第五話・過去からの娘(上)
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渡されたリストを半分消化したところで、私はひとつ息をついた。発着場までは店の人が持っていってくれるので、大量の荷物を抱えて街中をさまよう必要はないとはいえ、五〇ポンド入りの麻袋がいくつになったやら。
……運ぶのは私じゃないけれど。
「まだ持てる?」
そう尋ねてみた私に対し、
「離陸するだけなら六〇〇ポンドくらいまでは積めますが。どうやって鞍に括りつけるかのほうが難問でしょうね。ひとりで歩いて帰ってこられますか、リフィア」
と、かたわらを歩いていた相棒は無体なことをいった。彼、ベルグリューンはドラゴンだが、いまは人型形態でいる。その姿は長身で銀髪蒼眼の美男子。今日は非番なのでベルグリューンも私も平服だった。さて、周囲の人々の目に私たちはどのように映っているのだろう。
あきらかに血縁者ではないが、私の見てくれは平々凡々たるもので、軍装でいないときはどこにでもいる普通の娘同然だ。恋人どうしとか、そういう風に見てもらえる自信はない。
周囲の喧噪は活気に満ちていた。荷台から溢れんばかりに物を満載した二輪車が駄馬に引かれて往来を進み、立ち並ぶ商家の軒先では客が品定めをし、あるいは冷やかしてまわり、店の主人と値切り交渉をしている。道ゆく人々の表情に暗い翳は見あたらない。戦争など、どこか遠くの話のようだ。実際に前線はそうとうの遠隔地なのだが、なんだか、自分たちの存在がひどく場ちがいなように思える。
私としては、ひさしぶりの休暇にショッピングを楽しんでいる、という気分ではない。本当は実家でのんびりするつもりでいたのだ。
が、玄関ドアを開けるなり私を出迎えたのは、
「あらちょうどよかった。買物へ行ってきてちょうだい」
という、母の言葉だったのである。これが、半年ぶりに帰った娘へ開口一番かけるべき声だろうか。
わが家の立地は辺境もいいところなので、買出しは必要なのだが、ご近所のぶんまで引き受けているものだからすごい量になっていた。
そもそも、ドラグーンと真竜の契約に「買出しの手伝いをする」などという項目はない。契約者といえども軍務以外では乗せようとしないドラゴンも決してすくなくないのだ。休暇のときに家まで送ってくれるベルグリューンは、相当に変わりものの部類に入る。まして、買出しやら屋根の修理やら薪拾いやらを引き受けてくれる真竜というのは、ほかに聞いたことがない。
いっそ、ベルグリューンが「契約外だ」といって自分の洞窟に帰ってしまってくれれば、私はゆっくりくつろげたのだが。
こちらの気を知ってか知らずか、ベルグリューンは上機嫌だった。
「あとはコーヒー豆くらいですね、重たいものは。ほかは布がかさばるくらいですか。思ったより早くすみそうだ、お茶でも飲んで帰りましょうか」
「おいしいお店の心あたりでもある?」
田舎で育ってそれ以降は兵舎暮らしの私より、ベルグリューンのほうが街中にはずっとくわしい。飛べる範囲にあるたいていの城市には行ったことがあるだろう。それに、いそいで帰ったら帰ったで、母からつぎの用事を申しつけられるのがおちだ。お茶の一杯くらい飲んでいっても構うまい。
ベルグリューンが三軒候補を出してくれたので、私はタルトがおいしいという店を選んだ。そのカフェはコーヒー豆や茶葉の卸しが本業の商人が片手間にやっているとのことなので、問屋街へと足を向ける。コーヒー豆も五〇ポンド入りの大袋でひとつ買わなければいけないので、ちょうどいい。
問屋街までもうあと街区ふたつというところで――
ベルグリューンは先に気づいていただろう。私の視覚と聴覚が異変を捉えたのは、ほぼ同時だった。
すこし先の角から、通りへ向けて小柄な人影が飛び出してきた。通行人と騾馬と荷車を躱し、そのまま道を突っ切って、向かいの路地へと駆け込んで行く。そしてそれを追う、
「泥棒!」
という叫び。声を浴びせられている側はフードつきの外套を羽織っていたが、勢いよく走っているうちにフードは脱げてしまったようで、頭部は隠れていなかった。肩まで伸びたクセのある鈍色の髪と赤い眼をした、十二、三歳くらいの女の子に見えた。だがなにか引っかかる。
「ベルグリューン、いまの子って」
「ええ、真竜の類のようですね。たぶん鉄竜の幼体でしょう。人間の街でなにをしているのやら」
ちっとも驚いた様子のないベルグリューンだったが、私がこういうと怪訝そうな顔をした。
「追いかけるよ」
「捕まえてどうするのですか?」
「幼体といっても真竜は真竜、非真竜に対して詐術や窃盗を働くことは赦されない。それに、幼竜が人間の街に単独でいるというのも不自然でしょう。もしかしたら保護の必要があるかもしれない」
「わたしも仔竜のころは、いろいろといたずらをして遊んだものですが」
と、ベルグリューンは肩をすくめる。私はそれなりに真面目に考えてのことだ。
「あなたが子供のころは、世情がきな臭くなっていたといってもまだ連合と同盟は戦争に突入していなかったでしょう。きょうびに親なしの野良ドラゴンなんて、正体がバレたら拉致されかねない。真竜といっても、幼体なら捕獲できる腕前の人間もいる」
「そんなことをすればただではすみませんよ」
「知られれば、でしょ。あの子に目を配っている保護者は本当にいるの? いま、このあたりにほかの真竜の気配ってある?」
「そこまでいうなら、本人に話を聞いてみましょう。わたしは鉄竜族を全員知っているわけではありませんが、主だった長老格のうち、彼女の縁者がだれかくらいはすぐわかるはずですから。取り越し苦労だと思いますが」
そういって、ベルグリューンは私の頭へ手を伸ばしてきた。思念感応が接続される感覚。増幅結晶なしでも、ふたりぶんのリンクを保持することくらいなら、ドラゴンにとっては簡単な芸当だ。
〈わたしが前方へまわり込みます。きみは普通に追いかけてください。気づかれてしまって構いません〉
〈この街の地理はぜんぜんわからない〉
〈ちゃんと誘導しますよ〉
ベルグリューンは軽くジャンプすると、通りに面した建物の廂や屋上をつたってあっという間に見えなくなった。人型形態のときでもやはり竜族、身体能力は法外に高い。私は地味に道なりに進んで女の子を追いかける。
角ひとつ曲がると、両側に商店の建ち並ぶ大通りと打って変わって、人影のほとんどない裏路地へ出た。ところどころに、狭い道の端に寄って、女の子と追っ手が走り去っていったほうを見ている人がいる。捕り物は珍しいのだろうか。息せき切って駈けっては、いらない注目を集めるかもしれない。私はなに食わぬ顔で気持ち早足に歩いていく。
街区の略図に、目標の女の子と彼女を追いかける自警団員をあらわす点――ベルグリューンの送ってくる情報は、感覚的でわかりやすいものだった。追っ手を撒きながらも、女の子が背の高い建物の多い倉庫が立ち並ぶ区画へ入り込んでいっていることがわかる。真の姿に戻って空を飛ばないかぎり、竜といえども道ぞいにしか進めなかろう。
歩くうちに、区画のひとつの壁ぎわを占拠するように樽と木箱が積みあげられているところへ出たが、その一角が崩れており、自警団員がひとりのびていた。どうやら鉄竜の女の子がやったらしい。真竜族の中では下位、しかも幼体とはいえ、それでもドラゴンはドラゴンだ。私が接近していることもわかっているはずだ。
女の子が行きどまりに向かう小道へ入り込んだ。このあたりに土地勘があるわけではないのかもしれない。私も同様だが、こちらにはベルグリューンのサポートがある。すこし足を速め、分岐点を押さえた。袋小路に閉じ込められた女の子との距離を、詰めていく。
三段に積まれている空の木箱の上に陣取って、女の子は私を待ち受けていた。追いつめられた危機感はない。余裕の表情のまま、口を開く。
「なにかごよう?」
「あなた、真竜でしょ」
私が単刀直入に切り出すと、女の子の様子が変わった。木箱に腰かけてぶらぶらさせていた脚の動きがとまり、人間の少女ではありえない眼光でこちらを睨めつける。常人なら気迫で金縛りに遭うだろうが、私はこれでも真竜使だ。幼竜に位負けしてはやっていられない。
私に怯えの色がないのを見て、女の子の眉が逆立つ。
「ぼくが真竜だったらどうなのさ」
「協定に基づいて、あなたをしかるべき保護責任者の元へ連れて行きます」
「いうにこと欠いて協定? 人間がきいたふうな口を」
女の子の言にはあからさまな毒気があった。真竜からここまで明確な敵意を向けられたことはない。高位のドラゴンにとって、本来人間はそれほどの相手ではないのだ。軽んじこそすれ、対等以上の存在として、怨み、憎悪するようなことはないはずなのだが。
私の戸惑いをどのように取ったのだろう。女の子が口の端をゆがませて立ちあがった。
「この街の人間じゃないようだけど、余計なことに首を突っ込むと痛い目を見るんだって、教えてあげる」
木箱の山から飛び降り、女の子が嗜虐的な表情を浮かべて私を睨めつけた。獲物を見つけたときの猫を思わせる眼だ。人型形態の幼体であってもたしかに真竜は手強い。それでも、余裕で突っかかってきた女の子の出端をくじいて驚愕させることくらいは私にもできただろう。
しかしその必要はない。女の子が気づいたときには、すでにベルグリューンがその肩に手をおいている。それだけで、彼女の動きは扼されていた。
力で抑えつけているわけではない。生体エネルギーの流れを制限して四肢の自由を奪っているのだ。人間相手なら心臓の動きを停めて殺すこともできる。が、さすがにそこまでできるドラゴンは少数だ。ベルグリューンはかなり生体エネルギーの扱いが巧いほうに入る。
ベルグリューンは五秒ほどで手を放したが、女の子は反撃したり逃げようとしたりはしなかった。相手が自分より上位で年嵩の真竜であることを察したのだろう。
つぎの科白は突飛もいいところだったが。
「……ぼくを殺すんだね」
「なぜわたしたちがそんなことをしなければならないのです? きみは死に値するような罪に自らの手を染めた覚えがあるのですか」
「ぼくの存在自体が、死をもって購わなければならない罪業なんでしょう」
女の子の口調は淡々としたもので、悲壮感や自己憐憫の響きはなかった。それだけに、どうやら嘘ではなさそうに感じた。すくなくとも、この子にとっては事実なのだろう。
話の展開についていけず、私は目をしばたたかせるばかりだったが、ベルグリューンは思慮げな顔になっていた。
「……もしや、きみの名は、レヒーティタではありませんか?」
「やっぱり知ってる。捜してたんでしょう、ぼくのことを。殺すために」
わずかばかり、女の子――レヒーティタの声がひるみに震える。いっぽうベルグリューンは、遠くを見るような眼になっていた。
「もっと早くに手を尽くしていればよかった。無事だとは思っていませんでした。ローパクト大佐を憶えていますか? 彼女は大佐の娘ですよ」
私のほうを示しながら、ベルグリューンがそういった。ここでどうして父の名が出てくるのか、私にはわからない。さっきから話が飛びすぎだ。レヒーティタも咄嗟のことに呆然となったようだが、私とはやや意味合いがちがったらしい。しだいに、少女の表情から警戒の色が薄れていく。
「……じゃあ、あなたが、ベルグリューン?」
「ええ。直接顔を合わせたことがあれば、すぐにわかったのですが。いまはわたしも彼女もフリーランスですから、北部連合の上層部とのしがらみもありませんよ。軍籍はまだ北部ですけれど」
「どういうこと? ぜんぜん話が見えてこない」
ここで、私はとうとう割り込んだ。ずっと黙って聞いていたが、さすがにここまでさっぱりでは口を挟まざるをえない。ベルグリューンがこちらへ向き直り、こういった。
「簡略に説明するにしても長くなってしまいますね。場所を変えましょう、最初の予定のとおり、フルーツタルトでいいですか?」
***
私たちは一度市街の外からまわり込んで発着場へ行き、届いていた荷物の中からフェルトの帽子を引っ張り出して、外套を脱がせたレヒーティタにかぶせてから、街中へとって返した。変装というにはお粗末だったが、堂々としていればバレないものだ。
市中はすっかり元の喧噪を取り戻しており、私たちはなに食わぬ顔でカフェのオープンテラスの一角に収まっていた。午後のティータイムにはまだ早い時間だが、すでに半分以上の席が埋まっている。
「ここのベリータルトは絶品ですよ」
と口でいいながら、ベルグリューンはすでに本題へ入っていた。
〈彼女は、レヒーティタは、あなたの父上が最後に臨んだ作戦において、最重要となる存在でした。この子は統合と平和の象徴になるはずだった。種族の枠を超え、千年に渡って繁栄する王国の象徴に〉
〈さっそくだけど、最初からわからない。そのときは父のほかにもかなりの人数が戦死しているし、真竜も二体斃れたほどの激戦だったはずなのに、詳しい記録がぜんぜん残されてない〉
父が死んでからもう五年ちかく経つが、私は父の最期についてほとんどなにも知らないのだ。ベルグリューンもこれまで話してくれたことはなかった。私は、軍の書類庫に残っていた表面的な記録しか見たことがない。いかなる経緯で立案された作戦で、目的はなんだったのか、そもそも、北部連合と南部同盟のどちらがその局面で勝利したのか、一切書かれていなかった。
父は無意味な戦いで死んだのだなどと思いたくはなかったが、父が生命を賭した理由を知ることはできずじまいだったのだ。真相が伏せられているのだと推測することはもちろんできたが、知っていたのなら、どうしてベルグリューンはここまで黙っていたのか。
私の視線に批難めいたものを感じたのだろう。ベルグリューンは穏やかな精神波でこう伝えてきた。
〈あの戦いへ赴く前に、あなたの父上はこうおっしゃった。「もしこの試みが上首尾に終われば、人間にとっては永遠に近い、子々孫々の代までの平和が約束される。だが、しかるべき時がいたっていないのであれば、我々は単なる道化と見られるだろう。我らの望みが果たされずにことが潰えた場合は、期の熟していない軽挙に、リフィアを巻き込まないでほしい」と〉
〈いったい、父はなにをしようとしていたの?〉
〈カーレッジは、あなたのお父さまは、竜と人をひとしく治める、統一王朝の建設を目指していたの〉
と、横から答えたのはレヒーティタだった。
「え?……それって」
叛逆ではないか――自分で声に出していたことに気づき、私があわてて言葉を呑み込んだところで、注文したお茶とタルトがやってきた。
ベルグリューンがウェイトレスにチップを渡して手早く追い払い、さっそくカップを手に、立ちのぼる香気を味わう。
「やはりよい茶葉を使っていますね。薫りからちがう」
そういってからお茶に口をつけ、ベルグリューンは話をつづけた。
〈さきほどもいいましたが、長くなります。いただきながらにしましょう。食べながらであれば、つい声が出てしまうこともないでしょうし〉
ベルグリューンの勧めに従って、私はベリータルトに手をつけた。なるほど、たしかにおいしい。生地はかたすぎずややしっとりめ、甘みと酸味のバランスがとれており、クランベリーの種子を噛みつぶしたときの舌への刺激が心地よい。
私はベルグリューンにしばし精神を開き、彼の語りに心を預けた――