珍しいと思ってたんです
ディルクの執務室を出たあとも、カイトとメグはしばらく現実感を失っていた。
歩いている。
ちゃんと歩いているはずなのに、足元がふわふわする。
ギルドマスター。
S級。
帝国勅命。
所属パーティ。
さっきから頭の上を、とんでもない単語ばかりが飛び交っていた。
「こっちです」
エルツーに促されて、二人は半ば反射で頷く。
案内されたのは、ギルドの奥まった一角――すっかり見慣れた顔ぶれが集まっていた、あの“いつもの席”だった。
ライトニングが当然みたいな顔で椅子を引く。
フェルクは勝手にソファ側へ座る。
プリシラは少し嬉しそうに尻尾を揺らしながら席につく。
オリオンは無言で、だがもう自然にその輪の中へ入っていた。
そしてカイトとメグだけが、立ったまま固まる。
「……座らないの?」
エルツーに言われて、二人は揃ってびくっとした。
「あ、いや」
「えっと」
「大丈夫。食べたりはしないから」
メグは一瞬だけ本気で迷った顔をした。
「じゃあ、一応紹介しておくね」
エルツーは軽く手を向けた。
「こっちがライトニングさん」
カイトの背筋が伸びる。
メグは目を見開く。
ライトニングは頬杖もつかず、淡々と言った。
「緊張するな、無理な事はしなくていい」
「は、はい!」
反射で返事したのはカイトだった。
「そんでフェルクさん」
「どうも、新人ちゃんたち。困ったらお兄さんに相談してね」
「困る元なのでは?」
メグが小さく呟いた。
フェルクは吹き出した。
「いいね〜、君!」
「こっちはプリシラ、2人と一緒で冒険者になったばっかりね」
「よ、よろしくお願いします……!」
ぺこりと頭を下げる。
その大きさにカイトが少し圧倒される。
「で、こちらがオリオンさん」
オリオンは短く視線だけを向けた。
「オリオンだ」
それだけなのに、空気が少し締まる。
緊張したカイトがカチコチに固まって返答する。
「も、もちろん皆さん存じてます!!有名人ですから!!」
エルツーは軽く笑う。
「最後に僕、エルツー」
そこで一拍だけ置いて、何でもないことみたいに続けた。
「こう見えて、一応、元《天龍の羽》のメンバーです」
カイトとメグの動きが止まった。
「……は?」
先に声になったのはカイトだった。
メグも目を見開いたまま、エルツーを見つめる。
「え、いや……ちょっと待ってください」
メグがようやく言葉を絞り出す。
「《天龍の羽》って、あの《天龍の羽》ですか?」
「たぶん君たちの知ってる方だね」
エルツーはさらりと頷いた。
カイトの喉がごくりと鳴る。
《天龍の羽》。
ビリジオンの看板。
帝都でも知らない者のいない人気S級パーティ。
その名前を、まるで昨日まで所属していた部活みたいな軽さで言われて、頭がついていかない。
「え、いや、でもそんなメンバー聞いたこと……」
カイトはエルツーを見た。
細身。
黒髪。
垂れ目。
穏やかな顔。
どう見ても、目の前の雷鳴や一等星みたいな“圧のある有名人”とは種類が違う。
だから余計に混乱する。
「え、本当ですか?」
「うん、本当」
エルツーはあっさり答える。
フェルクが横から肩を揺らした。
「いやー、初見だと信じにくいよねえ」
「信じにくいっていうか……」
メグがエルツーを見たまま、小さく呟く。
「全然そう見えないです……」
「そうなんだよ、よく言われる」
エルツーは少しも気にした様子がない。
カイトは慌てて背筋を伸ばした。
「す、すみません!」
「なんで謝るの」
「いや、その、すごい人だったんだなって……!」
その言葉に、エルツーは少しだけ困ったように笑った。
「ふふふ、“だった”は余計かな」
空気がほんの少しだけ和らぐ。
ふと、カイトが何か腑に落ちる顔をした。
「あぁ、成程!!それなら納得できますね」
何に納得したの。
メグは未だ、どこか納得しきれていなかった。
《天龍の羽》の元メンバー。
雷鳴。
一等星。
プラナリア。
そしてギルドマスター直々のS級案件。
そんな場所に、自分たちみたいな登録したての新人が座っている。
どう考えても、おかしい。
メグの顔にそう書いてあった。
それを見て取ったのか、エルツーは椅子の背に軽くもたれた。
「まあ、驚くのはわかるよ。でも安心して。今さら逃げられない以外は、そんなに悪い話じゃないから」
「いや、全然安心できないんですけど」
メグが反射で返す。
フェルクが吹き出した。
「いいねえ、やっぱ君おもしろいよ」
ライトニングは小さく鼻を鳴らす。
「ふむ、ようやくまともに喋ったな」
カイトはそのやり取りを見ながら、改めて呆然としていた。
目の前の全員が、自分の知っていた“冒険者”の枠から少しずつ外れている。
そして、その輪の中に自分たちがもう座ってしまっていることだけは、どうやら現実らしかった。
エルツーは立ち上がって、全員を見回した。
「では、みなさん明後日の朝、ビリジオンに集合ということで。」
あまりにもあっさりした締めだった。
カイトが目を瞬く。
「え!?あの、ぼぼぼぼ、僕達はどうすれば??」
エルツーは穏やかに笑った。
「今回は巻き込んでしまった形ですので、そうですね。社会見学のつもりでいてくれればいいです!」
「しゃ、社会見学……?」
カイトの声が引きつる。
エルツーは続けた。
「冒険の準備はこちらで進めますので、みなさんは好きに過ごして下さい。」
好きに過ごして下さい。
その言葉の軽さと、さっき聞かされた内容の重さがまるで釣り合っていなかった。
メグが眉をひそめる。
「え??こういうのってみんなで作戦会議とか、、、、」
フェルクがすぐに肩をすくめた。
「いやいや、多分逆効果になるわな」
続けて立ち上がり、出口へ向かおうとする
「さーて、今日はかわいい姉ちゃんに可愛がってもらうとするかー」
「そのまま戻らなくてもいいぞ」
ライトニングが即座に切り捨てる。
フェルクは気にした様子もなく、ひらひらと手を振った。
カイトはまだ椅子から半分浮いたまま、どうしていいかわからない顔をしていた。
「わ……わかりました!僕たちにできることをします!」
メグが横で目を閉じた。
止めるのが一拍遅れた。
ライトニングはそんな二人を見て、小さく鼻を鳴らした。
「無理なことはするな」
「は、はい!」
返事だけはやたらいい。
オリオンは特に何も言わず立ち上がる。
プリシラも慌ててそれに続き、椅子を引いた。
こうして見ると、本当に何の打ち合わせもないまま解散らしい。
カイトとメグが呆然としているうちに、一同はもうビリジオンを出る空気になっていた。
カイトは慌てて椅子から立ち上がる。
「あ、あの!」
エルツーが振り返る。
「ん?」
カイトはそこで一瞬ためらった。
だが、さっきからずっと気になっていたことを、どうしても聞かずにいられなかった。
「ずっと気になってたんですが、エルツーさん」
「はい」
「その肩の上でふわふわ浮いてる妖精は、いつも一緒なんですか??」
その一言に、エルツーの動きがほんの一瞬だけ止まった。
背筋を、冷たいものがすっと這い上がる。
だが、次の瞬間にはそれを押し殺した。
まばたきひとつするな。
肩にも喉にも力を入れるな。
表情筋を動かすな。
いつも通りに見せろ。
「……何の話?」
低く、静かな声だった。
カイトは気づかないまま続ける。
「あ、いや、妖精っていうか……勝手に僕がそう言ってるんですけど、光の玉みたいなのが――」
「気のせいじゃないかな?」
ぴしゃり、とエルツーが言った。
その切り方が早すぎて、場の空気が一瞬だけ止まる。
フェルクの口元から、すっと笑みが消えた。
出口までの足取りが、ピタリと止まる。
ライトニングも何も言わない。
ただ、腕を組み直して、細めたわずかに殺気を含めた視線をエルツーに向けたまま動かない。
プリシラは意味もわからないまま、そっと尻尾を丸める。
メグも圧倒的な重い空気の変化だけは察して、息を呑んだ。
カイトだけが戸惑った顔で周囲を見る。
「え、でも、ほんとに見え――」
「その話は終わりです、準備もありますので今日は解散です」
今度のエルツーの声は、さらに低かった。
静かで、平坦で、それ以上を許さない声だった。
肩口で、アムラは黙っていた。
いや、違う。
黙ったまま、じっとカイトを見ていた。
エルツーを見る時の顔ではない。
面白がる時の顔でも、茶化す時の顔でもない。
初めて見るものを見るみたいに、まっすぐに。
それが、エルツーにはいちばん嫌だった。
普段は飄々としているアムラが、初めてエルツー以外の人間に興味を向けている。
その事実だけで十分に異様だった。
エルツーは視線を上げない。
上げたら、余計なものまで見てしまいそうだった。
「……では明後日会いましょう」
それだけを言って、話を切る。
フェルクは何も言わない。
ただ、さっきまでの軽さが少しだけ消えていた。
ライトニングも追及しない。
だが、その視線だけは完全に納得していなかった。
カイトだけが、まだわからないまま口を閉じる。
そしてアムラは、なおもカイトを見つめたままだった。
一同に、まだ薄く不穏な空気が残っていた。
誰もその話を続けようとはしない。
だが、切れたわけでもない。
さっきまでのやり取りが、席の上に見えないまま置かれている。
その時だった。
ビリジオンの入口の方から、ぱっと明るいざわめきが広がった。
「おお!! 天龍の羽だ!!」
「今回もきっちりクエストをこなしてきたみたいだな」
「素敵……!」
「うん、実力もビジュアルも申し分ないな」
黄色い声と感嘆が、一気にロビーへ流れ込んでくる。
入口から入ってきたのは、銀と水色を基調に揃えた一団だった。
羽を思わせる意匠の装備は見慣れているはずなのに、こうして並んで現れると、それだけで場の空気が変わる。
《天龍の羽》。
彼女たちは歓声にいちいち浮かれることもなく、慣れた足取りで静かにカウンターへ向かっていく。
それでも、まったく無視するわけではない。
イゼルナは柔らかく微笑み、軽く手を振った。
カティアも視線だけを流して、小さく応える。
ほんのそれだけで十分だった。
ロビーの熱は、また少しだけ上がる。
強さだけじゃない。
見せ方まで含めて完成されている。
それが、天龍の羽だった。
その列の後ろ寄りを歩いていたラミアが、ふと視線を横へ流した。
そして、止まる。
細い目が、席に座るエルツーを捉えた。
ラミアは表情を変えないまま、すぐ隣のセリスへわずかに顔を寄せた。
短く、ほんのひと言だけ耳打ちする。
セリスの目が、すっと細くなる。
「……ちっ。またうろちょろと……」
小さく吐き捨てるように言って、セリスは足を止めた。
そのまま、まっすぐこちらへ歩いてくる。
カイトの心臓が跳ねた。
「え? こっちに来る?」
メグも目を見開く。
「うそ!? セリス様!?」
思わず漏れた声には、憧れが混じっていた。
だが、目の前まで来たセリスの表情は、二人が思い描いていたものとはあまりにも違った。
冷たい。
あまりにも冷徹だった。
エルツーはそれを見た瞬間、さりげなく立ち上がり、そのまま場を離れようとした。
だが、一歩目より先に、セリスの声が落ちる。
「あなたは性懲りもなく、何をしているのですか?」
場の空気が、一気に冷えた。
セリスはエルツーを真正面から見据える。
「あなたの居場所は、ここにはありませんよ?」
カイトとメグは息を呑んだ。
プリシラもまた、どうしていいかわからないように尻尾を小さく揺らす。
エルツーは苦笑いを浮かべる。
「いえ、身辺整理中です」
軽く返した。
軽く返したはずなのに、その笑みはどこか薄い。
セリスの目がさらに冷える。
「他人を巻き込んでまで、恥を知りなさい」
その一言は、カイトとメグにまではっきり届いた。
カイトは固まり、メグはどうしていいかわからず視線をさまよわせる。
プリシラもまた、場の鋭さに押されて口を開けない。
エルツーはニコニコしている。
少なくとも、そう見える顔をしていた。
だが、その笑顔の奥に何があるのかは誰にもわからなかった。
ライトニングは腕を組んだまま黙っていた。
内心では、つまらないやり取りだと思っている。だが、自分の得になることの邪魔だけはされたくなかった。
フェルクも珍しく口を挟まない。
さすがにここで割って入ると面倒になるとわかっていた。
オリオンは一瞥しただけで、まるで別のことを考えていた。
――あの天龍の羽も、立派になったな。
その時、ラミアが静かに一歩前へ出た。
「セリス」
低く、感情の薄い声だった。
セリスがわずかに眉を動かす。
ラミアはエルツーを見たまま、淡々と告げる。
「ギルドマスターがお呼びです」
数秒、沈黙。
セリスは小さく舌打ちした。
「……わかったわ」
最後にもう一度だけ、エルツーを冷たく見てから踵を返す。
銀と水色のマントが、短く翻った。
ラミアもそれ以上は何も言わずライトニング達に一礼をして、静かに列へ戻る。
イゼルナも、カティアも、こちらへは目を向けるだけで口を挟まなかった。
そうして《天龍の羽》は、また歓声の中心へ戻っていった。
残されたのは、妙に重たい沈黙だけだった。
エルツーは、ほんの一拍だけ間を置いてから、いつもの柔らかい笑みを作った。
「さ。みなさん、クエストに備えて帰りましょう!!」
努めて明るく言う。
その声音だけ聞けば、さっきまでの空気など最初からなかったみたいだった。
けれど、肩の上のアムラは珍しくずっと黙っていた。
それ以上、その話をする者はいなかった。
ライトニングはプリシラを促し、そのまま連れていく。
フェルクとオリオンは最初から一緒に帰る気などないらしく、それぞれ別の方向へ散っていった。
カイトとメグは、結局何が起きたのか飲み込みきれないまま顔を見合わせ、それでも「とりあえず動いた方がいい」という結論に落ち着いたのか、修練場の方へ向かっていく。
そしてエルツーだけが、ひとり市場へ向かった。
歩きながらも、肩の上は静かなままだった。
それが何より落ち着かなかった。
この世界では、古くからこんな言い伝えがある。
妖精が見える者は、選ばれた者か、あるいは外れた者か。
それは悪魔か。
勇者か。
王か。
あるいは、大賢者か。
はるか昔に語られた伝承の中でのみ、現代に断片的に残る話だ。
もっとも、今となってはそれを本気で信じる者などほとんどいない。
古びた昔話のひとつ。
酒場で酔漢が口にする程度の、曖昧な与太話にすぎない。
彼らの耳にこの伝承が届くのは、まだ先の話である。




