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仕事を減らす道具

改稿したくなってもしない!という強い気持ちを持ちたい

【授命暦843年 11/30 朝】


 小屋の戸を開けると、入口の脇に灰色がかったボロ布が肩までの高さで積まれていた。麻紐で雑に縛ってある束が五つ。袖の擦り切れた古着、洗濯から外された薄手の襤褸、布巾だったらしい黒ずんだ切れ端の固まりだった。


 セイが先に置いていった銀貨は、昨日のうちに腰の袋へしまってある。袋の重さは小屋の戸を開けるたびに思い出す。投資という概念が定常化する未来を考えると、楽観的にはなれないが、とはいえ何もしないわけにはいかない。


「めちゃくちゃ大量に来てるね」


 後ろからローザが覗き込んで、束の上の端切れを引き抜いた。束を片手で持ち上げて、すぐ下ろした。


「百枚分のボロ、これで足りるの」


「微妙なところ」


 僕が答えると、ローザは「だろうね」と短く言って、束の縛りをほどき始めた。指の関節が音を立てた。


 紙作りの作業が大変過ぎることは、もう全員分かっていた。木槌で叩けば布は毛羽立つ。けれど、紙の元になるまで崩す前に、腕がだるくなってしまう。


 イェニーが井戸の方から戻ってきて、小屋を覗き込んだ。


「あら、ボロ。届いたんだねえ」


「セイさんから。届けさせるって言ってた分です」


「速いわねぇ」


 三人で交替しても、ボロ三束で午前が消えそうだった。


「叩く方は、道具がいるね」


 ローザが言った。


「うん。人の腕でやる量じゃない」


 ローザが台の隅に伏せてあった試作の紙を一枚めくって、縁の凸凹を指でなぞった。


「あと、これ。さっきから見てたんだけど、ぐっちゃぐっちゃ」


「ぐっちゃぐっちゃ?」


「紙にする時の枠もまちまちだから、揃えるなら何か必要だね」


 ローザが紙を台に戻した。縁を撫でた指に、細かい繊維屑が残った。


「ヴィルヘルムさんに頼もう」


 僕がそう言うと、ローザが頷いた。


「何か思いついてるものはあるの?」


「あるよ」


「ふーん。あんたの説明長すぎて、まとまらないし、着いていく」



 小屋の脇に水を張った桶を二つ並べて、叩いた繊維を浸す。水に放って、手で揉んで、繊維を一本ずつ離す。ここは僕より、女衆の手の方が向いていると、最初の試作で分かった。


「冷たい」


 ローザは袖を肘までまくり上げて、繊維のかたまりを指で押して、また広げる。揉むというより、撫でて分けるような動きになる。


 イェニーは横の桶で同じ作業を始めた。母の手の動きはローザより遅く、何度か繊維のかたまりを持ち上げて確かめてから、水に戻す。


「ローザちゃん、上手だね」


「冷たいから、早く終わらせたいだけ」


「照れなくても良いのに」


 イェニーが小さく笑った。それで会話は終わるはずだった。


 ローザはもう一度手のひらで繊維を押した。指を開くと、繊維のかたまりが薄い皮みたいに掌に貼り付いて、ぺりっと音を立てて剥がれた。


「なに、これ」


「……どれ」


 イェニーが横の桶から手を伸ばして、ローザの掌に乗っていた薄い繊維をつついた。それから自分の桶でも試すと、母の掌にも繊維が薄く貼り付いた。ローザのほどには厚くないけれど、確かに貼り付いている。


「あら、何故かくっついた」


 母は、それだけ言った。


 ローザは自分の掌をじっと見た。


 ローザは何度か掌を開いたり閉じたりしてから、「気持ち悪い」と言って、桶の水で手を洗った。繊維はちゃんと水の中に戻った。


 何か不思議なことが起きているような気もするが、単なる偶然なのかもしれない。


 ローザが手の水を払った。


「で、ギーセン村、いつ出るの」


「いまから出れば、昼過ぎには着くと思う」


 イェニーが家から薄く切ったパンと干したリンゴを布に包んで持ってきた。「歩きながらでも食べなさい」と言って、ローザの手にだけ渡した。


「僕の分は?」


「着いてってくれるんだから、あなたじゃなくてローザに渡すわ」


「……何か腑に落ちないな」


 ローザが布包みを脇に抱えて、先に小屋を出た。



【授命暦843年 11/30 昼過ぎ】


 ギーセン村の入口で、坂を下る荷車を一台やり過ごしてから、ヴィルヘルムの工房の脇道に入った。鉄を叩く音は、村の道のだいぶ手前から聞こえていた。低く、規則正しく、ときどき乱れる音。


 工房の戸口を覗くと、炉の前にヴィルヘルムが立って、別の客と話し終わるところだった。客の方は鋤の刃を布で包んで、礼を一度言ってから出てきた。


「お、トリーア村のガキ二人か」


 ヴィルヘルムが、僕とローザに気付いて、前掛けの胸の煤を手の甲で払った。鼻を鳴らす。


「またなんか、頼みに来たな」


「分かりますか」


「流石にもう分かる」


 どかどかと歩いてくると、親方はどかっと椅子に腰を下ろす。


「さっさと言え、どんな面白いもんを思いついたんだ」


 工房の作業台は鉄屑と砥石と布で半分埋まっていた。ローザは座らずに、戸口の框に肘を置いた。

 僕は台の端に紙を置いた。


「この紙を、たくさん作りたいんです。同じ大きさで」


「紙を作る機械なんてもんは俺はしらねぇぞ」


「すいません。端折りすぎました。これを作るための道具をいくつか発注したいんです」


「なるほどな」


 ヴィルヘルムは紙をつまんで、光に透かして、台に戻した。


「どこに手がかかるんだ?」


「三つ、頼みたいものがあります」


 僕は紙を指で押さえてから、指を立てた。


「一つ目は、叩く方。木の杵を立てて、足で踏み下げる道具にしたい。踏み込んだら戻る、その繰り返しで叩く」


 ヴィルヘルムは何も言わず、僕の指を見ていた。


「二つ目は、漉く方。枠を二重にしたい。外側の枠は水と繊維を受けるだけ。内側の枠で、紙の大きさを決めたい。沈めた瞬間に、内側の縁で繊維の止まる場所が決まる」


「……」


「三つ目は、筆の棒。炭の粉と粘土を混ぜたクレヨンを、木の型を二枚ぴたりと合わせた間に押し込みたい。乾かして焼けば、型の溝の太さで棒の太さが揃う」


 僕は指を下ろして、朝の小屋で起きたことを順番に足した。前の晩から水に浸してあっても、叩いて繊維にするまでに腕がもたないこと。漉き枠の縁が、いまの簀のままだと繊維の止まり方がばらついていること。筆の棒も、太さがそろわないと書き味が一本一本違ってしまうこと。


 僕が話し終わると、ヴィルヘルムは右手の親指で左手の人差し指の節を撫でた。


「三つだな」


「はい」


 ヴィルヘルムは作業台の煤を払って、指で板の上に三つの丸を描いた。一つずつ、丸を指の腹で押さえる。


「叩く方は、腕を楽にする。漉く方は、大きさを揃える。棒は、太さと長さを揃える」


 僕は頷いた。ヴィルヘルムは僕がばらばらに並べたものを、一息で「同じにする」という一語の下に並べ替えていた。


「一つ目。叩く方」


 ヴィルヘルムは丸の上に、線を一本縦に引いた。


「足踏みなら、腕じゃもたねえって話は分かる。杵の頭と台座に鉄板を張るのは俺の仕事だ。木の杵と踏み板と梃子は、木工に回す」


 ローザが戸口から「足踏みなら、わたしも踏める」と短く挟んだ。ヴィルヘルムは「踏め踏め」と応じてから、丸の上にもう一本線を引き足した。指の動きが、ふと止まった。


「これは……水車に繋げられるな」


 ヴィルヘルムが、線の先で板の端の方を指した。


「お前が踏むのと、上から重さを落とすのと、構造としちゃ同じだ。水車の腕に杵を吊れば、人がいなくても叩き続ける」


「……」


「いまは、お前の村に水車はないだろう。だからまずは足踏みだ。後で水車の腕に吊り直せる形にしておく」


 僕は何も言わなかった。ヴィルヘルムの理解と推察は正しい。水車が設置できないから、諦めたんだった。


 ローザが戸口を指の関節で、軽く板を叩いた。


「で、次」


「次。漉く方」


 ヴィルヘルムは二つ目の丸の上に、四角を一つ描いた。


「枠だな。簀を張った枠。簀は葦でいい。針金は使わん。錆びると紙が汚れる。これも木工が大半だな」


「……はい」


「で、内側にもう一枚って言ったな」


 ヴィルヘルムは四角の中に、もう一つ小さい四角を重ねて描いた。二つの四角の差が、紙の縁になる。指の腹で、内側の四角の縁をなぞる。


「外側の枠は、水と繊維を受けるだけ。内側の枠の縁が、紙の端を決める」


 ヴィルヘルムが指の腹で、二つの四角を交互に押さえた。それから、押さえる手が止まった。


「……なんで気付かなかったんだ」


 ヴィルヘルムが、低く言った。


「腕でやってたことを、足でやってるだけだ」


 ヴィルヘルムは右手の親指で左手の人差し指の節を、もう一度撫でた。


「悪い話じゃねえ。紙を作る道具じゃねえ。同じ失敗を減らす道具だな」


 ヴィルヘルムは板の煤の上の四角を、もう一度指で押さえてから、肩を回した。


「馬鹿でかい仕事じゃねえが、木の選びと、四角の歪みのなさが命だ。あっちの工房の親父に話しとく」


 ローザが戸口から、短く頷いた。


「三つ目。棒の方」


 ヴィルヘルムは三つ目の丸の上に、細い縦の線を二本引いた。


「木の型を二枚合わせて、間に、その、炭と粘土を捏ねたやつな」


「はい。太さと長さを揃えるための」


「これは小せえな。木の型は溝を切るだけだ。鍛冶仕事はねえ。木工に回す」


「分かりました」


 ヴィルヘルムは台の端に置いてあった布で、煤の丸を乱暴に拭いた。三つの丸も、四角も、線も、煤の中に紛れた。


 ヴィルヘルムは、紙の端切れをもう一度つまんで、光に透かして、台に置いた。


「お前、まだまだその先まで考えてるだろうが、今日はそれは聞かねえ」



 そこで、奥の炉の前から、低い物音がした。


 ふいごの足踏みが、半拍だけ乱れた音だった。


 戸口の框に肘を置いたままだったローザが、奥を覗いて、僕に「弟さんいる」と短く言った。ヨハンが炉の脇から、のそりと出てきた。手の甲に小さな赤い跡が三つ並んでいるのが、まず目に入る。前にも見た火傷痕だ。


「兄貴」


「おう」


「いまの、聞いてた」


「聞こえてたろ」


「うん」


「ヨハン。お前、いまから聞く話、いっぺんしか言わねえからな」


「うん」


「俺は、こいつの村に、しばらく行きたいと思ってる」


 工房の中の音が、急に消えた。炉の中の火がぱちんと跳ねた。


「ここで鋤の刃や戸金具を直してるより、面白そうだ。血が騒ぐんだよ」


「兄貴、工房は、どうなるんですか」


 ヨハンの声は、僕に向いた敬語と、兄に向いた弟の言葉の、ちょうど真ん中で揺れていた。


「お前が、しばらく回してくれ」


「俺、まだ、兄貴の代わりに炉の前に立てるほどじゃない」


「ギルドへの義理は、どうするんですか」


「俺が話す」


 ヨハンは坩堝の縁に指をかけ、その手を前掛けで拭いた。


「いつ、決めるの」


「決めてねえ」


 僕も、しばらく何も言わなかった。


「ムーアさん」


 ヨハンの声が、こっちを向いた。


「兄貴の、この話、ムーアさんが、誘ったんですか」


「誘ってないです」


「でも、兄貴が、面白いって言ったの、ムーアさんの村の道具の話ですよね」


「いや、僕は単に道具を頼みたかっただけです」


 ヨハンが、初めて、僕とちゃんと目を合わせた。少年の目だ。火傷痕の跡が三つ並ぶ手は、まだ少し震えていた。


 ヴィルヘルムが、ヨハンの方を見ずに、煤で汚れた板をもう一度布で拭いた。


「ヨハン。三つの道具は、こっちで作る。叩く方は明日から俺が叩く。木工分は夕方、親父んとこに持っていく」


「うん」


 ヴィルヘルムが、僕とローザの方を見て、顎をしゃくった。


「お前ら、今日は帰れ」


「……分かりました、帰ります」


 僕は戸口の方へ下がった。ローザが先に、戸口の框から肘を外して、ヨハンの方を振り返った。


 何でこんなことに。

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