17 サード・エンダーズ(2)
そう時は経たないうちに夜を迎える頃だというのに、マックスは暑さに汗を滲ませながら部下に指示を出していた。その声は荒い。マックスは先刻、王立魔法騎士団を率いて王城から貴族街へ出て、そこからさらに下町に進んでいるところである。部下たちは小隊を編成して王都じゅうに散らばっているのだが、暑さがちっとも和らがない。まるで王都ごと焚き火のようにされ、燃やされている気分である。はなはだ不愉快である。
石材や、燃えにくい材質で新築した建物もあるが、今日のこの炎はそんなことはおかまいなしのようだ。聴いたこともないような轟音を立てながら空に向かって背丈を伸ばしている炎に、マックスは憎しみを隠せない。
明らかに人為的な火災だ。出火は貴族街、広場、郊外と、場所は一箇所には限定されていない。火災が確認されたのも同一時間内であることから、自然災害である可能性は極めて低いだろう。城下町の教会からも火の手が上がっているため、人々は恐怖心を煽られている。悲鳴と助けを請う声が鳴り響いて止まない。もちろん死者も数名、確認されている。
唯一〝燃えていない〟のは王城である。そのため、マックスは救助した市民を王城に避難させる案も考えたが、肝心の王城は現在、別の問題を抱えている。それがアドルーをはじめとするサード・エンダーズによる襲撃だと言うのだから、マックスは怒りによる激情で全身が煮え立っている。――しかたなく避難先は王立魔法学園の校舎となったため、救出された人々はマックスの部下に案内されながら学園を目指している。アドルーらの足が学園にまで及ばないことを祈るばかりだ――王城が先だったか火災が先だったかは知らないが、きっと目の前の惨状もやつらの仕業だと決めつけてさえもいる。だが、放火犯の姿は、どこにも目撃されていなかった。これが魔法による火災なのだとしたら――十中八九そうなのだろうが――とっとと犯人の寿命が尽きてほしいものだ、とも考えていた。つまり火災が長引けば長引くほど、マックスは我を忘れて憤怒の塊になるということだった。民家に取り残されていた小さな子どもを自ら助け出し、ささやかに安心できた時、気づけば紺色の空にいくつかの星が煌めいていた。今日という一日は、まだ終わりそうにない。
王立魔法学園にはぞくぞくと避難民が入ってきている。生徒は学園にて避難民の誘導をする者や、市街地に駆り出される者、学園の警護に当たる者とに分別されている。入学時に理事長ファーガスから加工済みドラゴンを与えられた以上、彼ら〝生徒もれっきとした魔法使い〟なのだ。魔法使いは有事の際には王国のために働くのが義務である。カーシーも、そのことについて、とくに異論はない。魔法使いという定義を〝加工済みドラゴンを持つ者〟に置くなら、である。
一般市民は当然ながら加工済みドラゴンを持っていない。彼らが日々使う魔法は、己の魔力、すなわち己の寿命だけである。だからこそ彼ら一般市民を王国では〝第一に守るべき人命〟だと考えている。
その守るべき人命たちは、義務を課せられた魔法使いによって守られようとしている。
王城から爆音が届いた。カーシーは、学園の一教室にいながらその音を聴いた。おまけに、喫驚する一般市民の悲鳴も聴いた。
アドルーたちは遠慮なしに暴れ回っているようだ。カーシーは教室の扉を閉める。この教室はすでに避難民でいっぱいだ。人ごみをかき分けながら廊下を歩く。生徒たちに指示を出したあと、人々がきちんと避難を完了させているか、どの教室に空きがあるか、カーシーは教室のひとつひとつを確かめて回っている。道中、ああカーシー様、助けてください、と一般市民から尋常ならぬ懇願をされる。今夜の出来事が緊急事態であることなど、今や王都市民すべてが理解している。火災現場を目にした者も多いことだろう。だが、王城すら危機に晒されていることを、今の爆音でどれだけの一般市民が気づいただろう。
「にいちゃーん、こわいよう」
幼い兄弟が目の前に現れた。学園の生徒ではなさそうだ。避難民なのだろう。弟は兄の腕にすがりついている。両親の姿は――見当たらない。
「大丈夫だよ。あっ、ほら、カーシー様がいる!」
兄のほうが、ぱっと目を輝かせてカーシーを指差した。
「カーシー様がなんとかしてくれるよ。カーシー様はえらいんだよ。おうぞくだから」
弟をなだめる兄の言葉に、カーシーの表情は意図せず和らいだ。
「泣くことはないよ。大丈夫だ」
カーシーは幼い兄弟のもとに身をかがめ、ふたりの小さな頭を撫でてやった。幼い兄弟は、そっくりの笑顔をカーシーに見せた。
エルストはちゃんと王妃のもとへたどり着いただろうか。カーシーはふと、弟のことが気になった。ちゃんと――国王の言うとおりにしているのだろうか……。
「とにかく上! 上に母上の部屋があるから!」
王城の通路にはエルストの声が強く響いている。かつて、これほどまでに大きく、王位継承権第五位エルスト・エレクトラ・エン第三王子の声が城内に聴こえたことがあっただろうか。普段なら珍奇なまなざしを向けてくるであろう使用人たちは、現在アドルーたちの手から逃げ惑っており、ただエルストどころではないということだけが悲しくも普段どおりである。
「上ってどっちですか〜ッ?」
すぐそばにいるというのに、エルストに返事をするベルもまた、大声を出した。
「いま飛んで来た道の反対側だってばーっ!」
「はよゆえやーッ!」
「言っただろーっ! 聞かなかったのはふたりのほうじゃないか〜っ……うえわああっ」
エルストはベルのうしろに乗ったまま変な叫び声をあげた。ベルがホウキを縦に一回転させたのである。天と地がさかさまになった感覚を、エルストはこの時初めて味わった。目はおろか内臓までもが回ったはずだ。魔法使いというのはいつもこんなに無茶苦茶な飛び方をしているのか。すでに気分が悪い。それとも、ベルだから飛び方が無茶苦茶なのだろうか。おそらく後者だとエルストは瞬時に判断した。
「……ん?」
王城の通路を逆走しだすと、ベルの瞳はある人物の姿を捉えた。が、
「のけのけのけのけ〜っ! エルスト様のおとーりだぞ〜っ!」
その人物が境界村でエルストを襲ったオフルマズド教の神父だとわかるや否や、ベルはそのまま突撃していった。神父はベルらが激突する直前に通路の端へ避けた。エルストが見たのは一瞬のことであったが、その時の神父の表情は、驚きと、焦燥の色に満ちていた。
「ま、ま、ま、待ちたまえッ! おい、待たんか! 話はまだ終わっちゃいないッ」
「始めてすらおらへんがな。シツコイなあ。まだこのアギさんが欲しくてたまらへんのか」
ベルとアギはホウキの飛行速度を上げる。
「ねえ……ちょっと。気のせいかな、あの神父、猛烈な勢いで走ってくるんだけど……」
すでにホウキは神父を通り過ぎているため、うしろを振り向いて神父の姿を見たエルストは、すぐに青ざめた様子でふたたび正面に向き直った。そしてエルストだけの気のせいではないことを確認するため、アギの顔を両手で持ち、ぐるりと半回転させる。よってアギもうしろを見た。
「……ホンマや。なんか、この世のものとは思えへん勢いで走ってきよる。あれ人間ちゃうな。たぶん、どー見ても、獲物をねろとるイノシシちゃうかな思うわ」
「誰がイノシシだァ!」
脚力だけでなく聴覚も鋭いらしい。
「ベル、魔法や! このままやとスグ追いつかれるで! ぶっちゃけさすがのアギさんもこれには不安をおぼえちゃう! ちゅーかコワイ!」
「僕もコワイ……」
アギとエルストの言葉にベルは素直に従い、杖を下に向けて突き出した。
「……カーテン!」
すると、杖の先端から、炎がカーテンのように背後の通路に広がりはじめた。魔法の呪文だったらしい。
「あちちーッ」
案の定、走っていた神父は炎に足止めされた。ぴょんぴょんとその場で足踏みしている。
「……とか言うとでも思ったか! ふはは、愚鈍め!」
ところが神父の足は、不敵な表情とともに、なんと炎の中を進みはじめたではないか。その瞬間を見ていたエルストとアギは驚く。
「マジで人間ちゃうかった!」
アギの言うとおり、神父は人間離れした速度で炎の中を走ってくる。
「わたしのこのブーツは加工済みドラゴンのブーツなのだっ! よって脚力は尋常じゃない! おまけにこんな炎じゃ微風と同じよっ!」
「え? どうしてオフルマズド教の神父が加工済みドラゴンを?」
「よい質問だ、エルスト王子よ! しかし忘れてもらっちゃ困る、わたしもサード・エンダーズの一員であることをなァ!」
「つまり他人のモノっちゅーことや、王子」
「そんな……なんて悪い人たちなんだろう」
エルストは、今度は蔑む目で神父を見る。
「はははははははははははははははは」
神父は高らかに笑う。彼はこのような性格だったのか、とエルストは戸惑っている。境界村で襲われた時は、てっきり無口な男だと思ったからだ。
「生涯通して絶対に悪事を働かない人間がこの世に一人といるものかッ! これはしょせん量の差だ! 王族とてマズい食材は食べないだろう。わたしにとってマズい食材を残すことと他人の加工済みドラゴンを奪って使うことは同じサジ加減で量った悪だ! そして悪という皿に入れれば何でもかんでも悪になる!」
「エルスト様、あれが俗にいう〝こじつけ〟です」
ベルが冷ややかに言ったが、エルストの顔色は優れず、
「でも、ブラウン火山でヤシの実のジュース飲まなかった僕は……いや、そもそも……」
と肩を落とすばかりだ。アギは慌てる。
「ちょーちょちょちょ! あんな宗教まがいの悪党の話に耳貸すなや!」
「まがってない、わたしは神父だ!」
「だああッ。そんなんどーでもええわっ。大事なのソコちゃうし、ややこしなるし、だいたい神父ならなぜに悪の組織に加担すんねや!」
「それはさしずめ味覚の差! わたしにとってオフルマズド教、ひいては王国が、真のゲボマズ料理だったからだ!」
「ゲ、ゲボマズ……」
エルストは頬をひきつらせる。
「ふーんだっ」
ベルは鼻を鳴らす。
「私にとってはおまえたちこそゲボマズだ! おまえたちなんかにアギを渡すもんか! エルスト様だって、もう絶対絶対絶対守る!」
「ベ、ベルぅ……こんなにまっすぐなエエ子に育ってくれて……ワシ、嬉しい……」
アギは涙声だ。アギと顔を突き合わせているエルストは苦笑した。
「だから……サード・エンダーズなんて滅んでしまえ〜ッ!」
ベルは前を向きながら後方に火の玉を飛ばした。およそ十の玉が神父を襲う。ブーツだけが加工済みドラゴンのものならば、胴体を狙えばいいとでも思ったらしく、火の玉はすべて神父の上半身を目がけて飛んでいるようだ。
「あっ、ベル、あの階段だよ! ひとつ上がれば最上階だ」
エルストの案内どおりに一行を乗せたホウキは進む。階段の上を飛び終え、まっすぐ進めば王妃の部屋だ。
「あかん、神父がまだ追ってきよる!」
「もう部屋は目の前だ。どうしよう、神父を放っとくと、母上が危ないかも……」
そうは言えどもホウキはすでに王妃の部屋の直前まで到達し始めている。
「フフ……こうなれば王妃もろとも皆殺すことがわたしの使命!」
神父はそう叫んだ。神父の人並み外れた足が一行に追いつこうとする、その時であった。
王妃の部屋の扉がわずかに開いたのをエルストは目にした。
その一瞬後、何かが床に転がる音がした。音がしたほうはうしろだった。エルストやベル、アギはホウキでの飛行を中断し、床に足をつけて後方を確認すると、いつの間にそこに現れたのか、鮮やかな赤のマントと、肩にかかる金色のドラゴンの頭が、三人の目に飛び込んできた。
ベルがエルストの袖を掴み、二度すばやく引っ張った。もうそのしぐさから、ベルの動揺がエルストにまで伝わってしまった。そしてエルストも同じ気持ちであることを伝えるすべを、エルストはとうとうわからず、ただただまっすぐに目の前の光景を見つめ続けた。通路に転がっていたのは神父の両足だった。胴体から切り離されている。おまけに、血の水たまりが広がり始めている。その中に、心から怯えた様子の神父が、情けなくも床に横転し、震えながら、なすすべなく赤マントの人物を見上げている。
「ち、父上……」
エルストが言った時、エルスト自身はようやく、国王の右手に握られたレイピアが血に濡れていることに気づいた。刺突専用のレイピアで神父の両足を斬り落としたらしい。なんらかの魔法を使ったことは明白だった。
「不甲斐ないぞ、エルスト。じつに甘く、そして非常になまぬるい。上の兄とは大違いだ……こうして追跡者の足を斬り落とすだけで済むというのに……」
久しぶりに聞いた父の声にエルストは全身を強張らせた。怖いと思った。
国王はレイピアを下に向け、両手で構え直した。国王の白いブーツが血で汚れた。この直後に何が起きるのか、エルストも、ベルも、アギも見抜いていたが、三者の誰も、体が動こうとはしなかった。
国王は神父をひと睨みしてその胸にレイピアを突き刺した。断末魔は短かった。両足を失った体では抵抗もむなしく、当の神父が落命するまでに、そう時間は必要なかった。




