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この次、恋をするときは  作者: うえのきくの
13/16

13

 

 玲二のその日の予約が6時で最後だったのも記憶にあった。 そういう場合でも最後まで残っていくのが玲二の習慣だったが今日は予約の客が終わった時点で帰ることにしてある。 なんとか怪しい言い訳もつけてフキエも一緒に退社することにしていた。


「で、どこにつれていくわけ?」

「はい。近藤家です」

「近藤、って……」

「はい、志帆さんのご実家です」


 しれっと答えたフキエに玲二は絶句する。 志帆の家族は玲二のしてしまったことをなにも知らない。 それでも、会わせる顔などない。


「フキエ、それは……」

「お兄様にはアポはとってあります。玲二さんのことをずっと待っていたそうです」

「……」


 玲二の実家にも程近い、古い住宅街にその家はあった。 当時は……現在に至るまでその敷居を跨いだことはない。 それでも、遊んだ帰り家の前まで送ってくると、別れたくなさそうな志帆が言えない一言を飲み込むことがよくあった。 玲二もなにかを言いたくて、でもそれがわからずに一緒に立ち尽くしていた。 そしてそれが終わると志帆は『今日はありがとう』と礼を言い、家に入っていく。 それを夕焼けが道路や家々を染めるなかなにも言わずに見送っていたことをはっきりと覚えている。

 あの時志帆は玲二は、何を言おうとしていたんだろう。


「今晩は、夜分に失礼します。今朝ほどお電話した中川です」


 フキエがインターホンに向かって話すとしばらくして鍵を開ける音が聞こえた。 知らず緊張して体が固くなる。

 それに気がついたのか、フキエが下からのぞきこんでくる。


「怖いですか?」

「……当たり前だろ」

「奇遇ですね、私もです」


 言葉とは裏腹にフキエはニコッと笑った。 そして、礼二の手を軽く握った。


「……!」

「さあ、行きますよ」


 さっと手を離すと、ずんずんと門を開け、玄関に向かって進んでいく。 勇ましい。 我に帰った玲二もあわてて後を追う。


 案内されたのは和室が続いているであろう客間だった。 座布団で心許なく正座をしていると、先ほど迎えてくれた男がお茶を運んできた。


「お構い無く」

「いえ……俺が煎れたもんですから、うまくないと思いますが。あ、そちらも足崩してください」


 男が玲二に向かって言った。彼が志帆の兄か。 今はこの人にとっても玲二は被害者のようなものかもしれない。 でも、フキエはどういうつもりで玲二をここに連れてきて何を聞こうとしているのだろう。


「あの、はじめまして。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私は中川フキエともうします。ここにいる松谷玲二の部下です。玲二さん、こちらは志帆さんのお兄さん、近藤晴紀さん」

「はじめ、まして」

「こちらこそ」


 また、静かになる。

 フキエは、双方の顔を見ながら頭で段取りを考えているようだ。 頼むからそんなことは来る前にやってくれと玲二が叫びだしたくなるほどの沈黙を破ったのは志帆の兄、晴紀だった。


「毎年」


 襖でしきられた隣の部屋に目をやって晴紀が言う。


「志帆の墓に花を供えてくれるのは玲二くんですか?」

「……」

「俺が行く頃にはもう、線香も燃え尽きているから朝早くに来てくれていたんだね」

「……そのくらいしか……」


 車の音も届かない部屋のなかで、何度目かの沈黙が一同に降りかかる。 晴紀がお茶を一口飲む。熱かったのか少しむせた。


「……俺が、君のことを知らないと思ったか?」

「どこかで……?」

「俺は同じ高校で二つ上にいた。志帆が松谷玲二と会っているって友達から聞いたときは、驚いた」

「すいません……」

「君は、有名だったからな。悪い意味で」


 フキエが聞いているのと同じような話を晴紀も知っていたのだろう。 カサリと乾くような笑いが漏れ、晴紀が足を崩して胡座をかいた。 玲二はこのあとの展開が全く読めずいまだ正座の足を崩せない。


「志帆に聞いたよ。『お前、遊ばれてるのに気づかないのか』って。そしたらあいつ、キョトンとした顔して『手も握られてないのに、それって遊ばれてるの?』って」


 ────そうだった。志帆には指一本触れることができなかった。 それがなぜなのか、今でも玲二にはわからない。 マジになられそうで面倒くさかったから?笑った顔が子供みたいだったから?ちゃんと話を聞いてくれたから?

 会えば他の相手とはしない自分についての話をして、それを聞いてくれて、一緒に怒ったり笑ったりしてくれた。 そういう時間は玲二を穏やかな気持ちにさせていた。


「志帆は言ってたよ」


 私はね松谷くんのことが好きなの。

 みんなでご飯を食べに行くって誘われたとき、松谷くんもいて。 そんなのに誘われるのも初めてなのに、そんなラッキーがあってビックリしちゃって!松谷くんのことは一方的に知ってたの。 すごいモテる人だっていうのも知ってたけど────助けてもらったことがあって。


 満員の電車からね、押し出されちゃったことがあって。 自分もホームで転倒して荷物もばらまいちゃって。 混んでるときだから回りもみんな迷惑そうに避けてくだけで、ノートとかハンカチとか踏んづけられちゃって……それをね、私が乗ってきた電車に乗るはずだった松谷くんが、一本送らせて一緒に拾ってくれたんだ。 ちゃんと、ノートについた砂とか払ってくれて、踏んづけられたハンカチの代わりに自分の貸してくれて……膝、ベロンて擦りむいてたから……名前も言わないで次の電車にのって行っちゃったの。


 あとで、友達にタラシでヤバイ奴だから忘れろって言われたんだけど……もう遅いよって。


 そんなことがあってまた会えたけど、まだ打ち明けてない。

 松谷くんの好みはもっときれいで洗練された人ばっかりで、私はただの友達だよ。


 でもたぶんね、あの女の子たちのことも本当に『好き』ではないんだよね。 寂しいのかな、って思うんだ。

 でも、その寂しいのにも松谷くん、気づいてない。 おうちの人は忙しくって、妹さんも今ちょっとゴタゴタして大変で。 もう、18歳なんて、甘えるような年でもないのかもしれないけどね?


 家ってしっかり足を踏ん張るための基礎じゃない?────うちも、そこら辺ぐらぐらしてたから、なんか松谷くんの不安定な気持ちっていうのもわかるような気がするの。


 それがね、わかったらきっと松谷くんもちゃんと人を好きになれると思うんだ。 それが、私だったらすごく嬉しいけど、違ってもいいんだ。


 他に女の子がいても、私がただの友達のうちは関係ない。 ちゃんと付き合おうってなる前に迫ってくるようなことがあったら、ぶっ飛ばしてでも逃げるから、安心していいよ?


 でも松谷くんは、本当は優しくていい人なんだけどなー。 会えばお兄ちゃんにもわかると思うんだけど?



「志帆は、みんなわかってた。あんたが志帆の命日を一度も忘れず花を手向けてくれる人だって。線香が終わるまで、墓前で手を合わせてくれる人だって」

「……ど、して、それを」

「何年か前に住職さんに聞いたよ。どんな人が来ているのかって。そうしたら若い男で、早朝に来るんだって。掃除をして花を手向けて線香を供えてくれる。鳥が来るからもって帰ることになっている食べ物も毎年ケーキのような箱を持ってくるんだって教えてくれたよ。たぶん、君だと」


 朝でなければならなかったのは、ご家族と鉢合わせしたくなかったから。 そして学生の頃は学校に、就職してからはサロンに朝イチにつくためだ。 会社の寮に住んでいた玲二はその時間に間に合うように墓参りをしてまた帰るため、ほぼ始発に乗るような勢いで地元に向かっていた。


「一年でたった一日ですから」

「……彼女でもなかった女のために?」

「……」

「志帆の言うとおりだ。本当の君は優しい。でも、もうそんなに責任を感じることはないよ。君が今日ここまで来てくれたって知ったら、志帆だって……」

「違うんです!俺、あの日……彼女と会う約束してたのに、違う子と遊んでて……朝帰りするところで、待ち合わせに間に合わなくて……バックレようと思ってて……」


 感情を爆発させた玲二が大きな声をあげた。

 優しいなんて言わないでほしい。人の気持ちも知ろうとしないで弄んでいた。いっそ、自分が逮捕されればよかったのにと本気で思っていた時期もある。こんな気持ちがなくなるのなら、いくらでも償うのに。何度でも詫びるのに。


「君と志帆は付き合ってはいなかった。だから、君が他の女と何をしていようと、その間に志帆に何が起ころうと、君が悔やむことはひとつもない。 君が待ち合わせに間に合っても、犯人は勝手な逆恨みをして志帆を突き落としたかもしれないし、後をつけ回して君と別れたあとに志帆に何をしたかもわからない。 過ぎてしまったことは、取り返せないし他に道があったと思えない」


 だから君も

 晴紀は笑った。 さあ、どうか線香をあげてやってください、とふすまを開けた。

そこにはひっそりともうこの世にいない人たちを偲ぶための仏壇があった。


 晴紀がろうそくに灯をともし線香を立てる。 勧められて玲二も仏壇の前に正座する。 顔をあげ、遺影を見る。


 そっか、こんな顔だったな


 志帆との写真は一枚もない。 ケータイですらとっていない。志帆も持っていなかったはずだ。 誰とも行くことのなかった遊園地や映画には何度も行ったのに。 作ってもらったお弁当を食べたのに。 誰にも言えなかった心の中を話したのに。


 頬に、涙が道を作っていくのがわかる。 もう志帆は泣くこともできないのに。


 もっともっと、たくさん話をすればよかった。 手を繋いでデートすればよかった。 写真を一杯撮ればよかった。 肌を合わせて抱き合うと気持ちがいいことを、きっと二人なら誰とするよりも幸せだと感じられることを教えてあげればよかった。


 もう、二度と触れることもできないのに。


 線香をあげることもできず、その場で臥せって泣き出した玲二を、フキエと晴紀は、ただ見ていた。


「晴紀さん、あの写真はお父様ですか?」

「はい、うちは俺たちが子供の頃両親が離婚していまして、父も3年前に亡くなりました」

「それからは、ずっとお一人で?」

「掃除が大変なんで引っ越そうかと思ったんですけど、思い出の家だし、それに」

「それに?」

「そのうち、彼が来るような気がして。志帆に会いに。だからそれまではここにいようって、なんとなく」


 フキエは微笑む。


「ありがとうございました、ここに来させてくださって。晴紀さんにも、いい思い出なわけないのに」

「いいえ。あなたから今朝連絡いただいたときは驚きましたけど」

「はい、ネットカフェ、万歳です」

「?よくわからないけど、あなたは不思議な人ですね」



 ようやく泣きすがる玲二を起こして二人で線香をあげ、近藤家をあとにする。 あんまり豪快な泣き様だったので、晴紀はタクシーを呼んでくれた。 そして二人が見えなくなるまで見送った。



 玲二は泣き晴らした顔に当たる風を心地よく感じていた。

 買い物をして帰ると宣言していたのでスーパーの近くで下ろしてもらった。


 すっげえ、泣いちゃったよ。 それでもみっともないとか、カッコ悪いとかも考えられなかった。



「なあ……俺が知らなかったことって、なんだったの?」

「……玲二さんが、志帆さんを好きだったって言うことですよ」

「……す、き」

「本当に好きだったから、なにもできなかった。その他大勢の女の子と同じようには扱えなかったんです。大切だったから、たぶん誰よりも大切だったから」

「……」


 そうか。好きだったんだ。

 志帆がいる時間、二人でいる時間。 優しくて暖かくて、帰りたくない時間。 あれが『好き』がもたらす感情。

 志帆の家の前で夕暮れの中、二人はきっと『さよならしたくないね』って言いたかったんだ。 言いたかったけれど、言葉にならなくて、なにも言えないまま別れたんだ。


 それに気づいたからといって、志帆の家族と話をしたからといって自分がしたことが許されるわけではない。 晴紀だって心のどこかでは玲二を責める気持ちがあるかもしれない。

 でも、今日からはその事からは逃げない。 仕事は逃げ場所じゃない。 自分のために働き、誰かに、ただ喜んでもらおう。

 そして誰かを好きになる心も、押し入れから引っ張り出して、お日様に当てよう。


 この次、恋をするときは自分の精一杯で好きになろう。 大事だと言おう。 しっかりと抱き締めよう。


「ねえ、玲二さん」

「ん?なあに」


 また浮かんできてしまった涙を乱暴に拭って玲二が答える。


「私、玲二さんのことが好きです」

「……え」

「答えはいらないです。買い物してきます。あかりさんに付けあわせ用のレタスちぎっといてくださいってお願いしてください。じゃ、行ってきます!」

「あ、ちょ!俺も……」

「その顔でスーパー入れないでしょ?先帰っててください!」


 矢継ぎ早に言うことだけ言うと、夕べみたいにフキエは走っていった。 暗闇のなかに小さな背中はすぐ見えなくなった。


 ……好きだ、って言われた。


 好きな人に好きだと言われた。

 今すぐ追いかけていって『俺も好きだ』って言いたいけれど今日のことがあってすぐは言いづらい。 フキエにしたって受け入れづらいだろう。

 志帆を好きだったということも、フキエがきっかけをくれなければわからなかった。 きっと昨日の夜中かかってあの事件を調べたのだろう。 玲二も人の話で、残された家族のことも考えないひどい記事もあったと聞いた。

 それらの、掘っても掘っても楽しくなるはずのないニュースを彼女は一人で調べた。 そして自分が気がついたことを玲二にもわからせるために、志帆の実家へ向かわせた。

 本当に玲二のことが好きだと言うならフキエ自身辛い作業だったはずだ。 それでも、一緒に近藤家にいってくれた。志帆の兄と引き合わせてくれた。


 ……もう少し落ち着いてから言おう。 もっとしっかりした自分を見てもらって、そしてフキエの夢を全力で応援しよう。

 それから、好きだと、伝えよう。


 フキエの走り去った方向をしばらく見守っていたが、ゆっくり家に向かう道を歩き出した。 レタスをちぎれって言われてるし、飯の解凍くらいなら自分でもできる。

 考え始めたら現金なもので腹が減ってきた。


 


しかし、松谷家のテーブルに唐揚げが乗ることはなかった。

 

その夜を境に、フキエは行方不明になった。







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