17 サード・エンダーズ(1)
アドルーは身をよじって背面をずらした。岩土で作られた独房の壁は古く脆いことに、ここの騎士は気づいていないのだろうかと考えながら、背後の壁をじっくり見つめる。
壁から生えた、いや、壁に掘った穴から顔を出した痩せ男と目が合う。境界村でエルストを襲ったサード・エンダーズの一員、これでもオフルマズド教の神父なのだが、今は王立魔法騎士団に捕らえられているはずの男だ。
「おせーよ」
アドルーは文句を垂れた。
「やかましいっ!」
いかにも狡猾そうな声で神父が反論する。
「20そこらのおまえと違ってわたしの魔力は断然少ないのだっ。騎士団にバレぬよう慎重に掘り進めてきてやったのだからチッとは労われっ」
「24だよ。あの人は?」
「わたしの真後ろだっ」
「じゃあどけよ……」
「そのためにはまずおまえがそこをのきたまえ!」
アドルーは神父の悪態に辟易しながら腰を移動させた。アドルーの手足は鎖で拘束されているが、位置を変えることは難しくない。一体どこへ続いているのか見当もつかない、大の男がひとり通れるほどの穴から、神父と、黒いマントに頭から爪先までを包んだ人物が姿を現した。アドルーはこの黒マントの人物が男であることを知っている。
「ドールは?」
「置いてきた」
黒マントの男が答えた。低い声だ。
「いいのかよ」
「支障ない」
むしろそれなりに気心知れた仲であるようだ。黒マントの男は言葉もなくアドルーの手足に巻きついた鎖を引きちぎった。一瞬のことだった。
そのかたわら神父は長い白髪を神経質そうに整えている。服装は黒を基調とした礼服だ。お気に入りの髪型にセットし終えると、アドルーと黒マントの男に促す。
「下?」
「上だ」
黒マントの男の返答が、騒動そのものの合図だった。
エルストとベル、アギは王太子妃に連れられ、青い光を放つ魔法陣の輪をくぐって王城と思われる場所に転移した。
アトウッドとウォーベックマンは峡谷に残った。アトウッドは、エルストたちがセカンド・エンドの真相までたどり着いていないことを踏まえ、ヨウ・ヨウやブラウンがもたらしたような証は、エルストには与えなかった。当然といえば当然である。エルストは逃げ出してきたのだから。
ウォーベックマンは、もうこりごりだと言ってアトウッドのそばを離れようとはしなかった。その言葉の意味について、エルストは推測を巡らせるしかなかった。セカンド・エンドの時代でチ・ビが抱えていた赤子の正体は、間違いなくこのウォーベックマンなのであろう。もっともチ・ビとウォーベックマンと王族のあいだに何の問題が起きていたのかは不明であったが、ここはウォーベックマンの意志を尊重したかったし、ウォーベックマンが王都に行く意味も見当たらなかった。
青い魔法陣は王城のリビングに続いていたらしい。あっという間に峡谷から王都マグナキャッスルへと移動したことに、エルストのみならず、ベルとアギも驚いていた。
王族のためのリビングのソファーには、ミズリンとパトリシアが座っており、ミズリンの腕の中には幼い黒髪の少女がいる。ミズリンとパトリシアは困惑した面持ちでエルストらを見ているが、アギはとくに黒髪の少女が気になったようだった。
「誰や?」
「マックス兄様の娘……クリスタベルだよ」
「エエエッ!」
「え、てことはエルスト様……おじさん〜!」
「……ちょっと笑ってるよね、ベル?」
ベルはすっかりいつもの調子を取り戻していた。あれほど発狂した理由については語ろうとはしなかったが、エルストは、今は深く追求する暇はなさそうだと判断した。
ミズリンは王太子妃にクリスタベルを預けた。クリスタベルは怯えた表情だが、母が戻ってきたことで、少なからず安心したようである。
突如エルストらの目の前に現れた王太子妃は王都が襲撃されていると言った。そして、エルストを連れ戻しにきたと言われたのだが、そうなった経緯が、エルストにはわからない。
「あの……これはいったい何事ですか? ただごとではないってことは、なんとなくわかるんですが」
するとミズリンは弟を一瞥し、立ち上がってリビングの窓辺に移動する。閉め切られていたカーテンが、ミズリンの手によって、細長い隙間を空けた。
「ごらんなさい」
外は夕暮れ時であった。だからこそ、エルストも最初は目を疑ったのだが、よく見てみると、王城から眺め得る王都が“燃えている”ではないか。夕日の色などではなく、轟々と天にさかのぼる炎が街を点々と燃やしているのだ。おまけに風が強いのか、炎は連なり、規模を拡大していくばかりである。
エルストのとなりでベルが息を飲んだ。
「お父さん……お母さん! お父さん!」
「待ちなさい、ベル! すでに街には騎士団が出ているわ!」
王都郊外に住む両親の身を案じ、その場から駆け出そうとしたベルをミズリンが引きとめた。
「け、消せるんですか、こんな火事、騎士に!」
「これだけは言えるわ、エルスト。おまえが大きく慌てたところで炎は消えはしないんだってことはね。だけど街の火事よりも……」
その時、ミズリンの台詞を遮る騒音が聞こえた。何かが割れる音だった。部屋を何室か隔てた向こう側から聞こえたようだったが、それにしても、大きな破裂音だった気がする。王太子妃とクリスタベルは見るからに不安そうにしている。
「……城内でも何か?」
この時ばかりはエルストも察しがよかった。ミズリンは青ざめた顔で頷いた。
「……私、やっぱりお母様のところへ行くわ。お母様が心配だわ、パトリシア」
ベルを引きとめたのは自分自身であるというのに、ミズリンはとたんに弱気になった。
「で、ですが、ミズリン様……国王陛下はここで待てと、先ほど……」
「なんや、ハッキリ教えーや!」
「いま教えるところよ! 黙ってちょうだい!」
不安定な心を抱えたミズリンによって怒鳴られ、アギはすっかり怯んでしまった。
「城内で……サード・エンダーズが暴れてるのよ! その上……境界村はとっくに壊滅されてしまったと連絡がッ……」
エルストらは、今度は耳を疑った。
ミズリンをはじめ、ベルを除く女性陣は互いに身を寄せ合い始めた。足音と破裂音と悲鳴とが、この部屋を打ち鳴らし、聴く者の心を怯えさせている。
「サード・エンダーズ……」
エルストとベルはその場に立ち尽くしている。エルストは鼓動が跳ね上がるのを感じた。
「城にいるのはアドルーよ。それから、おまえを襲ったとかいうオフルマズド教の神父……やつらが城で暴れているの。騎士も使用人も見境なく襲ってね」
「え、あいつら逃げ出したんかいッ! 神父のことは、今の今まで記憶になかったけども!」
「その点は騎士団の不手際ね。とにかく城の人間が気づいたときには、アドルーも神父も自由の身だったらしいわ。境界村の壊滅も王都の火事も、きっとサード・エンダーズのしわざよ、タイミングが良すぎるもの」
「外にも仲間がいるってことですか?」
「そう考えるしかないわ。こんな火事が偶発であるわけがないでしょう」
「……みんな!」
ミズリンがエルストに話しているところへカーシーが慌ただしく入室してきた。茶色のローブも、髪も乱れきっている。走ってきたのか、息もわずかに上がっているらしい。
「カーシー兄様!」
「ああ、エルスト……義姉上の魔法は無事に済んだんだね……まずは、よかった、かな……父上が提案したときは、けっこう不安だったんだけど……」
「父上の提案?」
「ああ……それについては、あとで話す」
カーシーはそう言いながら扉を閉めた。その後、エルストの両肩をぽんぽんと叩いた。
「カーシー、マックス様は?」
王太子妃がたずねた。カーシーの手がエルストの肩から離れる。
「城下で騎士の指揮に。僕もこれから学園のほうへ移ります。生徒たちの指揮もありますから」
「生徒……指揮? カーシー兄様、学園の生徒をどうするの?」
声色を落として訊いてきたエルストに、カーシーはやや押し黙ったあと、眉根を寄せ、頬を強張らせて、怪訝なまなざしをする弟の頭を撫でた。
「王都の火災の対処に……わかるだろう? 学園の生徒たちも立派な魔法使いなんだ」
そのカーシーの返答に、エルストはベルと目を合わせる。ベルは一度、大きく頷いた。
「私……私、なにが“街の火事よりも”、なのかしら……」
ミズリンが前に出る。
「ミズリン様?」
「パトリシア、私たちも街へ出るわよ。……街の火事よりも大事なことって、私には、他にあってはならないんだわ! 一刻も早く炎を消さなきゃ!」
「……はい、お任せください、ミズリン様!」
パトリシアは興奮した様子で窓を開け放った。城内の悲鳴と、外気とともに入り込んでくる王都中の悲鳴が重なる。
「ジャスティ! ファイ!」
「……うわっ、馬や! 馬が駆けてきおったで! ベル、見よるか!?」
「う、うん……空を飛んでる……馬が」
鮮やかなオレンジの空に、まるでおとぎ話のように、一頭の馬が荷車を引いて“飛んで”現れた。いや、一頭であると、ミズリンとパトリシア以外の誰しも思ったが、どうやら頭はふたつ、胴体はひとつのドラゴンであるらしい。それが空駆ける馬車として目の前に現れたのだった。
「わたくしのパートナードラゴンですわ」
パトリシアがベルとアギを睨みつけながら言った。
「不思議なドラゴン……」
「ジャスティとファイと言いますの」
エルストが見る限り、体のかたちは馬だ。前脚のそばから上にかけて、二本の首が生えていることを除き、翼はないのでやはり馬に見える。体毛は水色であるように思う。
「アギさんのほうがカッコエエやろ、王子」
アギはどさくさに紛れて優劣をつけた。エルストは微妙な反応を見せたが。
「足もとにお気をつけくださいませ、ミズリン様」
ミズリンはクリスタベルの頭と両頬を撫でたあと、窓から荷車へ飛び移った。天蓋がない荷車だが、座面はふっくらしていて座り心地がよさそうだ。
「では、私たちは上空から街の消化活動に当たるわ。カーシー兄様は学園に向かうとのことだから……エルスト」
「は、はいっ」
「城内はおまえと父上でなんとかなさい」
「皆さんご無事で。またのちほどお会いいたしましょう」
ミズリンはパトリシアが手綱を握る車に乗って城下へと消えていった。
「大役を任されてしまったね、エルスト」
妹たちが去った夕焼け空を眺めながら、カーシーがエルストに苦笑した。
「いや、だけど僕は……」
エルストが視線をさまよわせると、
「なに弱気なこと言ってるんですか!」
と、ベルに一喝された。
「う、うん、そうだよね……そうなんだけどさ」
エルストの声と、何者かが城内の壁を破壊する音が交わった。エルストは肩を竦める。何者かだなんてわかりきっていることだ。アドルーか、あの神父か、どちらかしか考えられない。
「エルスト、父上は母上のところへ向かってらっしゃる。おまえもそこへ向かうんだ。そうしたら、あとは父上に……」
「え? 母上の寝室に?」
「ベルとアギも同行してくれ」
「あったりまえや! ……けど道案内はせえよ、王子!」
アギが吠える中、ベルがホウキを取り出す。
「せっかくだから私たちもこれで行きましょう! ミズリン様たちに負けてらんない!」
「え……ええっ? ホウキ? でも……」
「……乗るの、乗らないの!?」
「の、乗る乗る! 乗りまァーす!」
有無を言わせないベルの問いかけに、エルストは涙目になりながらホウキに跨がった。前にベル、うしろにエルストだ。ホウキは空中に浮き始めたが、それにしても、なんとも不安を匂わせる乗り方である。
「レッツゴー!」
「いや、ドアドア! ドア! ベル、ドア! ねえ、アギ、ドア! ドアッ! ねえ、ドア閉まってるってば!」
ホウキの羽根から煙が息を吐いている。
「無駄や! やかましわ! ワシらの前に開かへんドアなぞ無いんやぁーッ!」
次の瞬間、エルストとベルを乗せたアギのホウキは勢いよく扉を打ち破っていった。すさまじい速度で発進しながら。
飛来した扉の破片がカーシーの眼鏡のレンズにヒビを走らせた。その時、カーシーは、エルストの宮廷魔法使い任命試験の日のことを思い出していた。あの子たち大丈夫なの、という義姉の問いに、カーシーは、心配なさそうです、と困ったように微笑みながら答えるのだった。




