役に立ってるわ。
紙に位置を書き込みながら、ヤンが振り返らずに聞いてくる。
「解毒用の魔道具は持ってきているか? リリー」
「もちろんよ。二つあるわ」
「私も二つ持っている。ならばお互いに一つずつ使うか」
今付けている指輪のうちの一つにヤンの魔力を認識させる。治癒魔術師しか作れない魔道具なのに使い捨て。こういう時は困るわ。
「魔物の鼻が利く可能性があるから、一応は罠を張ったが……知能が高いとかからないかもしれない」
出来れば引っ掛かってほしい。その分、私達は移動できる。
時々、ヤンが空を確認して方向を修正する。更に川上へ向かって歩いているのね。橋、あるかしら。大気の魔力を肌で感じるようになった。
ヤンは周囲をチラリと見て顔を曇らせる。
「……あまり強力な魔術は使わないほうが良い。この状態では魔力毒を取り込んでしまう」
「組合の難易度、完全に間違ってるわよ。なんで低なのかしら」
ちょっとだけぼやいた。難易度は、魔物との遭遇頻度と魔術の使いやすさとか、いくつかの項目で決まるはず。調査員が仕事放棄したとしか思えない。
今それを嘆いても仕方ないから、先を急いだ。周りの警戒もしながらだから、どうしても移動は遅くなる。
ヤンが前、私が後ろで護衛してるんだけど。トリシャが止まった。
「……え?」
「トリシャ、どうしたのよ」
じっと地面を見つめるトリシャは目を見開いたまま固まった。私の声で、ヤンが足を止めて振り替える。
「何かあったか、リリー、トリシャ」
不可解な表情を浮かべるヤンと、声をかけあぐねた私を置いて。トリシャは駆け出した……森の更に奥へ。
「待て!」
「トリシャ! 止まりなさい!」
彼女は制止を振り切った。見失うとまずいわ、二人で追いかけた。魔術を使えば即座に捕まえられるのだけど。今は温存しないといけない。
トリシャの足は早かった。ヤンは追い付けてない。あまり距離が開きすぎたら、ヤンともはぐれてしまう。そんなことになったら、みんな戻れなくなる。だからトリシャを見失わない程度に走るしかなかった。
結局、彼女が止まって、追跡が終わった。大気魔力がとても濃い。居るだけで圧迫感がある。
「トリ、シャ! 駄目じゃない!」
もう、ここはどこだか分からない。これじゃあ、元の場所に戻れるか怪しいわよ。私は息を整えて、トリシャの肩を叩く。でも、彼女の反応が薄かった。目の前に生えている草を見ながらぶつぶつと独り言を呟く。
ヤンが追い付いた時には、しゃがみこんで、草花を摘みはじめた。声をかけても、全く聞こえてないみたいで。
「……これも。これも。なんで、ここに?」
しばらくそうしたあと、トリシャは木の周りの草をかき分けた。
「トリシャ、どうしたの」
「知っているんです」
トリシャはまた別の木の根の近くをかき分ける。汗がにじんでいるのに拭きもしない。その目は真剣だった。
私とヤンはあまりにもトリシャの気迫がすごくて、なんで突然走り出したか聞けない。彼女の爪に土がたくさんついている。
どのくらいだったのか、トリシャは止まった。
「なんで……なんでここに? どうして」
彼女が掘り起こしたのは、石の置物だった。とても簡単なつくりの、道石みたいなもの。ぱっと見じゃ、ただの石。でも、土に埋まった部分には紋様が描かれている。確実に人工物だった。
トリシャは座り込んだ。
「リリーさん……ヤンさん……」
「どうしたの」
「私、ここ知ってるんです。私、私の……」
いつも元気な彼女とは、比べ物にならないくらい、小さな声だったわ。
トリシャが涙を零しながら道石を撫でた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
しゃくり声をあげるトリシャは、すぐに顔をぐちゃぐちゃにしながらも立ち上がった。
「すみません。どうしても、行きたいんです」
「どこに?」
「着いてから……着いてから、言います。日が暮れる前に、行かせて下さい」
トリシャは首を振ったまま、答えない。
本来なら、護衛だからこそ、この申し出は断って川まで行くべきよ。こんな無茶なことをしたらトリシャを守り切れるかどうかも分からない。
でも……ヤンと私は顔を見合わせた。おそらく、トリシャはてこでも動かない。一人でも行くって、言うと思うの。そんな目をしている。
「はあ、ヤン。とんでもない依頼だから追加料金もらったほうが良いわよ」
「そうだな。全くだ」
「ありがとうございます。しかるべき金額はお支払いします」
私達は折れた。元手を取らないとやってられないわ。
トリシャが涙を袖で拭って、道石を見つつ歩き始めた。私達も着いていくと、また、木の根もとに埋まった石がある。おそらくさっきと同じで人が置いた石。どうやら道しるべらしい。
石にぶつかる度に、トリシャは方向を変えながら歩いていく。
方角を確認している具体的な方法は分からない。紋様自体は埋まっていて、すぐは見えないのに。トリシャは迷うことなく進んでいく。
やがて、日が大分傾いた頃だった。
木々の隙間から、屋根が見えた。こんな、ところに村?
「誰か人がいるのか?」
ヤンがトリシャに聞くけれども、答える声はなかった。
でも、私達はすぐに悟った。焼け焦げた家々を見たから。雑草で地面が覆われてたから。
人なんて、きっと住んでいない、放棄された村。トリシャはしばらく呆然としていた。もう、夜の空気がそこら中に漂っている。
「トリ」
肩を叩いたら、トリシャは歩き出した。
どうしてトリシャはこんな村を知って……トリシャはその中の一つに入っていった。火事があったのは明らかだった。
煤埃を払って、トリシャは朽ちた椅子に座る。見るからに元気がない。
「……ごめんなさい、我儘言ってしまって」
「どうしたのよ」
「ここ、私の家だったんです」
涙こそは流れていないけれども、トリシャの声は悲しげだった。
こんな場所にある、村に住んでいた。とても森の奥深く。ヤンは屋内を見ながら焼け跡の確認をしている。
「これは……失火ではなく、放火だな」
それは私も見て思う。
火の元が一か所じゃなくて、数か所もあるし。協会都市での火災の現場検証は、『剣』の仕事でもあるから。ただ、私達には事情は分からない。トリシャは、ぽつぽつとうつむいたまま話した。
「……ここの村は、外には森が広がっていて、知り合い以外、誰も来ないような、そんな村でした」
森の奥深くなら、そうでしょうね。でも、この村が廃村になったのは何故か。
「私は村から出ていけないって教えられていて。でも、男の人たちは都市に出入りしていて。だから、ずるいって思ったんです。それで、森の中を歩いていて。そうしたら、人が居たんです。その人は遭難していたらしくて、私はこの石を目印にすれば大丈夫って、教えたんです」
外部の人間。誰も、入り込めないような、こんな場所に来ている遭難者。
どうしてその人はこんな場所まで来ていたのか。私は考えたわ。
何かを目当てに来たんでしょう。私達のように、クレシアスを探しに来たのかもしれない。でも、それは森の入り口に普段はあるんだから、もっと別ね。
トリシャの表情は暗い。いい目的で、来たわけじゃないのは分かる。
「それから、一年が経って、忘れていたんです。そんな人のこと。そうしたら、突然、村に武装した人が来て……石のことを教えた人が、私を見つけて。私を袋に入れて。どこかに連れて行ったんです」
トリシャは椅子に座ったまま家を眺めた。
人攫い。この村の人間が目当てだった。トリシャは、見つかっちゃいけない人に見つかって、教えてはいけないことを教えた。隠れ住んでいたのかもしれないわ。この村の人達は。
「どのくらい経ったのかは、分かりません。気が付いたら、馬車の中で。外の光景が見たこともないところだったから怖くなりました。私は何も知らなかったんです……草原ですら、見たことがなかった。それくらい、何も。たぶん、見張りの人と一緒に馬車の中に居たんだと思うんですけど、町が遠くに見える所で、その馬車が襲撃されました」
一旦、トリシャは区切った。
「襲撃者は、メア様とシウ様でした。みんな……私も、殺されると思ったんですけど、お二人は私をただその場から連れて行くだけでした。逆らったら……そう思って怖かったので、成り行きのままに流されました。最初はどうしたらいいのか、分かりませんでした」
私はちらりとヤンを見る。少しだけ、顔は強張っている。でも、取り乱したりはしない……『剣』だとたまにいるのよ、皆、過去を話さないだけで。ヤンの兄が『剣』に居るから、そういう人達とも接したことはあるんでしょう。
トリシャは膝を抱えた。ヤンは相槌しか打てない。私は黙ったまま聞いた。
「攫った人が変わっただけ。でも、メア様は何も私には求めてきません。ただ、私がやりたいことをやればいいって。村に帰る以外、なら、と」
屋根を彼女は見上げる。私もつられてみる。星空が良く見える。濃紺のキャンバスに銀の礫をまぶしたみたいね。
「メア様のお考えは分かりません。私は全然分からない。私を攫って、何をしたいのか……分からないんです。だって、ろくな教養がない私に……一から教えてくれるんです。馬鹿だから私は分からないんです。なんでそんな事をしてくれるのか。村を襲った人達は、私に働けって言ってたのに、何も分からないんです」
私はメアとトリシャが気安い関係に見えた。見えた、だけなのかもしれない。
私もヤンも、そんなトリシャの疑問には答えられない。無理に答えるのも間違っている。何を言ってもトリシャの傷口をただ広げるだけ。
だって、自分の故郷は無くなってしまったんだから。
「今日は、もう遅い。無事な家を見繕って、交代で睡眠を取らないか」
ヤンはトリシャと私に提案した。疲労が溜まっているのは確かだし、少なくともトリシャは寝るべきね。静かになったトリシャを連れて、私達は屋根が無事な家に移る。
私は横になった二人を尻目に考え事をした。
郷愁の念、か。自分にはよく分からない。戻りたいとは、思ったことが無かった。戻れない。戻れるはずがないから。私は浮かんでくる景色を振り払うためにずっと空を見上げ続けた。
※2021.9月 改稿しました。